【永禄五年(1562年)十月上旬/中旬】
【永禄五年(1562年)十月上旬】
北条軍の主力は、岩付城と松山城の間を抜けて、利根川と荒川の間にある忍城、本庄城の辺りに向けて進軍してきていた。岩付太田氏と傀儡の扇谷上杉氏に動きはない。大軍相手に竦んでいるのか、通過を黙認するとの話がついているのか。
敵の主将はご隠居の北条氏康で、当主の氏政も参戦しているというから本気である。
武田との戦いでは、水軍の出番は皆無だったが、今回は話が違ってくる。兵の輸送に加え、北条の後方の撹乱も彼らが担う形となり、士気は旺盛だった。
糧道を断つのは、この場合の常道である。まず水軍が実施したのは、関宿辺りを拠点に北条に兵糧を送ろうとしていた商人の船や荷駄を拿捕、鹵獲することだった。接収にあたって、補償を行うつもりはない。信義にもとるやらなにやら抗議されたそうだが、そんな信義は知らない。
こちらを滅ぼそうと攻め込んできた軍勢を支える兵糧が、護衛も付けずに輸送されている時点で、話がおかしいのである。
新田を攻める軍に兵糧を供給する以上は、敵対行為と見做す。皆殺しにしないだけありがたいと思えと通告したら、震え上がっていたそうだ。普段の商売で紳士的だからと、舐められていたのだろうか。
忍城から本庄城を目指してくれるのなら、実際には好都合である。川の流れが天然の防壁として作用してくれるし、川での水軍ではこちらが圧倒できる。忍城、本庄城で籠城して粘っている間に、後方を撹乱して撤退に追い込む勝ち筋がどうにか見えてきそうだ。
後方からの糧道は絶ったが、収穫期だけに稲を刈り取られる懸念があるのも確かだった。まあ、兵が刈り取りに夢中になってくれれば、それだけ隙も生じやすくなる。忍城域、本庄城域に住む領民には、用意した船で利根川を越え、厩橋方面に逃げるように触れを出した。
俺を含めた指揮役は大泉湊に拠点を置き、各地に散らばる軍勢とは早舟で連絡を取る形にしている。
敵の動きを見ながら、水軍を使いつつの一撃離脱を重ねるのが、当面の目算だった。
【永禄五年(1562年)十月中旬】
散発的な戦闘が幾度かこなされつつ、三日が経過した。本陣で集まってきている情報を整理していたところに、急報が入った。避難を指示していた農民たちが、農具を得物にして本庄城付近に集結しているという。その数、ざっと五千に及ぶそうだ。
その辺りには、周辺地形を再現した粘土箱を使って、北条軍が向かいつつあると分析したばかりである。
「どうして、そうなるっ。年貢は全免除で、避難中の生活は保証すると伝えたはずだろう」
床几から立ち上がった俺に、応じたのは明智光秀だった。
「自分たちの土地を、あるいは新田を守ろうとしたのかもしれません」
「バカな。戦国は、そういう世じゃないはずじゃなかったのか」
農民は強かで、決して服従する存在でも、虐げられるだけの者達でもなかった、というのが俺の時代で提示されていた解釈だった。そこから考えれば、村人が自発的に大名の軍勢の前に立ち塞がるなどとは、ありえぬ事態のはずである。
そして、これが厩橋や箕輪辺りの、領民の若者の多くが城で集合教育を受けた土地であれば、仮に決起するにしても、城兵と連携しようがあっただろう。共に城に立て籠もってくれれば、心強い状態だったとも言える。
だが、忍城や本庄城の周辺は、去年の夏に版図に繰り入れられたばかりで、集合教育はようやく二シーズンを終えたばかりである。つながりが薄いのは、仕方のないところとなる。
農民軍に北条の主力が攻め掛かれば、蹂躙という名の虐殺が行われるだろう。それは、どうにかして避けなければ。
「全軍に、即時の突撃を命じろ」
心配げにこちらを見上げていた青梅将高が、問い返してくる。
「突撃ですか。陣立てはいかがしましょう」
「知るか。とにかく目の前の敵を突き崩せ。俺も出る」
将高が床几を蹴飛ばして立ち上がり、俺の腕を取った。
「お待ち下さい。殿は、こちらで全体の状況を」
「出ると言ったら出るっ」
「しかしっ」
言い募る将高を制したのは、明智光秀だった。
「わかり申した。それがしが船へと案内しましょう。……いいか、全軍に手近の北条侵攻軍を攻撃しろとの下知を飛ばせ。殿はこちらへ」
そのまま案内されて、俺は指揮所を後にした。俺の背後には、林崎甚助が続いている。
相前後して、近くの一隊を預けてある見坂武郎も飛び出していった。
……後から考えれば、光秀は俺の怒気に逆らうのは危険だと考えて、応じる形をとって動きを制御しようとしたようだ。
確かに、あのときの俺は頭に血が上っていた。
多方面から一斉に攻撃された北条軍は、頑強な抵抗を見せつつも、ほどなく総崩れとなった。攻め立てられていた農民軍も反転攻勢を仕掛け、制御不能な状態で武士を殺しまくり、その過程で多くの死傷者を出したようだ。
各方面の部将は、混乱した状態の中でも、経緯を知ると猛進を決意したらしい。多くの部隊に、同じような指示が飛んだ。
皆殺しにしろ。できるだけ殺せ。将も兵も小荷駄も総て殺せ。
……大きな犠牲を払いつつ、大規模な追撃戦は展開された。利根川と荒川が血に染まることとなった。
北条方では、ご隠居と言いながら、事実上の当主として活動していた北条氏康が戦死したそうだ。実際は慣らし運転状態だったと思われる北条氏政が、名実ともに当主を引き継ぐことになる。他では、猛将として知られる北条綱成も討ち死にしている。
敵の主将の一方を討ち死にさせ、侵攻の企図を挫いた。戦死者の数も、北条が二万のうちの七千近くを失ったらしいのに対して、こちらは二千人を下回る。
勝利を得たのは間違いない。ただ、払った犠牲は大きかった。箕輪城を振り出しに整備してきた常備兵からも死者を多く出したし、水軍、剣豪隊からも戦死者が出た。また、決起した農兵からも数百人規模での犠牲者が出ていた。
そして、戦死者の中に、見坂武郎の名前があった。
これだけ多くの犠牲を出したのは、新田として初めての経験となる。戦死者は丁重に弔わねばならぬし、家族がいれば、今後の生活の手当てをしていく必要がある。
芦原道真が奥州を訪れていて不在なためもあって、厩橋に戻れば自ら対応に奔走することになるだろう。
そして、大泉で状況の把握に努めていたところで、古河が陥落したとの急報が入った。長尾藤景は北条戦に参加するとの名目で一時的に離れていて、佐野昌綱は自領の防衛に集中しているようだ。
俺は明智光秀に主力を託して、佐野氏への援軍を急派した。小田、小山勢が唐沢山城を攻める構えを見せていたものの、その前に合流して防備を固められたようだ。
今回の古河攻防戦では、攻め手に北条が参加しておらず、小田、小山、結城の軍勢だったために、互いに勝手がわからなかった面もあったようだ。
足利藤氏ははっきりと上杉方だが、重鎮である簗田晴助は北条にも融和的である。一方で、北条がいない香取海北岸・西岸の諸将に降るべきか、との迷いもあったのかもしれない。
結果として、攻防戦は市街戦に発展し、古河の町の一部が焼失した。攻城側による乱取りも、大規模ではなかったにしても生じたようである。
足利藤氏は逃れ、足利長尾氏の長尾當長のところに身を寄せたようだ。まあ、新田の存亡に比べれば、古河がどうなるかはあまり重要事ではない。
その頃、厩橋城でも変事が起こっていた。
◆◆◇永禄五年(1562年)十月中旬 厩橋城◇◆◆◆◆◆
新田護邦が厩橋城を制圧してから、外敵の攻撃を受けたのは初めてのこととなる。白井長尾氏の当主、長尾憲景が、新田包囲網が構築されつつあるのを好機と見たのか、朝方に厩橋城下に攻め込んで放火したのだ。
城を預かっていた箕輪繁朝が、城兵を指揮して反撃に出ると、攻め手はもろくも敗退した。少数ながら精鋭弓兵と鉄砲隊も配備され、常時訓練を行っている新田の軍勢は、一線級でない城兵であっても、白井長尾の兵とでは質が段違いとなっている。
奇しくも白井長尾勢を撃退した同日の昼過ぎ、厩橋に北から接近する軍勢があった。五百騎ほどの騎馬のみで構成された一隊は、雪を押して三国峠を越えてきた上杉輝虎率いる先遣隊だった。
忍者が白井長尾の動静を把握しようと出払ってしまっていたため、箕輪繁朝は上杉勢が近場へと接近するまで、その存在に気づかなかった。
慌てて手勢を出動させた厩橋の年若い城代は、越後の龍と正面から対峙することになった。
旗印によって相手が上杉輝虎だとわかってもなお、戦さの興奮状態から醒めきっていない箕輪繁朝は、戦闘態勢を維持している。白井長尾と同様に不意討ちしてくるなら、刺し違えて死ぬつもりでいた。
不穏な気配を察して、上杉勢も警戒を解いていない。両者が間合いを詰めていく。
と、そこに弓巫女の馬に同乗してきた近衛前久が割って入った。
「繁朝殿、しばらく、しばらく待たれよ」
そう叫んだ関白は、越後勢の方へと馬を向かわせた。厩橋城の城代が、単騎でそれに続いた。
「輝虎殿、来意をお聞かせいただきたいでおじゃる」
「新田が、武田と北条に同時に攻め掛かられたと聞いた。軍勢を急遽取りまとめたが、峠越えに時間がかかるので、身軽な本陣組のみで先行してきた」
それを聞いて、箕輪繁朝が安堵の表情を浮かべた。次の瞬間には顔面は蒼白になって、下馬してひれ伏した。
「失礼な態度を取り、申し訳ございません。ご立腹とあらば、この首を差し上げます」
「なんの。城代としては、接近する軍勢を警戒するのはむしろ当然であろう。わかっていただければよろしい」
表情を改めて、繁朝は馬上に戻った。
「でしたら、まずは厩橋城でごゆるりと過ごされてください。武田と北条は退けたものの、古河は陥落した模様です。……それがしは、これより、白井城を攻め落として参ります」
「白井を……。なにごとがあったのか、聞かせてもらえるか」
「新田包囲網の話を聞きつけたのか、白井長尾勢が厩橋に攻め込んで火をかけたのです。新田が滅んだ際に、厩橋を攻めたから分け前を寄越せとでもねだるつもりだったのでしょうか」
「そうか……。彼らは我が同族である。堪忍してもらえぬだろうか」
箕輪重朝は、心底から不思議そうな表情を浮かべた。
「輝虎様は、新田を名乗る盗賊が春日山城下に火をかけたら、新田の縁者だろうからと許されますか?」
語気は柔らかく、詰問する気配は微塵もない。だが、上杉輝虎は確かに気圧されていた。
「詮無いことを申した。許されよ」
「いえ。……桔梗、上杉の皆様の案内を頼むぞ」
弓巫女にそう言い置いて、厩橋城代は兵を率いて北へと向かった。この間に帰着した忍者からの報告で、白井城が警戒態勢を取っていないことは把握済みである。攻められてからの急襲逆撃は、新田のお家芸でもある。そして、彼は上杉軍を城の守備兵代わりにして、全兵力を投入したのだった。
厩橋城では、すぐに緑茶と和菓子が供された。けれど、これまでにない不穏な雰囲気が、上杉輝虎を落ち着かなくさせていた。
それを察した近衛前久が事情を説明する。
「繁朝殿は、上杉勢と対峙した際には、討ち死にを覚悟していたようでな。……そこの侍女らも、つい先程まで短刀を持って、刺突の訓練を行っていたでおじゃるよ」
「侍女までが命を張るというのか……。だが、箕輪殿は、護邦殿に討ち取られた長野業正殿の息子だと聞くが」
「攻めたのは長野の方でおじゃるしな。護邦殿が、武将以外の道を示したのだとか。普段は内政に力を振るっておるものの、そこは業正殿の息子。いざという際には、おとなしいだけの人物ではないのでおじゃろう」
「そうか……」
「新田は、武田と伊勢の挟撃をどちらも押し戻したようでおじゃる」
「鬼神のようだな。護邦殿はこの身を軍神などと呼ぶが、その名はあの者にこそ相応しいのではないか」
「攻める際には、本気を出しておられないようでおじゃる。けれど、この上野に、いや、新田領に手を出す者には、容赦するつもりはないということなのかな。……伊勢は手痛い一撃を喰らったようでおじゃる」
沈黙した二人が窓外に目を向けると、新田大中黒の旗を掲げた軍勢が接近してきていた。
◆◇◆◇◆◇◆
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