【永禄四年(1561年)十一月上旬】


【永禄四年(1561年)十一月上旬】


 北条は、関宿城を攻囲しつつの古河攻めを展開している。そこには、小山、小田、結城、千葉らも参加していた。


 対峙するのは、簗田晴助が取りまとめる古河公方の軍勢だった。足利藤氏は恐慌に陥っているようだが、古河公方勢力は当主がすげ変わってもさほど気にせずにまとまりを守っている。まあ、家を守るというのは、そういうものなのかもしれない。元時代で、プロ野球やサッカーのチームを、監督や選手が変遷してもずっと応援し続ける感覚に近そうでもある。


 近隣の佐野氏、足利長尾氏は、基本的には古河公方の側のままだが、それぞれの城で自衛している。北条がどこまで本気かわからないが、なんにしても館林、足利ラインの緩衝地帯があってよかった。まあ、足利長尾が北条方に転じる可能性もあるのだけれど。


 古河攻囲といっても、まさか陥落させて虐殺はしないだろうが、関白殿下に不意の危難が生じてもまずい。俺は、近衛前久に武田家との戦いを見物しないかと打診してみた。


 武田による上野侵攻の規模は不明だが、史実で長野業正がひとまずは凌ぎ切ったらしいからには、本腰を入れた攻勢ではないと思われる。そう期待したい。


 古河公方に就任する見込みがなくなり、古河を守る動機づけも薄まっていたのか、関白殿はあっさりと厩橋にやってきた。弟の聖護院道澄も一緒である。


「武田と戦って、勝算はあるのでおじゃるか?」


「なんとか押し返したいところです」


「自信ありげじゃの」


 楽しげにそう言われても、こちらに万全の自信はもちろんない。ただ、忍者の護衛によって、危急の場合に関白殿を落ち延びさせることは、可能だと思われた。


 武田に捕らえられたとして、現職の関白を傷つけるとは思えないが、雑兵に討たれる可能性もある。用心はすべきだろう。


 侵攻の兆しがあれば、碓氷峠に放っている物見から急報が入るはずで、まだ時間的余裕はある。近衛前久は内政の様子を興味深げに見物していた。


 絹織物や工芸、美術系の工房では、公家の観点から改善点を示してくれて、内政面でも意見を出してくれる。どれも家中には欠けた視点で、大いに感謝して採り入れていく。


 と、関白殿下はため息をついたのだった。なんでも、古河ではある程度の敬意は示されても、都と関東の流儀は違うからと、意見が通ることはほぼ皆無だったそうだ。


 俺らからすれば、都の上流階級の考えを把握できるまたとない機会で、ぜひ様々な知識を伝授してもらいたいところである。禁令や各地の産物についてもそうだし、連歌の最新の作法なども取り入れたい。また、奢侈品の都での好み、さらには明で好まれているらしい傾向なども、貴重な知識である。身分がどうこうという以前に、疎かにすべき人物ではなかった。




 豪華になりすぎない程度に歓待した上で、各所を案内して前線へと向かう。今回は、弟の聖護院道澄も一緒だった。


 かつて、松山城から河越城へ向かった際には軍勢に同行した関白殿だが、新田領はさほど目にしていないはずだ。


 金山城から大泉の造船場を覗いた後は、平井城の再建工事の現場に赴いた。大泉は水軍根拠地として活況だし、平井城では万一の場合の籠城を視野に、かつての退き城を中心とした整備をしている。


 そして、箕輪城を経て、国峯城へと向かった。


「ここが、蜜柑殿のいらした城でおじゃるか」


「ええ、国峯城です。あの崖の途中で、俺は神隠しから戻ったのです。……死ぬかと思いました」


「その上、熊に襲われたのでおじゃろう? 澪殿に感謝すべきよな」


「こうして生きていられているのは、蜜柑と澪のおかげです。多くの人に助けられましたが、この二人には本当に感謝しています」


「そして、撫で斬りにあったという見坂村……、見坂兄弟の故郷もこの辺りなわけか」


「二人をご存知でしたか」


「ああ、武郎も人懐っこいが、智蔵は気の回る好人物よな。後継候補といったところでおじゃるか?」


「いや、そこまではまだ……」


 彼らは知らぬ間に、だいぶ見込まれていたらしい。確かに気配りのできるタイプだが、ほぼ同年代であるし、跡継ぎとまでは考えていなかった。ただ、不意の死が訪れた時にどうするかは考えておいた方がよいのかもしれない。


 関白殿下は見坂村に立ち寄って、村人たちの冥福を祈ってくれた。その一事だけでも、この人物のために役立とうと思わせるのには充分だった。




 前進基地は松井田城に置かれており、そこで近衛前久に新顔の紹介をする運びとなった。青梅将高と師岡一羽、雲林院光秀がその対象となる。


「青梅将高は、武蔵国の勝沼城を領していた、北条に滅ぼされた青梅氏の出身でしてな。一族の女性陣を連れて山道を落ち延びてきた苦労人となります。これが傑物でして、新田軍の総大将を任せております。我が身と同様にお引き立てくだされ」


「ほう……。近衛前久でおじゃる。よしなに頼むぞ」


「はっ。青梅将高と申します。お目にかかれて光栄です。……殿、お言葉が過ぎますぞ」


「叱られてしまいましたな。こちらが師岡一羽。塚原卜伝殿の高弟ですが、軍師としての才能を持っておるようで、そちら方面で期待しています」


 かつての天覧試合で見かけた記憶があったそうで、武芸者ながら軍師として見込まれているのにおどろいたようだ。


 スキルの<炯眼>による敵部隊の企図把握は、使いようによってはチートに近い。加えて智謀のステータスも高めなのだから、現状では期待しかない。まあ、<炯眼>は目視できなければ意味がないので、万能ではないのだけれど。


「そして、こちらは雲林院光秀で、同じく塚原卜伝殿の高弟ですな。将としても、参謀としても、剣術者としても有能な人物です。一方で、治水や築城の才もありそうでして」


 あいさつが交わされ、地形把握能力を実演してみせると、やはりおどろいていた。紹介を終えたところで、俺は光秀つながりの件を問うてみた。


「ところで、明智光秀という人物をご存知ですかな? かつて美濃にいた武家で、連歌を嗜むとか」


「おう、十兵衛光秀殿か。幾度か連歌の席でご一緒したことがあるでごじゃる。今は越前におられるものの、残念ながら登用には至らず、寺子屋の師匠などしておるらしい」


「できれば、新田に招きたいと考えておるのですが、どう思われますかな」


「朝倉に無理に仕えるよりは、よほどいい話かもしれぬ。誘いの手紙を書いてもよいでおじゃるが」


「ぜひお願いいたします」


 史実では足利義昭の将軍就任に関わる光秀だが、現状では現将軍の義輝が京都で健在である。朝倉では日の目は見ないようなので、ぜひ招きたいところだった。




 松井田城に入って二日後に、侵攻軍が碓氷峠に入ったとの急報が入った。数は八千程度と見込まれている。


 こちらは常備軍主体で五千が配備済みで、後方から剣豪隊、精鋭弓兵、鉄砲隊なども含めた二千余が急行する手筈だった。


 状況を察したのか、村々から兵を出すぞとの打診、いや、兵を出させろとの要求が入ってくる。今回はありがたく受け容れて、国峯城、安中城の防備を担当してもらった。


 敵の主力は、小諸城、戸石城の兵力で、保科正俊、真田幸綱らが率いているというから、近場の信濃の国人衆を動員した状態のようだ。


 迎撃地点は、敵方が碓氷峠を越えてきて一息つきそうな、横川の辺りとする計画である。砦群を築いており、雲林院光秀の<地形把握>を駆使した部隊配置も行い、要所には仮設陣屋も持ち込まれていた。




 碓氷峠で野営する侵攻軍のところに、俺は軍使として剣聖殿を送り込んだ。小姓として同行したのは、見坂兄弟、青梅将高、そして俺だった。


「しかし、大胆だな。先方に気づかれたら、一大事だろうに」


 剣聖殿の指摘は、確かにその通りである。


「そうだぞ、将高。俺を武田に売れば、城持ちになれるかもしれん」


「殿……。冗談でもやめてください」


「そう思うなら、殿はやめてくれ。……護邦ってのもまずいか。そうだな、シンデン……、新平。見坂兄弟の長男、見坂新平で行こうか」


「おう、頼むぜ、新平の兄ちゃん」


「武郎兄ちゃん、いくらなんでも気安いですって」


「かまわん、かまわん。智蔵も、俺を兄だと思ってくれていい。今回に限らずな」


「はい……」


 軍師候補の少年は、はにかんだ笑みを浮かべていた。




 俺らが背負っているのは、新田酒を入れた竹筒の束である。酒を差し入れた上泉秀綱は、幾度か訪れて顔見知りになっているらしい敵将にあいさつをしていた。


「恨みはないが、攻めかかってくるとあらば存分に戦おうぞ」


「おう、よろしくお頼み申す。主将は、秀綱殿が務められるのか?」


「いやいや、俺は部将に過ぎん。総大将は新田の当主が来ているし、采配を振るうのは青梅将高という名の将だ」


「何者ですかな?」


「新参の若造でな。よく知らんのだ」


 剣聖殿の豪快な笑いに、敵方の諸将も応じている。こうして身元を隠している状態でうわさ話をされると、なんだかこそばゆい。将高もそれは同様であるようだ。


 将高の青梅氏の旧領は、地理的には甲斐とは比較的近くの、元時代の青梅市辺りの勝沼城域となる。それでも、青梅という姓を聞いてもそれと考える者はいないようだ。


 と、にこやかな若武者が一人やってきた。


「酒の運搬、大儀であったな。この陣中に、使者として来られた剣聖殿の従者に危害を加える者はおらん。安心して過ごされよ」


 ステータスを確認した俺は、息を呑んだ。表示名は真田昌幸。年齢は十四才となっている。そして、軍事、統率、智謀、内政と、A、A+、A+、B+見事な数値が並んでいた。ここからの成長を考えれば、青梅将高同様、オールSコースである。


「お侍さんは、初陣ですか?」


「おお、今回が初めての戦さだ。新田は雑兵しかおらんと聞いていたが、上泉秀綱殿がおられたんだったな。まあ、主将ではないというのなら、直接対峙でもせん限り、気にすることもないか」


「武田のお侍さん達は強そうですね。あの赤備えの方なんて、すごい雰囲気で」


 言いながら、俺は赤い鎧で身を包んだ小柄な男性に目を向けた。


「ああ、飫富昌景(おぶまさかげ)殿だな。叔父御の虎昌殿こそ来ておられぬが、武田屈指の猛将だ。今回は、信濃勢の出兵に、甲斐からお目付け役的にやってこられてな……」


 やけに口が軽いのは、初陣の緊張からか、同世代の気安さからなのか。


 と、噂の赤備えの武将がつかつかと歩み寄ってきた。さてはバレたかと身構えると、鋭い声が発せられた。


「昌幸殿」


「は、はいっ」


 慌てて直立不動になるさまは、なんとも微笑ましい。


「従者の子供とは言え、あまり内情は話されるな。……おどろかせてすまんな」


 少し陰のある人物だが、意外なほどに紳士的である。


「いえ、お侍さんの赤備えが見事だったもので、ついお名前を伺ってしまっていたのです。失礼いたしました」


「なに、かまわんさ」


 軽い笑みを残して去っていく辺り、好人物であるようだ。


「いやー、肝が冷えたぞ」


「悪いことをしてしまいました」


「なんのなんの。まあ、酒とはいかぬが、水など飲んでいけ」


 智謀の将として知られた真田昌幸も、この時点では軽妙な少年であるようだ。武田信玄の近習になるのは、先のことなのだろうか。そして、まだ武藤家も継いではいないらしい。


 


 横川周辺の布陣した辺りに引き込む役目は、愛洲宗通と猿飛佐助が率いる体術特化忍者部隊に一任された。


 引きずり込まれた敵主力は、雲林院光秀が率いる前衛部隊と遭遇戦に入った。この部隊には、俺以外の見坂兄弟も参加している。左腕に盾を装備し、刺突剣と刀の兵を混在させた防御特化部隊の、初の実戦投入となる。


 彼らが凌いでいる間に、風向きを計算した上で、用意した粗朶に火が付けられた。刺激臭の伴う煙が流れ込む中で、火矢が射掛けられ、銃声が轟く。この銃撃には雑賀衆も参加しているが、順調なうちは牽制程度と依頼している。


 煙が少し収まったところで、剣豪隊による突貫が仕掛けられた。


 崩れた敵はたまらず退いていき、弓兵と鉄砲部隊が追い打ちをかける。そして、剣豪隊はただ一人の武将を探していた。狙うのは、初陣が負け戦さとなりつつある真田昌幸である。


 剣聖殿の追捕からこそ逃れたものの、次々と現れる剣豪に狙われ、ついに昌幸少年は囚われの身となったのだった。


 


「この格好でははじめましてだな、昌幸殿」


「は? お主は、あのときの従者ではないかっ。……いえ、失礼いたしました」


「よいよい。軍使の従者への気さくな態度は、その方の心根を表している。楽にしてくれ。……あー、ただ、こちらは現職の関白、近衛前久殿なので、そこそこの崩し加減でな」


「なんの、もう戦場にも慣れてきたでおじゃるよ。昌幸殿、このご仁の申す通り、楽にされよ」


「ははっ。……もう、なにがなにやら」


 真田昌幸は、戸惑いの中で首を振っている。


「雑兵のみの我が新田軍だが、それはそれで工夫はしていてだな。今頃は後方に回り込んだ部隊が、小荷駄を襲撃している頃だ。全滅させるつもりはないが、少しひもじい思いはしてもらうことになるな」


「なんと……。事前に勝利を見越して、伏兵をしていたのか」


 実際は、忍者隊が出立したのは、武田軍が後退を始めるのを見届けてからだったが、誤解を正す必要もない。


「さて、食事をしながら話すとしようか。今回の戦さをどう見た」


「どう……とは。軍機は漏らせませぬ」


「なに、一般参加者の目線でかまわんさ。武田勢は、新田が待ち構えているとわかっていただろうに、なぜそのまま進んできたんだろうな」


「傍観者としてでしたら……、城に拠って戦うと推測していたのかもしれませんな」


「だが、剣聖殿があの地点まで赴いて、しかも休憩中に現れたのだから、居場所は把握されていたと考えないものか?」


「所在がわからずにやってきて、たまたま行き会ったと捉えたのでしょうな」


 そんなものか。そして、忍びの諜報網も活用されていないらしい。信濃勢主体の編成だったからだろうか。


「それにしても、まとまった数の鉄砲をお持ちなのですな。噂には聞いておりましたが……」


「なに、新田が使っているのは、音だけ大きいまがい物でな。威力はさほどでもないんだ」


「ほう……、それも兵法ですな」


 実際には、小金井桜花が育てている鉄砲隊は、なかなかの威力を誇っている。ただ、特に関東勢や武田には、侮られていた方がいい面もありそうで、積極的な開示はしていないのだった。


 その後は、食事をしながらの雑談となった。食前酒として出された林檎酒は昌幸のお気に入りとなったようで、信濃の内情をそこそこに明かしてくれた。


 動揺はあったものの、武田の一門衆が一人と、信濃系の豪族衆が三家討滅されたために、だいぶ引き締まったそうだ。今回の出兵も、信濃国人衆の忠誠を試す意味合いがあったと、昌幸は考えているようだった。


 話の途中からは、剣聖殿、青梅将高、見坂兄弟も参加して、よりなごやかに振り返りが行われた。


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