【永禄七年(1564年)二月中旬】
【永禄七年(1564年)二月中旬】
忍者の探索で軍神殿がしばらく動かなさそうとの感触を得た俺は、北方へ向かった。上杉勢が雪の中で動くようなら、明智光秀に任せようかとも思っていたのだが。
同行者で特筆すべきは、まだ七歳の少女、倫(りん)だった。婚儀含みの話となっている。
俺が行くとなって残留が決まった父親の明智光秀からは、総てを……、婚儀を進めるかどうか、俺の養女とするかどうかも含めて、総てを任されている。責任は重大だった。
急な大揺れを危惧して、乗客が甲板を出歩くときは、自分の身体と中央構造物を縄で結ぶ決まりとしている。舳先に佇む少女の元に向かうために、俺は腰紐に縄をくくりつけた。
「倫、寒くはないか」
近づくと、少女はまっすぐにこちらを見上げてきた。
「こうしていると、頭が澄んでくるのです。少し考えをまとめたくて。……お相手は、浪岡北畠の方でよろしいのでしょうか」
彼女には、今回の旅が見合いの意味合いを持つとは伝えていない。けれど、そうでもなければ、父親も同行せずに自分に北方への誘いが来るわけがない。聡い倫はそう考えたのだろう。
牛馬痘の接種の際にも、説明を理解して敢然と腕を差し出したし、この娘の胆力には見るべきものがある。
「倫が気に入らなければ、この話は消える。その前提で聞いてほしい。……想定されているのは、浪岡北畠の当主で、倫よりも二つ上だ。隣の大浦氏には、為智……、見坂智蔵が婿入りしていて、十三湊には新田の根拠地がある。三者で……、さらに言えば、蝦夷地の蠣崎氏も含めた四者での協力体制を築きたい」
「武家の娘ですから、相手がどれほど愚鈍だろうと、横暴だろうと、覚悟はできています。ただ、一点だけ、わがままを言わせてくださいますか」
「もちろんだ」
「母さまの顔の痘痕(あばた)を気にしない人と添い遂げたいと、ずっと思っていました。話してみてもよろしいでしょうか」
「ああ。拒否反応を示すようなら、この話は流そう」
「いえ。明智の娘として、主家が進める婚姻を壊すわけには参りませぬ。ただ、どういう方かを把握しておきたいのです」
「だが……」
「護邦様。……いえ、御養父上。そんな顔をなさらないでください。倫はしたたかでずるい女なのです。父様や御養父上となる護邦様が、愚鈍で横暴な相手と娶せるはずがないと思いながら、このようなことを言っているのですから」
「俺が判断する。だから、倫は勝手に話を進めるな」
「承知しました」
冬の海風に包まれながら、少女は穏やかな微笑みを浮かべた。
今回は祝言ではないからと、当主級の同行は避けてもらっている。まあ、幼い少女を連れているからには察するところはあるだろうが、九戸政実からも長江月鑑斎からも、帰りにじっくり話をしようと持ちかけられた。交易に絡んでか、当主同士の話をしたいらしい。
蠣崎の拠点にも立ち寄り、十三湊から倫とお供の一行は浪岡城へと向かった。
出迎えてくれた北畠顕村は、にこやかに倫の手を取って案内を始めた。奇をてらっての振る舞いではなさそうでプラス評価だが、光秀視点であればマイナス評価かもしれない。
北畠側には、新田の流儀として互いが好感を抱いた場合にのみ話を進めたいと申し入れている。あちらがどう判断するかは、任せるしかないが。
そして、話の成否に掛からず、鉄砲、バリスタの提供を行うとも伝えてある。であるからには、互いに撃ち合う関係とはなりたくない。……今回の話がまとまらなければ、柚子の嫁入りも含めて考えるべきだろうか。
子どもたちに新作の茶菓を食べさせながら、大人は別の政治の話を進めた。大浦為智も雪深い道を越えて合流している。この件があったので、雪かきを進めていたらしい。北畠からは、幼い当主の叔父にあたる北畠顕範が参加している。
「なら、十三湊が人気になってきているのが、総ての元凶なわけか」
「そうなりますね」
蝦夷地交易の拠点として十三湊に寄る船が増えると、安東の土崎湊の立場を奪いつつあった南部氏の野辺地湊に寄る船が減る、との構図になる。寄港税としての津料の徴収や産品が捌けることで潤っていたため、南部の一族である七戸氏が苛立っているらしい。
「七戸だけなのか? 三戸が南部の本家だったよな」
「現当主の南部晴政殿は、元は岩手の南部支族の出で、三戸の姫を娶った経緯からやや強引に継位したようですな。そのため、下北を治める七戸氏、八戸を拠点とする八戸氏、一体化しつつある久慈と九戸、南の一戸氏などの各氏族は、力は認めつつも、やや距離を置いているようです。大浦や大光寺もそうですが」
「石川高信が津軽の石川城にいるんだったよな。晴政の弟でよいんだったか」
「ええ、兄弟になりますね。ただ、高信殿は三戸城にいる場合も多いようで、半々といったところでしょうか。周辺は大光寺の所領ですので、津軽と安東に睨みを効かせるための前進基地と考えてよろしいかと」
「大浦はどこ系なんだっけ?」
「久慈系ですな。……それをご承知の上で、九戸政実殿と交流されていたものかと思っておりました」
「奥州の知識はおぼろげでな。大光寺氏は?」
「五代前に宗家から分かれてますので、単独の大光寺系と捉えてよろしいかと。ただ、大浦もそうですが、もはや南部として捉えてよいのかどうかは……。石川高信殿が石川城に詰めておられるのも、そう考えているからこそかと」
智蔵……、いや、大浦為智がすっかり南部博士になってくれていて、とても助かる。
まとめると、南部は一族内での派手な戦さこそほとんどないが、各氏族が我が道を行く状態らしい。となれば、やりようはあるだろうか。
そして、大浦には七戸氏、大光寺氏、石川高信からばらばらに新田討伐の要請が入り、断ったために憤慨されているらしい。どうやら、取った婿が新田と関わりがある人物ということすら伝わっていないようだ。まあ、南部の世界からすれば、大浦は辺境の小物に映っているのだろうが。
と、浪岡顕範も口を開いた。
「我ら浪岡から見ましても、南部がまとまって動くのは、利害の一致した時に限られていますな。ただ、晴政殿が実権を握られてからの締め付けは、だいぶ厳しいと聞きますが」
「締め付けの結果として、一致して攻められたら厄介だな。……大浦は、北畠、新田と組むことで家中をまとめられるのか? 南部がばらばらだとしても、実際に戦うとなれば話は別だろう」
「新田から提供されている文物は、既に家中の意識を変えつつあります。理由なく攻め込めと言えば別でしょうが、特に攻められた場合には、戦いを厭うとは思えません」
史実で津軽為信が津軽を制圧するのは、ここから十年くらい後の、当主の南部晴政と養子の南部信直……、石川高信の息子とで諍いが起きる頃となる。養子を迎えたら実子が生まれて、という定番のパターンだったはずだ。
より詳しく情勢の分析を進めていると、倫が駆け寄ってきた。この子が走るのは初めて見た。
「どうした、そんなに急いで」
「顕村さまに痘痕の件を、質問してみました。その上で、結婚を申し込みました」
「いや、待て。俺が判断するって言ったじゃないか」
「緊急時の独断専行は、新田の家風でありますもの」
うふっと笑う姿は可愛らしい。困った家風が築かれつつあるようだった。
倫が北畠顕村に母親の顔に痘痕がある件を話してみたところ、疱瘡でしょうかと問われた上で、よかったと返されたそうだ。カチンと来て、なにがよかったのかと問うと、顕村の母が疱瘡で命を落としたのだと話してくれたという。
物心つくかつかないかのところで、母を恋しがってだいぶ苦しめてしまったようだと悲しげに口にした顕村は、病が近寄らないように死に目にも会えなかったらしい。
倫の母は痘痕が残るだけで、元気な娘を三人産んだと伝えると、またうれしげに本当によかった、と応じられたそうだ。その柔らかな笑みを見て、痘痕について気持ち悪くはないかと問おうとしていたのが恥ずかしくなったと、倫は笑った。
「痘痕など本質ではないというのが、わたしにはわかっていなかったのです。顕村さまは、経験からそれを理解しておられました。倫は、北畠の家に入りたいです」
覚悟を固めた少女の想いを、妨げるわけにはいかない。いや、政略的には望ましい状態なのだ。だが、やはり判然としないものが俺の胸中にはあった。
浪岡顕範は涙ぐんでいるし、大浦為智も微笑んで見守っている。倫が三つの家をまとめてくれれば、この地でも道は開けるだろう。
結婚への覚悟を固めた少女がいれば、恋情を向けられて戸惑っている少年もいる。佐野虎房は、襲われているところを助けた湊安東の姫君、月姫に見初められて、付きまとわれている……というと表現が悪いが、行動を共にされたがっているそうだ。
彼女の乗る船を襲撃したのは、檜山安東の手の者だったようだ。お家騒動を避けるべく、湊安東の血族を絶やそうとしているのか。湊安東家は形式的には存続しており、安東愛季の弟が当主となっている。
あいさつしてみると、はきはきと話す同年代くらいの元気な女の子で、十三湊で交易を手掛けたいそうだ。もちろん歓迎である。
会っている間、月姫は隣に佐野虎房を座らせ、腕をしっかりとつかんでいた。獲物は離さないとのアピールだろうか。
これまで、十三湊は雲林院松軒に預けてきたのだが、周囲の地形把握も終えたようなので、関東に戻すことにした。
主将は、水軍としての活動が中心だった神後宗治に任せることになった。本人は荷が重いとぼやいていたが、反応からして本気ではなさそうだ。実際問題、人格的にもステータスの伸び的にも主将級の人材である。
相性も考えて、武将兼鉱山探索には同門の疋田文五郎を配置した。軍師には上泉秀胤が留任なので、そちら方面との相性も期待している。内政には用土重連と、軍事方面でも期待できる大道寺政繁を置くことにした。
さらに、忍者隊の統率として、伊賀者の町井貞信に来てもらっている。その配下は伊賀だけでなく、混成状態となっている。まあ、もはや新田忍びとまとめてもよいのかもしれない。
雲林院松軒の天然めいた嗅覚も頼りになるが、今後のきな臭さを増してきそうな情勢は、神後宗治の柔軟な対応力が向きそうだ。北畠と大浦との連携も期待するとしよう。
帰路、九戸政実を訪問して事情を伝えると、新田勢の討伐に参加はしないが、表立っての反対はできないとの話が返ってきた。政実のご父君である九戸信仲や、政実の弟を養子とした久慈直治らとも話ができたのはなによりだった。
深谷の長江月鑑斎のところでは、アワビ真珠の養殖の話と、さつまいもの育て方が中心で、九戸政実との対話とはだいぶ雰囲気の違うものとなった。
そして、鹿島では塚原卜伝の弟子経由で、鹿島周辺にある塩田のにがりの買い付けの話をまとめて、船団は鎧島へと向かった。倫の表情は明るいが、光秀にどう説明するかは、やや悩みどころだった。
※おしらせ
本日、もう一話ごく短めの話をお届けする予定です。次の話で、第三部は配信終了となります。
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