第三部

【永禄四年(1561年)四月上旬/中旬】


【永禄四年(1561年)四月上旬】


 鎌倉からの帰路、寄り道しての炊き出しを続ける時間的な余裕はなかったので、近隣の集落に少量ずつながら糧食を分けて回る形となった。三浦の水軍衆にも、また戦う場面を迎えたら、正々堂々とやりあおうとの言伝てと共に酒食を贈った。


 そして、北条方の各所の城付近に抑えとして残されていた兵と合流しながら河越城へと向かう。


 約束通り、上杉勢の千人が駐屯し、守将はこちらの希望通りに斎藤朝信を置いてもらえることになった。矢面に立ってくれるわけなので、感謝して援軍も常駐させ、糧食もどっさりと投入するとしよう。


 人質は解放されたが、成田長泰から預かっていた一族の少年は殺された。酷い話だが、ここで許しては筋が通らない、との判断だったようだ。実際、成田長泰はそれだけのことはしたとも思うが。


 岩付城を根拠地とする太田資正からは、古河に同行するとの表明があった。傀儡として松山城主となっている扇谷上杉の上杉憲勝もだそうなので、やはり主導権争いに割って入るつもりなのだろう。


 道中で、成田長泰の籠もる忍城に立ち寄り、攻囲の構えを見せたが、さすがにここで時間を使うわけにはいかなかった。


 それでも乱取りは起こらなかったのだから、軍神殿が率いる長尾勢改め上杉勢の規律は高いようだ。




 古河へ到着すると、古河公方家の家宰である簗田晴助が既に甥の足利藤氏を迎え、事実上の古河公方としての振る舞いを許していた。


 もしも、関東諸将がここまでまとまって来ていたら、また話は違っていただろうか。ともあれ、近衛前久の古河公方就任の目は消えたと考えてよいだろう。


 軍神殿に、簗田晴助を排して我意を通す気配は見られない。義の人という表現もできようが、やや優柔不断にも映る。スイッチが入るとまた変わるらしいのだが、今回の関東攻めでは、その場面は見受けられなかった。強いて挙げれば、成田長泰打擲のところか。


 近衛前久が小田原攻めの陣頭に立って、簗田晴助を無理やり連れて行っていれば、鶴岡八幡宮で関東管領を受けると同時に、鎌倉公方に擁立する展開もありえたかもしれない。そして、北条も現職の関白に対してなら……。


 まあ、今さら言っても仕方がないが。


 古河での政争めいた動きには、正直なところ興味がない。俺は、早々に厩橋へと向かうことにした。




 古河から利根川を遡上していくと、右手には新田領が、左手には成田氏、本庄氏の支配域が広がる。


 なんとなく右手の方が柔らかく感じられるのはなぜだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、蜜柑が隣に立った。


「なあ、護邦。結局のところ、特に何も変わらなかったとも言えそうじゃが、これでよかったのか? 神隠しでの先読みからすると、どうなのじゃ?」


「そうだなあ……」


 我が新田勢の存在が最大の違いだが、上杉陣営としても相違点は多い。


 古河の近くから考えても、史実では館林城にはまだ赤井氏が敵対的な存在として残っていたはずだし、金山の由良国繁、桐生の桐生佐野、赤石の那波にしても、必ずしも味方とは言い切れない状態の国人衆が割拠していた。


 南の鉢形城、天神山城は藤田氏に氏邦が婿入りし、北条の直轄領に近い状態となる流れだったわけだし、なにより堅城とされる河越城は北条方のままだったはずである。


「だいぶ、軍神殿にとって有利な状態になったと思うんだが、そもそも北条を滅ぼす気があるのかって話からだからなあ」


「じゃが、小田原城まで攻め入ったではないか」


「城を落としながら進軍したのなら、また話は違っただろうがな。力攻めする気はないと、北条に見透かされていたのかもしれん。……すまんな、しばらくぎりぎりの状態が続きそうだ」


「なぁに、いざとなれば身重だろうと子連れだろうと一緒に逃げればよいのじゃ。そして、再起を図るのじゃろ?」


 話をシンプルにしてくれるこの少女は、得難い連れ合いなのだろう。うなずいた俺は、この先のことに思いを巡らせていた。



【永禄四年(1561年)四月中旬】


 厩橋を離れていた期間が長かったので、集合教育組の新規スキル発生を見逃しているかもしれず、慌ててチェックを実施したあと、第二次一括召し抱えが行われた。


 夏以降の北条の巻き返しに備えて、できるだけの準備をする必要がある。各方面への増員は、その一環だった。


 ただ、飛び抜けた人材以外の召し抱えは、今後も春、秋の二回制というのが効率的かもしれない。




 注目すべきじゃがいもとトマトの栽培は、順調に進んでいた。特にじゃがいもは、種芋確保も進んでいるが、種も無事に確保できていた。既に二巡目で、稲作の前に植え付けができそうである。


 次の収穫が初夏だとして、秋までにもう一巡進めたい。そこまで増やせれば、一部を食料にした上で、来年の主力作物として扱えるだろう。


 そして、じゃがいもの試食については戦略物資だけに、小規模に、家中のみで実施された。ふかし芋もフライドポテトもポテトスープも大好評で、農業指導を担当する内政組にも気合が入った。


 トマトも、元時代のものほど食味はよくないが、それでも食べておいしく、ミネストローネ的な汁物も好評だった。


 食糧増産を重視する方針は、家中の隅々まで共有されている。両作物の栽培は、各所で優先度高く進めてくれるだろう。




 牧畜関係では、馬の出産シーズンが到来していた。「静寂」号の産駒も無事に生まれたらしい。


 馬産についても<配合>スキル持ちが産まれた子の様子も踏まえながら考えてくれている。まあ、重装騎兵を集中運用する気はないので、なるべく大柄にしつつ、従順ながら物事に動じない馬を増やしていくのが理想となろう。鉄砲もそうだが、大砲が近くで発射される場面を想定すると、ある意味で鈍感な個体でないと務まらなさそうでもある。




 忍者については軍神殿のお声掛かりで、軒猿衆との交流が実現したそうだ。今後は両陣営で連携する場面が増えてくると思われるので、せめて互いに邪魔をしない関係性は築いていきたいものだ。


 また、新加入の伊賀、甲賀の熟練忍者からは、それぞれの流儀の修練法が伝授されたらしく、霧隠才助がうれしい悲鳴を上げながら検証を進めていた。


 その老忍者二人からは、伊賀と甲賀から縁者を招いていいかとの相談があったので、忍者としてでも、農民や商人としての移住でも大歓迎だと応じておいた。


 伊賀や甲賀はあまり農耕に向かない土地で、その影響から忍者仕事で稼ぐようになったと言われている。跡継ぎならともかく、次男、三男なら新天地を求めようという気にもなるのかもしれない。そう期待しよう。


 一方の雑賀からは、隻眼隻腕の惣次郎が鉄砲隊を雇わないかとの話を持ち込んできた。


「だが、関東まで来てくれるのか?」


「金額次第ですな。後は、戦える相手がだれかも重要となります」


「金は用意しよう。相手は、武田になりそうだ」


「北条ではありませんので?」


「短期的には武田だな」


「ならば、集められましょう。秋が来る前には、呼び寄せられるかと」


「頼む。道真と一度打ち合わせを持たせてくれ」


 話が成立すれば、雑賀鉄砲隊を現実に目にすることができそうだ。正直、楽しみだった。




 剣聖殿の師匠の息子で、小田原攻めに不参加だった愛洲宗通は、忍者修練に混ざって、飛び加藤と於猿……じゃなかった、猿飛佐助と飛び回っていた。


 当初は、忍者はみんな体術に優れているのかと思っていたが、どうも飛び加藤や猿飛佐助の動きは飛び抜けたもののようだ。それについていくのだから、愛洲宗通の身体能力は凄まじいのだろう。


 そして、薬についての交流も進んでいて、<医術>スキル持ちの羽衣路と薬学系の辰三に病弱なためもあってか医学に関心を抱いている岩松清純も加わって、俺の元時代知識を踏まえた整理が進んでいるようだ。


 医術についての検討は、新田学校の医術方面の研究室で行われており、薬師候補の面々が巻き込まれていた。


 新田学校全般としては、特に行政向け人材の教育課程は順調に整備されているようだ。


 一方で兵法については主要な面々が小田原攻めに参加していたため、開店休業状態となっていた。これから軍師達が切磋琢磨していくことになるだろう。


 農学、土木、建築などは、まずは実践しつつ若手への教育を行う方向で模索しているようだ。


 芸術方面は、制作の場所を提供するだけになるかもしれないが、それもまたよいだろう。




 軍備のうちの造船方面では、外洋船の試作計画が持ち上がっている。


 この時代の和船は沿岸航法が基本で、南蛮船のような遠距離航海には向かないようだ。一気に南蛮船レベルの遠洋航海は無理でも、寄港少なめに遠方まで行けるような船があれば、通商もしやすくなる。


 船大工を束ねる中島飛蔵を中心に、なんちゃって南蛮船建造の経験と反省点を踏まえて、試作段階での試行錯誤中だった。


 なお、なんちゃって南蛮船は、スクリュー船の試作船に転用されて、笹葉によって魔改造が施されつつあった。歯車を安定して回すのに、なかなか苦労しているようだ。




 船の運用方面の話としては、早漕ぎガレー船のリレー形式での厩橋=鎧島の往復便が設定されていた。


 人員の迅速な輸送や緊急連絡のためとの名目なのだが、鎧島周辺の漁師が早朝に採った海産物を運んでくるため、という裏の目的は多くの者達に見透かされていた。


 朝の便は、関宿、大泉で漕ぎ手を替えて、午後早めには厩橋に到着するため、夕食には充分に間に合う状態だった。まあ、魚なら血抜きを済ませれば当日に輸送する必要もないのかもしれないが、気分の問題はある。


 海産物は、早漕ぎでない船便でも続々と運び込まれており、厩橋では海鮮ブームが沸き起こっていた。蕎麦、うどん切りにはエビやイカ、キスの天ぷらが乗せたものが人気を博し、無事に開店した居酒屋の翡翠屋では焼き魚が評判となっていた。刺し身は、初見の客にはやや難易度が高いようだが、ハマってしまえば抜けられないらしく、常連獲得料理となりつつあるらしい。


 なお、翡翠屋は居酒屋と称しつつ、食事処を兼ねる状態となっているようだ。定着していってほしいものだ。




 漁師関連としては、小田原城攻めの際に正木時忠が紹介してくれるとの話だった内房の真珠採り名人に話を聞くことができた。


 アコヤ貝の生態に通じていて、鎧島で育つかと問うたら、普通に棲んでいると返された。そこから、養殖計画を持ちかけてみる。小さく丸く加工した貝殻を、他の貝の肉片でくるんで、真珠のできる部位に傷をつけて埋め込み、成長を待ちたいと話したら、ものすごく興味を示して食いついてきた。


 干潟のような場所を選んで、外海に出ないようにしたいとも話すと、色々とアイデアを出してきたので、一緒にやっていけそうだ。実現できると、非常に大きいのだが、さてどうなるか。




 そして、遠征状態が解除され、人も増えたので家臣団の再編を行う流れとなった。


 指揮役は、上泉秀綱、疋田文五郎、神後宗治、雲林院光秀、上坂英五郎らが挙げられる。


 軍師は、師岡一羽、上泉秀胤、見坂智蔵の三人が中心となり、必要に応じて芦原道真が参加する形になりそうだ。


 内政面は、芦原道真を筆頭に、桐生佐野氏から加入した里見勝広、河越城攻略時にスカウトした大道寺政繁、長野業正の息子である箕輪重朝、藤田氏からの登用組の用土重連と、見習い的に北条一門衆ながら厩橋城で暮らしている藤田氏邦、九鬼一族の嫡流たる九鬼澄隆が加わっている。


 特殊な分野では、鉄砲隊を由良氏から加入した小金井桜花と<鉄砲隊指揮>スキル持ちの弓巫女の美滝、<砲術>スキルを備えたこちらも弓巫女の桔梗に任せる形となりそうだ。



 弓は、澪、凛、栞の古参の弓巫女三人を中心に、精鋭部隊の育成中だった。育成には、千早のスキル<弓術指南>が役立っていて、香取神宮に併設された弓術場で指導が行われていた。


 水軍については、年若い小舞木海彦を年長者の九鬼嘉隆、神後宗治が補佐する形になりそうだ。まあ、二人ともまだ二十代ではあるのだが。


 地域別では、河越城に援軍として駐屯しつつ、秩父方面も担当する部隊には上坂英五郎、疋田文五郎、栞らを配備した。そこには、元々の統治者一族である用土重連も随時顔を出してもらうとしよう。


 金山・大泉、桐生方面は、水軍の関係もあって神後宗治が中心となり、地元出身の小金井桜花、里見勝広にも目配りを頼んでいる。


 碓氷方面は、箕輪城を拠点に雲林院光秀、上泉秀胤に加えて、見坂武郎、見坂智蔵の兄弟も配置している。同時に、守備陣地構築に土木系の面々も参加していた。


 そして、最前線となる鎧島では、小舞木海彦、九鬼嘉隆を中心に、忍者、剣豪陣も交代で詰めるようにしていた。


 守備範囲が広がってしまって、手が足りていないのが正直なところである。かといって、人材面では増強の目処は立っていない。どうしたものか。


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