【永禄四年(1561年)六月/七月】

【永禄四年(1561年)六月】


 蜜柑が、ついに子を産んでくれた。玉のような……というのは比喩的表現で、ちょっとしわくちゃ気味の小さき者がこの世界に現れ出てきてくれた。なんとも可愛らしい女の子である。


 この時代にとって、俺が異物であるのは間違いない。ただ、この子は違う。これまでも実感はしていたつもりだったが、この子のためにもここで生きていくのだと、強い覚悟が胸に宿った。


 そう、覚悟を持たなければ、この先の戦いは乗り越えられないだろう。


 勢力の当主としては、世継うんぬんの話も考えなくてはいけないのかもしれない。けれど、まずは柚子と名付けたこの子にいい世界を見せたいとの思いが強かった。




 そして、軍神殿は北へと帰っていった。佐野虎房丸は、正式に近習として取り立てられたそうで、同道していった。相変わらず線が細く、食事の席では大福御前に世話を焼かれて、氏邦から複雑な視線を向けられていたのは微笑ましかったが。


 史実通りに進めば、九月には川中島合戦が行われる。斎藤朝信は、越中の抑えだったはずで、残留による大きな影響はない……だろうか? 蝶の羽ばたきが遠方で竜巻を引き起こす、バタフライ・エフェクトなんて話もあるが、蝶の羽ばたきと比べるには過大な改変が生じているのは間違いない。


 川中島で合戦が起こるとしても、結果は大きく変わる可能性もある。注視は必要だった。




 越後勢が去った関東では、北条の巻き返しが起こるのは必須だった。関東は荒れるのだろう。


 常備兵については、これまでは志願に任せていたが、強制にならないように気をつけながらも、改めて募集をかけた。待遇は当初と変わっていないのだが、千人規模での応募があった。どうやら、迷っていた者達が大挙して押しかけた状態のようだ。ありがたい話である。


 今回の加入も含めて、総動員数は六千を越えたが、正直なところ実戦経験は少ない。これを、秋までに戦力化する必要があった。



【永禄四年(1561年)七月】


 今年も果実酒の仕込みのシーズンとなった。ぶどうは一部が収穫できるようになってきているが、林檎、桃はまだ時間がかかるため、買い付けたものを原料にする形となる。


 蜜柑の苗木も育っているが、実をつけるのはまだ先のこととなりそうだ。


 高利貸しを営む土倉だった木霊屋鋼次は、すっかり葡萄酒に魅入られたようで、本格的に栽培、酒造に乗り出すつもりのようだ。今年は研修的な参加に留まっているが、秩父の酒職人や有能な商人らを集めて、送り込んできていた。


 赤ワインは、種や皮、房についた小枝なども一緒に仕込む形で、白ワインは果汁のみを発酵させるとの違いだったと記憶している。白ワインに糖類を足して、製造過程で生じる炭酸を抜かずにおけばスパークリングワインができるはず……だが、詳しい製法などはもちろんわからない。試していくしかないだろう。


 まあ、発酵した時に生じる炭酸を利用する点では、シードルと同様とも言える。


 酒については、完成したら一部を領内の村に配る計画としている。味を見てもらって、さらには値付けを示すことで、果樹の栽培を勧奨する流れとしたい。引き続き苗木の確保に努めるとしよう。




 果実酒の仕込みが進むのと時を同じくして、北条のターンが開幕した。


 河越城に攻め寄せる構えを見せつつ、多摩の勝沼城を領する青梅氏への力攻めが行われている。援軍を派遣したところで守れる情勢でもなく、見送りとの判断になった。河越城に上杉の大部隊を残せる状況なら話は別だったのだが、その影響で川中島の戦いに影響しても困る。


 頑強な抵抗を示したからか、北条は降伏を受け容れず、青梅氏は敗滅する形となった。高麗山で言葉を交わした青梅将高はどうなっただろうか。能力の高さを考えると、北条に臣従した状態となって戦場で遭遇する展開はなるべく避けたいのだが。


 北条の主力は、利根川を越えて関宿城近くまで進んだ。成田長泰、小山高朝はあっさりと北条方に転じている。


 小山高朝の素早い転身が、冷静な判断によるものか、鶴岡八幡宮で千葉胤富と首座を争いながらも譲らされ、恥をかかされたと考えてのことかは不明である。


 その流れから、本庄実忠、小田氏治、結城晴朝も北条方に転じた。千葉はずっと北条方なので、一気に勢力が塗り替わった形となる。


 佐竹、宇都宮の去就は不明だが、小田や小山とは別陣営に入ってくる可能性もある。彼らの去就には、注意が必要だろう。


 そして、本庄、成田が北条方についたために、利根川と荒川に挟まれた一帯が味方ではなくなってしまった。まあ、成田長泰は上杉陣営からすれば既に敵方状態だったが。


 ただ、和田城から鉢形城を結ぶラインで、河越城、松山城との交通はつながっている。その方面では、平井の廃城の再建も進めていた。




 南信濃に侵入していた忍者から、武田内部での内紛の話がもたらされた。従属国人衆のうちの幾人かが、上杉政虎からの調略を受けたのを理由に、相次いで攻められたそうだ。


 越後長尾が関東で諸将を糾合し、北条を崖っぷちまで追い込んだ件は、近隣地域に伝わっているだろう。この流れで、信濃が解放されると考えたがる者が出ても不思議ではなかった。


 忍者が活動していると気取られないように、無理な介入は避けるようにと指示していたのだけれど、消極的に過ぎただろうか。


 川中島への介入も、何をすればどう動くかがわからないだけに、避けておく方向に考えが傾いている。


 まさに開戦というところで、碓氷峠を越えて後方で動けば、あるいは武田信玄を討ち果たすことができるかもしれない。


 だが、失敗すれば……。武田の矛先は新田へと向かうだろう。ある程度の成功を収めたとして、軍神殿は武田を滅ぼそうとするだろうか。


 北条への対応を見ていると、どうしてもそこに疑問符がついていしまう。手負いの武田に仇敵扱いされる未来は、ちょっと想像したくない。


 武田と対峙する未来からは逃れようはないだろうが、彼らにとっての上野が、できれば進出したい一方面なのか、優先順位最上位扱いかでは、特に早い段階では大きな差が出てくると思われた。




 調練、装備の強化を含めて軍備方面の手当てに奔走していると、遠方からの訪客がやってきた。芝辻照延(しばつじてるのぶ)と名乗ったその人物は、二十代の若者だった。


 根来の物静かな僧侶、滝林坊が紹介……と表現するには寡黙さが際立つ感じだが、とにかく引き合わせてくれた。


「芝辻と言うと、最初に鉄砲を作ったあの……?」


「清右衛門は父です。父は堺に移り住み、顔役のような存在になっています」


「照延殿は、鍛冶として活動されているのか」


「ええ。ただ、堺で鉄砲鍛冶の一人として量産に携わるのも、父のように顔役の方向に進むのも、気が進まず」


 笹葉のように、量産よりも開発から試作までを好む性向の持ち主なのだろうか。


「指導はしてほしいが、元込め式方式への改良を試してもらうのもいいし、大砲を試してもいいぞ」


「大砲……ですか?」


「南蛮船に乗っている、なんと言うか……、まあ、大型の鉄砲だな。場合によっては、人が抱えるような弾を発射する。その弾も破裂するように工夫して、威力を高めるなんて方向性もあるし」


「もそっとくわしく」


 大砲に詳しいわけでもないが、青銅製の臼状の構造で安定性が高い臼砲や、鋼鉄製で筒状のいわゆる加農砲などについて、ざっくりとした伝達をしてみた。話が深まる度に、芝辻照延の目のぎらつき度合いが増していく様には、やや背筋が涼やかになった。


 威嚇用の兵器としてはありだろうが、実用的にはどうだろうか。船上で運用すれば、海近くの城には有効かもしれない。一方で、バリスタで硫黄なんかの爆発的可燃物を着火させて射ち込む方が話が早そうでもある。


 ただ、開発を進めておいて損がないのも間違いのないところだった。既に検討を進めている笹葉とで調整してもらうとしよう。


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