【永禄四年(1561年)五月】
【永禄四年(1561年)五月】
四月から、越後勢の兵は順次三国峠を越えていたが、上杉政虎本人が越後へ帰還する日も近づいている。今の予定では、厩橋城を六月下旬には立つだろう、とのことだった。史実では、九月に川中島合戦が行われる。
古河では、足利藤氏が正式に古河公方に就任した。一応、祝賀の式典には参加したが、先日の段階で既にステータス値は確認済みで、なにかを期待する気は皆無だった。
その席で、隠居した形となる上杉憲政の扱いについて打診された。河越城に詰めるか、平井城跡に館でも建てるか、との話もあったのだが、古河で足利藤氏の後見役になるように勧めておいた。
古河周辺の守りとしては、館林城が正式に足利長尾氏に渡される形となった。古河には、足利藤氏と上杉憲政、それに近衛前久も詰める形になるそうだ。関宿は、かつて統治していた簗田晴助が確保した。
その近隣では、やはり佐野昌綱が信頼できそうである。俺は、関白殿を誘って、剣豪達を引き連れて佐野氏の根拠地である唐沢山城を訪問した。軍神殿の近習として活動している綱房丸も一緒である。
綱房丸の弟に当たる、まだ三歳くらいの嫡出の少年や、昌綱の弟にも剣豪勢が稽古をつけていく。さらには、持ち込んだお茶と茶菓を家臣団や侍女勢にも振る舞った。
家臣では、山上氏秀という人物がスキル的にも剣に覚えがあるらしく、剣豪たちの指導を凝視していた。
「護邦殿。剣豪の皆様を招けたのも望外の喜びですが、関白殿下までとは……。ありがたく存じる」
「いえいえ。ご家中では、剣がだいぶ盛んのようですな。あの山上という御仁も、弟御もですが」
そう話を向けると、佐野昌綱は顔を綻ばせた。
「氏秀もそうなのですが、弟の祐願寺了伯(ゆうがんじ・りょうはく)もなかなかの腕でして、一時は塚原卜伝殿に師事したこともあるのです」
「ほう。それは、将来有望ですな」
「ただ、武将よりも、剣豪になりたいのかもしれません。もうひとりの弟の天徳寺宝衍(てんとくじ・ほうえん)の方は、実際に武者修行に出ておりますし。……あやつは連歌も嗜みますので、今日のこの日に不在だったのは無念だったことでしょう」
「それは、確かに……。よそで連歌はできても、故郷に関白殿下が現れるというのは、なかなかないでしょうからな」
「本当に……」
そう応じる佐野昌綱の表情は、だいぶ穏やかなものとなっている。
軍神殿にとって史実での佐野氏は、当初は信頼できる盟友的存在だったのが、北条方との行き来をくり返すうちに、宿敵めいた因縁が生じる勢力となる。できれば、共に上杉方として活動していきたいところだし、袂を分かつとしても、恨み合う関係にはならないようにしたい。なかなかむずかしいかもしれないが。
田植えは順調で、れんげ草緑肥、草木灰、石灰、にがりの四点セットの導入地域が広がっている。そのうちの石灰については香取神社の、にがりについては鹿島神社からの下げ渡しというていを取らせてもらった。両社を絡めるのは、今後を睨んで、強欲な寺社勢力と関わりが生じた場合に、相談相手として思い浮かぶようにとの思惑もあった。
一方で、これらの肥料はやりすぎもよくないはずだ。現状は、元時代の化学肥料ほどの威力はないはずで、気にし過ぎる必要はないかもしれないが、農村支援を継続している大谷休泊らとも相談しつつ、塩梅を検証していくとしよう。
田植えの作業には、この春も常備兵が各地に投入され、にぎやかに植え付けが行われていった。
越後勢の武将は、幾人かがまとまって手勢と共に三国峠を越えていっている。その際には、厩橋城でもてなすのが恒例となってきており、俺も居合わせれば参加するようにしていた。
その日、夕餉を共にしたのは北条高広だった。
「それにしても、新田の食事はうまいですな。このほわいとしちゅーというのが、また絶品で」
ほにゃっとした笑みを浮かべている様は、悪い人物には思えない。この時点で既に一度軍神殿に背いており、史実では厩橋城を預かりながら北条に通じた人物なので、河越城の守将から外してもらった状態なのだが。
「牛の乳と小麦粉があれば、具材は海鮮でも肉類でも、あるいは豆でも成立しそうですぞ」
「いや、しかし、我が領内では、とてもこの味は出せそうにありません。またいつか、関東に来る機会があれば、食したいものです」
「馳走させていただきましょう」
「このしちゅーを食せるのであれば、勇戦もできるというものです」
笑いながら言う感じには、どこかお調子者感が漂う。まあ、背いては帰順する流れをくり返して悪びれないというのは、稀有な能力なのかもしれない。
そして、厩橋城主として北条方に通じた際には、武田と北条に圧迫されてどうにもならなかった状態だったようでもある。そう考えれば、そこをあまり重視するのは酷なのかもしれない。
何にしても、この北条高広にしても、本庄繁長にしても、軍神殿に背く流れには理由があったのは間違いない。無理もないかもと思えるくらいに、史実の上杉勢は苦境に立たされるのだった。そのような事態が起こらないようにできればいいのだが。
本庄繁長と親交を深め、通商の約束を交わして送り出したタイミングで、俺は河越城に向かった。上杉勢の関東での責任者となる、斎藤朝信に会うためである。
既に新田の援軍は河越城に配備され、南方の警戒にあたっている。同時に、河越城の改修工事も進められていた。その様子を眺めながら城門に近づくと、既に察知されていたようで出迎えられてしまった。
「これは護邦殿。ようこそおいでくださいました」
「朝信殿、今後はより深い連携が必要になりますので、改めてあいさつに参りました」
そこから、お茶会形式での対話が持たれることになった。
「政虎様からは、それがしを特に望まれたと聞きましたが」
「ええ。河越で北条の抑えをしていただくからには、どっしりとした安定感がある方が理想だと考えました。そしてもう一点。越後からは遠隔地であるこの河越の領民を慈しんでくれる方を、というのもありまして」
「期待には応えさせていただこう。この地は、開発すれば民が安心して暮らせそうですな。戦ささえなければですが」
この時代の越後の平野部は、江戸の辺りと同様に川が千々に分かれて平地が少なく、米の栽培には向かない土地となっているらしい。それで食べていけるのは、青苧の栽培、麻織物が盛んなためともされていたが、実態はどうなのだろう。ただ、懐事情を探っていると思われるのはうまくない。俺が問うたのは、別のことだった。
「北条は、巻き返しを図るでしょうな。軍神殿は、北条を滅ぼすおつもりがおありでしょうか。所領を切り取るのは避けておられたようですが」
この河越城は、新田が陥落させて上杉に押し付けたような状態である。斎藤朝信は、目線を庭に咲く花へと落とした。
「藤景殿と話されたとは聞いております。殿は、領土を広げようとは考えておられぬようです」
長尾藤景と軍神殿が険悪だという話は、家中に広まっているのだろう。
「関東にせよ、信濃にせよ、頼まれたから出兵しているだけで、領土的な野心がないのはわかっているつもりです。けれど、そうなりますと、相手が屈服しない限り、いつまでも戦いが終わりません。越後勢が、その負担に耐えられましょうか」
「それは、その通りです。ただ……、越後をようやく安定させてくれた御方なので、できるだけご意向に沿いたいとは思っておりましてな」
史実での軍神殿は、信濃は武田に確保され、関東計略も進展せず、越中方面でも苦戦を強いられ、やがて離反者が多く出て、元々脆いところの見られた精神がやや壊れていったように思える。
謙信と名を改めた晩年には、人が替わったように、水路を破壊したり火を放ったりと、侵攻先の民にきつく当たったそうだ。そのような状態には、なってほしくない。
「失礼致した。越後勢の方針に口を出すつもりはござらぬ。それはそうと、少しご相談がありましてな」
俺は、これからについての提案を持ちかけた。
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