【永禄五年(1562年)九月上旬/下旬】

【永禄五年(1562年)九月上旬】


 軍神殿は依然として三国峠の向こうに留まり、北条の攻勢がきつくなっている。


 滝山城が猛攻を受け、斎藤朝信は河越城までいったん退避する決断をした。どちらとも維持できればそれに越したことはないが、どちらか一方なら河越城を選ぶべきだ。そのあたりの現実的な判断は、やはり頼りになる。


 いずれにしても、河越城、松山城、岩付城のラインは堅持された状態となる。


 その状況で、碓氷峠方面から急報が入った。武田に動員の動きが見られたという。


「小諸城と戸石城の周辺豪族に動員がかかっている上に、甲斐からも軍勢が来るようです」


 報告役は、伊賀者の町井貞信と、三日月と一緒に加入した出浦出身の古株新田忍びだった。


「率いるのが誰になりそうかはわかるか?」


「保科正俊殿の他に、甘利信忠殿の名が挙がっています。そちらは、資材関係の小者からの情報です」


 新田の忍びも、少しずつではあるが信濃に浸透しつつあるようだった。


「時期はわかるか?」


「九月二十日を目処に動員がかけられています。そこからすぐに出立されると十月早々には碓氷峠を越えるのではないかと」


「前回は陽動だったが、今回はどう見る」


「かなり本格的な攻勢と思われます」


「それがしも同意見です」


「……わかった、継続して調査を続けてくれ。無理をする必要はない。悟られても困るからな」


「承知しました」


 ついに、本気モードの武田と戦うことになるのだろうか。武田信玄、武田義信に四天王やらが来ないとすれば、まだましなのかもしれないが。


 既に対応策は固めてあるが、それで追い返せるかどうかは、定かではない。家中に緊張感が漂い始めていた。




 二日後、静月から北条方面の探索結果がもたらされた。本格的な新田攻めの兆しが生じているそうだ。そして、河越城に向かったのは牽制で、直接侵攻してくる可能性が高いというのが、三日月の情勢分析だった。


 普通に考えれば、河越城は抜きにしても、岩付太田氏の岩付城と、その傀儡の扇谷上杉の上杉憲勝が治める松山城が先となりそうだが、武田の碓氷峠越えに合わせて一気に新田を挟撃しようとしているのかもしれない。


 そうなれば、古河方面の情勢も油断できない。新田が不在の状態で、古河公方勢、上杉の部隊と佐野氏で守り切れるかと言えば、怪しいところである。なにより、古河公方家は、すぐにも北条に屈服しかねない。


 そう危惧していると、小田、小山、結城らが動員をかけ始めたとの報告がもたらされた。



 三正面作戦……。いや、新田包囲網と表現すべきか。


 同時に攻め掛かられたら、絶体絶命である。


 となれば、時間差をつけるしかない。



 俺は渡良瀬川を下って佐野昌綱のいる唐沢山城を訪れると、事情を話して軍勢を金山まで退かせたいとの相談を持ちかけた。


「当然の判断だ。否やはない。古河は、なるべく守るように努めるが、無理なら自領に籠もる。そして、新田殿を見捨てはせぬ」


「いや、身を守ってくだされば、それで。いざというときには、見せかけの降伏を考えられるのもよいかと」


「承知した。それもまた、武士の習いであるな」


 そう応じた佐野昌綱は、頼もしい笑みを浮かべていた。


 後は、古河と厩橋を行き来している長尾藤景と、しばらく前から古河に滞在中の関白殿に注意を促す必要があった。今回の場合、厩橋なら安全だとは言えないところが情けないのだが。



【永禄五年(1562年)九月下旬】


 各方面の情勢を分析した結果、まずは全力で武田と当たるとの方針が固まった。とにかく、一秒でも早く押し返すしかない。


 かつての侵攻の際には横川で迎え撃ったが、今回はさらに先の、峠道からの出口で仕掛けることにした。


 黒鍬衆を投入した陣地構築は既に完了しており、各城の兵を抜き取る形で兵を集めている。そして、剣豪隊と鉄砲隊、それに精鋭弓兵も投入され、大型クロスボウであるバリスタも持ち込まれている。


 大砲については、まだ試作状態ながら何発かなら射てるから投入したいとの要望があったが、今回は見送りとして、厩橋の防衛向けに配置しておいた。


 そして、野戦では初となる忍者隊の投入も予定されている。


 武田勢も前回の侵攻で兵糧を焼かれたのを警戒しているのだろう。山中に幾つかの兵糧拠点が設置されていた。




 最初の仕掛けは、最も上野側に位置する兵糧拠点だった。忍者隊で襲撃し、守備兵を皆殺しにした上で兵糧を焼き払い、砒素を混ぜた一部だけを残した。その旨の警告の札を立てたのは、挑発である。


 武田側では、言葉通りの警告だと捉える向きと、新田の窮状を示すものだと考えた者に分かれたのだろう。高台からの偵察で、一部隊が夜襲準備をしているのを看破したのは師岡一羽だった。


 ギリギリまで近づいた俺は、その隊の主将が鬼幡という姓を持つのを把握できた。<撫で斬り>スキルも有しているとなると、なんとなく思い当たる件がある。


 蜜柑に確認したところ、俺がこの世界に現れてからすぐに戦った、見坂村を撫で斬りにしたあの鬼幡某には、信濃で武田に従っている一族がいたらしい。討ち果たされた同族の復讐のつもりなのだろうか。まあ、なんにしても遠慮の必要は皆無のようだ。


 夜に入って動き出した鬼幡勢二千ほどの動向は、初手から把握できていた。気配を殺したつもりで動く彼らを横川まで引っ張り込み、土塁で囲まれた一角に誘き寄せる。


 退路を塞ぐと、三日月が率いる忍者隊が接近していった。


 夜間の隠密接敵は、まさに陰忍の得意とするところである。クロスボウを使って、小休止に入った彼らを小勢の部隊から仕留めていく。


 さすがにあちらも途中で気付いて、戦闘が始まったが、陰忍は外からしか攻撃しておらず、同士討ちにしかならない。その状態であれば、鉄砲と矢は遠慮なく射掛けられる。


 朝になるまでに、動く者はいなくなっていた。




 軍使として相手陣営を訪れたのは、見坂武郎だった。届け物は、主将の鬼幡某と年若い息子の生首だった。


 慌てたのか、先方から甘利信忠と保科正俊の名で、俺との直接交渉を持ちかけてきた。


 甘利信忠とは、武田の譜代の将であり、信濃衆の保科正俊とは格が違う。交渉に乗るふりをして、甘利信忠だけでも仕留めてしまおうかと思ったが、ここは自重しておこう。


 交渉に臨んだ俺の近くには、明智光秀と上泉秀綱、そして林崎甚助が控えている。万一の場合の指揮役は、青梅将高と蜜柑が務める形になるだろう。


「何の御用かな。大将首はお渡ししたはずだ。他に回収すべき首があるなら、案内するので持ち帰られるがいい。その間だけ、攻撃は手控えよう」


「鬼幡勢は全滅したのか……。捕虜はどれくらいになる?」


 応じる甘利信忠は偉そうな口調だが、まあ、知ったことではない。


「一人もいない」


「なんだと? 他の者はどうした」


「一人残らず殺した」


 俺の言葉を理解したのか、やや横柄さを漂わせる敵将は絶句している。替わって、保科正俊が問いを投げてきた。


「……命乞いする者はおりませんでしたか?」


 俺が苛立ったのは、甘利の傲岸な態度よりも、保科が見せた悲しげな表情だった。


「なあ、確認したいんだが、今回の戦いは、北条と武田で時期を合わせて攻め込んできたんだよな。それなのに、夜襲を仕掛けてきた部隊を排除する時に、兵の命を助けるべきとか、意味がわからないぞ。滅ぼすつもりで来てるんだよな? であるなら、こちらも一兵残さず全滅させるのを目指すのみだ」


「けれど、将はともかく兵は……」


 確かに、嫌々ながら動員された北信濃の兵もいたのだろう。だが、そこまでは知ったこっちゃない。


「連れて来られて災難だな。……まあ、回収するふりをして、そこから攻めてくるのもご自由に。お相手致そう」


「そのようなことは決して致さん」


「そこは好きにしてくれ。昼を過ぎたら、遠慮なく仕掛けさせてもらう」


「護邦殿、今後も糧食に砒素を混ぜるおつもりか?」


「もう、そういう段階ではない。すぐに撤退せぬなら、鬼幡と同様に処置しよう」


 言い残して、俺はその場を去った。




 検分するためか、武田の幾人かが鬼幡の部隊が全滅した場所に向かった。その間、こちらは配置を終えて襲いかかる時機を待っていた。


 偵察役が武田の陣中に戻って程なく、敵陣の後背に人為的な土砂崩れを起こし、混乱したところを鉄砲隊と精鋭弓兵で仕掛ける。ただ、さすがに武田勢、一気に崩れる気配はなかった。


 常備兵団が前進して注意を惹きつけたところで、高い位置で身を隠していた精鋭部隊が突入していく。その中には、剣豪隊、忍者隊も紛れていた。そこからは、青梅将高と師岡一羽の采配で動く形になろう。


 夜襲に出た鬼幡隊の二千ほどが既に失われ、残るは甘利信忠率いる三千五百、保科正俊の五千余が相手である。


 昼までと示した猶予を、彼らは空費した。さすがに、部将の一隊が壊滅させられて、撤退するわけにはいかなかったのだろう。


 その時間を、俺は敵の部将のステータス確認に充てた。侵攻軍全体を通して、どうしても捕縛して家臣に迎えたい、抜群級の人物はいなかった。能力値だけ考えれば人材は豊富なのだが、捕縛しようと思えば、攻め手の危険も高まる。そう考えれば見合わないだろう。


 そして、武将の姓名から判断するに、甘利信忠が率いているのは甲斐勢で、保科正俊が率いているのは信濃勢であるようだ。俺は、甲斐勢を中心に攻撃するようにと、青梅将高にリクエストした。引き離しの政略ですかとニヤリと笑うからには、最初からそのつもりだったのか。


 本陣には、この辺りの地形を模型化した粘土箱が持ち込まれている。高低差などは、今は北国にいるはずの雲林院松軒が把握して、やや大げさに再現してくれた状態だった。それを使って、部将達が攻め筋を確認している。


 これまで、新田勢はその実力を披露したことがない。落とした城はそこそこあるが、当初の箕輪城、厩橋城、和田城は別として、金山城、鉢形城と天神山城、越後長尾勢と共同での河越城、関宿城と、いずれも奇襲、詭計に近い手法である。


 そして、正面から敵軍と戦ったのは、古河の防御に参加した以外は、二年前の武田との横川での戦いくらいである。そして、それも詭計での勝利扱いされているのは、想像に難くない。こちらとしても意図的に、どこか牧歌的な戦いに持ち込もうとしたのも確かである。


 となれば、侮られているのは無理もないのかもしれない。だが……、俺は新田の軍勢が弱いとは思ってはいなかった。食事の改善によって、身体づくりも進んでおり、特に若年層はだいぶ体格がよくなっている。まして、地の利は我にある。ここを抜かれても、幾つかの仕掛けどころが用意されていた。


 二度目の土砂崩れが敵陣を襲ったのを合図に、本格的な攻勢が始まった。


 


 甘利信忠本人こそ仕留め損ねたが、部将はかなりの数を討ち果たし、甲斐勢は半減程度の壊滅状態に陥っていた。信濃勢ももちろん無事ではないが、正直なところ手加減はしてある。


 忍者隊は、剣豪とはまた違う手法で鬼神めいた戦いぶりを発揮し、雑賀衆の本気での射撃も見せてもらった。


 たまらず敗走した武田勢は、その夜から連続した夜襲に悩まされることになった。黒鍬衆は、碓氷峠の出口から幾段かの陣地と罠を構築していたが、山中にも色々と工夫は施してある。


 兵糧拠点は早々に総て壊滅させていたし、待機場所も幾つも用意してある。横川側での戦闘の帰趨が見えた頃には、兵が伏せられ始めてもいた。


 硫黄筒付きの火矢が射込まれ、鉄砲も断続的に発射される。歩哨を倒して気づかれなければ、忍者隊が陣中に侵入して殺して回る。


 火薬を使って火も放ち、夜明け前には突撃も実施された。


 昼も弓矢や鉄砲で存在をちらつかせながら緊張を強いて、暗くなればまた一連の夜襲が開始される。


 これはもはや、戦国の戦い方ではない。山中の峠道を抜けきる前に、規律ある進軍ぶりを誇っていた武田勢は、潰乱状態に陥っていた。


 その頃には、主力は既に東方への移動を済ませていた。


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