【永禄五年(1562年)十月下旬】


【永禄五年(1562年)十月下旬】


 厩橋に戻ると、軍神殿とその手勢が滞在していて、箕輪繁朝が白井城を攻略したとの報告を受けた。何が起こっているんだ。


 戻ってきた繁朝の説明を聞いて、ようやく話が理解できた。軍神殿が来てくれたのはうれしいが、越後、越中はだいじょうぶなのだろうか。


 対面すると、越後国主が問うてきたのは別のことだった。


「古河は落ちたか」


「手が回りませんでした。小山や小田らが町に火をかけたようですな。……ただ、佐野殿は健在ですぞ。藤氏殿は、足利に逃れたそうです」


「それは重畳」


 あまり元気がないのは、古河の陥落がショックだったのだろうか。いや、しかし、北条、武田との二正面作戦を余儀なくされて、ようやく押し戻したところに古河対応は無理だって。


 ともあれ、軍神殿はひとまず厩橋で過ごすことになった。




 連戦の疲れを癒やしていると、北方使節団の第二陣が帰着した。今回は、北での残留組の武将級は雲林院松軒のみで、芦原道真、神後宗治、見坂智蔵も戻っていた。さらには、来訪者も連れてきていた。


 来訪者の一人である十五歳の少年は、蠣崎家の跡取り息子、蠣崎季広(かきざきすえひろ)だった。主家である安東家に圧迫されて苦境に陥っており、関東とのつながりを欲しがっているのもあっての来訪らしい。


 そして、浪岡北畠氏の一門衆、浪岡泰房(なみおかやすふさ)と、大浦家の家宰である近沢知康(ちかざわともやす)に、交流を目指した相手である九戸と長江の家臣も同行していた。


 十三湊の話を抜きにしても、交易の相手、中継地点として重要な人達である。俺は、超歓待モードへの突入を指示した。


 一通りのあいさつを終えた彼らが聞きたがったのは、直近の対北条戦についてだった。どうも、大規模な戦さとして伝わっているらしい。


 執務室に場を移すと、話を聞きつけたのか、軍神殿と関白殿もやってきた。佐野虎房も一緒である。紹介は後でじっくりするからと、まずは北条戦の説明に入る。


 戦況の説明は、粘土を用いた箱庭で行われた。戦場での意思統一や普段の戦術研究のために、各城の周辺の地形や、ある程度広い地域までを粘土で再現するようにしている。これだけでも、奥州勢にとってはものめずらしいようだった。


 敵味方の兵は、印をつけた駒で表現している。思い返すと、俺の胸は痛んだ。


「さて、こんな感じか。……この配置で、水軍を使ってねちっこくねちっこくいたぶっていくのが当初の作戦だった」


「農兵が勝手に集まったと聞きましたが」


「ああ。厩橋や箕輪近辺の領民なら、指示の意図を理解して従っただろうし、決起するにしても城兵との連携を模索しただろう。今から思えば、傘下に収めてから一年程度と日が浅く、しかも収穫期だったのも影響したんだろうな。迂闊だった」


 場に流れたしんみりとした空気を察してか、蜜柑が大きくなってきているお腹を撫でながら声を発した。


「待機していたら、手近の敵に攻めかかれとの下知が届いたから、気が触れたかと思ったのじゃ。普段はねちっこい、悪辣な戦いに終始するというのに。なー、太郎」


 最後のは、腹の我が子に声をかけているのだった。今回は、男子でありそうな予感がするらしい。それもあってか、懐妊中でありながら武田、北条との連戦にも参加していた。


「人聞きが悪いな。まあ、身に覚えはあるが。……で、例の旗が掲げられたんだよな」


「例の旗?」


 反応したのは、軍神殿だった。


「輝虎殿の「懸かり乱れ龍」の旗を参考に、総攻めの旗を用意していたんだ。青梅将高が俺の指示を実行するために掲げさせたらしい」


 死中有活と大書させた旗は、全軍に死を覚悟した突撃を命じるための旗である。用意はしたが、生涯使うつもりはなかったのだが。


「不満そうじゃが、あれを掲げたからこそ、司令部だけが突出して鏖殺されずに済んだのじゃぞ」


「反省してるって」


 俺の言葉に、澄ました顔で応じたのは明智光秀だった。


「反省は理性の領域と存じます。今回の殿の行動は激情のなせるものでした。そこを曲げて、どうにか再発は防いでいただきたいですな」


「激情に駆られた俺を、わざと「ああ、一生の不覚。用意させた船に間に合いませんでした……」とかなんとか猿芝居を重ねて、大泉で散々に引き回したお主が何を言うか」


「ええ、我ながら武郎殿に次ぐ、大きな手柄だったと考えております」


 澄ました表情の光秀によって挙げられた名前に反応したのは、見坂智蔵だった。


「兄者は……、武郎はどこで?」


「ここだな」


 俺は、本庄城の東南の地点を指差す。


「俺の下知を把握した武郎は、旗手から本陣を示す旗幟を奪って、手勢と共に手近のガレー船に飛び乗った。そして、大中黒を見せびらかしながら、北条の主力の鼻先を、こうかすめていったらしい」


「武郎は、戦況を把握しておったのでおじゃるか?」


 関白殿は、初期から見坂兄弟をからかって遊んでいた経緯があり、思い入れが深かったようだ。


「本陣にいたとは言え、最新の敵情まではわかっていなかったはずだ。動物的な勘だったのかな。……明らかな陽動だけに、黙殺する隊もあったが、引き付けられた者達もいた。そいつらを連れ回して、ここまでたどり着いて、隊を解散したようだ」


 その場で全滅されていたら、ここまで詳細には行動を追えなかっただろう。本人も笑ってそう告げて、特に武力に劣る者にはその場から離れるように命じたそうだ。最後まで行動を共にしたのは、二十人ほどだった。


「我こそは、新田護邦の弟、武郎なりと叫んで斬り込んだそうだ。かつて、武田に使者として潜り込んだ時、俺が見坂兄弟の兄に扮したことがあったが……」


 俺の視界は、ゆっくりと滲んでいった。


「智蔵、すまんな。見坂村の生き残り三人のうちの一人を……、智蔵の最後の肉親を死なせてしまった」


「……いいえ、こうして経路をたどれば、農兵への攻撃を少しでも遅らせるために動いたのがわかります。兄者なら、下知がなくてもそうしていたでしょう。そして何より、死に顔には笑みが浮かんでいたと聞いております。満足して逝ったのでしょう」


 まだ十四歳だったのだ。そんなわけはないだろう。このあと、いくらでもやりたいことがあったはずだ。


 ……だが、兄の死と折り合いをつけようとしている少年の前で否定はできない。


 と、目尻を手で擦った智蔵が、大浦家の家宰殿に顔を向けた。


「近沢殿。あの話は進めてよろしいでしょうか。僕自身の覚悟は固まりました」


「こちらも、今の話も踏まえて腹を固めました。……ですが、ご当主の判断を仰がずによろしいのですか?」


「仰いだら、我が主君は余計な気を回すに決まっているのです」


 なにごとだろうと話を聞くと、大浦家から智蔵を婿にとの話が出ているそうだ。どちらかと言えば、姫君からの熱烈なアプローチが行われ、ひとまずお互いに検討の時間を設けようとの話として、戻ってきたらしい。ただ、実際には大浦側では家宰の判断に委ねられ、見極めのための来訪だったようだ。


「だが、智蔵……」


「大浦の家に入れば、十三湊での新田の拠点構築の件も、浪岡家との調整は必要にしても、進めやすくなります。後は、新田としてどこまで力を入れるかですが」


 史実では、大浦家に婿に入るのは後の津軽為信で、浪岡北畠家も含めた周辺勢力を滅ぼし、津軽統一に向かう。従属させるのではなく攻め潰す感じは、俺と似たやりかただったのかもしれない。大浦家の一族に該当人物が見当たらないなら、久慈家の出身と思われるが、どこにいるのだろう?


 と、浪岡家の一門衆、浪岡泰房が礼を施した。


「大浦殿の婿取り、なんともおめでたいことです。これを機会に、智蔵殿に友好関係を結んでもらえるのなら、心強いです。蠣崎殿は……、いや、旅先でこのような判断を求めるのは非道だな」


「いえ、父も歓迎すると思います」


 九戸、長江の家臣は、さすがに戸惑いの表情を浮かべている。


「その話、もそっと詳しく聞かせてはくれんか」


「そうでおじゃるぞ」


 軍神殿と関白殿に問われて、俺は計画を白状せざるを得なかった。智蔵め、ここまで見越してこの場で話を持ち出したのか。さすがは軍師見習いと言うべきか。


 蝦夷地との東廻りでの直接交易と、奥州での根拠地確保計画は、呆れ顔で応じられた。


 浪岡北畠氏、大浦氏と連携して、十三湊に拠点を築き、安定した交易を実現する。その絡みで、道中の九戸氏、長江氏とも交流を進めたい、とまで話すと反問が飛んできた。


「南部本家や、伊達、大崎ではないのか」


「信頼できそうな勢力と交流を持ちたいと考えております」


 軍神殿と俺のやりとりに、九戸、長江の家臣は面映そうな表情を浮かべていた。


「だが、見坂村の名を取っての見坂智蔵なのだろう。そのままの立場で、婿入りするわけにもいくまい。ならば、この輝虎の養子になるか? 奥州になら、我が上杉は多少は通ずる名だと思うが」


「いや、そこは護邦殿の養子になってから、我が猶子になるのが筋でおじゃろう。護邦殿には猶子話を断られておるので、その雪辱を果たさねばならぬでおじゃる」


「なんと」


 一声を発して絶句した大浦家の家宰、近沢知康だけでなく、奥州勢は目を丸くしている。現職の関白の、そして藤の長者の猶子になる意味合いは、少なくとも奥州勢にとっては重いようだ。


 平伏したのは、浪岡泰房だった。


「新田殿。不躾なお願いとなりますが、我が浪岡に姫をいただけないでしょうか」


「すまんが、まだ乳飲み子でなあ。それに、本人が望まぬ限り、勝手に縁を結ぶつもりはないのだ」


「そうだぞ。順番なら上杉が先だ」


「軍神殿のとこには、世継ぎがまだいないだろうに」


「むう」


「いえ、どなたか養女でも……」


「うーん、家臣もほとんどが若いしなあ。ちょっと考えさせてくれ」


 そう言いながら、忘れたことにしようとしたのを見抜いたのか、関白殿がやや険を含んだ視線を向けてきた。


「浪岡北畠と言えば、奥州に残った顕家公の血筋を引く名門。かつての建武の動乱の折りには、顕家殿と義貞殿の共闘が実現せずに残念な展開でおじゃったが、奥州の地で新田と北畠が手を結ぶとあらば、心強いことでおじゃる。ここは前向きに考えるのじゃぞ」


「いや、俺の新田は源氏の新田じゃないんだってば」


「今上から大中黒の使用を許されたからには、そなたが新田の後継者である。その意味はわかるでおじゃろう?」


 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。


「まあ、浪岡北畠との連携自体には否やはないがな。そのつもりがなければ、そもそも交流を持ちかけてはいない」


 智蔵は満足げな表情を浮かべている。今回の奥州進出計画の重みは、軍師方面の経験を積みつつ、内政も手伝ってきた彼には、自明のことなのだろう。兄の武郎の最期に触れて、自分も役割を果たそうと考えたのかもしれない。


 好きに生きてくれていいんだぞと言いたいが、ならばこの道を、と熱弁されそうだ。ここまで場を固められたからには、祝福して送り出すべきか。


 そうとなれば、婿入り道具がわりに、十三湊に派手な城を作るとしようか。軽い拠点くらいは視野に入れていたのだが、智蔵の後ろ盾になるべき力を備えようとすれば、また話も変わってくる。


 造船拠点も整備したいし、水軍、忍者の常備も必要となる。なんだか大がかりになってきているが、蝦夷地交易を考えれば意味がある投資になるだろう。そうあってほしい。




 戦死者への補償などの対応に忙殺されて、雑賀衆への褒美の話が滞ってしまっていた。


 契約的には、既に支払っている報酬に追加する必要はないのだが、北条綱成を仕留めたとなれば、話は変わってくる。それを除いても、武田と北条の連戦での勇戦ぶりは目立つものだった。


 ちなみに、北条氏康は矢傷が元で敗走中に死去したらしい。誰の矢だったのかはわからないが、弓兵隊全員の手柄として褒美を与える予定である。


「で、なにが望みかな」


 仕留めたのは鈴木重秀で、相変わらず物怖じしない表情となっている。


「美滝殿をいただきたい」


 そう来たか……。


「新田には、主命で結婚を決める流儀はない。だから、褒美にはできん。彼女自身がうんと言えば、もちろん問題ない」


「では、口説いてみせましょう。結婚を許していただけるなら、褒美は必要ござらぬ」


「美滝が応じれば、結婚を許す。それは、言葉通りで、美滝に勧めたりはしないからな。……褒美は、別にこちらで用意致そう。土橋殿、佐武殿はなにか希望はあるかな?」


「では、次回の約定を交わす際に、金額に上乗せをお願いしたい」


 土橋守重は、あくまでも手堅い言動に終始している。ただ、この報酬の一部が雑賀に送られ、一族の助けになっているようなので無理もないのかもしれない。


 佐武義昌は林檎酒を腹いっぱい飲みたいとの話だったので、とりあえず三樽を贈ることにした。




 結果として、鈴木重秀は美滝に振られ、応諾を得るまではと残留を表明した。土橋守重は金額を確認して、佐武義昌は林檎酒がうまかったし、おもしろそうだからと、それぞれ残ってくれることになった。


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