【永禄六年(1563年)三月/四月】

【永禄六年(1563年)三月】


 春が近づき、上杉軍の活動が開始された。関東では、雪に閉ざされて動けないわけでもないのだが、どうしてもリズムがそうなっているらしい。


 東に向かうと、あっさりと古河は開城し、足利義氏はまた脱出し、藤氏が古河公方に返り咲いた。


 さらに東に進むと小田、結城、小山が屈服する。攻略した関宿城は、今回も足利長尾に与えられた。


 仕置を決めた古河の席で、俺は軍神殿に問い掛けた。関白殿下と上杉憲政が席を同じくしている。


「輝虎殿。今回も、彼らの所領は安堵するのですか。仏ですら、三度顔を撫でられれば怒って許さないと聞きますが、軍神殿は仏よりもお心が広い」


「……降伏してきているのに、所領を取り上げる理由がない」


 それでも口調は苦いからには、多少は含むところが出てきているのだろうか。


 だが、これでは軍神殿が関東に常駐しない限りは、無限の離反と帰順のくり返しが行われる。おかしいのは、小田、小山、結城らなのか、あるいは上杉輝虎の方か。


 上杉親子が退席すると、関白殿が溜め息をついた。


「輝虎殿の関東制圧に協力して、上洛を早めたいと考えておったが、なかなかむずかしいでおじゃるな」


「足利藤氏を排して、前久殿が古河公方に就任されますか?」


「いや、どうやら無理筋だったようでおじゃる。関東諸将は、古河公方に服しているようでいながら、実際は同格の大名程度としか考えていないようじゃ。……都に戻ろうと思う」


 かくして、関白殿下は京へと戻ることになった。弟の聖護院道澄も一緒で、史実より一年遅れの帰京となる。


 元時代知識では、軍神殿に無断での喧嘩別れ的な退去だったが、この世界では輝虎も納得している。


 軍神殿としては、足利義氏が古河公方であることは認めないが、一度は藤氏を立てた以上は、交代させるのも考えられない事態なのだろう。


 新田としては、軍神殿の行動をにらみつつ、体制を強化していくしかない。武田と北条と渡り合い、打ち勝つためには、さらに力を蓄える必要があった。



 近衛前久を送り出してしまうと、明智光秀の際のように勧誘してもらうことが不可能となる。人材は、自ら集めていくとしよう。


 史実通りなら、来年の三河一向一揆収束時に、本多正信と伊奈忠家、忠次親子が流浪の旅に出るはずだった。本命は伊奈忠次だが、まだ子供であるはずで、指名してスカウトというのも、おかしな話である。いずれにしても、忍者を派遣して動向を探らせるとしよう。


 奥州への旅から戻った佐野虎房は、海に魅入られたようで、また北方へ行きたいと軍神殿に相談したそうだ。


 越後から日本海へ出ることもありうるのだが、健康面への配慮もあるのだろう。上杉輝虎の猶子となった上で、新田の家中で活動することになった。



 上杉勢は南下して河越城に入った。岩付太田が活性化しており、軍神殿と連携して江戸城、世田谷城を落とした。一方で、滝山城、勝沼城は再び上杉軍の手に落ち、山手線、京王線のラインまで前進が行われた。



 そんな中で厩橋には、古河からの移住者がちらほら出始めていた。古河で市街戦が行われたのは、住民にとっては衝撃的だったようだ。まあ、ちょっとのんきに構えすぎていた面はあるかもしれない。


 ただ、再び上杉の勢力圏に入ったことで、その動きは大きなものとはならなかった。そこは特に促進したいわけでもないので、成り行きに任せるとしよう。


 それとは別に、孤児や流民の流入は続いている。基本的には快く受け容れて、生活の立て直しを援助していくことになる。俺の確認で諜者を防げるのは、この面でも大きかった。



【永禄六年(1563年)四月】


 春を迎えて、領内には明るい雰囲気が漂っている。冬の間にまた開墾地は拡がり、水路の整備も進んでいる。


 肥料をどこまで施していいかはまだ手探りとなっている。一方で、肥料四天王的な存在のうち、れんげ草緑肥、草木灰、石灰の入手は容易なのだが、鎧島での塩田拡張にも限界があり、にがりがやや不足気味となっている。


 塩田のある鹿島からの入手を試みているのだが、どうも塩作りの既得権益を侵したとして敵視されているらしく、やや苦戦している状態だった。塚原卜伝に塩づくり関連の知り合いがいないか聞いてみるのもありか。




 北条との対峙は、どちらもあまり積極的に動かぬまま、時が過ぎている。太田資正が張り切っているらしいが、同時に新田の関与を妨げようとの働きかけも続けている模様である。


 ただ、一気に北条攻めとは、おそらくならなさそうだ。沿岸部制圧だけでも買って出る手もあるのだが、正直なところ手負いの北条の矢面に立つのはやや危険である。ここは悩みどころだった。




 馬産の絡みでは上州馬代表だった「静寂」号の後継者的存在として「衝撃」号を種付けの主力にしようとしている。「静寂」号の産駒は、扱いやすいが物怖じしない、今後の鉄砲、大砲が活躍しそうな戦場では得難い資質を備えているようだ。ただ、武将の一部には、荒々しい馬を好む傾向も見られるようで、そちら向きの馬産も行われていた。


 その他の畜産系は、鶏卵、食肉向け、乳製品と順調に推移している。<配合>スキルで飼育しやすく、肉質や産卵、乳量の関係から血統を優先的に掛け合わせているので、いずれはより酪農の負担が減ってくれるとよいのだが。




 蜜柑が産んだ柑太郎と、澪が産んだ渚はもう四ヶ月で、すくすくと育っている。蜜柑の方は第二子ながらも初の男の子で戸惑う場面も多いようだ。一方の澪は、渚がおとなしすぎるとだいぶ心配しているようだ。


 比較対象が元気そのものの柚子になるので、どれだけ健康でも弱々しく見えてしまうと思われるが、本人には不安だったようだ。助言したつもりが、護邦にはわからないと膨れられてしまうと、俺としてはおろおろするしかない。あまり周囲に惑わされず、我が道を行く傾向が強かった澪だけに、余計に驚いてしまったのかも。


 その面でも、明智光秀の奥方である煕子殿に頼る形になった。彼女自身、特に長女の倫を育てる際には、疱瘡の絡みや健康面で、不安で仕方なかったそうだ。


 同時期に産まれた三女の珠を連れての言葉は説得力があったようで、しかも、数日泊まり込んでまでくれたことから、だいぶ澪の精神状態も落ち着いたようだ。


 光秀からは、人の親になると色々ありますよと慰められた。妻が母になるのもまたよいものなのだ、とも諭されたが、確かにそうなのだろう。柚子を通して蜜柑との関係性は違うものとなり、また深まっている。澪ともそうなっていけるように努めるとしよう。


 そうそう、牛馬痘は試験的に導入され、柚子や明智家の倫、礼、それに乳児たちも既に接種を受けている。効果を確認しつつ、まずは家中から広めていく形になるだろう。


 一方で、お宮参りの際に摩利支天神社にいる牛の乳を絞って飲むと母子ともに健康に過ごせる、との噂をばらまいて、接触感染による同様の効果を狙ってもいた。


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