【永禄六年(1563年)正月/二月】


【永禄六年(1563年)正月】 


 大晦日には、例年通りに連歌会が催され、こちらも恒例の年越し蕎麦をすすりながら盛り上がったらしい。


 前年に三国峠で遭難しかけて、大晦日に間に合わなかった里村紹巴と明智光秀にとっては、待望の初参加となった。


 塚原卜伝は、例年と違って年末のうちに厩橋にやってきて、身重の蜜柑を気遣ってくれていた。鹿島の状況はどうなのだろう? 香取神宮は千葉家に圧迫されていたとの話は聞いた気がするが、里見と北条への対応でそれどころでもなさそうでもある。


 蜜柑と澪が身重なので、俺は二人の腹を撫でたり、欲しがる突飛なもの……、大量の鶏皮串やら生姜汁やらを確保してきたり、柚子をあやしたりといった日々を過ごしている。柚子の遊び相手としては、静月や林崎甚助あたりも活躍していた。


 剣術仕合も盛り上がり、今年も連歌会と神前仕合についての新たな冊子が作られた。いや、ホントにこれ、需要あるんだろうか。


 また、以前から話が出ていた新たな二つの神社の建立が済み、この正月がお披露目となっていた。


 雑賀から八咫烏を祭神とする矢宮神社を勧請し、忍者に崇拝される摩利支天を祀った神社を新たに建立し、なんとなく香取神社=弓、鹿島神社=剣となっているところに、鉄砲・大砲と忍者を加えた四社体制を目指す形となる。


 なお、水軍向けの神社は別に、大山祇神社が元とされる三島神社を鎧島に勧請していた。




 この正月は、やはり浮き立った感じが領内に漂っていた。武田と北条の侵攻を退けたのだから、多少は浮かれても問題ないだろう。ただ、武田は本気ではなかった……、少なくとも、当主に率いられた主力ではなかったし、北条も追撃してとどめを刺せるような状態ではない。


 そして、上杉がどう動くかと考えると、今年も手探りで進むしかなさそうだった。




 塚原卜伝が面会を申し込んできたからなにかと思ったら、厩橋に拠点を移したいとの打診だった。


「否やはありませんが……、鹿島に戻らなくてよいのですか?」


「まあ、鹿島神社ならここにもあるしのお」


 そういうもんじゃなかろうに。


「鹿島神社の一族のご出身なのでは?」


「幼い頃に養子に出たし、そもそも当主は別系統だしな。邪魔なら、退散するが」


「いえいえ、蜜柑も懐いていますし、大歓迎です」


「おお、娘だけでなく、生まれてくる息子にも手ほどきしてやろう」


「……生まれてくるのは息子ですかね?」


「蜜柑がそう言っているのなら、そうだろうて。それに、仮にまた娘でも、弓巫女の方なり、その他でも跡継ぎは作るのだろう?」


「そうですな……」


 正直、世襲には抵抗感があるが、他にいい継承の仕方があるかと言うと、答えは見出だせていない。


「それに、柚子と言ったか。あの子はちょっと、なんかあるかもしれんぞ」


「とおっしゃいますと?」


「天禀を感じる」


「はあ……」


 蜜柑を孫扱いしているからには、親バカならぬ曽祖父バカとでも称すべき状態なのだろうか。


 なんにしても、塚原卜伝が厩橋を拠点にするのなら、道場を新築する必要がある。そこは宮大工勢と滝屋盛次郎を頼るとしよう。




【永禄六年(1563年)二月】


 冬の日本海は、夏とは対照的に荒れる日が多いが、太平洋側は日を選べば航海に支障はない。


 本決まりとなった見坂智蔵……、いや、名乗りを改めた新田智護と大浦の戌姫との祝言に参加するため、俺は奥州へと向かう船の上にいた。


 蜜柑、澪も同行したがったが、共に臨月間近なために居残りとなる。


 残留組では、青梅将高が総指揮を取る形となった。芦原道真と明智光秀、師岡一羽、上泉秀胤らが支えるからには、不安はない。俺になにかあっても、ひとまずは蜜柑を中心とした集団指導体制でやっていってくれるだろう。


 出発にあたっては、なんと塚原卜伝が一緒に行くと言い張り、それならばと上泉秀綱も同道する流れとなった。


 祝言の大枠を整えた里見勝広も参加し、連歌関係では岩松守純と年末連歌会目当てで滞在中だった里村紹巴も赴くと決まる。他では、絵師の十矢と、なぜか同行を熱望した佐野虎房も一緒で、軍神殿の名代との立場での参加となった。


 近衛前久は実は船が苦手らしく、こちらも名代として弟の聖護院道澄が参加していた。歌人でもあるので、連歌要員としても数えられそうだ。


 道中では、勝浦、鹿島、元時代では東松島市となる深谷、久慈に寄ってあいさつ回りをする形となった。


 鹿島の当主とは、塚原卜伝の紹介での初接触で、無難なやり取りに留めた。それ以外は、これまでの船団派遣での使者や物を贈り合う形で交流を重ねている。


 婚儀参加のために自ら津軽へ向かうと話すと、正木時忠、長江月鑑斎、九戸政実が道連れになった。正木時忠は、兄が家督を継いでいる身だし、以前から水軍に絡んでいるからまだよいとして、当主の長江月鑑斎、世継の九戸政実が身軽に船に乗ってくるのはいかがなものか。


 まあ、当主なのに自ら向かっている俺が言うことではないのか。この時代、上洛でもなければ大名や国人衆といった勢力の当主が他領に出かけるのは、考えづらい事態となる。同盟交渉すら、直接の顔合わせはなく使臣同士で固める場合が多いようだ。首を獲られたら終わりなので、無理もないだろう。


 長江月鑑斎は出家こそしているが、まだ四十代で、伊達、葛西、大崎の間で戦場働きでも活躍したとされる人物である。名家として扱われているが、わりと気さくな人柄だった。


 九戸政実は、一族の合議体的な形となっている南部家の有力家のひとつ、九戸家の跡取りで、二十四歳の気持ちの良い若武者である。系統としては、神後宗治、師岡一羽、本庄繁長の爽やか系よりは、疋田文五郎や、だいぶ年長の明智光秀に連なるまじめ系な印象である。


 後に南部家の跡目争いで本家と対立し、その流れの中で豊臣の奥州仕置に反発し、他勢力を巻き込んだ乱を起こす人物でもあった。その九戸政実の乱は、秀吉の全国平定に向けた最後の戦さともされていた。戦国の末期とは言え、乱呼ばわりはひどいとも思うのだが。


 この時点では、南部本家の南部晴政は健在なので、特に騒乱の芽はないようだ。いずれにしても、できれば仲良くしておきたい人物である。


 そして、南部の一族の中でも九戸氏と久慈氏は血縁関係を含めてだいぶ密接な関係にあり、実際には一体に近い状態となっているようだ。


 元時代では青森にあたる浪岡では、まだ八歳の幼年当主、浪岡顕村と初対面のあいさつを交わした。南北朝時代の北畠顕家と新田義貞の縁を説明した上で助力を申し出ると、なんだか懐かれてしまった。舌足らずな声でもりくにどのと呼ばれると何やらこそばゆい。


 一方で、血を見る内紛を経た後で、この少年を当主として据えねばならない浪岡家の苦境が察せられた。


 そして、蝦夷地にも立ち寄ると、蠣崎家では盛大に歓迎され、当主と息子の両方が婚儀に参加してくれることになった。幾ら近場とは言え、いいのかそれで。


 交流の中で友好勢力には、各種の贈り物に加えて、甘芋と呼んでいるさつまいもも紹介した。丸芋と呼ぶようになったじゃがいもは、毒を除いて食すにはコツがいるので、今回は避けている。


 救荒作物を日本の津々浦々に広めて、みんなが腹一杯になれば戦乱は終わるのだろうか。あるいは食料を得て、より活発に戦うのか。……まずは、信頼できそうな勢力に渡していくとしよう。




 大浦で迎えてくれた戌姫は、目のくりっとした笑顔の可愛らしい姫君だった。あいさつをしたら、この地には荒くれ者ばかりで、すっとした智蔵に惹かれたのだとうれしげに話してくれた。好かれているようでなによりである。


 そして、この姫様は、元時代では夫となった津軽為信を支えて、兵に自ら食事を振る舞い、側妻の子を育て上げた人物として知られている。ぜひ、智蔵……、いや智護と共に、いい人生を歩いてほしいものだ。


 この時代には、結婚は本人と付き添いの従者が送り込まれるだけの簡素なもので、両家や縁者が揃う形は考えづらいらしい。まあ、新田風とでもしておこうか。


 披露宴の準備が進む中で、俺は十三湊を訪れた。調査の過程で海賊を討伐して追い払ったところ、多少の住民はいるものの、現状は湊としてはほぼ稼働しておらず、事実上の空白地帯だという。


 津軽半島の南西部にある十三湊は、汽水湖である十三湖と海を半ば隔てている砂州に築かれているが、かつての湊部分が砂で埋まってしまったそうだ。黒鍬衆によれば、浚渫は可能な見込みで、また、十三湖にも一定の水深はあるというので、湖畔に湊を作る考え方もあるかもしれない。そして、砂州部分に防御施設を築けば、二段構えとできそうだ。


 そのあたりの地形調査は、雲林院松軒が楽しげにやってくれている。黒鍬衆の技術者たちも乗り気で、いよいよ本決まりとしてよいだろう。


 安東氏が根拠地とする土崎湊は、代替りを経て津料が引き上げられつつあることから不平が出ており、下北半島方面の湊が活況を示しているらしいので、割って入る余地はありそうに思えた。




 祝言は、嫌味のないなごやかなものとなった、智蔵……じゃなかった、智護は、戌姫と視線を交わして恥ずかしげにしている。そんな一面もあったのか。


 戌姫の父である大浦為則は、四十代だが病気がちで、今回も明らかな無理をして出席している。新田惣流……ということになっている家の養子で、現職関白である藤の長者の猶子を婿に迎えるとの状況に、家名を新田家と改めようとまで言い出した。


 ただ、その点は智蔵……、いや、智護とも整合済みで、大浦の名を継がせてほしいと頼み込んだ。新田智護の名乗りは数ヶ月のみとなり、義父から偏諱を受けての大浦為智が今後の名乗りとなる。


 戌姫は健康そうだが、弟たちはいずれも見るからに病弱な様子だった。まあ、新田風の医術、健康法と薬を導入すれば、また話は違ってくるかもしれない。


 確か、史実の津軽為信には大浦為則の息子である義弟たちを暗殺した疑惑があったはずだ。彼らが能力を発揮して家中の支持を集めるようなら、家を分けるとの考え方もありうる。そこまで話すと、為智の義父は安心したようだ。


 そして、大浦家、浪岡北畠家から、十三湊への新田勢の進出を歓迎するとの表明が行われ、浪岡北畠、大浦、新田の同盟が成立する運びとなった。浪岡家は、この機会に北畠を名乗るそうで、北畠、大浦、新田の三者同盟となる。


 俺からは、この時代によくある一時凌ぎの休戦の申し合わせではなく、三者で一体となって協力していきたいとの申し入れを行った。まあ、信頼感は、今後の行いで醸成していくしかないだろうが。




 本決まりとなった十三湊再興計画は、実施段階へと移った。既に持ち込んでいた仮設の砦や陣屋でひとまずの根拠地は構築できそうだが、雪解けを待っての次の便からは本格的な入植が行われる流れとなるだろう。


 正木時忠は、新たな湊の構築に興奮しており、できれば参加したいなと未練を残していた。さすがに、長く勝浦から離れるわけにはいかないようだが。


 蠣崎家としては、安東家の支配から逃れるチャンスとの思いもあるのか、積極的に応援してくれそうだ。安東家は土崎湊を含めた辺りを領域とする湊安東と、北の土地を治める檜山安東に分かれていたのが、檜山安東の父と湊安東の母を持つ安東愛季(あんどうちかすえ)への代替りで統合された状態となっている。ただ、湊安東によって長く低めに抑えられていた湊での商いにかかる税が、さっそく引き上げられたとなると、通商への理解はだいぶ浅そうだ。


 蠣崎季広としては、水運に理解のある湊安東に従うならともかく、檜山安東色の強い新当主に対してはだいぶ拒否反応があるらしい。


 いずれにしても、津軽を拠点にできれば、蝦夷地から西廻り航路で敦賀に陸揚げし、琵琶湖……じゃなかった、淡海経由の京との交易と、東廻りでの鎧島までの交易、さらには樺太や大陸との交易も視野に入る。下手をすれば、関東での領地経営よりも経済規模が大きくなる可能性すらある。本領を傾けない程度にしても、注力していくとしよう。


 十三湊全体の束ねとしては、ひとまず雲林院松軒が主将となり、同行してきた上泉秀胤に軍師役を頼んだ。さらに、水軍方面も兼ねて神後宗治が残ってくれることになった。このあたりは、北方船団の往来の際に、随時入れ替えていく形になりそうだ。




 帰路で久慈に立ち寄った際、九戸政実から同年代の少年を紹介された。なかなかの能力値と、スキルには武家よりもむしろ有能な忍者になれそうなものが並んでいる。


「この者は、実は大浦家への婿にどうかと考えていたのです」


 となると……。一歩前に出てきた、目力が強く、ややきつい表情の人物がゆっくりと口を開く。


「久慈実信と申します。久慈家では傍流の身ですので、新田の家中に加えていただけないでしょうか」


 その瞳には、野望の炎が燃えているようだ。実信という名が、大浦為則からの偏諱を受けて為信になったと考えれば合点がいく。この少年は、元の世界で後に津軽為信になった、北の英雄なのだろう。


「もちろん歓迎だが……、実信殿は、誰かに仕えるよりも、独立した勢力の頭に立ちたいんじゃないのか?」


 無言なのは、言い当てられて驚いたためだろうか。


「新田に仕えるとなれば、独立した勢力となるのは、少なくともすぐには無理だ。青梅将高という、同年代の後継者候補にも言ったのだが、別勢力に仕官した方が、いずれ当主になれる余地は大きいかもしれん」


「その御方は今は?」


「新田軍の総指揮官だ。留守を任せている」


「それがしもそうなれますか」


「余地はある。少なくとも、一方面を任せる場面はありうるが、確約はできない」


「ぜひお仕えしたく」


「そうか。……新田で名を高めてから、よそへ仕官する手もある。裏切りは報復するが、単に立ち去る分には自由にしてかまわない。追っ手を出したりはしないから、できれば事前に申し出てくれ」


「はっ」


「名乗りはどうする? 久慈の姓でいくか?」


「継ぐべきよき家があれば」


「考えておくよ」


 青梅将高とはだいぶ毛色が違うが、英雄級の人物が家中に加わってくれた。ただ、明智光秀とは別の意味で注意が必要となりそうだった。




 長江氏の所領である深谷に寄ると、歓待の席で長江月鑑斎がうれしげに見せてくれた物があった。虹色に輝く半円状の……。


「アワビ真珠ですかな。これはまた、見事な……」


「さすが、ご存知でしたか。護邦殿にいただいた真珠も粒ぞろいで素晴らしかったですが、こちらもなかなかでござろう?」


「いや、これはまさに宝ですな。……実は、新田の真珠は、養殖と呼ばれる手法で、増やしておりましてな」


「ほうほう」


 かくして、真珠養殖仲間が増えたのだった。情報交換をしながら、やっていきたいものだ。




 厩橋に戻ると、蜜柑が第二子となる男児を、澪が第一子となる女児を無事に出産してくれていた。この時代に立ち会うわけにはいかないが、それでも出産直後の我が子と会えなかったのは残念でならない。


 俺からすれば、男女の区別なく我が子の誕生は感慨深いのだが、家臣団からは安堵の声が上がったらしい。特に、後継者候補と公言されていた青梅将高などは、手放しの喜びようだった。なんか、納得がいかん。


 蜜柑と澪からは、北での詳しい話を聞かせてくれるのが最高のねぎらいだと申し渡され、丹念に語ることになった。同席した柚子が概ね機嫌よく笑ってくれていたので、穏やかな時間となった。赤子達はもちろん、それぞれのタイミングでか細い鳴き声を発していたが。




 そして、変貌していたのはラーメン事情だった。醤油ラーメンから、豚骨ラーメン旋風が巻き起こったと思えば、魚介ダシと豚骨のダブルスープが登場して第三勢力を築いたそうだ。


 ただ、どちらかと言うと共存状態のようなのはなによりである。俺も、林崎甚助と一緒に夜のラーメンを楽しむとしよう。子育てでお疲れ気味の蜜柑、澪も誘ってみようか。


 

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