【永禄四年(1561年)十一月下旬】その一
【永禄四年(1561年)十一月下旬】
北条は関宿、古河方面にも軍勢を置きつつ、甲斐からの武田の援軍を得て河越城、松山城を攻める構えを見せていた。どうも、西上野侵攻は陽動で、北条への援兵が本命だったようだ。新田としても青梅将高が指揮する援軍を派遣している。
千葉氏も活発化していて、里見との対峙が続いているようだ。
松山城もそうだが、貴重な緩衝地帯となってくれている河越城を落とさせるわけにはいかない。援将の青梅将高には、師岡一羽、用土重連らもつけて、三千の兵を任せた。河越城の増強工事も進んでおり、おそらくは守りきれるだろう。
南関東では今年も米はやや不作だったようだが、それでも各所で収穫が進んでおり、米の値は下がってきていた。
戦乱が消え去るわけではないが、この一年ほどのような関東全域での大規模な動員は しばらく生じない可能性もある。大儲けはできないかもしれないが、備蓄はしておいた方がよいだろう。夏に放出した際の収益を元手に、よその土地からも含めて買い入れを実施した。
雑賀衆の惣次郎から契約更新についての相談があったので、俺は指揮役三人と対話の機会を求めた。
やがて雑賀孫一になるらしい鈴木重秀は、言動こそ少し奇矯なところがあるが、爽やかな人柄の前線指揮官といった役回りのようだ。鉄砲の腕は、やはり随一で、鉄砲系スキルが豊富なのはもちろんだが、弾道の行方を読めるのではないかと思える実力となっている。
土橋守重は沈着な人柄で、全体のまとめ役といった雰囲気である。重秀との関係は、互いに敬遠しながらも、一定の尊重はしているようだ、とは行動を共にすることが多い小金井桜花の評である。
佐武義昌はやや軽躁な感じではあるが、戦場での盛り上げ役としては適任なのだろう。
三人に緑茶と大福を供して、俺は話を切り出した。
「今回は本格的な攻撃を依頼できずに悪かった。武田が陽動的な動きだったので、あまり痛手を与えては、復讐戦を招きかねないという事情があってな。いずれ全面的な対峙もありうるが、時期は確定できない。それを踏まえて、契約を延長するかは判断してくれ。残ってくれるなら、大歓迎だ」
言下に応じたのは、鈴木重秀だった。
「俺は残る。ここが気に入った。一人でも残るぞ」
少し間があって、軽く息を吐いた土橋守重が口を開いた。
「紀伊の長老衆と連絡を取ってみます。長期になる可能性があるのなら、確認しておいた方がいいですから」
「俺はどっちでもいいなあ。二人の見解が分かれるなら、棒でも倒して決めるわ」
なんともばらばらな三人だが、配下の鉄砲使いたちからすれば日常のようだから、気にする必要はないのだろう。
報酬は射手一人あたりが前線指揮官級、この三人は家中の重臣級だが、実力はもちろん、鉄砲戦術、鉄砲製造の改良の意見が得られる点からも、充分に価値はある。
ただ……、傭兵稼業は、地元に近い勢力に味方することで、本拠の安全を得る意味合いもありそうだ。関東にずっと来ていてよいのだろうか。
そのあたりを惣次郎に問うてみると、三人とも先代が健在なので問題がないそうだ。彼らも既に手練れではあるにせよ、年代的にも未だ主力ではないらしい。そういうことなら、可能な限り囲い込むとしよう。
少し余裕ができたので、かねてから食べたいと思っていたラーメンの試作に入った。
この時期まで待ったのは、余裕がなかったのも確かだが、蕎麦切り、うどん切りが生活の中に溶け込むのを待った面もある。
鶏ガラ、醤油、豚骨で作ってみたのだが、仕上がりはいまいち……、いや、いまに、いまさんくらいである。どうも、俺には頭にある知識に頼ってしまう傾向が強いようだ。大福の件でも、完成まで持ち込めなかったし。
どうしたものかと考えていたら、上杉政虎が三国峠を越えてやってきた。川中島合戦で怪我をしたそうで、歩を進めるたびに苦しげだったが、関東での北条の反撃が気になるのだろう。関白殿下だけでなく、古河の足利公方勢、里見、岩付太田あたりからも救援要請があったようだ。
本人は厩橋城で滞在することになったが、古河方面には館林城に一隊を派遣しつつ、北条高広が率いる軍勢が南下していった。
「川中島の戦いは、凄まじいものだったそうですな」
「さすがに、激しかったな。戦法を駆使した戦いもあれば、霧の影響での遭遇戦も多発してなあ」
信玄との一騎打ちはさすがに後世の創作だったようだが、両軍とも本陣を衝かれる場面があったのは確かなようだ。
「だが、護邦殿も、碓氷峠で武田と一戦交えたのだろう?」
「規模も本気度も違っておりましたからな。南方での動きを見ると、甲斐からの北条への援軍が本筋で、西上野侵攻は陽動だったのでしょう。それでも苦戦致しましたが」
「何を言うでおじゃる。鮮やかな撃退ぶりだったではないか」
「前久殿もご一緒だったとか。古河はどうなっておりますかな?」
政虎の声には、やや微妙な響きがある。関白殿下は、古河の守りに参加するべきだったと考えているのか。
「古河公方への就任が果たせなかったからには、現職の関白として扱うべきかと思いましてな。武田との戦後の仲裁をお願いしたく、無理にお招きしたのです。藤氏殿が降伏でもして、北条に前久殿の身柄を引き渡すとなったら、おおごとですからな」
「それは、まあ……。古河の情勢はどうかな」
「小田原攻めに参加した諸将の多くが、手の平を返して古河攻めに加わっておりますな。守っているのは、古河公方家の家臣のみです。この関東で足利公方を足利公方として扱っているのは、北条……、いえ、伊勢と、軍神殿だけなのかもしれませぬ」
そもそもの話をすれば、古河公方を支えるべき関東管領を、関東諸将と山内上杉氏を擁する越後長尾が集まって、誰にしようかと相談していた時点で、なにかがおかしいのである。
古河公方と関東管領の軋轢の歴史を考えてもなお、新たな公方の意向を踏まえるなり、あるいは逆にセットですげ替えるなり、もう少し筋の通しようはあっただろう。
北条が保持していたはずの関東管領職を関東諸将の総意として覆したとも捉えられるが、その就任式に北条の味方であるはずの千葉胤富が参加して、諸将の首座についているあたりからして、やはり異様な面がある。
足利公方は権威でありながらも、中央と敵対したり、どこかの勢力と結んで他所を圧迫したり、私利で動いた面が強い。
坂東武者からすれば、権威があるのは認めこそすれ、どこか同等の存在と考えているのかもしれない。
その点、中央で幕府の臣下として生きてきた伊勢氏の流れを汲む後北条と、元々が越後の守護代の家系で、統治権を得るには幕府に認めてもらう必要があり、その流れから将軍による秩序回復を志向していると思われる軍神殿は、古くからの関東諸将とはそもそもの立ち位置が違うとも言える。坂東武者の多くは、将軍の意向などと関わりなく、血筋あるいは自らの実力で今の立場を獲得しているのだから。
その意味では、古河公方就任を目指した近衛前久こそが、一番の改革者だったのかもしれない。残念ながら、構想は頓挫してしまったわけだが。
情勢の分析を終えても、関東管領殿の優先順位は変わらなかった。北条・武田連合の松山、河越攻めの企図を挫く方が先決だとの判断は、俺としても同意である。
そして、軍神殿の北関東諸将への手紙攻勢が、また始まろうとしていた。
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