【永禄四年(1561年)三月上旬】その二

【永禄四年(1561年)三月上旬】その二


 翌日には、太田資正の息子たちがやってきた。若武者の方は太田資房で、連れられている少年は梶原政景と表示されている。確か、古河公方の家臣の家に養子に行っていたのが、この動きの中で戻ってきたんだったか。


 縁側お茶会形式でもてなすと、なかなか気さくな兄弟だった。


「岩付太田家は、松山城を確保されて上り調子ですな」


 あえてお飾り城主の扇谷上杉の憲勝については触れずに話を振ってみる。


「確かに、派手な話ではあるのですが……、実はそれがしの妻が北条氏康殿の娘でして」


 北条攻めを主導する勢力の嫡子が北条家と縁組しているとなると、立場が微妙になるのはやむを得なさそうだ。


 彼らの父親である太田資正は、足利義氏の臣下との立場で北条方として活躍していたのだが、越後長尾が関東に入るや真っ先に駆けつけている。そして、松山城を落とすのに功がありながら、旧主の扇谷上杉を再興させる形で、どこかから引っ張ってきた上杉憲勝を城主にするよう求めた。


 扇谷上杉家は山内上杉家と並び立つ家柄で、上杉憲勝を傀儡として発言力を得ようとする動きであるのは間違いなく、野望の強さが感じられる。そして、手回しが良すぎる。さらには、里見義堯と並んで長尾景虎を誘ったうちの一人であるようだ。


 本来なら、恨まれるのが確実な北条を滅ぼすべく全力を尽くすべきだろうに、やや穏健な立場であるのは、古河公方の交代を伴う新秩序が構築されれば、北条も従うはずと考えているのか。だとしたら、時代の動きを感じ取れていないのかもしれない。


 史実では、北条は今回の攻勢で滅ぶことはなく、岩付太田氏は反撃の矢面に立たされる。北条との敵対関係の中で、妻が北条の縁者であることが問題視されたのか、今日来ている兄の方の資房が廃嫡され、弟の梶原政景が世継ぎに指名される流れとなる。そこで、資房が北条に裏切って、松山城を奪うんだったか。まあ、どこを基準点にするかで、裏切りも忠義も変わってくるのだが。


 ただ、現時点の兄弟仲はよいようだ。今のこの時間は、和やかに過ごしてもらうとしよう。


 武蔵在住で地理的に近いためか、この二人には新田による住民慰撫は好感を抱かれているようだ。


 新田姓について聞かれたのでいつもの感じで返し、弟くんの方に問いを投げてみた。


「それで、政景殿の姓の梶原とは、あの梶原景時殿の?」


「そうなのです。名門なのです」


 なんだかうれしそうで、微笑ましい。


「ところで、奥さんの父上は鬼真壁殿だったか?」


「はい、義兄は近くの陣所にいるので、呼んできましょう」


 返事を聞く前に、政景少年は駆け出していった。見送る兄の視線は柔らかなものだった。


「いい子なのです」


「そのようですな」


 それだけに複雑なのかもしれない。




 そして、梶原政景が年少の義兄、真壁氏幹(まかべうじもと)と、その親の初代鬼真壁こと真壁久幹(まかべひさもと)を連れてきた。


 名乗りを交わすと、真壁氏幹は菓子に心惹かれたようで、梶原政景と一緒に夢中になっていた。まあ、強い甘味というだけでも、めずらしいのかもしれない。


 結果として、真壁久幹と太田資房とで言葉を交わす流れとなった。鬼真壁は、正木時忠とはまた違うタイプの、すっきりとしていながら豪傑的風情を漂わす人物だった。


「師匠から文が参りましてな。蜜柑殿についてくわしく書かれていました。こちらには、いらしているのですかな?」


「来ているのですが、身重でして、休ませております。よければ、見舞ってやってもらえれば」


「ほ……、それはめでたいですな。「一之太刀」を伝授された女性の子は、どんな風に育つのでしょう」


「その「一之太刀」伝授も、どうも卜伝殿が妻の懐妊を察して、仕合の相手に指名することで、激しい立ち会いをさせないように配慮していただいたようなのです。師事されている方には、不快な展開だったやもしれませんが」


「なんの、蜜柑殿との交流で、師匠が活性化しているようですからな。むしろありがたいのです。……他に「一之太刀」を伝授されたのは、足利義輝殿と、北畠具教殿です。何と申しますか、門下では自然に会得していく感じでして、殊更に伝授されるものではないのです」


 ある程度以上の剣技を持つ高位武家向けの称号なのかもしれない。まあ、俺には縁はないだろうが。


 それにしても、塚原卜伝……。もう七十代のはずなのだが、元気な人物であるようだ。


「ところで、光秀と一羽がいると聞いておりますが」


 久幹が挙げた名は、雲林院光秀と師岡一羽で、塚原卜伝一門に属す二人である。


「雲林院殿は、家中に加わってくれました。師岡殿は客分の状態で、小田原攻めの観戦をされたいようですな。二人とも上泉秀綱らと近隣の警戒に出ておりますが、おっつけ戻りましょう」


 話を聞いていた太田資房が、首を振りながら感嘆の声を漏らした。


「煌めくような剣豪の方々が家中におられるのですな。うらやましい限りです」


「彼らが頼りになる者たちなのは確かですが、まっとうな武家の方々は来てくださりませんのでな。新田を称しているものの、別に源氏ではないのですが」


「何を仰います。大中黒の新田一つ引きの使用を許すとの勅諚が下りたと聞いておりますが」


 しまった。天覧試合に参加していたのは新田勢だけではないのだった。


「里見殿を刺激しそうですし、その件はあまり公にするつもりはなかったのですが」


「それは、すっかり手遅れのようですぞ。……まあ、反感を抱く者がおられるのは、それだけが理由ではないでしょうが」


「と言いますと?」


「子供らに甘い夢を見せるのは感心しませんな。彼らも修羅の巷で生き抜かねばならぬのです」


「乱取りについての対応ですかな。年代的には、我が身も子供のはずでしょうに。それに、世が修羅の巷であるなら、まともな世に変えるよう努力するのは、大人の務めではござらぬかな?」


「ふ……。その通りですな」


 思わぬ反撃にあったとでも言いたげに笑みを漏らすさまには、余裕が感じられる。


この人物とその息子の真壁氏幹は、小田家の従属国人衆だったのが、小田氏治への代替わり時に離反して結城につくも、この後の史実では佐竹についたり、また小田を通じて北条についたりとしながら、最終的には佐竹に与して所領を守った人物である。


 下手な論戦をするべきではないと判断した俺は、話題を転じさせた。


「ところで、金棒が得物だと聞き及びますが」


「おお、小田原攻めでは存分にご覧いただこう」


「楽しみにさせてもらいます。……もう一点、よろしいですかな。小田氏治殿については、どう見ておられますか?」


 後世では、「常陸の不死鳥」「戦国最弱の武将」と相反する評価をされる人物である。氏治への代替りの頃に離反しているのは、単に年少だったからか、人物に難ありと判断したのか。軍議の席では、かなり攻撃的な人格であるようにも見受けられた。


「そうですな……。菅谷勝貞(すげのやかつさだ)といった忠臣がいるにも関わらず、意見を聞こうともせず、その場の判断で動く人物ですな。破壊力は強いのですが、守勢に回ると弱い。もう少し慎重な人物であれば、小田家の未来も変わったと思われます」


「危地にあった中で復活されたようだが」


「周辺の力関係の結果でもありましょう。北条に滅ぼされかけながら、佐竹殿が危険視された結果、生き長らえたという事情もありましたし」


 この時代、一貫した同盟というのはほぼ存在していない。史実でしばらく後に生まれる織田と徳川の同盟も、勢力差が大きくなりすぎたので、また話は違うだろう。


 まあ、本当に最弱なのは、一瞬で蹴散らされて名も残らない武将なのだろう。俺は、亡き義父に思いを馳せて心の中で手を合わせた。


 上野に思いを飛ばしていると、鬼真壁が言葉を継いだ。


「やはり、家を潰すとなると、避けたがる者が多いのです。つい先日、結城氏も本城を残すのみまで追い込まれましたが、降伏して存続しています。さらにひどい場合でも、縁者を養子として送り込む形になりましょうな。……その点、新田殿は躊躇がないようだ。鬼のようだとの評判もありますぞ」


 そんなに滅ぼした家があっただろうか? 鬼幡氏はしょうがないとして、箕輪長野は変則的にしても血脈としては存続させている。ただ、所領は召し上げてるか。


 厩橋長野氏、和田氏は廃絶状態。由良氏は再起するかもしれないが放逐済みで、桐生佐野から桐生氏になった一族と赤石城主だった那波氏は存続して養蚕に活躍しているが、武士目線では所領召し上げ状態だ。藤田氏は、用土重連が健在だけど、所領は召し上げている。……あれ? 家単位で考えると死屍累々?


「まあ、ほら、上野は山内上杉氏の家臣筋が多くて、累代の国人衆、大名ってわけでもないしな。うん」


「土豪勢も、追放となった者が多いと聞きますが」


「実際は、年貢は徴収するものの家禄は出しているし、出身地への居住も自由だし、むしろ戦いから解放されてのびのびやってる者達も多いと思うんだがなあ。……まあ、武家の名誉を奪ったと言われてしまえば、その通りかな」


「お認めになるのですか?」


 太田資房が驚きの声を発した。真壁久幹の方も、目を瞠っている。


「そういう側面が確かにある。どちらかと言えば、領民目線での統治と言えるだろうな」


「そうですか……」


 鬼真壁が息を吐いたところで、用土重連によって剣豪組が戻ったとの知らせが持ち込まれ、剣豪勢の歓談へとなだれ込んだ。俺は蜜柑の様子を確認しに、陣所へと入っていった。


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