【永禄三年(1560年)八月末】その一

【永禄三年(1560年)八月末】その一


 長尾景虎が率いる軍勢は、集まった近隣の領民によって拍手と歓声で迎えられた。旗印には、毘沙門天の頭文字が書かれている。


 さらには、竹に二羽の雀が描かれた、山内上杉家の旗も見られる。上杉憲政も、少数にしても手勢を率いてきているようだ。


 平服で出迎えた俺達への答礼なのか、軍神殿が単騎で接近してくる。そして、数歩の距離で下馬すると俺の前に立った。


「出迎えに感謝する」


「関東にお迎えできて光栄です」


 周囲からは領民による拍手が続いている。景虎がそちらに向けて手を振ると、歓声が生じた。


「こうまで歓迎されれば、兵達もうれしいだろう。勇戦が期待できようというものだ」


「そうあってほしいものですな」


 そこから、軍神殿と一緒に徒歩で厩橋城を目指す。一万余の軍勢を引き連れて歩くというのは、得難い体験だった。


 その間に、こちらの芦原道真、上泉秀胤らの行政系の武将が、長尾勢の武将らと調整してくれたのだろう。軍勢の移動はスムーズに進んだ。


 


 厩橋城での顔合わせ的な会合は、にぎやかに始められた。客側の主座には名目上にせよ総大将としての上杉憲政が座り、次いで関白の近衛前嗣と弟の聖護院道澄、実質上の主将の長尾景虎に、家臣代表なのか、斎藤朝信が並んだ。こちらは俺、蜜柑、上泉秀綱、芦原道真で対している。


 関白殿下は史上ではこの頃に京都を立ったと記憶していたが、同席しているからにはどこかでずれが生じたのだろう。


「うちの武将や兵らはどうしているかな」


 軍神殿の問いに、俺は目線で道真を回答役に指定した。


「武将の方々は城内へご案内し、食事の用意をしております。兵や小者の方々向けには、仮設の陣所を用意しました。そちらでも食事を振る舞います」


「格別の配慮に感謝致す」


「いえ、関東の安寧のためとあらば」


 このセリフについての我が陣営の本気度合いは、ざっと半ば程度である。歓迎されれば、無体なことはしづらいだろうとの思惑もあるのだが、効果はどうだろう。一応遊女屋も誘致済みとなっているが、正直なところ規模感がわからない。


 食事の好みを聞き取ったところ、狩猟で得た獣肉も含めて気にせずに、とのことだった。用意された献立には、一部に牧場育ちの豚肉も使用されているが、まあ、村にいるのを狩ったと考えるとしよう。


 配膳には、長尾方からも人数を出してもらうよう要望した。揚げたものを準備してある器から選ぶ形で、毒味の簡略化を提案し、了承されたようだ。


 前菜はイノシシ……、いや、陸鯨のハム、ソーセージで、氷室から持ってきた氷で冷やした新田酒を一口分つけている。


 続いて、鶏肉と野菜の天ぷらに、林檎で作ったシードル。パニーニ的なパンを使ったハムサンド。


 そして、少量のうどんに、締めのネクターという献立となっている。


 この日の料理の中に、米は使われていない。いや、新田酒の原料にはなっているが。


 食事についての質問も多発したが、他では岩松氏についての話題も出た。山内上杉氏からすると旧臣ではあるものの、放逐前も三代にわたる軟禁状態だったため、接触はなかったとのことだった。だが、新田の惣流との認識は持たれているようで、呼び込まれる流れとなった。


 岩松家の若き当主は、噂で止めを刺したかに思えた横瀬氏が館林からも追われたことで、瞳の陰影が少し薄れたようでもある。強制隠居させられた祖父と同様に連歌に打ち込んでおり、新田家中に広めたいと明るく語って、軍神殿をやや苦笑させていた。


 関白殿下と関東管領殿は、連歌と聞いて好反応を見せ、あっさり開催の約束が取り付けられていた。


 それならと、大谷休泊の話をしてみたところ、旧主の方には認識はなかったようだ。ただ、取り組みがあっぱれだと、呼ばれて称賛される流れとなった。いや、ホントに立派だと思う。


 そして、進軍先についても話題には出た。ひとまず俺としては、厩橋城と館林城を拠点として自由に使ってほしいと言明。特に館林城については、統治も含め任せる旨を伝えた。一方で、館林城下に長屋的仮設陣所の構築を進めてもいる。


 この仮設陣所は、築城系、建築系要員を総動員しつつ、宮大工勢の知恵も借り、同時に笹葉ら開発局によって工程の簡略化を行って、ようやく間に合わせた状態だった。下級指揮官向けには個室を、一般兵向けには雑魚寝ができるような状態とし、別棟で水場や便所も備えている。


 野営や間借り状態では疲労が溜まるだろうし、行動把握が困難となって治安面での不安もある。快適な滞在を提供したいのに加えて、管理、監視を容易にするためでもあった。


 当初は間に合いそうにないと考え、屋根だけでも用意する方向で動いていたのだが、大工が大挙やってきたので、話が変わったのだった。大工を連れてきたのは、厩橋城下で高利貸しを営んでいた土倉、滝屋の若旦那の盛次郎だった。


 金貸しだけでなく、事業をすべきでは、との俺の提案に対して、大工を組織して請負仕事をこなしていく方向性で応えてくれたようだ。


 新田が今後も発展すれば、大工向けの仕事が途切れる事態は考えづらい。良い商売なのかもしれない。


 土木系人足の組織化も打診したところ、そちらは知人が進めているそうで、紹介してくれることになった。金山城下の横瀬氏御用の土倉だったとのことで、頼りにできるとよいのだけれど。


 仮設陣屋は、不要になれば分解、移築して、新規開拓の村の拠点ともできそうだ。館林が二例目となるが、その段階でもっと効率を上げられると各チームが張り切っていたので、より高度化を期待したいところだった。




 夜には酒宴と連歌会に別れる形になった。連歌組には、ゲストから関東管領殿、関白殿下とその弟の聖護院道澄が。こちらからは、岩松守純と芦原道真、それに上泉秀胤が対応してくれた。


 酒宴の方は、軍神殿を筆頭に、直江実綱、柿崎景家、斎藤朝信、北条(きたじょう)高広、そして長尾藤景の姿があった。越後長尾の家臣のうちで最初に挙げた四人は、後世でも上杉謙信の家臣団として著名な面々だが、最後の長尾藤景は、軍神殿と同族で当初は重用されていたものの、最後には謀殺されてしまったらしい謎多き人物である。怜悧そうな印象だが、接触の機会はあるだろうが。


 歓待役の首座としては、上泉秀綱を任命した。となると、疋田文五郎と神後宗治は当然に参加となり、他では小金井桜花がイケる口らしく、任せてと胸を張っていた。頼もしい。


 それでも開始からしばらくは同席していたのだが、剣聖殿と桜花が立派なウワバミ振りを発揮していたので、失礼させてもらうことにした。


 執務室に戻ると、霧隠才助が報告に来た。忍者群と剣豪組の有志は市中の警備に当たってくれている。今のところ、長尾軍の規律は保たれているようだが、用心するに越したことはなかろう。




 翌日の朝、近衛前嗣から街の様子を見たいと要望があったので、神後宗治と蜜柑を供に散策に出た。改めて考えると、この一年でだいぶ発展している。下水道も、溝に蓋をしただけの簡単なものだが一応は整ったし、火災防止の役割を兼ねた用水路も市街に巡らされている。


「上泉秀綱殿からは、この地は一年で楽土のようになったと聞かされた。民の顔が明るいのだとも。荒廃している京の街も、このようになればよいのでおじゃるが」


 この人物のおじゃる言葉は本気なのか、意図的に公卿らしさを強調しているのか。


「田舎町ですので、安全な日々が続けば和やかな空気が流れるのです。できれば、ずっと平和であってほしいものです」


「全国がそうなればよいのだが」


「関白殿下のお力で、やがては」


「関白はやめてもらえまいか。前嗣とお呼びいただければ」


「承知しました。前嗣様は、武家と共に前線に出られるとは素晴らしいですな」


「そう思わない者もいるようでおじゃるが」


「どこにでもやっかむ者はおります」


 そう応じたところで、青年公卿がふと真剣な視線を向けてきた。


「……護邦殿。古河公方をどう捉えておられる」


「さて……。かつての幕府と正面から対立していた頃の勢いは、すっかり失われているようですな」


「ふ……、確かに」


 俺が古河公方、関東管領を軽視していると伝われば、今回の侵攻の首脳三人はどう感じるのだろうか。


 とは言え、現状では北条にしても軍神殿にしても、形式的な敬意を示しているに過ぎないようにも思える。まあ、景虎殿はそもそも北条が関与した足利義氏の古河公方就任を認めていないのかもしれないが。


 目の前を歩いている高位公卿については、元時代では、古河公方、いや、鎌倉公方として立つ野望を抱いていたと見る向きもあったが、どんなものなのだろう。


 現将軍の足利義輝とは同い年の従弟であり、姉が嫁いでいるので義兄でもある、との間柄なので、武家に親近感、あるいは気安さを抱いているのかもしれない。


 さらには、藤氏長者と呼ばれる藤原一族に号令する立場であり、藤原氏系の坂東武者も多くいるからには、無謀な話ではないのかもしれない。


 ちなみに、その一族の中で最も官位が高い者が氏長者になるのが基本となっていて、源氏の長者は戦国期には公卿の久我家が代々引き継いでいるそうだ。まあ、その久我の前当主は、近衛から入った養子なのだけれど。


 そして、やがて徳川家が源氏長者の座を占めるわけだが……、松平家が新田支族の得川家だとする系図を捏造、いや、整理、発見したのはこの近衛前嗣らしい。まあ、先の話は措いておこう。


「ところで、新田姓に護邦殿という名は、守邦親王に因んでのものでおじゃるか?」


 この指摘は、道真に続いて二人目である。鎌倉幕府滅亡時の最後の執権、北条高時の名は知っていても、最後の宮将軍の名を知る者は多くないかもしれない。


「いえ、父が知らずにつけたようでしてな。皮肉な名となっておりますが、今ではそこが気に入っております」


「ほう……。なんなら偏諱をとも思ったのじゃが、気に入っているのなら無用でおじゃるな」


「はい、ご配慮ありがとうございます」


 頷くと、青年公卿はまた機嫌よく歩き始めた。


 公衆浴場や蕎麦の屋台など、関白殿下の興味の向く先はさまざまである。蕎麦の行列に並んで、受け取った椀から普通に啜り出した時には驚いたが、そもそもこうして戦場に出ている時点で規格外なわけだ。


 ま、さすがに銭は持っていなかったので、立て替えておいたが。


 香取神社と鹿島神社が並んでいるのを見て、怪訝な表情を浮かべていたので、由来を説明したら大笑いしていた。


「ならば、護邦殿の側妻が神の使いというわけでおじゃるか」


「最初の巫女は、その側近ですが。そして、鹿島神社の方は、剣聖殿と並んで、妻の蜜柑が関わるようになっておりまして」


 事情を説明すると、関白殿下は声を上げて笑った。


「大名の正妻とその師匠の剣豪が、忍びの者と一緒に盗賊を討伐しているとはな。都では考えられないことでおじゃる」


「いや、関東でもおそらくうちだけですが……」


 俺の声は、境内に向かう関白殿の耳に届いただろうか。上機嫌で参拝を済ませた彼は、鳥居に飾る額を書いてくれるそうだ。ありがたい話である。


 城に戻ると、深酒をしたらしい軍神殿も起きてきていた。昼食として供された川海老のかき揚げを使った天丼を、ものめずらしそうに食べてくれたのはなによりである。


 兵士に天丼はさすがに出せなかったが、蕎麦、うどんの屋台も持ち込まれ、他の献立もハム挟みパニーニや雑炊など、多種多様な炊き出し状態となっている。それもまた、米の消費を減らすための一手だった。


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