【永禄五年(1562年)正月】その一


【永禄五年(1562年)正月】


 ことの多かった一年が過ぎ、穏やかな正月が訪れていた。


 大晦日には、催された連歌会が地味に盛り上がったらしい。新田の嫡流であるはずなのに、すっかり連歌担当としての立ち位置を確立している岩松守純の仕切りとなっている。発句は主に軍神殿が務め、参加者には、関白殿下、上杉憲政らに、新田からも芦原道真が名を連ねていて、年越し蕎麦をすすりながらの歌会だったそうだ。


 箕輪重朝が、歌集として世に出したいと興奮していたが、果たして需要はあるのだろうか? まあ、参加者に買い取らせて配るように促せばいいか。


 年末の仕事を終えてからは、俺は蜜柑と澪、それに幼い娘の柚子とゆっくりさせてもらった。まだ立ち上がっていない赤子は、栄養状態が良いようでなかなかの貫禄を発揮している。俺や澪がつつこうとすると、なにやらうれしげに反応してくるのだった。


 そして、蜜柑が赤子を慈しむ様子は、なんとも微笑ましいものだった。


 年始には香取神社で奉納射会が行われた。弓巫女の一人である千早が教練役を務める神社併設の弓術場では、弓兵の育成が進んでいるが、腕前では澪、栞、凛の初期三人娘が一歩抜きん出いているようだ。


 一方の鹿島神社では、剣術仕合が開催される予定である。去年は剣豪組が上洛中だったため、俺が軍神殿と対戦する羽目になったわけだが、今年は主催者側としての関与となった。


 参加者を募っていたところ、思わぬ展開が待っていた。塚原卜伝とその一門が現れたのである。


 何事かと訝しんでしまったが、よく考えたら門下の雲林院光秀、師岡一羽がいるのでさほどおかしな事態ではなかった。


 蜜柑が連れてきた赤ん坊を抱いて相好を崩している剣神に、あいさつに向かう。


「おう、お主が護邦殿か。……確かに弱そうだな」


「ご指摘の通り、剣技はからっきしです」


 蜜柑がくすりと笑いつつも、抗議の声を上げてくれる。


「でも、護邦は強いのじゃぞ。わたしなどよりはよほど」


「ふむ、まあ、剣技が総てではないか。しばらく逗留させてもらえるかな」


「歓迎します」


 にやりと笑った卜伝の表情は、造形はまったく似ていないのだが、どこか剣聖殿に通じるところがあるように思えた。




 新顔では、後世で居合の創始者として知られる林崎甚助を卜伝に紹介された。前年に敵討ちを遂げ、現在は流浪の最中であるそうだ。


 どこか暗い表情が印象的だが、経歴からして無理もないだろう。居合の話を抜きにしても、周辺に結界を張り巡らせているかのようにも見える。


 そんな中で、蜜柑は娘を抱えて林崎甚助に近づき、抱っこさせることに成功していた。ぎこちなくあやす仕草を見ていると、悪い人物ではないようだ。


「本懐を遂げたのなら、少しゆるりとされてはいかがかな。この新田領でよければ、いつまででもご滞在くだされ。……やや騒がしいかもしれませんが」


「感謝致す」


 それだけ口にして、林崎甚助は穏やかな視線を赤子に向けていた。




 そして、小田原攻めの際に交流を持った鬼真壁こと真壁久幹も、息子の氏幹を連れてやってきていた。さすがに得物は棍棒ではなく、剣で戦うようだ。上杉勢からは、腕に覚えがあるらしい本庄繁長が参加した。


 幾つもの名勝負が生まれ、剣術仕合は幕を閉じた。こちらこそ後世に残すべきではと思っていると、用土重連が剣神殿、剣聖殿の解説入りで詳報をまとめていた。一部は絵師の十矢の挿絵入りで冊子にするつもりらしい。手回しのよいことである。


 用土重連は、派手な話になるのは間違いなしと考えて事前準備をしていたようだが、当日に感動したのは宮大工たちだった。


 仕合が行われたのは、彼らが築いた巫女舞向けの舞台だった。そこで壮絶な勝負が重ねられたのを目撃して、剣術仕合に特化した会場を構築したいと言ってきた。


 それ自体は歓迎だし、屋根でも付けたら自由度が高まる。そう言ってみたら、せっかくだから可動式の屋根にしたいとか、観客席も付けたいとかなにやら欲張りモードに突入していた。


 定着しつつある彼らをよりつなぎとめるための仕事となりそうだし、任せるとしよう。




 軍神殿と関白殿に、前年に続いて絹織物が贈られた。桐生家と那波家は協調しつつ腕を競う体制に移行しており、桐生城域に拠点を移した桐生氏の桐生織、厩橋で活動を続ける那波氏の那波織として定着しつつあった


 ただ、だからといって、両者の優劣を貴人に依頼するのも無礼だろうとの判断で、今回は那波織として枕の、桐生織では布団の絹のカバーをそれぞれ作り上げた。布団と枕の中身は、土倉出身の雲取屋による木綿布団となる。


 寝具だけに、一晩寝てもらってからの評価を依頼したところ、翌日には揃って絶賛の言葉を頂いた。からっ風に晒される厩橋は、雪こそさほどではなくても、やっぱり寒いしなあ。


 これで、雲取屋の布団も合わせた寝具セットは、関白殿下と軍神様もご愛用、との売り文句が使えるわけだ。利用させてもらうとしよう。




 内政方面の目配りは進めつつも、少し緩やかに過ごしていると、雪の三国峠を越えてまさかの訪客が現れた。


 史実で本能寺の変を起こした明智光秀が、連歌師として著名な里村紹巴と連れ立ってやってきたのである。有名人の到来に、うちの家中での連歌大臣的な存在の岩松守純が大喜びである。


「前久殿。明智殿を招いてほしいとはお願いしたが、幾らなんでも早過ぎませぬか。いったい、なんと伝えたのです」


「なに、新田殿の人柄と領内の様子についてありていに紹介したまででおじゃるよ。紹巴には、年末に連歌会を催すから、十兵衛殿を引っ張ってこいとは書き送ったがな」


 いいのか、それで。俺は緑茶をすすっている人物に歩み寄り、腰を落とした。


「光秀殿ですな。新田護邦と申す。来訪に感謝致す」


「これは、申し遅れました。明智十兵衛光秀です。関白殿下より、麾下にお招きいただけるとのお話を受けたのですが、事実でしょうか。なぜ、しがない寺子屋の教師であるそれがしを……」


「上方の事情に明るく、連歌をたしなむ素養も含めて、有能な人物と聞いております。ぜひ、手を貸してくだされ」


 そう口にしながら、ステータス画面を覗くと、年齢は四十五と出ている。


「美濃の明智郷で祖父から手ほどきを受けただけの田舎連歌でして、お恥ずかしいです」


「明智殿は、幕臣の家系でしたか」


「土岐家から分かれた家系で、共に幕府に仕えて参りましたが、土岐家は残念ながら敗滅してしまいまして」


「土岐頼純殿に仕えられていたのですかな?」


「ええ、斎藤道三に毒殺され、その道三を討った義龍殿には土岐を再興するおつもりはなく、越前へ退転しておりました」


「京の将軍家に仕える道はなかったのですかな?」


「敗残の身でしたから、とてもそのようなことは……」


「織田殿には? 確か桶狭間で名を上げた信長殿には、帰蝶殿が嫁いでおられたと聞きますが」


「道三の娘御ですな。道三は主君の仇でありましたが、娘御まで憎むつもりはござりませぬ」


「親戚などでは?」


「いえ、特に関連はございませぬ。面識程度はありますが」


 帰蝶のいとこではなかったのか。まあ、元時代でもこの明智光秀は前半生の定かでない、謎の人物とされていたが。


「根掘り葉掘り聞いて申し訳ないが、もう一点。奥方はどうされました」


「越後に滞在させております。さすがに、雪の三国峠越えは、命に関わりますからな。我らも、途中で難儀しました」


「しかし、どうしてそこまで急がれたのです?」


「大晦日に関東鎮撫を祈願する歌会をやると聞いておりましたので、紹巴殿がどうしてもと申されましてな。死ぬかと思いました」


 にこやかな笑顔は、四十代というには若々しい。


「春が来たら、奥方にもお越しいただけますかな?」


「はい、そのつもりでおります。どのようなお招きかは把握しておりませぬが、新田学校でのお手伝いなど、させていただければ幸いです。……ただ、妻はちと顔に痘痕(あばた)がございまして、お目通りはご勘弁ください」


「病で生じた痘痕を蔑視する者は、家中にはおりませ……、いや、考えなしの者が多少はおるかもしれませぬが、そうなれば折檻いたしますので、ご懸念なく。そして、関白殿は、役儀についてはなにも書いておりませんでしたか」


「はい、特には。越前に向かったのは、かつて土岐の殿に従って滞在したことがあったのが唯一の理由でしたので、ご無礼かとも思いましたが、罷り越しました。書状には、新田殿の統治について、いろいろと記してありましたな。常備兵という概念はよく理解できませんでしたが、税制には感銘を受けました。五公五民ももちろんですが、棟別銭や段銭の廃止は素晴らしいご施策かと」


「お、同意いただけますか。うちの芦原道真などからは、機動的な徴税ができなくなるので、減らすのはともかく廃止はやりすぎだったのではとチクチク文句を言われておるのですが」


「いえ、いつ追加で徴税がかかるかわからぬ民の不安は、大きなものです。借金の契機ともなりますし。……そうそう、高利貸し規制をされたとも聞きました。それもまた素晴らしい」


「寺社を打ち払う不信心者と非難されておりますが」


「高利貸しを営む寺社を是正されるのは、正しい行いかと。……焼き払ったのは、やりすぎかもとは思いますが」


 やはりそういうものなのか。いずれにしても、受け答えだけからしても、信頼すべき人物に思えた。


「役儀については、芦原道真とともに内政全般を見ていただきたい。同時に、軍団の長も務めてもらいましょう。それと、薬についても、ご意見をいただければ」


「お待ちくだされ。それがしは、しがない浪人の身、それでは役目があまりに重く……」


「当家の全軍を指揮する青梅将高は、家が北条に廃滅させられ、当家に身を寄せてすぐに、対武田戦の総指揮役を任されました。まだ十四で、初陣が八千あまりの兵を率いる総大将としてでしたのでな。当家の流儀と思って、あきらめてくだされ」


 絶句する光秀の後方では、年末連歌会の歌をまとめた小冊子を見せられた里村紹巴が、参加したかったと苦悶の声を発していた。


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