【永禄四年(1561年)二月中旬】その二

【永禄四年(1561年)二月中旬】その二


 剣豪組の帰還を聞きつけて顔を出した岬に、じゃがいもとトマトへの謝礼として一千貫ずつの支払いを表明した。


「に、二千貫……? いや、待って、その袋に入っている幾つかだよね」


 あまりの驚きように話を聞くと、数十貫程度だと考えていたらしい。


 一文は元時代の貨幣価値でざっと百円相当と考えていい。一貫文は銭千枚なので十万円。一千貫といったら一億円となる。


「いや、城一つでも惜しくないって言ったろ? むしろ少なくて悪いなと思ってたんだが」


「その袋だけで、二千貫文とは思わないって」


 栽培して増やすからこそ、城一つ分ほどの価値があると伝えたつもりだったのだが、完全には理解されていなかったわけか。


「でも、米や金銀の取引で動かしている額を考えれば、そこまで驚く額じゃないだろうに」


「あれは、新田の金を預かって運用してるわけで、うちの利益はその一部じゃん。純粋な利益で二千貫文は、やっぱ大きいって」


「そうか。なら、よかった。甘藷と甜菜があれば、それぞれ千貫文だぞ」


「えー、それなら、耕三たちの店を平戸に移しちゃおうかなあ」


 岬はぶつぶつと思案に入っているが、うれしげで微笑ましい。


 実際には、現状の財政規模ですぐの二千貫、今後の追加で二千貫確保はなかなかに大きな出費である。ただ、この夏以降、食料が戦略物資になると考えれば、さらには上方へのルートを確保していくためにも惜しくはなかった。




 じゃがいもとトマトの栽培は、北条攻めよりも優先度が高い事柄となる。戦況は落ち着いているので、俺は帰還した面々を伴って、早漕ぎガレー船で厩橋へと向か……おうとしたのだが、次の便として、新たな者達が到着した。


 加藤段蔵が連れてきたのは、伊賀、甲賀、雑賀、根来で怪我や加齢で引退を余儀なくされた経験豊富な者達で、家族連れの者も見られた。大歓迎なので、手を取って若手の指導を頼んだところ、どこか面映ゆそうだった。近畿でも、彼らの扱いは軽いのだろうか。


 そして、こちらも待望の九鬼一族も、三艘の船に分かれてやって来ていた。討たれた当主の年少の忘れ形見を、叔父の九鬼嘉隆が補佐するという状況で、すぐにも戦えると張り切っている。越後の龍が北条攻めをするので、その一翼を担ってほしいと誘ったらしい。


 新田の軍法として集落の焼き討ちや略奪は禁止である旨を伝えたところ、それで構わないとのことだった。どうも、伊勢辺りでは水軍としての活動をする者が多く、自衛策も取られていて、そもそも近場での雑な襲撃はそうそう行われないのだそうだ。その点、里見と北条が互いの領地を襲撃しあっている関東の方が異常なのかもしれない。


 その分、充分な報酬を出すと表明したところ、金銭よりも新田酒や林檎酒に興味を持っているようだった。イケる口らしい。


 ともあれ、九鬼勢の主力にも一度厩橋を見せようとのことで、新来の者たちも乗せて早漕ぎガレー船は出立したのだった。


 舳先に立って物珍しげに風景を眺める少年当主の九鬼澄隆は、可愛らしい幼い妹を抱えている。橙色の▽印が浮かんでいるその子は、初音という名だった。


 澄隆少年は、十歳ながら当主ということでステータス画面が開いている。能力値は低め、水軍系スキルが少々というのは、成長の余地が大きいと見るべきだろうか。顔立ちで性格が決まるわけでもなかろうが、利発そうな印象である。


 これまで家中にはいない年齢層だったので、少年組の弟的存在になるかもしれない。史実では、九鬼嘉隆が織田家の家臣となって水軍を束ね、伊勢が制圧された際に所領を回復するも、織田家の水軍大将となった叔父の嘉隆の存在が大きすぎる状態になったようだ。


 まあ、こうして故地から遠く離れたわけで、水軍にこだわる必要もなかろうから、志望を確認した上で今後の方向性を考えていくとしよう。




 道真に南蛮渡来の植物の入手を報告したら喜んでくれたのだが……、金額について伝えたところ、呆然とされてしまった。


 兵糧の売買やらで余裕が出てきていたのは、ざっと把握していたのだが、彼女の中では使途があったらしい。甘藷と甜菜でさらに千貫文ずつ出すかも、と言ったら、目つきが怖くなってきた。


 ただ、じゃがいもは増やしやすく、腹持ちがよく、粉にして保存もしやすい主力作物となりうる芋で、トマトも食事の味わいの方向性を追加できる野菜なのだと意義を説いたら、言葉通りに役立つのならとあっさり納得したので、やはり頭の回転も切り替えも速いようだ。


 甘藷と甜菜についてはあえて触れなかったが、じゃがいもと同等以上に戦略物資となりうる作物なので、おそらくだいじょうぶ……だと思うが、まあ、確保できてから考えるとしよう。


 どちらも大事に育てて、できれば今年の内に本格生産につなげたい。今のうちから温室的な環境を作って、一部ずつでも栽培を試みたい。じゃがいもの方は、種芋でも増やしたいが、それだけでは遺伝的多様性に欠けるので、できれば結実させて種も確保しておきたい。


 念のため半分ほど残して、火を絶やさず温かくした日当たりの良い室内に土を持ち込んで、<栽培>スキル持ちに任せることにした。


 成功すれば、もう一巡り、種、種芋作りをしてから、春から初夏に植え付けすれば、どちらも夏から秋には収穫が期待できそうだ。本格的な栽培は、翌年になるかもしれないが。




 じゃがいもとトマトの栽培の手筈を整えて城に戻ると、新来の忍者組の姿があった。


「よお、対応が後回しになって悪いな。歓迎会でも開こうか」


 親しげに話しかけてみたのだが、代表者的な感じの老忍者がきつい表情で問うてきた。


「この新田では、剣豪らと一緒に忍者が盗賊討伐に出ていると耳にした。本当かな?」


「ああ、忍者をざっくり陰陽の二隊に分けていて、表の忍群は新田の正式な家臣として活動している。忍者の養成と、治安維持が主な任務だな。盗賊の動向を探って討伐するのは、外部勢力対応の訓練にもなると思うんだが……、まずいかな?」


「忍んでいない者を忍者とは言わん」


「それはそうかもしれんが……。伊賀、甲賀、根来、雑賀から熟練者が来てくれていると聞いている。各勢力とも同じ考えなのか? 根来や雑賀は、別に忍んでいるわけじゃなさそうだが」


 応じたのは、別の壮年の人物だった。隻眼隻腕が目を引くが、さほどきつい感じはない。


「だがなあ。仮にも忍者がおおっぴらに活動しているのは、さすがにどうかと思うぞ」


「そういうもんなのかな。……元々は、忍者のなり手がいないから、憧れの職業にしちゃえばいいんじゃないかって発想だったんだ。今じゃ、女剣士の橙袴と並んで、子供達の憧れだぞ」


 俺の言葉に、別の年輩忍者がのんびりした口調で応じた。


「儂らの常識は通じんのかもしれんのぉ。ここでの陽忍は忍者の技を使う捕吏で、我らの考える忍びは陰忍だと考えればよいのではないか?」


「そう理解してもらえると助かる。陽忍の手練れが陰忍を目指す場合もあるだろうし、陰忍の任務が辛くなった熟練者が陽忍として活動してくれてもいいと思っている。そして、手練れの調練はもちろんだが、できれば初心者についても見てやってほしい」


「得心できん。しばらく考えさせてもらおう」


 老忍者は重々しく応じたものの、さほど不機嫌ではないようだ。当初の問題提起をしたこの白髪の人物のステータス画面には伊賀者の蝶四郎と、のんびりした風情の方は甲賀者の鳩蔵と表示されている。


「鉄砲はどうしてるのじゃ?」


 問うてきたのは隻眼隻腕の人物、雑賀衆の惣次郎で、根来衆代表らしい僧体の滝林坊は沈黙を守っていた。


「作ったのと買ったので、鉄砲隊を整備している。まだ実戦投入はしていないが」


「関東で鉄砲を作っているじゃと?」


「見様見真似だが、とりあえず撃てるようにはなってるぞ」


「ほう……」


「まあ、とりあえず案内するよ。まずは軽く蕎麦切りでも食べていくか?」


 そうして、俺はベテラン忍者たちの案内役となったのだった。




 九鬼一族のうち、水軍仕事に向かない者の身の振り方を定め、新来の忍者たちに加藤段蔵と共に相談役的な立ち位置についてもらうと決めると、歓迎会へとなだれ込んだ。


 酒宴に入るとまともな話ができないので、まずは緑茶と大福を食べながらの各方面の顔つなぎを実施した。


 雲林院光秀は築城、治水、街づくりの各現場を視察して、テンションが上っているようだった。ただ、同時に小田原攻めにも興味は強いようで、まずはそちらからとなりそうだ。


 愛洲宗通は、忍群の修行っぷりに感心しつつ、<医術>&<医術指導>スキル持ちの羽衣路の研究室と、辰三の薬草園で話し込んでいたようだ。こちらは、厩橋に残ることになった。


 師岡一羽は当初の話通り、小田原攻めへの同行を表明している。客人のような扱いなのだが、各方面と如才なく交流しているあたり、対人スキルが半端ない感じである。道場を開けば、老若男女が押し寄せそうである。


 忍者たちは熟練者揃いであるようだが、押し付けがましさは見られず、例外なく好人物のようである。まあ、関東くんだりのぽっと出の武家を訪れてみようと思える時点で、悪人ではないのだろうが。


 雑賀の惣次郎は小金井桜花と話し込んでいるし、根来の滝林坊は大福と緑茶に感服しているようだった。


 伊賀の蝶四郎、甲賀の鳩蔵に挟まれた霧隠才助は、なにやら問い詰められているのか、苦しげな表情で応じていた。三日月の姿はなく、静月は滝林坊の近くで緑茶をすすっている。


 そして、蜜柑から旅の話をくわしく聞くと、何やらはらはらしてしまった。今上との対話もそうだが、将軍やその側近たちとの接触も、なかなかに際どいやりとりが含まれていた。長尾景虎と行動を共にしているにしても、謎の新興豪族が勢力を拡大しているのだから、無理もないのだが。


 俺が行っていたら、謀殺されていたかもと思えてくるが、蜜柑は生来の明るさで正面突破してしまったらしい。頼もしい妻君である。


 同行していた上泉秀綱にしても、本人は抜け目がないつもりのようだが、やはりおおらかなところはある。剣呑な問い掛けを天然の返しで切り抜けた場面が何度かあったものと思われた。


 食事会から酒宴へとなだれ込んだので、俺達は失礼させてもらった。久々に三人で寝所に向かうと、蜜柑はちょっとふくれっ面である。


「不在の間、澪とさぞや仲良く過ごしていたのじゃろう」


「いや、仲は良かったが、寝所は別にしていたぞ」


 俺の答えを耳にして、蜜柑が息を呑んだ。


「どうしてじゃ。別れ話でも持ち上がっておるのか」


「いやいや、澪が、蜜柑のいない間は遠慮しようと言いだしてな」


「そうなのか、澪」


「うん。なんかちょっと、よくないような気がして」


「じゃが……、わたしの気持ちはともかくとして、不在の間は側妻である澪が、護邦の隣で寝るべきと思うのじゃ。子供も多い方がいいし」


「あたしはまだ、側妻ってわけじゃ……」


「わたしらを見捨てるのか?」


「そうじゃないけど」


「なら、一緒に寝よう。あ、でも、二人が身体を合わせている間、散歩でもしてようか?」


「いいってば。蜜柑が子を産むまでは、一緒に眠るようにしようよ」


「なら、三人ではその後じゃな」


 何やら物騒な相談がまとまりつつあるようだが、少なくともその晩は澪と二人で蜜柑の腹を撫でさせてもらうに留まったのだった。




 翌日の下りのガレー船……、早漕ぎ洋櫂船には、京へ向かった組と新参組の多くが同乗した。身重の蜜柑にも、適度な運動ならだいじょうぶだからと、押し切られてしまった。


 厩橋に残った主な顔触れは、領内の治安維持の取りまとめとしての疋田文五郎に、年輩忍者たちに早速若手教育をお願いし、愛洲宗通が医術、薬学方面に入り浸る流れになりそう、くらいに留まった。


 そうそう、九鬼澄隆は、妹の初音姫が心配らしく、厩橋で内政方面の手習いをしてみようとの話になった。今回は、年代の近い箕輪重朝、用土重連は小田原に向かうため、道真と里見勝広、大道寺政繁に預ける形となった。


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