【永禄三年(1560年)九月上旬】その一
【永禄三年(1560年)九月上旬】その一
この時点で、軍神殿の道中で合流していた白井長尾氏に続き、軍神殿の同族である足利長尾の長尾當長(ながおまさなが)が同心を申し出てきた。
長尾當長は、山内上杉氏が名実ともに関東管領だった頃に家宰として務めていた人物となる。北条に降った際に出家していたのを、この機に還俗しての参戦だった。三十代なのにどこか重苦しい風情の持ち主だが、旧臣との再会に上杉憲政もうれしそうである。
俺の献言が通り、館林城は足利長尾氏が守ることになった。軍神殿に同心したとはいっても、長尾當長が先陣を切って古河に攻め込むはずがないとは、敵味方とも一致するところだろう。足利義氏も刺激しなさそうだし、緩衝材としてちょうどよい。
いきなり古河に攻め寄せるのも、立場的にうまくないとの判断から、まずは各勢力に呼びかけて味方を募りつつ、南下して北条を圧迫するとの方針が定まった。越後長尾勢は、一部を館林に進め、本隊は利根川南岸の本庄城の本庄氏、忍城の成田氏方面に向かって、自陣に組み入れるのを目指す形となる。
新田は軍神殿、関東管領殿の許しを得て、手勢を率いて北条方の平井城跡を確保し、藤田氏の鉢形城を攻めると決まった。藤田氏には、北条氏邦が養子に入っているため、北条の一門衆扱いになる。攻略の準備は整えているが、さてどうなるだろうか。
鉢形城は荒川流域の上流部にある。利根川と合流するのはだいぶ下流なので、今回は水軍の出番はないものと思われた。
けれど、川里屋の岬が荒川流域の商人から船を借り受けてくれて、一部が遡上して仕掛けることとした。
船からの攻撃で城は落とせないが、人目を惹き付ける効果はある。舳先に立った巫女服姿の凛が、ひょうと矢を射ると同時に、下流で荒川を渡って接近していた攻め手が仕掛ける。そして、城内から火の手が上がった。
戦時ならまた防諜意識も変わるのだろうが、ある程度は新田を警戒していたにしても、これまでは準平時だったのも間違いのないところとなる。そうでなければ、ここまでの忍者による潜入はできなかっただろう。
そして、船からは小金井桜花が指揮する鉄砲隊が射撃を始めた。これも、派手さを演出する手段となっている。
防御は難しいと考えた者達が脱出し、上流方面に向かって落ち延びていく。それを許すべく、攻め口には隙を作っていた。
城は旧藤田氏の用土親子が守り、氏邦とその妻おふく嬢が落ち延び組だった。けれど、年若い夫婦はやがて悲報に接することとなった。
西方の天神山城方面から、兵が敗走してきたのである。
鉢形城の攻略は、ケレン味多めにしても、真っ当な範疇に収まっていたと思われる。藤田氏の主城であり、山に囲まれた秩父地方への入り口を扼する立地で重要度も高い。
一方の天神山城は、鉢形城から見て荒川のさらに上流にあり、現状の藤田氏の勢力圏からすれば退き城的な位置付けとなる。こちらの攻略は、山間の道を越えてきた忍者隊が、潜入していた同僚の協力を得て、隠密裏に攻略したのだった。
藤田氏に恨みはまったくない。それどころか、氏邦が婿入りする時期が早まらなければ、この時点では軍神殿に味方していたはずの勢力である。
なるべく殺さないようにとの方針だったが、敵味方の死者は皆無とはならなかった。そして、城から出ていた者が鉢形城に危急を知らせようとして、逃げ延びる途中だった氏邦夫妻らと行き会ったのだった。
彼らの捕縛は、主におふく御前の抵抗によって手間取ったものの、蜜柑らも追っ手に合流し、どうにか確保できた。
捕らえた二人が鉢形城に連れ戻されたのには、別に人質にしようとの意図はなかったのだが、抵抗していた用土勢、つまり本来の藤田の面々も降伏する運びとなった。
やや無理をしての二城同時攻略は、北条からの婿殿、藤田氏邦を確保するため、というのは表向きで、真の目的は秩父地方の、秩父金山の獲得にあった。
そのため、藤田勢に本領を安堵する選択肢は考えづらい。さて、どう決着をつけるべきか。
俺は、捕らえた藤田勢との対面に及んだ。
「藤田氏に恨みはないが、関東に秩序をもたらさんと訪れた長尾景虎殿に同心した以上、北条方の勢力を無視するわけにはいかなくてな。攻め取らせてもらった」
「秩序とは片腹痛いですわっ。正統な関東管領である北条のご当主の元で築かれていたものこそ秩序です。壊しているのはそちらではないですか」
やや甲高い声は、捕らわれの身のおふく姫が発したものだった。
「その通りだ」
「はぁ?」
「いや、北条の立場からすれば、おふく殿の言う通りだ。ただ、長尾景虎殿は、北条が関東を不当に制圧していると考えておられるようでな」
「北条は既に四代にわたって関東に根を張っています。景虎とやらこそ、よそ者ではありませんか」
「それも、その通りだ。よそ者同士の覇権争いだな。まあ、越後の龍を呼び込んだ者たちがいるようだが」
「それはあなたのことではありませんの? あなたこそ、よそ者でしょうに」
「おふく殿は正しいことばかり言うなあ。俺は、神隠しから戻ったらこの地にいた状態でな。関東どころか、この世にとってもよそ者なんだ」
「そうなんですの……」
「よそ者でも、護邦は我が夫じゃ。我らにとっては、大事な存在なのだ」
声を荒げた蜜柑に対して、おふく嬢はなにやら考え込んでしまっているようで、ふっくらした頬を膨らませている。年の頃は十と一か二か、というところだろうか。幼女らしくて、可愛らしい風情である。その隣の俺と同年代の氏邦少年は、先ほどまでの慌てた様子が少し収まっている。まあ、共に捕らわれた妻が勝者の総大将に食って掛かっていれば、無理もない反応だろう。
俺は、妻の肩に手を置いて続けた。
「まあ、よそ者が偉いわけでも、地元民が偉いわけでもない。ただ、越後勢の力は現に存在しているし、関東管領の職は山内上杉が就くべき……、いや、新進の北条が得るべきではないと考える者たちは多いだろう。関東は荒れる」
「それで、新田殿は長尾景虎殿の側に立つわけですかな?」
問うてきたのは、おふく嬢の父親と思われる藤田家の当主、用土康邦だった。次期当主として氏邦を迎えたことで、用土姓に改めたようだ。
「どちらかと言えば、北条につきたかったんだがな。立地的に、無理な相談だった。越後側についた以上は、そちらの勝利のために貢献すべきなんだろうな」
「なんだか他人事に聞こえますが」
「そういうわけではないんだが。……ところで、おふく殿はどういう字を書くんだ?」
「大きな福で、おふくです」
「……だいふく?」
「だいふくではありませんっ。おふくですっ」
おふく嬢の顔が大福と重なってしまって、俺は思わず吹き出してしまった。
「人の顔を見て吹き出すとはなんと失礼な。それが新田の流儀ですかっ」
激怒しているのは、無理もない。
「すまん。本当に申し訳なかった。俺のいた世界に大きな福と書いて大福という菓子があってな。それを思い出してしまったのだ。失礼した」
「菓子……ですの。それはおいしいんでしょうね」
「ああ、うまい菓子だ。機会があれば、いずれ馳走しよう」
大福嬢は、矛を収めてくれたようだ。そして、真剣な瞳で問いを投げてきた。
「氏邦殿はどうなります」
「そうだなあ……。これから北条と対決するところで、すぐに解放するわけにはいかないな。ひとまず、厩橋城に来ていただくことになるだろう」
「戦いの前に、血祭りに上げるつもりではないでしょうね」
「あのなあ……。元服を無理やり早めて、藤田家との縁を結ぶために送り込まれた子供を惨殺するとか、あるわけないだろ。そんなことしたら、末代までの恥だぞ」
「景虎とやらに求められたらどうします」
「断るさ」
「主命に逆らうのですか?」
「……勘違いさせたようだが、長尾景虎殿と、もちろん上杉憲政殿とも主従の契りを結んではおらん。従属した覚えもない。うちが捕らえた者を、引き渡す謂れはない」
驚きの声を発したのは、用土康邦だった。
「景虎殿と、対等の盟約を結んだと?」
「力関係からして対等ではないが、協力者の立場だな。人質は出していないし、従属も臣従もしてないから、そういう意味では対等かもしれんが」
「では、我らの処遇はどうなります」
「我が新田では、降伏した者に所領の安堵はしていない。旧領に住むのはかまわないが、年貢は直轄地と同様に払ってもらう。新田領内に留まるのなら、出仕するしないに関わらず、一定の家禄は出そう。出仕や、常備軍向けの兵力を供出するなら、その分の俸禄は別に支払う。……そんなとこかな?」
周囲を見回しても、家臣から特に異論は出なかった。
「出ていくのも自由だとおっしゃるのか」
「ああ、かまわんぞ。北条のところに逃げ込んで、捲土重来を図ってもいいし。なんなら、新田と北条に分かれて、家の存続を図ってもかまわん」
「あ、あの……」
声を上げたのは、用土康邦の隣りに座っていた少年だった。表示名には、用土重連(ようどしげつら)とある。本来なら世継ぎだった人物だろうか。
「質問があれば、なんなりと」
「新田殿は、何を目指されているのですか。年貢を五公五民とした上で、棟別銭、段銭を廃止し、兵役、賦役も無くしたと聞きますが」
「平和な世を作りたい。攻め込んできて何を言うんだと思われるかもしれないが、それが正直なところだ」
「そのために戦う、と」
「綺麗事になるが、その通りだ」
「では、わたくしは新田殿に仕えたいです」
「重連」
息子の名を呼んだ声には、自重を求める響きがある。
「あー、去就は一族で相談してからでいいぞ。とりあえず要望は聞いたので、来てくれるなら歓迎するが、撤回しても構わんからな」
「わたくしは、氏邦殿と一緒に参ります」
「ああ、かまわんぞ。氏邦殿がいいならだが」
「も、もちろんです」
かかあ天下は、上州に限ったことではないのかもしれない。まあ、この年代だと女の子の方が発達は早いのだろうが。
しかし……、にぎやかになりそうではある。
用土重連は宣言どおりに臣従し、用土康邦は旧領内に住むことになった。一族の中には北条方についた者もいるようだが、それはもちろんかまわない。
婿に入った氏邦よりも二つ年長だという重連は、俺と同い年だった。箕輪繁朝に続く、同年代家臣となる。
初仕事は、妹とその婿殿の世話係として、厩橋城へと送り届けることになった。もちろん、他の者達も一緒ではあるが。
義兄弟の仲は良さそうだが、確か史実では婿養子として入った氏邦が義兄弟を毒殺、放逐したとの話があったような。まあ、同じ家中に同年代の息子と婿がいて、婿の方が当主となれば、関係悪化の要因はいろいろ考えられそうだ。このタイミングでは顕在化しないとよいのだが。
軍神殿の滞陣場所である本庄城付近で合流すると、忍城の成田長泰、氏長親子と、岩付城の太田資正が参陣していた。そして、本庄氏も従属の使者を送ってきたそうだ。
彼らはいずれも越後長尾に人質を出す約束だそうで、厩橋にやってくるらしい。まあ、管理は任せてよいのだろうけれど。
軍神殿の一万余に対し、成田、岩付太田はそれぞれ一千程度の手勢となっている。一方で、現時点での新田勢の公称は二千となる。人数は盛るのが基本のようだが、うちの場合、実数はもう少し上の逆サバ状態としている。
鉢形城攻略について報告すると、軍神殿と関東管領殿は喜んでくれたが、成田長泰は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。六十代ながら現役のこの人物は、内心が表情に出やすいタイプのようだ。
平井城跡から、鉢形城、天神山城へと続く関東西端の山沿いのラインは、長尾勢の想定進軍ルートからは外れた土地となる。館林城を気前よく渡した効果か、そのまま確保しておくのを許された。
さほどありがたくなさげに受けたけれど、心境的には欣喜雀躍といったところである。
既に旧藤田領の各集落には兵糧の配布を行っているが、開墾補助、食事処の開設、上下水道整備も含めた再開発方針の提示など、統治を進めていくとしよう。そして、鉱山調査も実施したい。埋蔵量がどれほどかは不明だが、金、銀、鉄などが産出するはずである。
成田氏と本庄氏の加入によって同じ陣営となった忍城と本庄城は、利根川と荒川に挟まれた土地にあり、その西に鉢形城、平井城跡があるという位置関係である。
軍神殿の侵攻は、新田が全面協力している関係から、史実よりも大幅に順調である。さて、この機を活かせるだろうか。
連合軍は、太田資正の居城である岩付城の辺りに滞陣していた。軍議は、松山城攻略を目指す方向性となっている。
岩付太田氏は江戸城を築いたことで有名な太田道灌の出身家で、扇谷上杉氏の家臣だった家柄である。昨今は北条方として活動していたが、実際には古河公方である足利義氏の家臣として遇されていた。
同族の太田氏資らは、はっきりと北条について江戸城を領し、江戸太田氏と呼ばれている。
太田資正は野心家っぽい好漢で、名門を鼻にかける様子はなかった。一方の忍城の成田長泰は、鼻持ちならなさがこの上ない。そして、ぽっと出の新田はともかく、長尾までをも侮っているようだ。名門出身の人でも、はっきり分かれるのはなんでなんだろう。
そして、松山城は太田資正主導で攻囲が行われ、短期間で落城した。かつて太田資正の義父が領していた城だったために、弱点を把握していたのかもしれない。あるいは、内通者がいた可能性もありそうだ。
果たした役割の大きさもあってか、松山城は太田資正に与えられると決まった。自ら統治するのかと思いきや、別の人物を連れてきて城主に据えるとの宣言が行われた。上杉憲勝と名乗ったその人物は、滅んだかに思えた扇谷上杉氏の後継者となるそうだ。
岩付太田氏は、かつて扇谷上杉氏を主家としていたので、旧主の家を再興したことになる。それだけ聞くと立派な話なのだが、手回しの良さが際立つ。足利義氏の臣下として北条側で活躍していたものの、含むところがあったのかもしれない。
こうして、かつて関東で勢威を振るっていた山内上杉と扇谷上杉の両家がめでたく復活したのだった。
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