【永禄四年(1561年)三月上旬】その一

【永禄四年(1561年)三月上旬】その一


 さらに進軍すると、小田原城にほど近い高麗山に布陣する旨の指示が発せられた。元時代の平塚の辺りで、小田原までは二里半、十キロ程度の距離となる。


 そこまでも、行軍路は内陸、中央、海沿いに分かれての移動となる。里見勢は、当主の里見義堯、正木時茂らの陸上勢が内陸組に参加し、改めて水軍をまとめる形になった正木時忠が新田と共に動くことになった。


 鎌倉で里見義堯との顔合わせが実現したのだが、だいぶ含むところがありそうだった。まあ、新田を名乗る以上は、源氏としての新田の嫡流を僭称しているとみなされても文句は言えない。新田の庶流の名門だとの意識を持っているなら、岩松氏を臣従させたのも含めて煙たい存在だろう。


 槍大膳と称される正木時茂はいかにもな好人物で、その明朗さは眩しかった。印象は師岡一羽に近いが、より輝きが強いように思える。こちらからは上泉秀綱に同席してもらったのだが、興味は俺よりも剣聖殿の方に向いているようだった。


 二人を送り出したあと、対面の場を作ってくれた正木時忠は、里見義堯の態度を申し訳なさそうにしていた。ただ、顔合わせを済ませているかどうかは大きいので、感謝の念を伝えておいた。


「すまんなあ。義堯殿は、新田氏としての誇りに囚われているようで」


「その割に、旗印は二つ引きなのな」


 白い旗に黒線が二本となる二つ引きは、足利二つ引きと呼ばれ、足利一門とその縁者の象徴となっている。


 一方で、俺が今上から使用を許された大中黒、新田一つ引きとは、白地に太い黒線が一本というデザインだった。新田の嫡流は、南北朝の合戦の中で廃滅した形なので、縁起が悪いと考えられているのかもしれない。新田系の岩松氏にしても、家紋は五三の桐と呼ばれる桐の紋だそうだし。


「それに加えて、確か奥方が長野業正殿の妹御だったような」


「ええ、既に死別しておられますが。その縁で、庶子の一人が長野氏に養子に、娘の一人を業正殿の側妻として送り込んでいまして……」


 どうも、嫡子の長野業盛と新田の臣下となっている箕輪繁朝以外にも養子がいて、俺との戦いで討ち死にしたらしい。側妻の方は、正直なところ把握できていなかった。


「まあ、関東の北西と南東だけに、直接ぶつかることはないだろう」


「それに、水軍勢の多くは新田殿に好感を抱いていますしな。その意味でも、あまり気にされることはないかと」


 水軍勢からの好感が事実だとしたら、岬の姉御との交流や、酒などを贈っている効果が出ているのだろうか。そうあってほしいものだ。




 高麗山に到着すると、陣割通りに南東端の花水川のほとりに陣を構える。船で運んできていた組み立て式の簡易陣屋を持ち込み、そこを拠点にする形としていた。


 元時代では平塚市の辺りとなるが、現状はさほど開けていない。近隣の住民にはあいさつをして、食料や菓子を分け与えた。他家の兵に荒らされないように監視も行うとしよう。


 軍神殿と関東管領殿は近隣の土豪の屋敷を借り受け、本陣としていた。まだこちらに向かっている軍勢もあるようだが、既に諸将が集まって軍議に酒宴にと交流している。


 軍議では、佐竹義昭(さたけよしあき)、宇都宮広綱(うつのみやひろつな)、小田氏治(おだうじはる)、小山高朝(おやまたかとも)・秀綱(ひでつな)、那須資胤(なすすけたね)らの新規参陣勢が威勢のいい発言を繰り返していた。彼らからすると、伊豆、相模からいつの間にか勢力を伸長させ、古河公方の外戚となって権勢を得るまでになった北条は、疎ましい存在なのだろう。この機に潰してしまおうというところか。


 沈着な雰囲気の佐竹義昭に対し、小田氏治は好戦的な面構え通りの言動を重ねている。俺と同年代くらいの宇都宮広綱は、万事において佐竹義昭と協調する姿勢を見せており、なかなかに抜け目がなさそうだ。


 里見義堯の献策は、具体的で攻撃的である。軍神殿が関東に入るまで、滅亡の危機に晒されていたのだから無理もないだろう。


 太田資正は、比較的穏当な言動に終止している。元世界知識を抜きにしても、俺からすれば、境界を接していて、しかも松山城を奪った経緯からして、この機に北条を滅ぼさなければ、反撃の矢面に立たされること必至に思える。この危機感の薄さはなんだろう?


 もしかしたら、古河公方の下での秩序が生きていると考えて、新公方、復活した関東管領の威光には北条も服さざるを得ないはずだとでも考えているのだろうか。


 軍議における俺は、聞かれたことには答えるが、こちらから主張はしないとの考え方で対応している。


 新規参戦組の中から波長の合う相手がいればいいなと期待していたのだが、残念ながら望み薄であるようだった。




 酒宴になると、小田氏治や小山秀綱、那須資胤らが乱取りの成果を楽しげに誇り合っていた。佐竹勢、宇都宮勢も乱取り自体は行っていると聞いているが、同調していない。考え方が違うのだろうか。下卑た話題を、軍神殿は表情を殺して聞いている。


 成田長泰や本庄実忠が同調しているのは、本当なら自分たちも乱取り三昧といきたいところなのに、越後長尾勢に妨げられていると考えているのだろうか。分別の有るべき年齢に思える六十代コンビだけに、余計に厭わしく感じられる。


 一方で、太田資正と佐野昌綱はやや不快そうな表情を浮かべている。坂東武者と言っても、傾向はだいぶ違うようだ。


 意識を外していると、宋襄の仁との言葉が聞こえたしばらく後に、ひときわ大きな笑いが生じていた。説明がないと、宋襄の仁の意味が理解できなかったようだ。まあ、身の程知らずな情けをかけて、そのために不利益を得るというくらいの意味なので、俺の行動を嗤っているのだろう。


 しかし、動員された農民が張り切ってしまうのならまだしも、武家が直接指揮するとなると、意味合いも変わってくる。


 もちろん、相手の勢力を削ぐという意味合いが含まれるのは理解している。ただ……、北条を壊滅させるつもりだとしても、領民に何の罪があろうかと思ってしまう俺は、この時代にまだ適合できていないのかもしれない。適応すべきかどうかはともかく。




 酒宴を中座すると、佐野昌綱も続いてやってきた。


「護邦殿、気分を悪くされたかな。……関東でも北東の、ずっと争いが絶えない地域では、乱取りが日常になっているようでな」


「昌綱殿は、乱取りには慣れておられないのですか?」


「佐野は関東の北端なので、戦さもよその地域ほどにはないんだ」


「乱取りは関東の悪習だとは聞いておりましたが……、以前からそうなのでしょうか」


「さて、どうだろうな。なんにしても、軍議にせよ、酒宴にせよ無理に出ることもなかろう。名代でも出しておかれてはいかがか」


「ご配慮に感謝します。軍議はともかく、酒宴は今後は不参加としようかと。ただ、一度も顔を出さないのもいかがなものかと思いましてな」


「それがよかろう」


 厠へ行って戻るそうなので、礼を述べて別れた。早く新田の陣所に戻って、蜜柑や澪の顔が見たかった。




 翌日、大磯に奴隷市が立ちそうとの話だったので、手を回して全員を即金で買い取ることにした。安い買い物ではなかったが、家中から文句は出なかった。


 連れてこられた人々は、絶望していたり、不安そうだったりと表情はさまざまだったが、俺は全員の解放を宣言した。家族が心配な者はそのまま家に戻ってもいいし、身寄りのない者には新田領で生活再建の手助けをすると約束した。


 家族を連れて移住してくるのも歓迎だとして、大中黒の紋を記した書き付けを渡す。


 三割ほどが新田への移住を即決し、残りは去っていった。村ごとに忍者を数人ずつ付けてみたが、多くの武士と行き逢えば、守り切れるものでもない。そこは、割り切るしかないのだろう。




 小田原攻めは、さらなる参陣があるかもとの話から、すぐに攻めかかるわけではないようだ。そう言っている間に、北条方だった国人衆、勝沼城主の青梅氏が参陣してきた。この勢力は、史実の三田氏の代わりの初期配置モブ豪族なのだろう。元時代の青梅市に青梅氏がいるわけで、わかりやすいような、わかりにくいような。


 時間ができれば、陣所では日常生活が展開される。軍議と酒宴も外交の場なのだろうが、あの空気で何か良いものが生まれるとも思えない。軍議こそ顔を出すようにしていたが、その後の交流は考えないことにしよう。


 陣所で過ごしていると、訪客があった。里見勢に属する正木時忠が、少年たちを連れてやってきたのである。


 正木氏の当主的立場にあるのは、時忠にとっては兄となる、槍大膳こと正木時茂だった。外見としては似てない兄弟である。その息子の信茂は二十歳で、今回も従軍しているが、同行はしてきていない。


 二人の少年は、時忠の子の時通、十三歳と、甥の正木憲時、十二歳だった。どちらも若年ながら元服済みで、水軍の将としても活動中だそうで、ステータス、スキルともそこそこの有望株である。仲良くしておくに越したことはないので、新田風のお茶と菓子を振る舞った。


 差配は用土重連と箕輪繁朝が、調理の方は澪が主導する形で対応してくれている。蜜柑は妊婦なのでなるべく休ませていた。


 正木時忠とは、水軍同士で連携して動いていたこともあって、気安い間柄となりつつある。影響されたのか、正木の少年たちも菓子を口にしながら質問を投げてきた。


「道々の村で食事や菓子を振る舞ったというのは本当ですか?」


「ああ。飢饉で苦しんでいたのでな」


「それは……、奇特なお方ですな」


 時通の反応に、憲時の方が別の見方を示した。


「弓巫女殿がおられるので、無体なことができないのでは?」


「そういう面もあるな」


 どうやら、凛から始まった新田の弓巫女の件は、関東の逆側まで伝わっているようだ。


「ところで、里見陣営での新田の評判はどうだな?」


 俺の質問に、二人の少年は顔を見合わせる。どうやら、口にしづらい状況のようだ。話しやすくなるように、言葉を続けた。


「長野業正殿には、義堯殿の息子が養子に入り、娘が側妻に入っていたようだな。さらには、義堯殿の亡き前妻は、業正殿の妹御だったようだし。そんな縁の深い相手を、攻められたからにせよ、討ち果たしたのでなあ」


 もちろん、全部が血縁関係ではないにしても、やはり怒号おじさんの血縁政策は半端ない。


「それと、新田という名乗りも……」


 憲時の言葉は、全面肯定を示しているようだ。里見家は、新田の庶系でも有力な一族とされている。


 なお、箕輪繁朝の母親は、地元箕輪出身の侍女の娘だったそうだから、里見義堯の娘ではない。その境遇の遺児が家中にいるからと言って、特に風当たりが弱まることもなさそうだ。


 その流れで、澪が狩ってきていた鹿と猪で焼き肉をしていると、興味を示したらしい同世代の少年が訪ねてきた。佐竹家の嫡子、佐竹義重、十三歳である。怜悧そうな佐竹義昭の息子だけに、沈着な風情の人物で、正木の時通、憲時と同じ年頃とは思えない。まあ、俺も二歳しか違わないんだが。


 大名格の家の嫡子がやってきたとあって、正木一族は退散こそしなかったが、やや離れた場所で重連が対応する形となった。俺は、怜悧な表情の少年と肉を手に向き合うことになった。


「なぜ乱取りをしないのです。敵の力は削ぐべきだと考えます」


 問うてきた武家の少年は、まっすぐな視線をこちらに向けていた。


「敵か……。敵は、北条かな?」


「そう把握しています」


「北条には何の罪があるんだったかな」


「罪……ですか。単に攻めているのでは」


「景虎殿と憲政殿が掲げる名分は、北条が古河公方に血縁の義氏殿を擁立し、山内上杉のものである関東管領職を得ていると自称する状態の是正なんだろう。ならば、滅ぼすのか、従わせればいいのか。……少なくとも我が新田は、関東に安寧をもたらすとの大義のために参戦している。民を痛みつける理由にはならない」


「ですが、領民は領主の力の源泉です。領主を攻めるのであれば」


「領民を虐げ、食料を奪い、女を手込めにして、奴隷として売り払って当然、か? 彼らは、たまたま北条の支配地に生まれたに過ぎない。民に罪はない」


 感情的に反発してもいいところのはずだが、佐竹義重は真剣に考え込んでいるようだ。あまり追い詰めるべきではないかもしれない。


「だが、北条に徴用された兵士と戦場で相まみえれば容赦なく殺すだろう。村から集められた兵糧で元気を取り戻した北条の兵が、新田の誰かを殺すかもしれない、というのもわかっている。俺の言行は一貫していないし、自己満足に過ぎない。それでも、ほんのいっときでもこの地の民が安らかに過ごせる日々を確保できれば、意味はあると考えている」


「……神の使いである巫女を騙って、世間を惑わせているとも聞きますが」


「新田の陣中で巫女が弓を使っているのは間違いない。だが、それを神意と捉えるかどうかは、受け手側の判断だろう。神主がなにか言えば、それが神意なわけではあるまいに」


 硬かった表情が、少しだけ緩んだようにも見えた。


「ご当主の身で、他家の若輩の者にこのようなことを問われて、なぜ怒らないのです?」


「自分で確認しようとする態度は尊敬に値すると考えるからだ。遠くでこき下ろしているだけの奴らに比べれば、真摯な態度だと思う」


「そうですか……」


「獣肉はお嫌かな。無理に勧めはしないが、よかったら」


「はい、頂戴します」


 一口かじると、食べる勢いは強くなった。塩をすり込んで焼いたものに、にんにく醤油を添えただけだが、なかなかの味だった。


 この人物は、関東最強の鉄砲隊を組織したとされる人物で、高めのステータスに加え、<鉄砲隊指揮>、<冶金>などのスキルが見える。この怜悧さは戦国の世では浮きそうだが、個人的には好感を持てた。


 佐竹義昭と仲良くできる自信はないが、次の世代でならどうにかできるかも。ぜひそうありたい。

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