【永禄三年(1560年)九月上旬】その二

【永禄三年(1560年)九月上旬】その二


 松山城攻めについて、本庄氏の家臣から敵方に接触があったようだとの報告が三日月からあった。本庄城からは近いので、付き合いがあったのかもしれない。軒猿衆も把握しているのだろうか。


 俺は、軍議の終わりに軍神殿と太田資正に声をかけ、河越城の攻略について相談を持ちかけた。


 史実では、武蔵北部の北条方の主要拠点である松山城と河越城のうち、河越城は攻略できずに終わっている。まあ、そもそも軍神殿に攻略の意志がなかった可能性もあるが。


 河越城は、北条の勝利に終わったいわゆる河越夜戦で知られる城郭で、北条の武蔵国支配の象徴的な城ともなっており、大道寺周勝(だいどうじかねかつ)、資親(すけちか)らが守備している。


「だが、だいぶ堅い城だと聞いているが」


 軍神殿は、やや首を傾げている。


「それは確かに。そして、それだけに、北条の援軍が入ってしまえば、どうにもならなくなるでしょう」


 ここまで電撃戦的にやってきているので、北条の里見侵攻軍はまだ戻りきれていない状態である。


「そうおっしゃるからには、攻める方策がおありなのでしょうかな」


 太田資正は興味深げな様子である。


「成否はともかく、試してみたい仕掛けがありましてな」


 俺は、囁くように二人に作戦を告げた。


「ほう……。まあ、やってみて損はなさそうですな」


 にこりとした資正に対して、主将である長尾景虎の表情は硬い。


「護邦殿、この提案を軍議で諮られない理由をお聞かせいただけるかな」


 わかってるくせにと思いながらも、俺は知らぬ顔で応じた。


「情報漏れを防ぐためには、知る者は少ない方がよいですからな」


 この場にいる三人以外の軍議参加者は成田長泰、氏長親子と、本庄実忠と近朝の親子、それに上杉憲政、近衛前嗣となっている。


 関白殿は、余計な口出しこそしないが、ノリノリでの参加だった。一方で、弟の聖護院道澄は厩橋に残留している。


 成田、本庄は上杉憲政の家臣だったのが、主家の衰微によって独立し、北条方についていた状態である。旧主の帰参を喜んで味方したとのていは取っているが、必ずしも一枚岩とは言い難い。


 成田長泰と本庄実忠は共に六十代ながら現役武将として活動している。その面では似ているとも言えるが、高慢さがにじみ出ている成田の当主に対し、本庄の方は冷静そうながらも油断のならなさが漂っていて、だいぶ異なる取り合わせだった。


「我がことは信頼いただけるのでしょうかな」


 太田資正が、試すような視線を向けてきている。


「岩付城、松山城と河越城が連携できれば、なかなかに盤石だとは思いませんか」


「なるほど、利がありますからな。そこで信頼できるとは言わないところが、護邦殿のよさですな」


 ほめられたのだろうか? いずれにしても笑みがこぼれて、謀事は実行に移される運びとなった。




 表向きの作戦は、河越城を包囲しつつ、連日の夜襲をかけて心胆を寒からしめよう、という緩いものとなっている。


 北関東諸将に同心を呼びかけるにあたって、示威を行うためとの説明で、一応の納得は得られたようだ。実際、使者は派遣されていた。


 となれば、力攻めではないので、正面で騒ぐのが主な動きとなる。そちらは、成田勢と本庄勢が担当して、越後長尾と太田勢は周辺を包囲しつつ、援軍にも備える態勢を取る。


 その中で、新田勢では弓巫女による火矢を、夜間に一刻ごとに射ち込むことになった。要するに嫌がらせですな、と説明すると、軍議の場に苦笑が広がった。


 初日の夕方、澪と栞と凛が、巫女装束で城の正面に進み出る。見せつけるのが目的なので、味方は派手に歓声を上げた。


 城兵の方も、櫓や門の上層に登って、なにごとかと注視してきている。


 三人が火矢を手に取り、弓を引き絞る。夕暮れ時に弧を描いた矢は、城内へと吸い込まれていった。


 こちらからはやんやの喝采が、敵方からすら賞賛の声が上がっていた。




 最初こそ派手な演目扱いだったが、毎晩五度にわたって射ち込まれるとなると、あっさりと日常扱いとなる。初日に一度だけ小火が生じたものの、その後は防衛方も対応に慣れたようだ。


 攻城方の本陣では、酒宴や連歌の会、それに緑茶や紅茶でのお茶会が行われている。お茶会の顔触れは、軍神殿と関白殿、蜜柑と俺とで半ば固定化されつつあった。


 ここまで糧食の確保は順調で、軍神殿からの傘下諸将への強い要請もあり、乱取りは生じていない。そろそろ稲も実り始めているが、刈り取ってしまうというのも想像しづらい情勢である。


 史実での度重なる関東侵入は、越後で米が足りなくて、冬越しを関東で行うことが主目的だったと断言する論者も見られた。だが、目の前にいる人物からはそんな状況は想像できない。上杉謙信と武田信玄を混同でもしたのだろうか。……まあ、謙信と名を変えた晩年には、他国の領民を痛めつけるような仕掛けが増えるのも確かである。ただ、それには理由もあったように思える。


 いずれにしても、菓子をつまみながら紅茶の香りを吸い込む軍神殿は、穏やかな表情を見せていた。羅刹のような顔も、今回の関東侵攻のどこかで拝めるのだろうか。


 ゆったり過ごしているのは、擬態であり本気でもある。兵も交代で休んでおり、城兵の方にも出戦してくる気配はなかった。


 


 変事が起こったのは、四日目の夜だった。縄をかけられた三人の兵士が、三日月によって連れられてきたのである。


 近隣の村に押し入り、若い娘を襲っていたところを発見、捕縛したそうなのだが……。彼らは越後兵だった。


 連合軍の総勢は二万近くに達している。力の支配するこの時代に、同様の被害が皆無ではいられない。組織的な乱取り、撫で斬りでもなければ、個々の犯罪として処断するべきなのだろう。


 苦い思いを抱えながら、俺は軍神殿の陣所を訪ねた。


 事情を聞かされた連合軍の主将の顔つきは、あっさりと変容した。羅刹のような顔を見てみたい、なんて思ったのを後悔するくらいの、悪鬼じみた面相となり、三人の首はあっさりと斬り落とされた。


「よくぞ知らせてくれた。見せしめのために、陣中に首を掲げることにしよう。……襲われた娘はどうなった?」


「怖がっておりましたが、幸い事前に防げたようです。新田の陣で保護しております」


「それはなによりだ」


 そう応じた軍神殿の顔には、いつもと同じ穏やかな笑みが浮かんでいた。返り血で真っ赤に染まってはいたが。




 仕掛ける日取り、時間帯は長尾景虎、太田資正の両名にも知らせてはいない。三日月からのゴーサインを得て、決行は五日目の夜半過ぎとした。


 この時点で、精鋭弓兵の女性弓手は、桔梗、美滝、千早らも加わり十一人を数えている。その日の宵の口までは主力三人のみだったのが、全員が巫女装束で配置についた。


 使う矢も、発火すれば爆発的に燃え上がる硫黄入りの筒を仕込んだ特別製で、一本ずつという制限も解除する。


 流星群のように各方面から射ち込まれた火矢は、幾つかが火災を生じさせた。


 騒ぎになったのを見計らって、派手な爆発音が響いた。黒色火薬は、鉄砲以外に使用できないわけではない。裏手の堀切、竪堀の警戒は夜間には疎かであり、忍者隊は四日目には城壁にたどり着いていた。


 時を同じくして、夜になってから組み立てられた簡易櫓が、堀切に向けて倒される。幾つかは無事に渡り、橋代わりにして剣豪隊が駆け渡っていく。


 崩れた城壁から、忍者隊と剣豪隊が突入した。飛び加藤と唐沢於猿は既に潜入を果たしており、城将らの寝所への案内役としての務めを果たした。


 蜜柑、上泉秀綱、神後宗治、疋田文五郎の四人は、新田の切り札である。全員を投入するのもいかがなものかと思ったが、忍者隊の援護があれば、まあよいのだろう。そして、いまや剣豪隊は、百人を超える規模にまで成長していた。


 戦闘は激しかったが、短かった。主将らが捕縛、あるいは討ち死にしたのを受けて、城兵たちも降伏した。




 長尾景虎、太田資正と、成田長泰親子、本庄実忠親子らの入城を待って、仕置が行われることになった。


 上杉憲政は懐かしそうに城を見て回っている。その様子からしても、関東管領殿にはもはや政事に深く関わるつもりはないようだ。一方の関白殿下は、火薬で半ば破られた城壁を興味深げに検分していた。


 世襲的に城主を務める大道寺氏は、北条早雲こと伊勢新九郎盛時が関東にやってきて以来の家臣の家柄だそうだ。当主の大道寺周勝は、負傷はしていたが命に別状はなさそうだ。


 沙汰を待つ構えでいた俺に、軍神殿が声をかけてきた。


「落城の功労者は護邦殿だ。好きなように処遇されるがよい」


 意外な言葉だが、まあ、今回は確かに新田の仕切りでの戦さだった。


「では、お言葉に甘えて。……捕縛された武将は、去就を自由に選択せよ。北条に戻りたければ解放する。ここにいる誰かに仕えたければ、そう申し出よ」


「我らの首は要らぬと申されるか」


 大道寺周勝は、燃えるような目で睨んできている。


「憎くて攻めたわけでもないしな。連日の火矢で苦しめて悪かった。ただ、北条の主力が上総から到着してからじゃ、手も足も出なかっただろうからなあ」


「く……」


 悔しげな守将は、それ以上の言葉を吐くつもりはないようだった。


「自刃すると言うなら、止める気はないが……。生きて北条殿と共にあるのが、奉公の本筋ではないかな」


「お主の指図は受けん」


「ああ、すまんな。指図のつもりはないんだが。すぐでなくていいので、好きに決めてくれ。……お主は、大道寺の一族かな?」


 俺は、大道寺親子よりも、やや身なりが簡素な人物に声をかけた。ステータス上で、名前はわかっていたのだが。


「政繁と申す。当主の庶子で、一門ということになる」


 周勝の隣りにいる資親が嫡子のようだ。そういや、この大道寺政繁(だいどうじまさしげ)は、史実ではだいぶ遅くに北条重臣の後家さんと結婚したとかで、この時期には家中の扱いが軽いのかもしれない。


 内政値が高めで、スキルにある<築城>、<掘削>などは魅力的である。年齢は二十七歳と出ている。


「すぐにではなくていいので、いつか新田家に仕えないか」


「それがしがですか?」


「大道寺に、北条を裏切る者などおらんっ」


 そう叫んだのは、当主の大道寺周勝だった。


「あんたとその嫡子は誘ってないから安心しろって。まあ、状況も変わるかもしれないから、いつかの話でかまわん」


 そこで話を打ち切るつもりだったのだが、あっさりと答えが返ってきた。


「いえ、見込んでいただいたからには、お仕えさせてもらいましょう」


「マジか? それは歓迎だ。築城とか、堀作りとか好きか?」


「興味はあります。この河越城を好きに強化させられていれば、落城は免れていたでしょう」


「お、大きく出たな。城だけじゃなくてもいいか? 治水とかもやっていきたいんだが」


「なんなりと。……内政向きの御用のみでしょうか」


「戦さ働きも期待しているが、所領が広がっていてなあ。まずは、領内の安定からだな」


「承知いたしました」


 名のあるまともな武士の臣従は初めてじゃないだろうか。いや、箕輪繁朝や用土重連、岩松守純とその子らだって武家なのだが、元服済みの現役の、となると、思い当たらない。


 上泉秀綱門下は、どこか純粋な武士とは違うように俺には感じられていた。


「では、景虎殿。この城の扱いはお任せ致します」


「新田の所領とはされぬのか?」


「このような名城は、我らの手に余ります。景虎殿と上杉憲政殿の拠点とされてはいかがでしょうか。あ、さらなる夜襲返しにはご注意いただければ」


「対応は考えよう」


 あまりうれしげでないのは、前線の拠点を押しつけられたと考えているからだろうか。だが、関東管領を押し立ててやってきているからには、局外者の気分でいられては困るのである。


 迷いを見透かしたらしい成田長泰が、ならば自分が貰い受けようかと言い出したが、それは正直回避したい事態である。後で軍神殿に申し入れるとしよう。いったん越後長尾氏で管理して、いざとなれば誰かに譲ればいいのだから、とでも言っておくか。


 城を辞退したからか、落城時に確保した金銭の半分をもらえることになった。ざっと三千貫文ほどあり、正直助かる。純粋に金額としての意味も大きいが、私鋳の材料としても有用だった。


 ちなみに朝廷に献上する五千貫は、川里屋に輸送を依頼済みとなっている。一部は永楽通宝渡しで、換金してもらえると話がまとまった。それもとても助かる状態だった。




 里見攻めをしていた北条軍が、武蔵南部にまで戻ってきた。軍船の用意がうまく行かず、陸路主体となったためにこの時期になったようだ。さらには、追撃もしつこかったのだろう。滅亡の瀬戸際まで追い詰められていた里見からすれば、この機になるべく削ろうとするのは無理もない話だ。


 北条からすると、河越城、松山城を取られてしまうと、江戸城、世田谷城が防衛ラインとなる。現代では、山手線から、京王線という感じだろうか。


 だが、正直なところ、その両城はやや小規模で、大軍の駐屯には向かない状態である。そのためか、守兵は残すものの、小机城、滝山城のラインまで下がって、再進出の機会を窺う構えを取ったようだ。元時代では、横浜線の辺りとなる。


 軍神殿に一気に攻め込むつもりは無いようで、ひとまず固定化が見込まれた。そう、まだ古河の手当てを終えていないのである。


 河越城は越後長尾勢の根拠地となり、守将には斎藤朝信が任命された。


 正直なところ、離反したのに帰参という動きを二度繰り返す、いろいろとややこしくなりそうな北条高広が任じられるのではとひやひやしていたので、そちらもよかった。以前にも触れたが、北条高広は「きたじょう」である。やっぱり、ややこしい。


 これで越後長尾の前線基地は、確定的に厩橋から移動した形となる。肩の荷が減った感覚はいいものだ。


 南方は斎藤朝信と太田資正らに任せて、軍神殿は上杉憲政、成田長泰、本庄実忠らと上総方面へ示威行動に出るそうだ。


 新田は厩橋に一度帰って、想定される古河攻囲に向けて、館林方面への兵糧供給の準備を整えることになった。


 ……というのは名目で、新たな支配地を固めるのが主目的である。


 河越城、松山城、本庄城、忍城は現状では味方側だが、南方を見据えると鉢形城が前進拠点となる。城代には上坂英五郎どんを置き、各分野の重臣がテコ入れする形を取っていた。英五郎どんは偉ぶるところがないので、とても助かる人材なのだった。


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