【永禄三年(1560年)十月中旬~十一月中旬】

【永禄三年(1560年)十月中旬】


 河越城と鎧島、碓氷峠方面にも顔を出しながら、厩橋で諸々の決済をこなす日々が続いていた。


 蜜柑と上泉一門が抜けると、新田家に名のある武将は一人もいなくなる。常備兵は育ってくれているが、現状で無理に戦場に投入する必要はない。しばらくは黒子に徹しつつ、各所の開墾や土木工事に投入するとしよう。


 利根川から北の足利、館林ライン以西は当面は安全圏になっているので、大谷休泊とも相談の上、用水路の掘削、防風林の設置からの開墾を推し進めようとしている。そこに、越後長尾勢向けに臨時陣屋を用意した経験を活かした長屋群を設置してしまえば、居住の準備は完了である。


 耕作地が整えば、既存の農村の次男、三男らの移住や、流民、孤児からの定住希望者を送り込む形となった。


 そして、既存の町では、産業育成にも力が注がれている。葡萄酒向けのブドウを始めとする果樹、茶の木、蚕の餌としての桑の木、油を取るための椿なども植えて、各地で特産物を作ろうともしていた。


 そんな中で木綿の綿の収穫が済み、これまで苧麻を扱っていた職人が狂喜しているとの話が出た。麻と比べて、効率が格段に上がるらしい。服にもいいし、布団の高度化にも利用できるわけで、積極的に栽培していくとしよう。


 道真は厩橋を拠点に引き続き大車輪の活躍を見せ、箕輪繁朝や用土重連、大道寺政繁らも領内を駆け回っている。さらには軍略系の上泉秀胤、見坂智蔵も応援に入っていた。


 怒涛の事務処理の中で、若手は経験を積み、登用されたばかりの集合教育出身組までもが実務に投入されていた。その中から、エース級が現れてくれるとよいのだけれど。


 藤田氏邦も、内政方面の見学に留まるはずが、いつの間にか行政組に取り込まれて手伝い仕事をさせられているようだ。まあ、そこは道真に任せるとしよう。


 大福御前は菓子作りに目覚めたようで、特に和菓子の開発に励んでいた。食べるのは好きだったが、作るまでは経験がなかったので、とても助かる状態である。せめてと、元時代の菓子を参考にしたアイデア出しに協力したところ、結果として、<製菓>スキル持ちの拓郎が大忙しとなった。


 そうそう、拓郎には最近、助手的な存在ができたらしい。孤児院の世話係だった那波家の娘が、おやつ作りの腕を見込まれて転じてきたらしい。▽印は出ていないので確認はできていないが、隠れ<製菓>スキル持ちなのかもしれない。なんにしても、生きる道を見つけたようなのはなによりである。


 また、俺が厩橋に滞在していると、羽衣路と岩松清純が隙を見つけて、医術について聞き取りにやってくる。元時代では単なる歴史ゲーム好き中学生だった俺が、医学の網羅的な知識など持っているはずもなく、断片的な健康法や病気の知識、免疫機構の概略なんかを伝えるのみなのだが、二人して受け止めて噛み砕いているようだ。


 医書から項目を挙げて意見を問われる場面も多かったが、即答できることばかりでもない。抜き打ちテストが多発しているようでやや苦痛なのだが、意義はもちろん理解している。俺としても、出先で思いついたことは書き留めるのが習慣になってきた。



 ここまでの全般的な情勢を北条側から見ると、佐野氏こそ離反したものの、千葉家、結城家、小田家、小山家あたりは従える形となっていて、宇都宮、佐竹は去就不明となっている。


 そうであるなら、軍神殿も各個撃破を目指せばいいのにと思うんだが、収穫期というのもあってか、わりとゆったりした進展となっている。もちろん、使者を送っての多数派工作は継続しているようだ。外交、調略でことが済めば、もちろんその方がよいのだけれど。



【永禄三年(1560年)十一月上旬】


 利根川を下って鎧島城へと向かうと、河岸の紅葉が映えていた。塩田が試験稼働を始めたと聞き、検分に向かっているのだった。


 最初の塩田は、二段の坂を作って、上方から海水を流す形態だった。汲み上げは螺旋羽根車を回すアルキメディアン・スクリューを使って人力で行い、流れてきたものをまた流し、という作業となる。


 下方に流れてきた塩水を舐めてみると、だいぶ塩辛かった。どこまで塩分濃度を高めればよいのかは、不明なのだが。


 そして、できあがった第一弾の塩があるというので、こちらも舐めさせてもらうと、ややきつめの苦味があった。どうやら、にがり成分も混ざってしまったようだ。


 確か、塩化ナトリウムが先に結晶化して、残った液が塩化マグネシウム、所謂にがりである。その旨の説明はしていたのだが、俺も理解が万全ではない。ちょうど乾燥中の濃縮海水があったので、分離を試してもらうことにした。このあたりは、<冶金>スキル持ちの小三太に見てもらうといいかもしれない。呼び寄せてみるとしよう。


 にがりは肥料として期待されている。さらに、マグネシウムとして取り出せれば、合金の材料になるんだったか。まあ、今後の動きを見て考えるとしよう。


 仕上げの工程は改善の余地があるにしても、塩田の構造としては完成された状態に思える。ただ、笹葉はこの塩田ではまだまだ満足していないようで、海からの引き込みや、流れ方に改良を加えた第二、第三の塩田が工事中だった。


 そして、島の周囲には一部に石垣も使った壁が巡らされ、仮設だった櫓もしっかりとした作りとなっている。バリスタに鉄砲、硫黄を使った火矢の準備も行われていて、海上要塞としての機能を持ちつつあった。


 商船守護も順調で、新田の船を含めた物資の積み下ろしも行われている。


 短期間で形にしてくれた笹葉や黒鍬衆には深く感謝している。黒鍬衆には、一段落ついた時点で臨時報酬の支給と厩橋での休暇を設定することにしていた。まあ、休暇明けには、別働隊が進めている平井城跡を活かした築城、鉢形城の改築、碓氷峠方面の強化に、治水工事や街づくりなど、激務が盛りだくさんとはなりそうなのだが。


 笹葉もねぎらおうとしたのだが、目をギラつかせて、質問を持ち出された。


「ねえ、螺旋ぽんぷなんだけど、あれで水を動かせるでしょ? 船に付けたらどうなるかな」


 スクリュー船ということになるのだろうが、蒸気機関はさすがにまだ無理がある。スクリューは外輪船を効率化する試みから生まれたはず。人力では……、動かないか? いや、規模によりそうだ。元時代の史実では、蒸気機関が先だったけど、分けて考えれば人力で動かすスクリューはありうる。


「その場合は、矢羽みたいに三本の羽根にした、スクリューの方が推進力は出るはずだ。試してみてくれるか」


「そうなんだ。そのすくりゅーはどう回す? さすがに手でぐるぐる回すわけにはいかないわよね」


「小舟ならそれでも動くかも。実際には、長い棒の先にスクリューをつけて、棒を回転させる形だろうな」


「別の軸の回転を、歯車ですくりゅーの軸に伝えればいいのよね。船上の軸を回すのは、がれー船なら漕ぎ手が漕ぎながら? その軸に力を伝える歯車を、腕力で回す?」


「腕は櫂を漕ぐのに使ってるだろう。ペダルを足で回転させて、歯車を噛ませて向きを変える。それを連ねればいい……のかな」


「試してみるね。名前は……螺旋洋櫂船?」


「それでいいな」


 カタカナばかりじゃ伝わりづらいだろうしな。



 鎧島に拠点を築いてから、この辺りの漁師が魚介類を差し入れてくれているらしく、久々の刺し身や焼き魚を堪能することができた。鯛や平目の刺身に、海老もイカもなんでもおいしくて、夢心地だった。


 ただ、その感激は周囲の面々とは共有できなかった。連日の海鮮料理だと、飽きが来てしまうのだとか。上野出身で食べつけていないのもあるかもしれない。


 船の往来の際には、厩橋から肉類を、鎧島からは海産物を載せて運ぶとしよう。加えて、どちらも保存食にして備蓄すれば、より手軽に食べられそうでもあった。



【永禄三年(1560年)十一月中旬】


 領内の収穫を集計したところ、去年より稲の実りがよかった。直播きだった地域への田植え形式の移植栽培を推奨したのと、正条植えの導入の成果だろうか。田鯉も活躍してくれたようだった。


 れんげ草の緑肥を施した箕輪城域の水田では、目に見えて収量が上がったようで、導入を主導した仁助らが驚くほどだった。翌年に向けて、裏作としてのれんげ草の栽培は既に各所で行われ、春には石灰とにがりを混ぜて撒く形になるだろう。草木灰、れんげ草の緑肥、石灰、にがりの四点セットは、先々は麦畑、そば畑、野菜畑、果樹林の土壌などにも導入していく予定である。


 ただ、アルカリ性に傾け過ぎてもよくないはずで、そこは調整の必要がありそうだった。


 根菜類や菜種、胡麻もある程度の量が確保できて、蕎麦の収穫もまもなく始まる。また、小麦の種蒔きも無事に完了していた。


 食糧増産については、順調だと言えそうだ。あとは、田植えまでにどれだけ開墾できるかが重要となる。



 商いに関しては、独自商会として新里屋を設立した。川里屋、海里屋とは競合せず、協調を目指す形となる。


 勝浦衆を頼って、水軍とも連携を目指している。


 厩橋、大泉、関宿、鎧島が拠点だが、そこから各所に広げていきたいものだ。兵糧などは川里屋含む既存商人を活用し、こちらは特産品交易を中心にしつつ、情報収集拠点ともしていく計画だった。


 商会の要員には、集合教育組からの希望者の他、忍者組の体術にさほど優れない者達も含まれている。体術に優れないというのは、あくまでも忍者としてであるので、一般人の中でなら抜きん出そうな者が多い。こんな時代だけに、できるだけ自衛はしたいものだ。




 領内での治安維持活動は、引き続き強力に行っている。ただ、剣豪組の主力が忍者と共に京都に向かったため、手練れが抜けている状態ともなっていた。見兼ねたのか、三日月まで余裕があるときには参加してくれている。


 ただ、蜜柑が不在でも、彼女に憧れて入ってきた橙袴の女性剣士の朝顔、花梨らが活躍していた。また、表の忍者隊に配属された年少登用組も戦力化されつつある。


 その他では、見坂兄弟の武郎の方が現場に、智蔵は探索にと揃って参加していた。武郎はここでもムードメーカーで、智蔵は冷静に物事を運んでいるようだ。


 領内の治安は万全とは言えないまでも、よそよりはだいぶ良い状態を維持できているものと思われた。




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