【永禄三年(1560年)七月】

【永禄三年(1560年)七月】


 このところ、時間を見つけては遠乗りをするようになっていた。馬の種付けシーズンは終わり、新規導入の体格の良い馬も乗用できるようになっている。そんな中でも、俺の相棒は相変わらず「静寂」号だった。


 遠乗りと言っても、遊びに出ているわけではない。忍者の手練れの先導を受けながら、軍師組と共に周辺の城の調査に出ているのだった。


 軍師候補は、上泉秀胤、英五郎どんの養い子の見坂智蔵、それに常備兵志願組や孤児出身者からの登用組のうちの成長が期待される者たちだった。


 さすがに竹中半兵衛や黒田官兵衛、真田昌幸・信繁のような智謀Sランクの者は現れていない。そう言えば、山本勘助は実在しているのだろうか?


 この時代、他家の武士が領内に入ってくれば、問答無用で討たれる可能性もある。俺自身が見て回れているのは、水軍との連携に加えて、忍者の索敵能力が高いためだった。


 既に忍城、本庄城は視察済みで、今回は武蔵まで足を伸ばし、藤田氏の鉢形城を遠望できる小高い山を訪れていた。


「いい立地だな」


 荒川の河岸にある城は、支流も利用して攻め手を制限する立地となっている。史実ではこの後に大幅拡充され、各勢力の争奪戦が行われるわけだが、現状でもなかなかに攻めづらそうだ。


「攻めるとしたら、どう仕掛ける?」


 軍師候補達に投げた問いに、まず応じたのは上泉秀胤だった。


「なかなか厳しいですな。包囲して、兵糧攻めでしょうか」


「それは迂遠すぎます。既に水路がありますから、掘削して水攻めなんていかがでしょうか」


 見坂智蔵の発想は面白いが、さすがにこの立地では難しそうだ。逆に、水路を張り巡らせた堅城にするのはありかもしれない。


 登用組も色々と意見は発するものの、さすがに有効そうな作戦はすぐには出てこない。と、騎乗した三日月が接近してきた。


「東から武家が幾人か来てるわ。念のため移動しましょう」


「承知した。……しかし、まず軍勢を南岸に持ってくるのがむずかしいな」


 流れているのは荒川で、新田水軍が自由に行き来できる利根川ではない。まず解決すべきはそこだろう。


 馬で移動しながら、今後の視察先について相談する。同じく藤田氏の天神山城の後は、ついに北条方の松山城、河越城といった辺りが候補に上がる。


「天神山城は、国峰城方面から山沿いに見に行く感じね」


 三日月は軽く言うが、忍者の体力と比べられては困る。


「登山かあ」


 と、三日月にジロリと睨まれた。


「実地で見たいと言ったのはアンタでしょ?」


「はい、そうでした」


 この忍者の頭領の俺への当たりは相変わらずきつい。周囲の軍師候補達は、苦笑いを浮かべていた。




 古河公方の足利義氏からは、金山城を明け渡すようにと強圧的に命じる使者がやってきた。


 流れが止まらなければ、いずれ越後長尾勢によって放逐されると考えれば、特に腹も立たない。慇懃無礼にあしらうとしよう。


 金山城のみを明け渡せばいいのなら、それ以外の城は古河公方から領有のお許しが出たと考えてよいのかと問うたら、使者は目を白黒させていた。いや、総てを放棄しろとか言い出すから、それが古河公方の意志なら、全力で対応しないといけなくなりますな、と応じたら、慌てふためいていて微笑ましい。


 それにしても、北条の支援を受けながら、どうして古河に留まっているのだろう? 現時点で古河が本拠地なのはわかるが、歴史的には享徳の乱以降に鎌倉から移ってきたに過ぎない。鎌倉に戻してしまえば、北条の下で盤石な体制が築けると思うのだが……。


 まあ、そう考えてしまうのは、史実ではやがて古河公方が消滅するのを把握しているために、無意識に軽んじてしまっているのだろうか。百年以上古河を在所としていれば、それが当然だと考えてしまうのも無理はなさそうだ。


 さらに、離反することはあっても基本的に古河公方を支持してきた下野、常陸の香取海北岸・西岸地域を拠点とする諸将の反発を危惧してもいるのか。この点も、史実での長尾景虎の関東進出後の展開を考えると、無視してよいように思うのだが。


 まあ、里見を攻略した上で本格的に古河に軍勢を進めていれば、解決だったのかもしれない。やはり、軍神殿の関東進出こそが北条にとっての厄災となるわけか。


 その流れは、残念ながら止まりそうになかった。




 使者のその後の対応は、上泉秀胤に任せる形とした。軍略系を主に担当しているが、道真も箕輪重朝も年若なため、世慣れた秀胤に頼る場面はどうしても出てくるのだった。いや、彼も充分に若いのだが。


 使者を送り出して戻ってきた秀胤を、俺はお茶に誘った。家中は緑茶派と紅茶派に二分されているが、幸いなことに互いを敵視する展開とはなっていない。そして、秀胤は明白な紅茶派だった。


 クッキーと紅茶でねぎらうと、使者の応接対応に閉口していたようだった。


「どうも、新田家について、たまたま諸勢力の隙間を突いただけの小勢力で、やがて自壊すると考えているようですな。腹立たしいことです」


「まあ、そう言うな。軽んじられた結果、気軽に攻めてこられるとなると困ってしまいそうだが、放置してくれるならいいことさ」


「古河の東では、結城と小田、佐竹がやりあっていますので、それが落ち着いたら、諸将を糾合して攻めようとでも考えているのかもしれません」


「軍神殿が来るとの見通しがなければ、悩ましい展開だがな。……常陸、下野のどこかの勢力と、誼を通じられないかな」


「さて、どこも古い家ですからな。新進の国人衆らの方が、話が合うかもしれません」


 言葉を切った秀胤は、運ばれてきたクッキーを頬張って幸せそうである。


「ところで、家中でなにか気になることはないか?」


「ほふでふな……」


「いや、食べ終わってからでいいぞ」


 案の定、げふげふと咳き込んだのを落ち着かせてから、対話は続けられた。


 忍者部隊、鉄砲隊、水軍と隠し玉は多いものの、それらを隠し過ぎているために、過度に軽んじられているのではないかというのが、秀胤の問題意識だった。


 俺の目線からすれば、上泉秀綱、神後宗治、疋田文五郎という軍事、統率に秀でた武将がいて、中級指揮官にも▽持ちが育ちつつあり、練度も上がってきているので、おそらく強い軍勢になりつつあると思っている。


 兵たちの実勢経験、剣豪武将の指揮経験の少なさは危惧するポイントだが、武田や上杉の主力と正面から戦うわけでもなければ、そうそう引けは取らないだろう。


 だが、外から見た場合には、剣豪らは純粋な武将ではないと捉えられているため、農民の寄せ集めに見えるのも秀胤の指摘の通りだった。


「いずれ実力を示すときも来るだろう。それまでは、侮られていて問題ない。……外交の際には、苦労をかけると思うがな」


「いえ、それはかまわないのです。侮られていた状況であれば、楽に戦えるのも間違いありませんし。ただ……」


「ただ?」


「殿は、実力を発揮させたくないと考えておいでなのでは? 正面から戦えば、どうしても犠牲は出ますし」


「犠牲は少ないに越したことはないだろ?」


「そのために、隠し玉を切っていって、しかも、できるだけ秘匿するとなると、どこまでいっても侮られたままであるような……」


「隠したままで、平和な世まで逃げ切れればいいんだが。……軍略家としては、不満かな」


「いえ、とんでもありません。確かに、その方がいいですな」


 そこから、話は剣豪勢が不在の間の体制や、内政面へと話は転がった。やはり人によって問題意識はそれぞれのようで、他の家臣ともこういった時間を設けようと心に決めた。個人面談、というわけではないけれども。



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