【永禄五年(1562年)十一月上旬/十二月】

【永禄五年(1562年)十一月上旬】


 北からの訪客達は、密度の濃い歓待を済ませて、次の便で送り出した。大浦家との婚儀の方向性が固まった以上は、もろもろ整える必要があり、そのためには何往復かしなくてはならないのだった。


 そのあたりの知識は、年長者の里見勝広がくわしいとのことで、用土重連をつけて送り出した。水軍勢は、今回は九鬼嘉隆と神後宗治が向かってくれた。


 神後宗治が重宝されているのは<海流読み>スキル持ちだからなのだが、蝦夷地航海を重ねたことで、水軍の幾人かに<海流読み>に加えて<風読み>などの航海に有用そうなスキルが生じていた。


 今回は、九戸と長江には、それぞれの家臣が選んだ土産物を贈る形とした。新田の産品も豊富になってきていたが、それぞれの家風が出ていて面白かった。


 長江氏には蒔絵を施した鉄砲が目玉となる。殺傷能力は二の次で、美しさが好みなのだと力説されたのだが、家臣にそう評される主君はどんな人物なのだろう。


 新田の馬産に興味を示した九戸氏には、我が相棒の<静寂>号が贈られることになった。南部の馬と掛け合わせたい、子孫は優先して譲ると言われてしまえば、断りづらい。


 俺の新たな相棒には、<静寂>号の息子で、一回り大きく利発な若駒<衝撃>号に務めてもらうことになった。こちらとも、信頼関係を築いていきたいものだ。


 また、戦場でも付き従ってくれていた林崎甚助が、一度故郷に戻りたいと言ってきたので、便乗させる形となった。


 ついでなので、故郷の近くの領主だという最上義光に宛てた贈り物を持たせて送り出すとしよう。風流人らしいという元時代知識を踏まえて、岩松絵猫や新田蒔絵、それに軍神殿、関白殿、芦原道真の三人による連歌の発句も託された。連歌の交流は、正直なところさっぱりわからない。後は、酒も各種送ることにした。




 常備兵には戦死者も多く出たのだが、急増して二万に近づいている。半分ほどは開墾に従事となると、大して変わらないと考える者も多いようだ。


 そして……、北条の軍勢に立ち向かった農民たちに、俺が泣きながら説教したとの誤った風聞が広まったのも影響したようだ。死者を悼んだ上で、今後は指示に従うように強い口調で求めたのは確かだけれど。


 ……いや、まあ、話している間に視界がぼやけたのは間違いないが、だからといって泣いてはいない。そのはずだ。


 いずれにしても、農村の中には中核となるべき若手から働き盛りまでの男手の大半が応募してしまったところもあるらしい。農耕支援は続けていくつもりなので、破綻はしないだろうが、どういう流れになるだろうか。


 こうなると、いよいよ農繁期には本国から離れられなくなりつつある。兵農分離の精神はどこへ……。


 まあ、元時代でも、その実態を疑う論者は多かったようだし、そもそも農村から集められるのは荷役などの後方要員で、兵士は対象外だった、なんて話もあったようだ。


 ただ、この時代に来てみると、半ば強制での徴兵は見受けられたし、有給の農民上がりの兵が普段は農村で暮らしている状況もありふれていた。


 新田でも、住居としては兵舎を用意しつつも、平時は十日のうち四日が訓練、一日休み、四日を土木や農耕作業、一日休みとの配分のため、四勤一休ペースで、休みの日は出身地の集落に戻る者も多いようだ。


 村娘との結婚が多いものの、逆に早々に町に家を持ちたがる者もいる。生活様式によって、配属先も考えていくべきなのかもしれない。


 そして、退役年齢も考えるべきか。場合によっては、部隊単位での入植なんて考え方もあるが……。まあ、そのあたりは、もう少し先の検討でいいだろう。




 大規模な戦いはあったが、戦場となった本庄城域、忍城域も含めて収穫への影響はほとんどなかった。米は豊作と評してよい出来だったし、蕎麦やその他の作物も順調である。


 果樹や茶の木も育っていて、数年後にはさらにもろもろの収穫は増えていきそうだ。


 じゃがいも改め丸芋はすっかり定着し、安全面を考えて新田でマッシュポテト状にして乾燥させた物を供給する取り組みを進めていた。


 さつまいも改め甘芋もだいぶ普及し、焼き芋や煮物などで身近な食糧となっている。


 空腹を満たすという意味では、この二つの作物の存在感は大きく、さらには米が凶作になった場合に威力を発揮してくれそうだ。


 ひとまず飢餓状態を抜ければ、野菜や豆、肉や卵も食べろとの指示も通じやすくなる。それでも、やはり米への羨望は強いようだが、購買力が上がった状態で米を求めるのなら、それはそれでいい状態だとも言えた。


 甜菜の第一巡の収穫は、テーブルビーツも飼料用ビーツも無事に済んで、砂糖の抽出も無事に実現した。元時代で砂糖大根と呼ばれていた品種改良済みの甜菜と比べれば、おそらく得られた量は少ないのだろうが、無と有には大きな差がある。


 そして、その砂糖大根状態も手元にあるようなビーツ類を改良して、砂糖含有量を高めていったわけで、今後の発展に期待するとしよう。まずは、テーブルビーツと飼料用ビーツをかけ合わせていく想定だそうだ。同時に、別品種の取り寄せも進めてみよう。


 これまでも蜂蜜、水飴があったし、舶来の砂糖も入手していたのだが、領内で作られた砂糖はまた感覚が異なるようで、製菓勢が色めき立っていた。蜂蜜や水飴とでは味が違うのは確かであるが。


 砂糖が大規模に確保できれば、商材にもなるし、蜂蜜を蜂蜜酒の原料に回せるようにもなる。重点作付け作物ばかりではあるが、こちらも力を入れていくとしよう。


 農村での需要としては、絹服や木綿服に押されて人気が落ちている麻服が普及しつつあって、石鹸や歯ブラシなどの衛生用品も行き渡り、現在は布団と枕が人気を集めつつある。


 ただ、手に入れられる者は限られていて、それがまた羨ましがられているようだ。



【永禄五年(1562年)十二月】


 新たに確保した白井城域の開発に、特によそと違うところはなかった。高利貸しの利率の上限規制を行ない、土豪衆には新田式の統治手法を伝達した上で去就を問い、農村支援を展開する。


 厩橋とはさほど離れていないだけに、新田の流儀はだいぶ知られていたようだ。逆に、この地に目立った産品がないのも把握済みとなっている。


 ただ、厩橋からすれば利根川の上流であるので、ここで下手なことをされると水質汚染の危険があると考えれば、所領にできるのは大きかった。利根川のさらに上流には、上杉が確保している沼田城域があるが、現状ではのどかな土地柄だった。


 白井城域は、同時に伊香保、草津といったこの時代にも有名な温泉地への入り口的な位置づけともなる。どちらとも、白井城が白井長尾氏の統治下にあった頃から友好関係は築いていたが、事実上の領内に入った形となる。


 他に四万温泉などもあり、硫黄は豊富そうだ。その他の鉱山も見つかるとよいのだけれど。


 そして、三国峠を含む三国街道の宿場町としても重要で、交易拠点としても活用するとしよう。


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