【永禄四年(1561年)二月下旬~二月末】

【永禄四年(1561年)二月下旬】


 北関東諸将が河越城に揃い、進軍は再開された。


 新田は、水軍を抱えている関係から、海沿いを任される形となった。里見勢の参陣はもう少しあとになるらしい。


 水軍勢は、新田の元々の水軍に加えて、新規加入の九鬼一族と、勝浦衆からも一部が参加している。


 九鬼の水夫たちは、敗勢にありながらも若い当主を支えた九鬼嘉隆についてきた者達なので、比較的気のいい人物が多いようだ。乱取り的なことは禁止との方針も、あっさりと受け容れられている。


 進路にあった六浦の湊、洲崎の湊は事実上制圧する形となったが、あいさつして友好関係を申し出るまでに留めた。


 史実通りなら、今回の占領地の維持はできず、遅くとも夏には北条の巻き返しが発生する。となれば、今後の交易も見据えて商人の味方として印象づけるのが得策だった。里屋の協力を得て商材を持ち込み、サンプル的に提供していく。


 そして、農村はかなり苦しげな状態だった。ここ数年、関東南部では飢饉気味の状態が続いていたと聞くし、昨秋の実りもいまいちだったようだ。今年も徳政令が出たらしいが、活力のなさは見ていてつらくなってくる。そして、どうやら兵の徴用も行われたようだ。


 進路にある村には、騒がせた詫びだとして炊き出しをしていくことにした。子供達には菓子を渡すとしよう。


 一方で、兵糧があると狙われるかもしれないから、少しだけしか渡せないと話すと、涙を流す者もいた。


 ……それにしても、直轄地がこの状態なのに、里見への攻勢を維持できていた北条家もなかなかの剛腕である。




 水軍勢の拠点も攻め潰しはせず、ひとまず休戦を申し入れるような形で制圧していく。その中には、幾度か鎧島周辺で戦った者たちもいたようだ。


 連合軍の首魁たる長尾景虎への降伏を申し出てきた水軍は、そのまま維持しておくように求めつつ、仲良くしようと酒を送った。


 この段階で支配して北条の反撃によって離反されるよりも、一時だけでも友好関係を築いておく方が、先を見越せば意義深いと思えた。


 そして、里見勢も千葉との戦いに区切りをつけ、参陣の準備を整えつつあるようで、勝浦水軍の束ねとなる正木時忠がやってきたそうだ。訪問したところ、ひげだらけの豪傑的な風貌で、にこやかに迎えてくれた。


 里見の内紛の中で兄の正木時茂と共に力量を発揮して、侵攻でも活躍している人物となる。正木一族は里見の家臣というよりは、従属国人衆、あるいは連携大名的な存在でもあるようだ。


 一方の勝浦水軍は、里見勢が当地を手中に収める前から活動しているのだろうから、海における国人衆、土豪衆のような存在なのかもしれない。


 本隊もやがてやってきて、鎌倉攻略を担当する予定だそうだ。そういうことなら、新田は鎌倉以外の制圧を目指すとしよう。




【永禄四年(1561年)二月末】


 侵攻は、水軍を引き連れている新田が海沿いを、越後長尾勢と早期から従っている成田や本庄、佐野らが中央を、新参の諸将が山沿いを通る割り振りとなった。


 軍神殿の軍勢は整然とした進軍ぶりである。一方の佐竹、宇都宮、小田、小山、那須らの香取海北岸・西岸勢の進路では、乱妨取りのし放題で、既に困窮している村々で修羅場が形成されているそうだ。


 自衛を試みて撫で斬り的な状態に陥る村もあれば、山に退避して難を逃れたところも、越後長尾の進軍範囲に逃げ込んで難を逃れた場合もあったという。


 軍神殿は、要地には乱取り禁止の制札を立てているが、完全禁止はむずかしいとの考えのようだ。北条の地盤を弱めるという意味合いはあるのかもしれない。


 進軍路が隣接していれば関与のしようもあるのだが、さすがに越後長尾勢を挟んでいてはおおっぴらに手出しはできない。せいぜいが忍者を乱取り勢の進軍前に派遣し、注意を促す程度となっていた。


 


 三浦半島から逗子の辺りまでを制圧し、鎌倉に接近したところで進軍を停止する。そして、これまで進んできた土地の集落への配給、炊き出しを手分けして実施した。


 里見は水軍が兵を輸送してきて、鎌倉を攻める手筈だった。手柄を横取りするのはうまくない。


 少し時間が出来たので、その間はひとまず傘下に入った形となる三浦水軍勢との交流を深めるために使うとしよう。情勢はまた変わるだろうが、仲良くできる間は仲良くしたい。


 そんな思いが通じたのか、贈り物をしてくれた勢力があった。薄桃色に艷やかに輝くそれは……、真珠だった。


 関東にもアコヤ貝がいるかどうかなんて把握していなかったので、ついくわしく聞いてしまったのだが、話の途中で懐を探るようで下品だったかなと気恥ずかしくなった。けれど、そう思っているそばから、同席していた正木時忠が内房の真珠採り達人を紹介しようか言い出したもので、食い気味にお願いしてしまった。真珠は、この時代には貴重な産品だし、薬の材料にもなったはずだ。


 里見による鎌倉制圧は、多少の放火や略奪こそ行われたものの、わりと平穏に行われた。新田勢と軍神殿の軍勢が間近に迫っていた影響もあったと思われる。


 河越城に諸将が集まった際には、古河公方を本来の鎌倉に戻し、諸将が集まって統治に参加する計画が示されている。そのため、鎌倉は荒らしたくないとの事情はあるのだろう。


 ただ、古河公方の鎌倉復帰にあたって、北条を滅亡させるのか、屈服させるのかは明示されていない。そして、近衛前久の古河公方就任も、簗田晴助が強硬に反対していると伝わっており、里見氏に匿われていた足利藤氏が古河に向かったのを踏まえて、否定的な空気が漂っている。


 しかし……、簗田晴助と足利藤氏にしても、近衛前久にしても、古河を制する者が古河公方だと考えているようなのだが、こうして関東管領を擁して北条征伐をしているのだから、出てきて総大将として振る舞っていれば、話も変わってくるだろうに。


 個人的に好感を抱いているのは関白殿の方だが、古河公方、あるいは鎌倉公方としてやっていけるかどうかとなると、史実カンニングが無効なだけになんとも言えない。そして、ぽっと出の新田が絡むと反感を買いそうなので、関わらないようにしよう。


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