【永禄四年(1561年)三月中旬~三月下旬】

【永禄四年(1561年)三月中旬】


 軍議の席で、いよいよ小田原攻めの開始が宣言された。新田は、一部で高麗山周辺を警戒しつつの、小田原城東南側の攻囲及び海上警戒を割り振られた。やる気は、正直なところそこそこに留まっている。


 そして、小田原城下を焼き払うとも決せられたので、忍者を派遣して避難を促すことにした。農村とは違って、城下町は領主権力の一部と考えられているようで、軍神殿にもためらいはなかった。まあ、そういった面は確かにあるだろう。


 北条側は、単なる籠城ではなく、出戦してくる場面も見られた。対して、こちらの戦意はまちまちである。数を頼みに押せる状態なのは間違いないが、落城に至るほどかと言われると、微妙なところとなる。




 東南方面の戦況は膠着状態となっていたため、俺はある日、軍師勢を連れて本陣を離れ、石垣山方面へと向かった。


 後に秀吉が小田原攻めをした際に、一夜城を築いたとして知られる場所だが、そこまでいかなくても見晴らしの良い場所は幾つかありそうだ。


 留守番としては、大将格に上泉秀綱がいて、副将が雲林院光秀、参謀に上泉秀胤という布陣となる。


 視察組は、年若の者を中心に軍略、内政組と、見学者的立場の師岡一羽も同行している。体調がよいようで、蜜柑も一緒だった。


 さすがに個々の動きまではわからないが、全体の動きは見渡すことが出来て壮観である。


「しかし……、やはり、本気の攻めではありませぬな」


 そう断じたのは、見坂智蔵で、軍略方面の伸びが著しい一人だった。


「一気に押し潰せる城でもないじゃろうしなあ」


 応じた蜜柑の声に、緊張感はこもっていなかった。そこで、俺は視線を師岡一羽に向けた。


「なあ、師岡殿。先日の立ち合いで<炯眼>の威力は見せてもらったが、軍勢の動きも察知できたりするか?」


 白い▽印が出現したことで判明した、この朗らかな若者のスキル<炯眼>は、視線や筋肉の動きから相手の動作が始まる前に察知し、機先を制するというチート気味のものとなる。それを踏まえても、剣聖殿やその他の手練れは対応が可能なようだが、一般の剣士では相手にならないだろう。


 さすがに軍勢への適用はむずかしいだろうと考えつつ、一応聞いてみた状態だったのだが、塚原卜伝の一の弟子と目される剣豪は、攻め手側の軍勢を指し示した。


「あの二つ引きの旗印の軍勢は、攻めかかるふりで右方に退避しようとしていますな。城側はそれに気づかず、守りを固めているようです」


 二つ引きの里見勢は、前進しそうな勢いを見せつつ、右斜め前方に移動し、防衛態勢を固めていた城側は肩透かしを食らいつつあるようだ。


「ですが、あの奥にいる州浜の旗印の軍勢は、それに気づかず二つ引きと連携して攻撃しようとしています。逆撃を食らうでしょうな」


 やがて小田氏治の軍勢は、守りを固めていた北条勢に攻めかかり、正面からの反撃を受けた。周囲から感嘆の声が上がった。


「すごいな、師岡殿。素晴らしい才能だぞ。こんな大掛かりな戦さばかりではないが、どんな戦闘でも相手の動きを察知できれば、勝率はぐんと高まる。戦術を学べば、采配を振るう才能を大いに発揮するだろう。その有用性が伝われば、どんな大名にも軍師として召し抱えられるぞ」


 興奮する俺の言葉に、めずらしく暗い目で若き剣豪が応じてきた。


「護邦殿は、召し抱えてはくださらんのか」


「いや、でも、切り札になれる能力だぞ。尾張の織田でも、三好や西国の有力大名でも、選びたい放題だって」


「ですが、軍勢を動かす主将の前で、自由に口を開ける状態など、そうはないのではありませんか」


「それはそうかもしれんが、ほら、師匠に紹介状を書いてもらうとか……」


 周囲からきつめの視線が俺に突き刺さっている。なにごとだろうかと首を傾げると、蜜柑が近づいてきた。


「護邦よ。一羽殿に新田に来てほしいのかどうかを伝えるのじゃ」


「そりゃ、もちろん来てほしいって。百人力どころじゃないぞ……」


 蜜柑に睨みつけられ、他の家臣たちからの視線も、より鋭いものになっている。


「あー、師岡殿。民が苦しむこの世界を、一緒に少しでもましな世に作り変えていかないか」


「この命に替えましても」


 膝をついた若き剣豪の手を、腰を落として取る。目の前で白い▽印が赤に塗り替わった。


 新たに加わった軍師候補の初仕事は、軍略系の若者達に、軍勢の企図とその予兆を教え込むことになった。もっとも、感覚的な部分を伝えるのに苦労しているようではあったが。


 そして帰り道、鬼真壁の金棒が唸りを上げている現場を目撃することができた。敵兵の頭を潰しながら、俺に気付いて手を振ってくれるのだから、気のいい人物である。


 鬼真壁に金棒……。いいものを見せてもらった。




【永禄四年(1561年)三月下旬】


 攻囲は続く中で、武田の援軍が甲斐吉田に集結中との報が入った。今川義元死去後の混乱の中にあるはずの今川も、さらなる援兵を準備しているそうだ。


 まあ、小田原城が陥落して北条に滅亡されては、一気にパワーバランスが崩れる上に、三国同盟とは何だったのかとの話になる。無理もなかろう。


 武田と今川を相手にするとなると、話はまるで変わってくる。諸将は一気に浮足立っていた。


 また、千葉胤富が北条方の援軍として登場していた。里見が全力を北条攻めに傾けている中で、船で大回りしてやってきたらしい。香取海の南岸に所領を持つ千葉氏は、里見という共通の敵があるにしても、北条との同盟を一貫して続けており、なかなかに清々しい勢力である。人数は小勢に留まり、突撃してくるわけでもないので戦略的な意味は小さいが、武田、今川の動きと合わせると、不穏さの演出に一役買うことになった。


 同時に、兵糧不足はいよいよ深刻化しつつあった。新田としては、正直儲かっている。


 軍神殿に、武田、今川の来援前に一気に攻め潰すつもりがあるのなら、備蓄している米を放出して価格高騰を鎮静化させるのだが、史実でもこの世界でも、そこまでの覚悟はないようだ。


 となれば、本気で攻める者も少なくなる。まあ、空気を読まずに仕掛ける者もいるにはいるのだが。


 春の訪れと時を合わせて、戦機は去りつつあった。


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