【永禄三年(1560年)十二月】
【永禄三年(1560年)十二月】
北条はいったん退いたようで、正月を目処に古河へ進軍する計画が進んでいる。河越城から館林城へと移動した連合軍には、佐野氏、岩付太田氏、成田氏、本庄氏も参加している。
俺はずっと詰めているわけではなく、たまにやってきて軍議に参加する、との状態を許されていた。
その日の議題は、関宿城の攻略についてだった。古河公方である足利義氏の御在所とされているが、義氏は古河に常駐していて、北条側の代官が守っている状態となっている。
現状は、その攻略を押しつけ合っている状態なのだった。戦意は旺盛なようで、そうでもないようだ。
「そういうことなら、今日明日にも落としてこようか?」
「もう連日、この件で頭を悩ませているんだ。できるものならやってくれ」
成田長泰がやや嘲笑うように応じ、諸将が苦笑した。カチンと来た俺は、用土重連に小声で指示を発し、軍議の席を離れた。
かつて新田が落とした館林城だが、長尾景虎に上納したような形となり、一族の足利長尾氏の長尾當長に与えられている。足利長尾氏は、関東管領だった山内上杉氏の家宰を務めた家柄で、古河公方側とのつながりもあり、緩衝材的な立場ともなっている。
足利長尾の一族は、さほど武力に長けていないこともあってか、白井長尾家と同様に領地近くの防衛を任され、攻勢には参加していない。そのためか、この日の軍議にも姿はなかった。
長尾當長の妻は、俺が滅ぼす形になった赤井氏の出身なのだが、落城時の城主だった照勝とは疎遠だったらしく、向けられてくる敵意もそこそこのレベルに留まっている。ただ、一族が足利に逃げ込んでいるとの情報もある。
あまり居心地はよくないなと思いつつも、この段階で館林を離れるわけにはいかない。どうしたものかと思っていると、知った顔が見えた。先日お茶会を共にした、佐野昌綱の息子、綱房丸である。
「これは綱房丸殿。河越におられるものと思っていたが」
「護邦様、その節はご親切なお引き回しをありがとうございました。景虎様に、近習のような形で付くように言われまして、行く先々に従っております」
相変わらず、たおやかな美少年といった風情である。近習から景虎の養子となって、佐野氏との関係悪化後に跡継ぎとして送り込まれるルートに入っているのだろうか。
ただ、できればこの世界では、軍神殿と佐野氏の対立状態は作りたくないものだ。
「軍議の間は待機状態かな? それではお茶でも致そうか。今日は和菓子で緑茶などいかがだろうか」
「ですが、待機を……」
「なぁに、軍議の間、様子がわかるところで過ごす分にはかまわんだろう。他の近習の方々も招いてしまおうか」
「確かに景虎様は護邦様には気安いご様子ですし、問題なさそうです」
気安さが、一転して宿敵の間柄に変わる瞬間が来なければいいのだけれど。
準備ができるまで話を聞いていたところ、そもそも庶出である上、病弱な体質が治らないところに、正妻から男の子が生まれたものだから、どこかに養子をとの話が出ていたらしい。
優しげな気質であるから、戦国の武家の当主には向かないかもしれない。聞けば、白米を腹いっぱい食べた上で、剣の修練によって身体を鍛えようとしているらしい。
そこで、まずは体力を維持するため、運動は散歩程度に控えて、様々な品目を採り入れた食事を摂取するよう勧めてみた。
「白米こそ、力の源だと聞いておりますが」
「ここでの常識と、神隠し前の常識がずれていて戸惑うことが多いんだが、それではより疲れやすい体になりそうに思えるぞ。米も大事だが、野菜や果物の類、それに肉か、肉が嫌なら豆を摂ると良いと思うぞ」
「そうなのですか……」
「今晩はこちらに滞在することになろうから、新田風の食事を用意しよう。景虎殿も誘っておいてくれれば」
「承知しました」
さらに雑談を重ねている間に、お茶会の準備は整ったようだ。景虎の近習として、以前に顔合わせをした河田長親に加えて、鯵坂長実(あじさかながざね)、吉江資堅(よしえすけかた)が参加した。用土重連が顔見知りのようなのは、当主同士の接触が多いためだろうか。
そう考えれば、重連には内向きの人材同士で交流を深めさせた方がよいのかもしれない。順境の際には役立つだろうし、どちらかが相手を打倒した場合にも、そういったつながりで命を拾う展開も考えられる。
ともあれ、景虎殿の近習勢を招いたお茶会は、菓子の力もあって、軍神殿の話題で盛り上がった。酒量が多少は減っているとのことで、感謝の言葉も頂戴した。身近で接する彼らからすると、意義深かったようだ。
この三人は、かつての上洛時、坂本に滞在中の軍神殿に見出されたそうだ。美形でいかにもな秀才然とした河田長親、どこかお調子者感が漂う人好きのしそうな鯵坂長実と、その二人を優しい目で見ている年長者の吉江資堅……、といっても、十八の二人に対して、二十三と五歳年長なだけだが、ともかくいいトリオであるようだった。その関係性の中では、佐野綱房丸はいい弟分になっていそうだ。
夕方、軍議の席に戻ると、まだ話は続いていた。
「関宿は落としましたぞ」
「なんだと……」
絶句した成田長泰は無視して、水軍と剣豪隊を動員して一気に仕掛けた旨を説明する。剣聖と高弟が不在の状態でも、剣豪隊は新田の切り札であり続けている。
まあ、実際には、新里屋の店に潜んでいた忍者が城を襲ったのも大きかったようだが、そこを説明する必要はないだろう。
「では、関宿は新田殿に……?」
冷ややかな印象のある本庄実忠も、いつになく動揺している様子である。この感じからして、誰が攻略するかと議論していたのは、大変だからと押しつけ合うと同時に、利根川水運を握る関宿城を誰が獲得するのか、との話だったようだ。
「どうせ、いずれ簗田晴助殿にお返しする形になりましょう。それまでは、景虎殿が管理されてはいかがかな」
水運を握る関宿城は、獲得できればそれに越したことはない。だが、要地である古河の入り口的な立地でもある関宿は、北条やその他の勢力に狙われ続けるだろう。正直なところ、現時点では確保したくない。その点では、この館林城にも似た状態だった。
ともあれ、話は古河進軍の日取りについて転がった。正月に入ってからで、日取りはまた通知するとの話でまとまり、綱房丸との夕餉会は、軍神殿と佐野昌綱も参加する運びとなったのだった。
関宿陥落の翌日、柿崎景家が深刻そうな表情で訪ねてくるからなにかと思ったら、戦わせてほしいと懇願されてしまった。いや、そこは軍神殿と相談してくれ。
関宿攻略でいよいよ出番だと思ったところが、新田勢に制圧されてしまって、当てが外れた状態らしい。
越後長尾勢は、関東に来たはいいものの、ほとんど戦闘には参加していない。攻略したのは、岩付太田氏が中心となった松山城と、新田の鉢形城、天神山城と河越城に、昨日の関宿城のみとなっている。どれも、攻略というよりは調略に近い状態だが。
近習勢は忙しそうだが、武辺方面の武将たちは発散できなくて困っているのかもしれない。ただ、この柿崎景家は名家の出身で、政事、外交向きのことにも強いはずなのだが……。
河越城での滞陣で顔を合わせた折りにも気取らずに、俺はもちろん、用土重連などにも気さくに話しかけていた。冷静さが際立つ斎藤朝信とだと、この明るさはいいコンビなのかもしれない。
小田原に到達するまで本格的な戦いはないかもと告げたら、情けなさそうに慨嘆されてしまった。その小田原攻めでも、史実では正面決戦はないわけだが、実際は異なるかもしれないし、黙っておくとしよう。
どうにかならないかと言われても、軍神殿はやはり、城を攻略して回る感じではなさそうだ。そこは俺が意見してどうなるものでもないだろう。
持ち込んでいた保存食の試食などしながら雑談していたら、柿崎景家は気が紛れたようで上機嫌で帰っていった。なんなんだ。
出立の準備をしていると、柿崎景家と面会した話が伝わったのか、続いて長尾藤景から来訪の打診があった。いきなり訪れてこないあたり、やはり理性的であるようだ。いや、押しかけてくる柿崎景家がおかしいのか。不思議な可愛らしさがあるからいいのだけれど。
茶会用の部屋に入って、お茶の準備を待っていると、遠回しな話法で、いずれは河越城を返還させるつもりなのかと問うてきた。どうやら、俺が軍神殿を利用していると考えているようだ。
「河越城を越後長尾勢で確保してもらう際に、返還の話を持ち出したのは確かです。けれど、それは、そうでも言わなければ軍神殿が受け取らぬのではないかと考えたからでしてな。どうも、関東で所領を得るのを避けておられるようにも見えまして」
と、藤景は我が意を得たりとばかりに膝を打った。
「そうなのですっ。殿は、頼まれればどこにでもほいほいと出ていくのですが、所領を切り取るのを悪だと考えておられるようで、利用されてばかりなのです。我らが血を流しても、それが長尾家の益にならないのでは意味がない。それがしは、そう思うのです」
理知的そうな人物がこうまで興奮してしまうほど、腹に据えかねるものがあったのだろう。
この人物は、現状では軍神殿の重臣なのだが、やがて遠ざけられ、謀殺されてしまう。その理由は、川中島合戦の戦術批判だったとされていた。
ただ、今日の興奮ぶりを見ると、もしかすると求められるままに軍を派遣する主君に批判的で、そのために遠ざけられたのかもしれない。
実際、軍神殿の十年ほどに及ぶ関東進出の後期には、救援を求められて三国峠を越えたはいいものの、依頼側が特に連携もせず、といった事態もあったようだ。呼べば出てくる都合の良い援軍で、不要になれば放置すればいい、とでも思われていたのかもしれない。
まあ、それも幾度も越後勢と北条方を行き来する勢力をそのまま許す、軍神殿の性向が招いた事態かもしれない。本人に自覚なり迷いなりがあったのならば、諫言がより耳に痛かった可能性もある。特に同族からとなると、感情的に傾きかねない。
「河越城は、斎藤朝信殿が治めることで、しばらく一定の収穫が確保できるでしょう。できれば、関宿も押さえて、水運からの上がりを軍神殿の懐に収めてほしいのですが、元は古河公方の重臣、簗田晴助殿の根拠地ですので……」
「古河が無事に開城すれば、返されてしまうでしょうな」
やはり、この人物は話が通じそうだ。軍神殿にとっては、頼りにすべき人物に思える。ただ、別系統とは言え同じ長尾なだけに、直言には別の意味が出てしまいそうだ。
「我が新田としては、軍神殿に安定的に関東に関与していただくためには、一定の見返りがあるべきだと考えます。河越城統治はよいとして、他になにかございませんかな。食料供給について、値下げするのはむずかしく……」
「いや、食料は、よくしていただいています。商人から買い集めると考えたら、ぞっとしますからな」
「かといって、資金提供を受けてもらえるとは思えませぬ。……三国峠を越えた商いを活性化させるとかはいかがだろうか」
「税収は増えるでしょうが、よろしいのですかな」
「それでも利益になるものを、見繕うとしましょう。その旨を、他の皆様にも打診していただけると助かりますが」
「承知しました。なに、新田酒や果実酒を多少分けていただければ、彼らは収まりましょう」
「今回参陣のみなさまには、優先してお送りするとします。関東鎮撫のご助力への御礼として、という形でいかがか」
「よいですな。殿に贈られて、その流れで家臣達にもとなれば、角も立ちますまい」
河田長親の明晰な感じとはまた違う、打てば響く感じが心地よい。俺は、もう一歩踏み込んでみることにした。
「ただ……、軍神殿にあまり直言されますと、反発される場面もあるかもしれません。我が新田も、なるべく越後勢の負担が少なくなるように努めますので、どうか控えめにお願いできれば」
「同族として、この身が諫言するしかないと思っておりましたが……、確かに同族だけに反発をする心の動きはありそうですな。心します」
そうは言っても、先程の興奮ぶりからすると、自制はむずかしいかもしれない。それこそ、河田長親にでも相談してみるとしようか。
軍神殿と長尾藤景の関係性についての相談よりも前に河田長親に頼んだのは、本庄繁長(ほんじょうしげなが)と会う機会を設けてほしい件だった。
本庄繁長は、揚北衆と呼ばれる越後北部の国人衆で、いずれ「本庄繁長の乱」と呼ばれる事態を引き起こす人物である。その理由は、先程の長尾藤景を謀殺したのにその見返りがなかったからだとか、そもそも謀殺させたのは同じく川中島合戦の戦術を批判したから、疎ましい同士を噛み合せたのだとか、いろいろと言われている。
いずれにしても、先程の好漢、長尾藤景が軍神殿に疎んじられ、処断されたのは間違いなさそうだ。
本庄繁長は、乱を起こしたものの許され、軍神殿の死後には上杉家のために働きが目立つ人物である。知勇に優れているらしいが、さて、どんな人物だろう。なお、初期の景虎の重臣、本庄実乃とは同姓だが、だいぶ遠い一族であるようだ。
「ご用と聞いて罷り越しましたが、なにかご無礼などございましたか」
涼やかな目元の好青年が、やや心配げな表情を浮かべている。
「いや、これは用件も伝えずに失礼致した。繁長殿の武勇の噂を耳にして、ぜひ交誼を結ばせていただきたいと考えたまでです。本庄城は、海に面した土地と聞いております。新田もいずれ、水運に関わりたいと考えておりますので、様子なども聞かせていただければ」
「それは、お耳汚しで失礼致した」
「甘いものはお好きかな? それとも酒がよろしいか」
「紅茶と緑茶の噂は聞き及んでいます。差し支えなければ、どちらかを賞味させていただきます」
「どちらも用意しましょう。それぞれに合う茶菓も。……同席をされたい当家の者などおりますかな? あるいは、ご同輩をお招きするのでも」
「可能でしたら、護邦殿と一対一でお願いできれば」
「それはぜひ。少々お待ち下さい」
用土重連を招き寄せて、茶の用意をするようにと求めたところ、既に準備中との答えが返ってきた。有能すぎて怖い。
そして、この本庄繁長のステータスの数値も怖い。越後長尾勢は、当主の景虎は別としても、多くの武将の武力がAからBマイナスあたりなのだが、この人物はまだ二十歳だというのにSマイナスである。
史実の反乱の際には、軍神殿の主力が攻めかけても寡兵で凌いだそうだし、活躍の場が少なかっただけで、綺羅星のような武将の一人である。引き抜きはしたくないが、交誼を結んでおいて損はなさそうだ。そして、できれば、反乱が起こらないように誘導したい。
本庄城があるのは、現代での村上市で塩引き鮭で有名である。その話題を振ったら、うれしそうに語りだしてくれた。一方で甘いものにも目が無いようで、大福、クレープを堪能してくれた。氷までは持ってきていなかったので、クレープにアイスは盛られていなかったが、それでも満足してくれたようだ。
お近づきの印にと緑茶、紅茶の製法を伝えた上で、ぜひ領地で作って名産にしてくれと求めたら驚愕されてしまった。本庄は茶どころらしい。
収益の半分を、などといい出すから、見返りとして塩引き鮭を少量融通して欲しいと伝えたら、困惑した様子である。
まあ、あまり優遇しすぎても、話がおかしくなりかねない。今度は、誰かを誘ってきてくれと求めて、その日の交流は打ち切ることにした。
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