【永禄四年(1561年)年始】その一

【永禄四年(1561年)年始】その一


 今年も質素にしようかと思っていたのだが、厩橋城で軍神殿、関白殿下、関東管領殿が年越しするとなると、そういうわけにはいかない。年越し蕎麦からおせちまで、ちょっと頑張ってみた。


 年始向けにとの話が伝わったのか、鎧島出入りの漁師たちが張り切ってくれたようで、伊勢海老やらアワビやらでかい鯛やらも運ばれてきた。


 それら海鮮も使った、元時代風の和洋折衷的なおせちは大好評だったが、軍神殿の酒への依存度が下がってきているようなのもまためでたい。


 こちらも滞在中の綱房丸の体力改善計画には、その線の細さを心配した大福御前も介入してきて、無事な進展ぶりとなっている。


 北条家の若き当主の弟である氏邦だが、厩橋城ではわりと自由に活動する状態で、今回は長尾景虎との間でお茶会に同席する形での非公式な会見も行われた。


 さすがに生臭い話題は避けて、食の好みや厩橋の発展について、といった話題に限定してみたが、意味はあっただろうか。


 藤田氏邦、大福夫妻と佐野綱房丸に、家中の箕輪重朝、見坂武郎、智蔵兄弟と岩松清純、親純、用土重連、それに医術担当の羽衣路といったあたりは、同年代で仲良く過ごしていた。特に、病弱系の岩松清純と佐野綱房丸は、皆に大切に扱われていたようだ。


 この中では、武郎だけが武に偏ったタイプだが、粗野な人格ではないため、混ざっても問題はないらしい。体に負担にならない程度の剣技の鍛錬について講習会を開いたりもしていた。


 越後長尾勢の主力は、斎藤朝信が預かる河越城で過ごしており、別の一隊は関宿に駐屯している。本庄繁長は、関宿組となっていた。




 香取神社では、俵を的にした遠矢が行われた。越後長尾と新田の弓自慢が腕を競ったが、やはり弓巫女の、特に澪ら三人の腕前は凄まじく、見物客から歓声を浴びせられていた。


 鹿島神社では奉納仕合が行われた。剣聖殿が不在なので、どうしたものかと思ったら、軍神殿に挑まれてしまった。


 奉納という名目なので、勝敗は付けずに一勝一敗とする形となる。だが、緒戦はあっさりと押し込まれたし、勝ちを分け合うための二戦目も、物凄い圧迫感に押し返されそうになった。剣聖殿とはまた違う凄みで、体感からすると、この世界にやってきて最初に出会った熊の数体分くらいはありそうだ。


 両神社への奉納の後には酒宴も行われ、新田酒も振る舞われた。一方で、ぶどう酒、りんご酒、ネクターも提供している。人気ぶりから、増産に勢いがつきそうだった。




 正月の数日間こそ治安維持組を除いて一斉休業としたものの、年末を挟んでも政務は止まらない。そして、正月早々に新田学校が開設された。


 これまで、孤児や集合教育組から内政要員として登用された者達は、それぞれの職場にて実地で仕事を教わるのが基本だった。だが、半年ごとに繰り返すのも非効率で、また知識量に差が大きいため、最大公約数的な内容を伝授しようというのが一つ。こちらは、元時代での高校といったところで、道真を補佐する内政要員の早期育成が当面の目標となる。


 もう一つは、最前線の研究を含めた高度な教育期間で、大学から大学院といったイメージになりそうだ。


 後者のジャンルとしては、初手では医学、薬学、兵法、農学、土木、建築などで、家中の第一人者が、若手や志願者に教える形が想定された。


 必ずしも新田に仕える必要はなく、入学の選考はするものの、外部からも受け容れると決めた。同時に、僧籍に入る形も取らないと定めている。


 なんとなく足利学校に対抗するような形になってしまうが、必要に迫られてとの意味合いが強い。足利学校の心意気は買うべきなので、別途支援していくことにした。


 神社に続いて、新田学校の表札も関白殿に書いてもらうことができた。しかも、書の特別講義も行われ、箕輪重朝が感激に震えていた。


 兵法での、軍神殿による特別講義は会場が埋まってしまって、二度に分けて行われた。上泉秀胤、見坂智蔵らの参謀組ももちろんだが、猪突タイプを除く武将達もこぞって参加し、藤田氏邦や用土重連ら年若組も含めて目を輝かせていた。




 そんな中で、桐生氏と那波氏を招いたお茶会が開催された。軍神殿、関白殿下を呼んで、生糸、絹織物の取り組みを紹介し、上州生糸、上州絹織物を知ってもらおうとの試みである。この時代、絹も生糸も、特に高級品は明からの輸入に頼っており、絹織物の産地も明からの生糸を原料に絹織物を織っていたので、置き換えられれば幾重にも大きいのだった。


 二人には香木を入れた香り袋を贈呈し、来年以降も絹織物を贈るから成長を見守ってほしいと頼んだ。桐生氏、那波氏の当主と職人達は、それぞれ神妙な面持ちだった。


 お茶会を終えた軍神殿は、苦笑しながらやってきた。


「上野に入る前は、城を次々と落としている新田とはどんな悪鬼羅刹かと思っていたが、箕輪繁朝殿も、桐生氏や那波氏にしても、よい関係を築いているようだな」


 まさか、越後の龍にそんな風に思われていたとは。


「殺した者も、放逐した者もおりますので、過分の評価だと思いますが」


「なにも、菩薩のようだとまでは言っておらんぞ」


 より詳しく聞くと、皆殺しではない点を評価しているそうだ。評価基準が低すぎるって。




 軍神殿との話が終わるのを待っていたようで、桐生家の当主、政光が声をかけてきた。


「身が引き締まる思いでした。よい職人を送り込んでいただいておりますし、一層励みます」


 若手の希望者は、彼らの工房に斡旋していた。産業振興に結びつく場合においては、独占も構わないと考えている。今回の貴人の紹介は、目先の儲けに満足させないための方策でもあった。


 養蚕や織物の元世界知識があればよいのだけれど、残念ながらそちらには明るくない。笹葉に助言はしてもらうにせよ、基本的には自力で改良していってもらう形となる。


「お呼び止めしたのは、この里見勝広についてです。ぜひ、ご家中にお加えいただきたく」


 連れられていたのは、かつての桐生佐野氏の降伏交渉の際に、あちらの窓口になっていた人物である。


「それは大歓迎だが……、よいのか? 養蚕事業の拡大には、必要な人材だろうに」


「平和が保たれてこその養蚕ですからな。まずは、新田のご家中を強化されるべきかと」


 その言葉は大げさなものではなく、実は内政能力A、外交もB+の垂涎の人材だったのだ。


「勝広殿、よいのか?」


「はっ、人数にお加えくだされ」


 純粋な内政能力ももちろんだが、内政方面の人材が軒並み若手揃いなので、大人の武家の常識を持っているこの人物は貴重な存在となりそうだ。道真と相性がいいのは、養蚕事業に絡む折衝で確認済みである。


 里見姓について話を聞くと、父親が里見の傍流で、家を飛び出てきたらしい。


 名前についての質問をしたためか、新田と護邦の取り合わせについて問われる流れとなった。これで三人目だが、やはり新田義貞と最後の宮将軍、守邦親王の因縁を知っていると気になるものなのだろう。


 この加入によって、内政、軍略全般を芦原道真が束ね、内政補佐として里見勝広、箕輪繁朝、大道寺政繁を置き、軍略補佐に上泉秀胤、見坂智蔵が立つという態勢が固まった。軍略系の二人は、内政面も見ていく形になりそうだ。


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