【永禄四年(1561年)八月】
【永禄四年(1561年)八月】
松山城、河越城ラインが堅いと見たためか、北条は関宿城からの古河攻めの構えを見せている。
晴れて古河公方となった足利藤氏はひどく臆病な性格で、逃げ出してしまいそうなのを、関白殿や簗田晴助らが必死で押し留めているらしい。
そのまま関宿が攻囲されたが、館林を得ている足利長尾に動く気配はなかった。逆に攻められもしないのは、北条方と何らかの交渉なり、阿吽の呼吸で通ずるものなりがあるのかもしれない。
関宿で小競り合いが始まったのを見計らって、我が新田勢は河越城の斎藤朝信と連携し、忍城、本庄城の攻略を目指した。今回も、忍者による事前潜入、隠密夜襲からの剣豪隊強襲作戦の形を取って、やや遅れて常備軍を投入する流れとした。
暗夜の隠密夜襲、早朝急襲で陥落させられればそれでよし。無理なようなら、攻囲から強攻も視野に入れて、との構えである。
成田氏と本庄氏の城は近くはないが、どちらかを急襲すれば、その晩にはもう一方に防備を固められてしまうだろう。戦力分散の危機は恐れず、同夜に襲撃をかけることにした。
忍城は沼地に浮かぶ島々を結びつけた城で、守りやすい地形であるため、逆に日頃の警備はさほどでもないとの報告が入った。潜り込んでいた忍者が手引きし、明け方の急襲はすんなりと成功した。
並行して攻略を目指した本庄城は、なかなか堅牢な造りで、しかも同規模の城が窪地を挟んで二つ並ぶ形だった。事前の諜報でどちらかと言えば成田氏の方が手強いとの報告があり、忍者隊の配分が気持ち弱めになっていたこともあってか、片方の制圧に手間取って乱戦になってしまった。城主がどちらで休むかも、日によって違えていたというから、わりと用心深い人物だったようだ。
騒ぎを察した剣豪隊が、夜明けと同時に強襲して、制圧は完了した。やや手荒な展開になったために、本庄実忠を討ち取らざるを得なくなってしまった。時流から外れていそうな気配はあったとはいえ、六十代の老武将を殺すつもりはなかった。攻め込んだ俺が言うべきことではないのだろうが。
両城の陥落の知らせは後続にもたらされたが、実戦形式の訓練として攻囲からの強襲が行われることになった。よその勢力へのアピールと、領民への周知の意味合いも込められている。
本庄実忠の息子、近朝は一族と共に北条を頼りたいと言ってきたので、護衛を付けて送り出す手筈を整えようとしている。現状で最も近い北条勢力は関宿攻囲軍だろうが、さすがにそこに向かうのは微妙過ぎる。江戸城辺りに送り出すことになるだろうか。
一方の成田長泰は、同じく六十代なのだが、仮に討ち取っても心が痛んだとは思えない。人格の差ってやつだろうか。やたらと騒がれたので、追い立てるように去らせる形となった。家族については、さすがに別にどこかへ送り届けようかとの話はしたのだが、暗殺でもするつもりかと喚かれてしまっては、対応終了とするしかない。
忍城域を離れるまでは忍者に監視させたが、どこに向かったのかまでは興味はなかった。
……また二つの豪族の命脈を絶ってしまったわけだが、まあ、今回は立地的に仕方あるまい。そう思えるくらいに、俺も戦国に染まってきたのだろう。
忍城の東の小城群も制圧して、利根川南岸、荒川北岸を手中に収めた形となった。米の収穫は近いので、小麦の作付けに間に合うように、土豪衆や各集落との調整、開墾準備は速やかに行う必要があった。
この地には、既に新田領での農村の直接支配、常備軍制度、高利貸しの制限などの諸政策が知れ渡っていた。従えない土豪衆は他勢力を頼って退去するか、面従腹背で引きこもって機会を待つかの判断を強いられることになるだろう。
戦後処理を急いでいる間に、川里屋の岬から報告が入った。じゃがいもとトマトだけでも大戦果だったのだが、追加で甘藷……、さつまいもをゲットしてくれたそうだ。
ポルトガル商人の招待を受けた海里屋の商人が、堺の新田風料理屋で給仕を務める小桃と一緒に平戸に視察にいって、そこで獲得したらしい。その上で、平戸にも店を出すように強く要請されたそうだ。
平戸への出店の件は、耕三の判断に任せるとの伝言を頼んだ。
獲得されたさつまいもは超絶生命力を持つ植物で、救荒作物として切り札的な存在となる。
持ち込まれたものを種芋として植えて、伸びてきた茎を切って新規開墾地に植える。育てば移植し、また植えて、とにかく植えまくる。農地に空きがある限り、できるだけ増やしていこう。
今年は、種芋の確保までになるかもしれないが、来年以降を見据えれば、非常に有益な存在なのは間違いなかった。
戦さが絶えない要因に食糧不足があるとすれば、戦国の世を終わらせるのには食糧増産が有効だと思われる。それを踏まえれば、敵味方関係なくさつまいもやじゃがいもを渡していく選択肢もあるのだが……。実際には腹が満たされても、戦国の勢いがすぐに止まるかは不分明となる。残虐性の低い味方限定で広めていくのが無難そうだった。
ただ……、薩摩からの伝来でないのにさつまいもと呼ぶのは、さすがに違和感が強すぎる。じゃがいもは丸芋、さつまいもは甘芋としての普及を目指すとしよう。
収穫前の時期となり、また米の相場が上昇している。今のところ稲の実りはよさそうなので、急激に下げない程度に食料の放出を始めた。
また、一部は里屋と連携して東海や上方、鹿島経由の奥州方面でも捌いている。金、銀の相場を見ての取り引きに、粗銅の買い入れもうまく回っていて、収益は大きくなってきていた。
現状では鎧島よりも先の通商は里屋に任せきりだが、自前通商を視野に入れての外洋船試験船の建造は、回り道もありながらも進んでいた。ガレー船要素も盛り込んでいて、安定した航行ができる船となってくれるといいのだが。
一方で、並行して進めているスクリュー船は、引き続き試作段階で難航していた。多数の歯車を組み合わせて軸を回すのは、概念としては難しくないが、実用的な状態まで持ち込むにあたっては困難が伴うのは無理もない。
結果として失敗に終わったとしても、今回の経験は他に活きてきそうだし、焦らずに進めてもらおう。
そして、海からの来訪者が現れた。傭兵として依頼していた雑賀衆が到着したのである。
厩橋まで船でやってきたのを出迎えると、百人ほどの集団から身軽に進み出てくる人物がいた。
「武田と戦えると聞いてはるばるやってきたぞ。関東は、さすがに遠いな」
ぞんざいな口調はともあれ、ステータス画面を覗いた俺は絶句させられた。鈴木重秀(すずきしげひで)……、歴史に轟く別名を持つとされる、鉄砲の名手だった。
「さいか……、まごいち?」
「よくご存知だな。だが、それは父の通り名だ。いずれ受け継ぐことになるだろうが」
「失礼致した。歓迎する」
追いついてきた二人は、先行した人物の言動を心配する素振りを見せながら、土橋守重(つちばしもりしげ)、佐武義昌(さたけよしまさ)と名乗った。
鈴木重秀は言葉遣いと突飛な行動さえ気にしなければ、わりと理性的な人物であるようだ。土橋守重は手堅さを絵に描いたような人物で、佐武義昌は典型的なお調子者タイプに見える。揃って二十代の三人は、鉄砲傭兵稼業で既に実戦経験が豊富らしい。
こちらの鉄砲組は、小金井桜花と弓巫女の美滝が中心となる。お互いの技量を測りつつ、新田で作った鉄砲の使い心地なども試してもらった。彼らの経験と知識が新田の鉄砲隊に反映されれば、高給も無駄にはならないのだが。
経験と知識の伝授と言えば、伊賀と甲賀から修練法を学んだ霧隠才助が、伊賀と甲賀、それに加藤段蔵からの風魔の流儀も含めて、修練法を体系化したらしい。聞き取りをすると、それぞれのやり方を咀嚼するのに時間がかかってしまったと謝られたのだが、充分に早い対応だと思える。
その出来栄えは、蝶四郎も鳩蔵も驚きのものだったようで、今後の育成、現役の再教育による強化に期待ができそうだ。実験台としては、加藤段蔵、猿飛佐助、愛洲宗通がはりきってこなしてくれたらしい。
新たな技術の開発としては、椎茸の栽培法がどうやら確立できた模様だ。菌を植え付けた丸太を山に置いて育つのを待つわけだが、椎茸捕り名人に育ちそうな環境を見極めてもらえたのが大きかったようだ。
上方での消費分もあるが、最終的には南蛮交易で明に向かうからには、いくら作っても値崩れの心配はない。巨大な市場があるというのは、心強いものだ。
市場という意味では、上野国を中心とした自領での生産力を高め、同時に購買力を高める方向が理想となる。安全の確立は大切だが、それだけに注力していては、詰んでしまいかねないのがつらいところだった。
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