【永禄三年(1560年)九月下旬】

【永禄三年(1560年)九月下旬】


 収穫準備と小麦の播種で農地が賑わう中で、密かに秩父金山の採掘を開始していた。こちらは、澪の側近である栞が主導しつつ、新たに加入した鉱山系のスキル持ちの少年たちが参加している。想定通りに金鉱石が産出されれば、余裕が生まれるのだが。


 そして、漆喰の原料となる石灰石が産出する山があるのも判明した。商人がそこそこの規模で採掘していたようだが、話をつけて共同で大々的に取り組むことになった。


 そのまとめには、この地で土倉として活動していた木霊屋鋼次(こだまやこうじ)が立ってくれるそうだ。新田家の高利貸し制限政策については情報収集済みだそうで、先手を売たせていただきますと笑っていた。なんとも頼もしい。


 漆喰は、今後の天守を備えた城づくりにも使うが、家に使えば火事に強くなるはずだ。


 そして、石灰は畑に撒く肥料としても有用である。箕輪城の農業試験場的な農園では、裏作のれんげ草を緑肥として、刈敷、草木灰を加え、さらに川里屋の岬から入手した石灰を混ぜた田んぼは、明らかに実りが良かった。食味の話もあるが、まずは量の確保が急務であり、英五郎どん、大谷休泊とも相談して、領内全域への展開をしていく方向となっている。


 火山性の黒土は酸性で、なかなか作物が育ちづらいという話は、父親が家庭菜園を手掛けた際に祖父から聞いていた。厳密な話はともかく、まずはリン酸と窒素と苦土石灰で概ねだいじょうぶさ、という話は耳に残っていたのだが、即効性があったようでなによりである。


 苦土……、マグネシウムは、塩作りが軌道に乗れば、にがりとして入手できるはずだが、さてどうなるか。この時代に塩作りが盛んだったという鹿島からの入手も、考えてみてもいいのかもしれない。


 既存の鉱山については、掘削系スキルを持つ黒鍬衆も動員して、露天採取から、堀のようにして採掘するようになってきている。結果として、鉱石の採取量は増えつつあった。


 坑道を掘り進める形にまでなるのは、だいぶ先の話となるだろう。そして、鉱山で掘り進める経験を積むのも、治水の事前準備としては有効でありそうだった。




 碓氷峠口に連なる城では、強化を実施している。武田家は現状では、越後長尾の動きへの対応に手一杯と思われるが、敵対勢力と認識されたのはほぼ間違いない。


 砦網の整備をした上で、忍者を常駐させる態勢も整えた。史実通り、翌年の秋まで大掛かりな侵攻がなければよいのだけれど。


 城の整備としては、碓氷方面の次には、廃城となっている平井城の修復、再活用も視野に入っており、調査が進んでいた。かつては山内上杉家の拠点だったために、中々に雄大な作りとなっていて、最後の籠城場所として向きそうだ。


 退き城に籠もる状態に陥ってからの抵抗に意味はない、との考え方も成り立つが、堅城を持っていて悪いことはないだろう。軍神殿の居城である春日山城などは、とても落とせそうにない堅城で、訪れた俺を威圧してきた。


 ただ、本拠を移転するかどうかと、悩ましいところとなる。まあ、まずは練習のつもりで対応してみるとしよう。


 


 内政面では、芦原道真が八面六臂の活躍を見せていた。農政方面、産業育成、街づくりに商いの振興、そして開発方面の治水や建築など、さすがに幅広すぎる。


 農政、開発方面については、大谷休泊と大道寺政繁、それに黒鍬衆の、開世、鎮龍、築邦の面々が連携してあたっている。黒鍬衆は実働面では頼りになるのだが、折衝や方針策定となると経験不足で、外部人材ながら大谷休泊と、新規加入の大道寺政繁の存在感は大きくなっているようだ。


 産業については、箕輪重朝が補佐し、街づくりは各地の意見も聞きつつなのだが、やはり調整役として期待できるある程度年齢を重ねた家臣が不足しているのは否めない。


 だが、変によそのやり方が染み付いている者を登用するよりも、新規召し抱え組の若手を育てた方が、最終的にはまっとうな組織になると期待できる。道真は、どうやらそう考えているようだ。


 そのあたりをどう助力できるかは、考えていくとしよう。




 そして、収穫の時期が到来していた。常備兵主体でありながらも、農村から集めた者達であるため、ほとんどの者が農作業は一通りこなすことができる。この秋も、各地で刈り入れに投入する流れとなった。そうできるくらいに、戦況は落ち着いている。


 越後長尾勢の軍勢は、一部が館林城に入り、主力は河越城に集っている。対応の必要がないのは、助かる状態だった。


 今のところ、米の出来はいい状態だが、さて、関東南部はどんな情勢だろうか。川里屋も含めて、米相場が下落傾向にある町では、目立たない範囲で買い入れを始めていた。特に小麦や蕎麦などは、一気の下落傾向でとても助かる。


 兵糧として米以外の物を集めようとしているのは、新田くらいのものらしい。もちろん、米が不足すれば麦を支給する場合もあるようだが、まずは米を集めるのがこの時代の常識であるようだ。


 米は確かに便利な食料だが、野戦の折りでもなければ、直接米を支給する必要もない。どうせなら、バランスの取れたうまい食事を供給したいとの方向性は、家中で意思統一されていた。


 戦場で蕎麦切りを食べさせるのはむずかしいが、麦はパンにしてもポタージュにしても問題なく対応できる。ただ、それで嫌がられないのは、パンやシチュー、さらには蕎麦切りやうどん切りを米の代用食でない、うまいもの扱いとする取り組みが効いてきた面もありそうだ。


 大道寺政繁あたりに聞いても、北条でも他の軍勢でも米を供給するのが通常のようだ。しかも、一度にまとめて渡してしまうと、どぶろくにして飲んでしまう者がいるため、こまめに配るようにしているのだとか。まあ、戦地に狩り出されたら、酒に逃避したくなるのもわからなくもないが……。


 なんにしても、兵糧の確保はこのまま進めていくとしよう。


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