【永禄四年(1561年)二月中旬】その一

【永禄四年(1561年)二月中旬】その一


 佐竹義昭、宇都宮広綱、小田氏治、小山高朝・秀綱親子、那須資胤らの新規参加組が江戸城域を通過し、河越城に向かった。本庄繁長の一隊が江戸湊に軍神殿の旗を立てていたこともあってか、特に破綻は生じていない。安堵した頃に、待ち人が帰ってきた。


 鎧島で出迎えると、ややふっくらとした印象の蜜柑が抱きついてきた。うかつにも涙が出そうになったのは内緒である。


 帰りは少し海が荒れたそうで、無事に帰ってきてくれて本当に良かった。菓子をつまみながらのお茶会をしつつ、旅の話を聞かせてもらうことになった。本庄繁長がまだ滞在していたので同席するよう誘ったら、当初は遠慮したものの、興味に負けたようで参加を表明してきた。


 まずは、新田義貞の朝敵解除の件である。


 既に楠木正成が二年前の永禄二年に朝敵から解除されており、その機運はあったらしい。そして、蜜柑からは俺が義貞公とは別系統の、源氏ではない新田らしいとの言上をしたものの、微笑まれて、よいのだ、と応じられたそうだ。なにがどうなっているんだ。


 そう言上した経緯は、護邦の名の由来についてご下問があり、鎌倉最後の将軍だった親王の名を知らなかった父親に名付けられたと説明する流れからだったという。


 源氏の新田認定をされた理由として考えられるのは、岩松氏が臣従しているからだろうか。関白殿からなんらかの口添えが行われた可能性もある。大嘗祭の費用を確保した件は、彼にとっては手柄のはずで、出し手について盛られた報告が行われたのかも。


 いずれにしても、大中黒、一つ引きの旗印の使用を許されたからには、使わにゃならんのか……。里見氏は足利二つ引両だが、それにしてもややこしい話になりそうだ。ひとまず、聞かなかったことにしておこう。


 ちなみに、小田原攻めにあたって我が勢力の旗印は、源氏の白でも平氏の赤でもないという意図と、周辺勢力との見分けの点から黒一色と設定している。……こうなってしまうと、大中黒を意識していたような状態で、やや気恥ずかしい。


 塚原卜伝からの「一之太刀」伝授の話も興味深いのだが、まずは連れてこられた人物を紹介してもらうことにした。




 後代では雲林院松軒(うじいしょうけん)として知られる雲林院光秀は、塚原卜伝の高弟である武芸者なのだが、この時点では二十歳の若者だった。伊勢の武家の出身で、水軍能力も高い。なのだが、陰のある暗い求道者といった印象が強かった。


 なんでも、実母に疎まれて家督は弟が継ぐと決まり、放浪しているところを塚原卜伝に拾われたのだとか。じとっとした口調で聞かされていると、なんだかつらくなってきてしまう。


 師匠は京にもうしばらく滞在した後で、故郷の鹿島に戻る予定だそうで、それならと上泉一門に同行して、新田での仕官を検討しているのだそうだ。その心持ちからか、白い▽印が浮かんでいる。


 武将としての能力も高そうだが、スキル欄に煌めくのは<地形把握>のスキルである。これはうまく使えば、内政面では治水や干拓の方針策定に、軍事面では布陣や罠の設定によさそうである。あるいは、水攻め、城の設計にも有効かもしれない。


「訊いてもいいか? この部屋はどちらかに傾いているかな」


「そちらが高くて、一番低いのはこちらだな」


 暗い口調での返答を受けて、俺は周囲を見回す。怪訝な顔をしている者が多い。


 取り出した筆を、彼が最も高いと言明した角に放ってみた。


 すると、雲林院光秀の指摘どおりの方向に、ころころと転がっていく。


「高い低いは、どうやってわかるんだ?」


「なにを言うておる? 当然だろう」


「この中に、他に傾きがわかる者はいるか?」


 揃って首が振られると、驚いたのはむしろ光秀の方だった。


「そうなのか? わからんのか?」


「ああ、わりと稀少な才能だと思うぞ。……なあ、雨の日に砂で湖や川を作って堤を作ったり、決壊させたりするのは好きか?」


「うっ……、なぜそれをっ」


 心底驚いたような顔をされたが、あれは少年の心を持っていればみんな好きだと思うぞ。


「そんな気がしたんだ。川から水路を作ったり、城の周りに堀を巡らせたり、海に堤防を築いて農地を作ったり、戦場で堤防を決壊させて敵主力を崩壊させたり、してみたくないか?」


「したいですっ」


 暗い顔に、なにやら希望の光が灯ったような表情が浮かんでいる。……この、スキルで本人の志向を見抜いて誘うというのは、箕輪重朝のときもそうだったが、ちょっとずるを使った洗脳めいたところがある。


 澪や神後宗治から冷ややかな視線が飛んできているのを感じるが、気にしないことにしよう。


 統率力が高いので、当面の小田原攻めでは地上通常軍の一隊の指揮を任せたいとの話をすると、仕官が本決まりとなって頭上の▽印が赤く染まった。<地形把握>は、通常の戦闘でも役に立ちそうだ。上泉秀胤を副官に付けるとしよう。


 ところで、光秀と言えば、明智光秀である。この時代には、越前で朝倉氏に仕えつつも冷遇されているはず。歌人としても知られていたらしいから、関白殿に伝手がないか聞いてみよう。招けたら心強い。




 続いて紹介された師岡一羽(もろおかいちは)は、雲林院光秀とは対照的な、爽やかな若者という風情である。神後宗治に近い方向性だが、彼のようには含むところがなさそうだ。


 二十七歳で、頼りがいもある感じなのだが、今後は故郷に帰って道場を開くつもりとのことで、頭上に▽印も見当たらない。今回は、大規模な戦さを間近で見る機会として、兵法の勉強として同行したいそうだ。蜜柑とも仲が良さそうなので、大いに歓迎である。




 最後は、上泉秀綱の師匠の息子、愛洲宗通(あいすむねみち)である。……切れ味鋭い雰囲気の剣豪というよりは、どこか元時代のアスリートのような風情である。こちらも、白い▽印は浮かんでいない。


 早速、剣聖殿から情報があった愛洲薬について聞いてみると、野山を駆け巡って薬草を集めるのが趣味で、亡父の作っていた薬を改良して、様々な効用を持たせることに成功したのだそうだ。


「それはすごいな。機会があったら、ぜひ厩橋に来てくれ。薬草園を作って薬の研究をしているので、助言などもらえれば助かる」


 少し表情が動いたが、やはり硬い印象は拭えていない。


「どうも仕官は窮屈でな。武芸家だった父の名を汚すのがつらいのだが、剣で戦うよりも、野山で自分の動きを高めている方が好きなんだ」


「ほう。於猿や加藤段蔵のような感じかな」


 飛び加藤は紀伊方面を回って別便で帰着予定となっていて、これまで接触はなかったらしい。新田では忍者を召し抱えていて、諜報や盗賊討伐を担当させていると話すと、目が輝いていた。


「於猿―、いるかー?」


「ほーい」


 窓から飛び込んで、くるりと回転して着地した少年忍者の動きを見て、愛洲宗通はがたっと立ち上がった。


「見事な動きじゃ。追い求めていた猿の動きそのままではないか」


「おいらの名が於猿だからかなあ」


「お主は忍者なのか?」


「うん、そういうことになってる。新田忍群の於猿と言えば、おいらのことさ」


「そうか……。なら、この身が猿の動きを極めたら名乗ろうと思っていた猿飛の姓を与えよう」


 愛洲宗通は陰流を猿飛陰流に改めたとされているが、この頃から温めていた語句だったのか。


「いや、与えられても……。まあ、唐沢よりはいいんだけどさ。猿飛於猿はちょっと語呂が悪くないか?」


「確かに……」


 その流れで、たまらず俺は口を出してしまった。


「なら、佐助なんてどうだ?」


「猿飛佐助……? なんか間抜けじゃないかな」


「いや、いいな、それ。お主は今日から猿飛佐助じゃ」


「えー」


 なにやらあっさりと改名が行われてしまった。まあ、いいか。


 唐沢於猿改め猿飛佐助との絡みの間は、愛洲宗通の顔は明るい状態だった。偉大な父を持って、苦労している状態なのだろうか。


「なあ、武芸家の看板を下ろす必要はないが、薬師兼忍者の教官として生きてみないか。別に新田家に仕官しなくても構わんし。なんと言うか……、そのままでいいんだぞ」


 首肯した愛洲宗通の頭上には白い▽印が出現し、すぐに赤く染まったのだった。




 顔合わせが終わったところで、蜜柑が口を押さえて廊下へと駆けていった。


「船酔いか?」


 俺の問いに、周囲は生暖かい反応を見せた。澪ははっきりと苦笑している。


 戻ってきた蜜柑は、気恥ずかしそうな表情で懐妊したようじゃと告げた。


「そうか……」


 胸がいっぱいになってしまった俺は、それしか言えなかった。


 考えてみれば、出立まで間もない時期に身体を合わせたところで、すぐに身重になるわけでもない。腹を撫でると、我が妻はまた気恥ずかしげな表情になった。


 神後宗治と蜜柑の説明によれば、塚原卜伝からの「一之太刀」伝授は、その影響もあったかもとのことだった。事前に稽古をつけた際、本人も気づいていない懐妊を察したらしい剣神が、仕合い相手に蜜柑を指名し、一太刀を受けたところで「見事なり」と奥義伝授を宣言したのだそうだ。その流れで、仕合はうやむやに終わったのだという。


 蜜柑に言わせると亡き爺さまのようだったそうで、微笑ましい交流ぶりから高弟達がやってくる展開が生じたようだ。


 その話の流れから、神後宗治が勝浦党の女頭目と恋仲になった件も暴露された。こちらが、諸々順調には進めつつも華のない展開だった時期に、京では早回しで話が展開していたらしい。なにやら目まぐるしい。




 とりあえず休憩をして長旅の疲れを癒そうと散会したところで、剣聖殿が麻袋を渡してきた。そこには、夢にまで見たじゃがいもと、そしてなんとトマトまでが入っていた。耕三から託されものだという。


 天覧仕合の後、一行は塚原卜伝も誘って堺の料理店を訪れたのだそうだ。著名な剣豪たちの来訪に堺の町衆は色めき立ったそうだ。


 耕三の話によれば、南蛮商人相手の……、というか、単純に風変わりな料理を出す店は競合が少ないらしく、あっさりと話題になったようだ。


 最初は近隣の商人達が物珍しさから立ち寄るようになり、やがて大商人まで常連と化す。その流れから南蛮商館の料理人と仲良くなって、お互いの食材を交換したらしい。第一弾として、彼らにとってはありふれた食材であるじゃがいもが確保されたわけだ。


 商館の料理人は、平戸に来航する商船の厨房担当や修道会の使用人らとの横のつながりがあるらしく、継続的に他の食材も入手できるかも、とのことだった。期待しよう。トマトは、観葉植物的な扱いだった数鉢が獲得された状態で、実だけでなく鉢植えも無事に運ばれてきていた。


 耕三の料理の腕と、侍女の小桃が提供するサービスは、どちらも俺の現代知識が加味されているにしても、上質なものとなっているようだ。


 特に異国人を招待する際には、珍しい食材を確保してくれれば特別待遇とする上に、数カ月後には新しい料理を出す、との案内をしているとのことで、うまいやり方である。そのあたりは、里屋の入れ知恵かもしれないが。


 堺で奮闘する二人を援護するために、料理人と給仕を追加で派遣するのがよさそうだ。その者には、トマトとじゃがいもの料理を仕込もう。手元にあるものは種芋、種として使うために代用品での伝授となるが。


 そして、葡萄酒や林檎酒、ネクターも投入してみよう。今の時期なら、氷の固まりも運べそうだ。


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