【永禄七年(1564年)三月中旬】


【永禄七年(1564年)三月中旬】


 この年は、史実では第五次川中島合戦と呼ばれる睨み合いが生じた年となる。だが、関東では古河が北条の手に落ちていることもあってか、軍神殿は三国峠を越えてきた。


 厩橋はほぼ素通り状態で、上杉勢は古河へと進路を取った。


 もはや、古河への力攻めは、禁忌ではなくなっている。そうなれば防備の薄い町でしかなく、あっさりと攻略が果たされた。


 足利義氏は無事に退去し、小田、小山、結城は今回もにこやかに従属を申し入れてきたそうだ。




 古河を訪問して祝いの言葉を述べると、返事もそこそこに軍神殿が問うてきた。


「護邦殿。武田と北条を向こうに回して勝利した新田の力を持ってしても、古河は守れなかったか?」


 表情は硬いが、詰問調とはなっていない。


「我らが参加していたなら、小田、小山、結城を討滅することになっていたでしょう。関東管領殿がお許しになった彼らを、勝手に討ち果たしてよかったのですかな? 新田としては、彼らを打倒した場合に許す論理がございませぬ」


「恭順の姿勢を示している彼らを、滅ぼすべきだったと言うのか」


「さて……。彼らは後世には、北条……、いえ、伊勢と上杉の間で裏切りをくり返した義理に欠ける輩と評されるでしょう。ですが、立場的に致し方ないとも言えます。それは、本当に彼らの罪なのでしょうか。それとも……」


「覚悟の足りない、我のせいか」


「そうは申しておりません」


「口に出しては、な」


 軍神殿が、ふーっと息を吐き出す。悪い人物ではないのだ。むしろ、優しい人柄なのかもしれない。


「越中への謀略、葦名への働きかけ、上杉家中での謀反誘発と、武田信玄は御身の封じ込めを狙っています。北条は軍神殿になびいた関東諸将を、実力で再復させています。北条は武田と同心です。それは最初からわかっていたことではありませんか」


 相手が黙しているので、俺は言葉を重ねた。


「関東鎮撫の障害は、北条よりも武田かもしれません。輝虎殿にとっての武田信玄は、好敵手として強大であってほしい存在か、滅ぼすべき敵なのか。存念を伺いたい。……信濃解放は、そして関東鎮撫はお題目ですか? それとも本心なのでしょうか?」


 後戻りできない地点を踏み越えた発言となる。俺は、相手の反応を待った。しばしの沈思の後に、口は開かれた。


「武田を攻めれば、北条が巻き返して、結城、小田、小山らはまた裏切るのではないか」


 ついに、軍神殿が現状を認めたのだろうか。まあ、これまでも理の面ではわかっていても、そんなはずがないという情が覆い隠していただけなのかもしれない。


「武田に一撃を喰らわして北信濃から追い出した後で、返す刀で関東を制圧しましょう。小田、結城、小山らについては今度こそ討滅を」


 軍神殿はもう一度、ふうっと息を吐き出した。




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