【永禄三年(1560年)八月末】その二
【永禄三年(1560年)八月末】その二
食後には、そのまま歓談へとなだれ込んだ。新田からは道真が同席している。雑談では済まないだろうと思われるためだった。
軍神殿もリラックスした様子である。さすがに昼から酒を出せと言う気はないらしい。
当初は厩橋城下についてだった話題は、今後の方針へと転がった。
まずは北条……、いや、伊勢氏の反応を見て、軍を進めるのは既定事項となっている。北条の主力は、今は里見攻略のために上総に展開している。
古河を攻めるか、南下を優先するのか。重要なポイントなのだが、今のところは確定していないようでもある。
そこから、話は厩橋城下の豊かさの話に移った。
「長尾殿の軍勢の兵糧を確保すると考えると、今から身が引き締まる思いです」
「丸抱えにされるつもりはない。場合によっては伊勢方の土地を切り取ってでも、兵糧を確保しよう。新田殿には、満額とは約束できぬが、対価は支払う」
「恐縮です」
やはり略奪が視野に入っているのだろうか?
と、そこで長尾景虎と上杉憲政が連れ立って離席した。
「あのお二人で、方針のすり合わせをしたいのでごじゃろうて」
そう口にした関白殿には、座を立つ気配はない。行かないのかなと思っていると、やや口ごもった様子で切り出されたのは、朝廷の資金不足の件だった。
「即位の礼は、二年遅れながら、毛利元就殿や、あとは本願寺の献金でつつがなく執り行われたものと聞いておりましたが」
「大嘗祭がな……。絶えて久しいのじゃが、できることなら即位の礼からの流れで執り行いたいのでおじゃる」
即位初年度は、小規模にしてもやらなかったのだろうか? まあ、気持ちの問題なのかな。
「献金しましょうか?」
「よいのか?」
この時代に資金集めに飛び回ったとされる山科言継卿とは違い、金の要求には慣れていなさそうである。
「献金自体は構わないのですが……、堺の商人あたりに預ける形でよろしいですかな。海路はともかく、とてもじゃありませんが、上方の陸路を運ぶのは難しいです」
「もちろん、手配するでおじゃるよ」
俺は、気配を殺していた道真に目線を向ける。
「幾らまで出せる?」
「二千貫文くらいまででしたら、どうにか。関西で通用する宋銭は東国では集めづらいですし、時節的に物入りでもあります」
一貫文とは銭千枚をまとめた単位である。一文が元時代の百円程度だとすると、一貫文は十万円。一千貫文は一億円相当ということになる。採用してすぐの常備兵千人分の年俸と考えると、膨大なようにも、意外と大したことがないようにも思える。
産業の育成や鉱山開発、粗銅の精錬、流通している永楽通宝の改鋳、農業、畜産業の振興と手を尽くしているが、まだ芽吹きの段階のものが多く、金食い虫の軍備も進めている。現状で大きな稼ぎとなっているのは、実際には上総方面での北条と里見の攻防戦向けの兵糧供給だった。
「景虎殿から、兵糧提供に一定の対価をいただけるとの話があったよな。それを踏まえて、もう一声。まもなく収穫だし、城下の商店も賑わえば多少の税収も見込めるし」
「四千貫。これ以上はもう」
「毛利が二千貫ちょっとらしいからなあ。張り合うわけではないが、倍を越えれば印象がだいぶ違うだろうなあ」
「承知しました。五千貫ご用意致します。……殿、倹約を覚悟めされよ」
道真は恨みがましい視線を向けてきている。
「そういうわけで、前嗣殿。今晩から食事が質素になるかもしれませぬ」
「感謝する。これで、帝の憂いもひとまず解けよう」
先代の後奈良天皇は、確か大嘗祭を開催できなかった件で謝罪のお言葉を出されていたはず。天皇家にとって、大きな意味がある儀式なのだろう。まあ、応仁の乱以降の混乱を考えれば、そんな場合ではなかったんだろうが。
「大嘗祭は十一月と聞きますが、十月初旬くらいのお届けでよろしいですかな」
「もちろんでおじゃる」
現状も京都は荒れ果てているはずで、依然としてそんな場合かという気はするが、ぽっと出の俺にとって、関白と今上に恩を売れる意味はとても大きい。
「で、堺はだれに届けましょう。今井宗久殿あたりですかな? あるいは、小西か……」
「津田、今井、小西に分ける形でいかがか。誰かに偏るのは、ご都合が悪かろう」
「ご配慮痛み入ります。余った場合には、よき用途にお使いください」
「それは助かる。……時に、道真殿。どこかでお会いした件はなかったでおじゃろうか」
「はて」
道真は首をひねっている。
「古河出身で、芦原姓でしたら、亡き堯綱殿にご息女……」
「あー、あー、聞こえません。なんにも聞こえません」
なあ、道真。その対応はどうかと思うぞ。三顧の礼に応じてくれたあたりでは、猛烈に謹厳なキャラだったのに、三日月にでも毒されているのではなかろうか。ただ、場を収める必要はあった。
「前嗣様。ここにおるのは、新田の内政を一手に預けている無二の重臣、芦原道真です。それでよいじゃないですか」
「確かに、そうでおじゃるな」
上機嫌の関白殿は、その流れで香取神社と鹿島神社の額向けの文字を書いてくれた。
翌朝、俺は剣聖殿の訪問を受けていた。用件は軍神殿の酒の飲み方について。強いのは間違いないが、自分を痛めつけるかのような飲み方だというのである。
越後の統治に苦労し、上洛しての平和追求もうまくいかずとなると、心労が強いのかもしれない。なにしろ、越後の政情に嫌気が差したのが原因らしい出家騒ぎから、さほど時が経っていないのだから。
俺からすれば、この剣豪もひどい飲み方なのだが、確かに楽しんでいるかどうかは重要だろう。
「他に好きなものはないのかな」
「戦さだろうよ」
「いや、それはそうなんだろうけど、そうじゃなくてな。気晴らし的ななにかとか」
「連歌って感じでもないし、茶の湯も向いてなさそうだよな。絵画ってのも想像しづらいし」
「食べ物の好みはどうかな」
「茶の湯はともかく、茶の味自体は気に入っているらしいぞ。後は、甘い酒も好きみたいだ。しーどるもそうだが、ねくたーも喜んでいたし」
それならば、あるいは……。俺は、軍神殿に面会を申し込んだ。
今回は澪に同席してもらっている。調理方面を仕切る感じになっているのと、弓巫女に一度対面したいと要望されていたためである。
「甘いものを馳走いただけるとのお招きだったが、あの甘い酒かな」
「今回はちと趣向を変えております。お好みのものがあればよいのですが」
そこから、俺は軍神殿を中庭に面した廊下へと誘った。二人で足を宙に放り出すようにして座り、澪は背後に控えている。
「こうしていると、寺で過ごした幼い頃を思い出すな。あの頃はのどかであった」
「……城の模型を攻略して遊んでおられたと聞き及んでおりますが」
「おや、その話は他家まで広がっておったのか。お恥ずかしや」
そうやって微笑んでいると、優しげな顔立ちと相まって、とても穏やかな人物に映るのだが。
「澪殿もこちらへ。ゆるりと話しましょうぞ」
「今回は、澪が馳走役なのです」
頷いた彼女は、薄手の白い茶碗を持ってきた。器が透明でないのでいまいち映えないが、中には澄んだ緑の液体が入っている。
「これは……」
「どうぞ、まずは一口」
冷えた液体が、越後の龍の喉に消えていった。
「なんと涼やかな。抹茶のような香りですな。そして、冷たさがまた心地よい」
「緑茶と名付けております。今日は冷やしておりますが、温かくするとまた違う風味となります」
元の時代でいう煎茶に近いものだが、この時代には若葉も古葉も混ぜて煎じた、茶色の飲み物が煎茶として流通しているため、区別のための名付けとなる。
「美しい飲み物ですな」
透明なグラスならさらに映えるのだろうが、まずはここまでで満足するとしよう。
「これはいいものをいただいた。うれしいもてなしでした」
「あ、いや、本番はこれからでしてな」
続いて持ち込まれたのは、一口サイズのクレープとクッキー、そして温かい紅茶だった。クレープはアイスを使い、クッキーは紅茶葉を混ぜて焼き上げたものとなる。
「まずは紅茶を一口」
すする音が立ったが、くつろいで飲んでもらうのが肝要だろう。
「緑茶とはまったく異なる風味なれど……、不思議ですな、どこか通じるところがあるようにも思える」
「原料は同じで、こちらは発酵という手間を加えております。この渋味と菓子を合わせて楽しんでいただこうかと」
ミルクと砂糖をぶちこむ当初の英国風の方がわかりやすいのだろうが、料理への反応ぶりからこの人物が鋭敏な舌の持ち主だろうことは察しがついていた。であれば、ストレートの方がよい。
「この菓子は冷たくて、夢のような味がしますな。紅茶と共にいただくと、至福の感覚で……」
微笑んだ澪が、くっきーもぜひと声をかけた。素直に従った軍神殿は、紅茶の葉の香りがする茶菓と紅茶の取り合わせを気に入ってくれたようだ。
「素晴らしいもてなしでした。感謝致す」
「景虎殿。この身のような若輩者が意見するのも、いかがなものかとは思いますが」
「なんなりと申されよ」
「酒を楽しむのはよいですが、頼ってしまうと身体によくない影響を及ぼすと聞きます。百薬の長も過ぎれば毒となるとも。他の気分転換の道を探られてはいかがかと」
思い当たることがあったのか、越後の国主がふっと息を吐いた。
「ご忠告感謝致す。本日から、酒は断ちましょう」
「あ、いや、急にやめるとそれもよくないようでしてな。少しずつ量を減らし、酒を飲まない日を設けるというのはいかがでしょう。茶や菓子は、提供させていただきます」
「それは助かる。……関白殿にはこちらの茶は?」
「いえ、家中の者以外では、景虎殿に初めて飲んでいただいています」
「それは光栄ですが、きっとお好きですぞ」
「では、明日にでも」
翌日、近衛前嗣と関東管領殿にも提供したところ、好評を博したのだった。この感じなら、増産してもよさそうだ。
進軍していくにあたって、食料やその他の資材の供給を議題に、内政組の打ち合わせが持たれた。
厩橋駐留については道真に任せてしまったが、今回は俺も参加することにした。先方は、重臣の直江実綱と年若い切れ者風の人物が登場した。
「河田長親(かわだながちか)と申します。景虎様の近習を務める者ですが、実綱様と共に今回の政務を担当させていただきます」
確か、前年の上洛時に近江から連れてこられた人物だったか。ステータスを覗くと、ゲームでの設定と同様に知勇兼備のオールラウンダー的な感じだが、特に内政が高めである。
「新田護邦と申す。こちらは新田の政務全般を任せている芦原道真と、その補佐の箕輪繁朝に、上泉秀胤だ。よしなにお願い致す」
内政面は、実務者こそ登用組が経験を積みつつあるが、対外折衝もできる人材は不足している。もう、実務組を取り立ててしまうべきだろうか。
「ご当主の御自らのお運び恐縮です」
「基本的に口は出さないので、この道真と話してくれれば」
「承知しました」
あちらも、十八の河田長親が窓口を務めるようで、宿老的存在である直江実綱は後見役的な動きを見せていた。
新田側の道真も二十代だが、年若い二人とは思えぬ、穏やかながら手厳しいやり取りが展開された。まあ、互いの立場があるので無理もない。この問答を自分でやると考えたらぞっとするので、道真には感謝すると同時に大切にしなくてはならない。
兵糧の値決めは上限付きながら買付相場の六割と定まった。事前の打ち合わせでは、五割がぎりぎりのラインと想定していたので、いい条件を引き出せた状態だった。まあ、あちらとしても、買い集めや運搬の手間が省けるなら、悪い話ではないのだろう。
その他の各種の整合事項も、明晰さが際立つ二人の間でびしびしと決まっていく。見直しの際の窓口も含めて定まったので、口を出す必要は皆無だった。ちらりと直江実綱を見やると、孫に向けるような慈愛に満ちた表情で年若い同僚を眺めている。河田長親が孫なら、軍神殿は息子なのかもしれない。
区切りのよいところで紅茶と菓子を出すと、二人とも楽しんでくれたようだ。ただ、この調子で振る舞っていると、茶葉が早々になくなってしまいそうだ。少しペースを調整するとしよう。
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