第四部

【永禄七年(1564年)四月】



 軍神殿が主力を集結させたのは、滝山城だった。この城は、元時代の八王子市の辺りで、東京駅からの中央線快速の終点近くとなる。そして、そこからは中央本線が通る道筋で甲斐に入ることができる。


 もっとも、戦国時代に後世のようなトンネルなどあるはずもないので、山を越え、山間を縫っての行軍となるが。ともあれ、上杉軍は北条を牽制しつつ、甲斐に攻め込む構えを見せていた。


 そして、同時に北の越後からは、北信濃の川中島方面へと攻め込む準備が整えられている。元時代でなら山梨県と長野県の最北端となる南北からの二正面作戦を仕掛けるというのが、表向きの方策だった。


 南北からの攻勢のうち、新田は北ルートに参加すると公言していた。ただし、その主力には農村から集めた臨時兵を充てる計画となっている。


 領内からの常備兵への加入は、既に限界に近い状態となっていた。そこからさらに募集した形なので、年輩の者達の比率が高い。けれど、その数は一万近くに達していた。


 そうなった要因は、今回の協力要請に応じた臨時徴用部隊が、越後方面から北信濃へ攻め込むとの話が伝わったためだった。


 箕輪や厩橋城域では、集合教育が始まってから既に四年が経過している。新田の内外の地理も、現状の周辺地域の勢力図も課程に入っていた。


 越後から北信濃へと新田が攻め込む。そして、それを主戦力ではなく、臨時招集の農兵が担当する。そこまででも、既にいろいろと察せられる状態だったのだろう。


 そして、本来なら田植えの時期だというのも、覚悟が伝わる一因となったようだ。備蓄米の供出を約束したものの、米作りを一年にわたって休止に近い状態とする意味合いは大きい。


 それでも、不在時にできるだけの植え付けが行えるように準備を整えて、招集兵は参集していた。簡単な適性検査が実施され、急揃えながらも武器と防具が受け渡されていく。そして、編成が完了すると、中核部隊に率いられて三国峠に向けて北進していった。


 同行する上杉勢は、斎藤朝信、長尾藤景、本庄繁長ら関東駐留組に率いられていた。彼らは、北信濃出身で越後に身を寄せている豪族勢と合流して、川中島方面へと進出する手筈となっている。


 新田の主力は、河越城域に集結して南下し、滝山城にいる上杉勢に合流する構えを見せている。これは偽装で、北信濃の状況を確認してから北へ……、碓氷峠方面へと向かう予定だった。


 大まかな作戦は、北と南から武田に攻勢を仕掛けて、南北の国境付近に兵力が吸い寄せられたところで、新田の主力が碓氷峠を越えて手薄になっているはずの信濃の中央へ躍り出る、というものだった。


 碓氷峠の西にある小諸城を攻め落としたら、そこからは北進し、越後勢の迎撃のために川中島方面に向かった軍勢を挟撃によって攻め潰しつつ、北信濃の解放を目指す予定だった。


 同時に、滝山城の上杉勢は北進して、碓氷峠から二次侵攻を実施する予定となっている。うまく運べば、そこで再びの軍神殿と武田信玄の直接対決が実現するだろう。




 そして、ここに至るまでの準備作戦として、上杉と新田が合同で松山城を攻囲、開城させている。松山城は太田資正に預け、古河の守りを佐野昌綱と共同で行うように求めた。一方で、死守する必要はないとも伝えている。香取海北岸・西岸の諸将の動きを掣肘してくれればそれでよい。


 新田勢の川中島方面軍は、上坂英五郎どんが率いて、軍師役は芦原道真、諸岡一羽が務めている。


 道真はすっかり内政の第一人者的な存在となっているが、実際は軍師としての能力も高い。田植えを控えた農民を動員している状態であるからには、宰相もまた戦陣に参加するべきだろう。


 諸岡一羽については、こちらの方が野戦となる可能性が高いと考えての配置だった。


 河越城に滞陣している主力は、青梅将高が主将を務めている。副将として明智光秀、雲林院松軒が配され、鉄砲隊は雑賀衆に加え、小金井桜花、美滝らの指揮で、ほぼ総勢を動員していた。俺も、ここに同行する形となる。


 忍者隊は三日月が束ねているが、伊賀者の藤林文泰、甲賀者の高峰数信らも部隊を率いている。加藤段蔵、猿飛佐助、愛洲宗光の肉体派忍者隊には、素質があった久慈実信……、津軽為信になるはずだった少年も加わっている。


 その他の部隊や、黒鍬衆までがっつりと参加しているのは、新田の命運を握る戦いだと捉えているからだった。


 厩橋に残留する軍勢は、剣術家であり勇将でもある上泉秀綱が率いており、副将の箕輪繁朝と張り切っているようだ。


 陽忍を率いる霧隠才助に、伊賀者の小沢智景、甲賀の多岐光茂についても、治安維持活動に従事しながら、いざとなれば実戦に参加する構えだった。小沢智景などは、対武田戦にも参加したがったが、少ない兵力での領土防衛には、彼らの情報収集、分析能力が重要となる。一方で、古河の防衛を託した太田資正、佐野昌綱と同様に、無理はするなとも伝えてある。


 北信濃に常識外とも言える戦力を投入するからには、留守中に城が多少落ちるのは仕方ない。敵の勢力圏に近い城域では、避難の準備を整えるようにとの触れを出している。


 まずは武田に一撃を加え、返す刀で関東で攻勢をかける。最終的な犠牲を減らすためには、信濃進軍の裏での被害は受忍するしかない。もちろん、ないに越したことはないのだが。




 武田領内で甲斐から派遣された軍勢が北信濃の豪族衆に動員をかけ、北上を始めたと確認できたのは、四月も末になってからだった。新田主力の行動が開始された。


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