【永禄三年(1560年)六月中旬】その二

【永禄三年(1560年)六月中旬】その二


 厩橋に近い湊から小型ガレー船で大泉の湊まで向かう。その様子も、絵師の若者からするとだいぶ物珍しい風景のようだ。


 軍港的な運営が為されているが、商船の立ち寄りも歓迎している状態である。もっとも、白井城までの遡上は難しいので、ほぼ厩橋出入りの商人しか使わない状態だが。


 寄港料を求めていないのは、商業の活発化を促すためである。大泉の湊は、金山城域のみならず、桐生、足利方面への玄関口となりつつあった。


 桐生、足利は、本来は利根川と並行して流れる渡良瀬川からの方が便利なはずだが、そちらの水運はあまり盛んではない。流量の絡みもあるにしても、船の大きさの調整でどうにかなりそうなのだが。


 南蛮船の建造現場は、さすがに商船も寄港する辺りとは少し離れたところに設定されている。


「描いてくれた絵図そのままじゃないがな。あの絵を元に、俺が雑な図面を示して作ってもらった」


 なんちゃってキャラベル船の実際の建造はまだ始まったばかりである。飛蔵が持ってきた試作模型を見せて、意見を求める。


「華奢だけど、頑丈そう。でも、それよりあっちのガレー船の方が気になる」


 十矢と名乗った絵師の若者は、隣の区画に視線を向けていた。


 厩橋からここまで乗ってきたのは、和風の櫂船と地中海的なガレー戦の中間くらいの構造である。対して、建造中なのはより純粋なガレー船だった。


「遠洋航海には向かない構造かもしれないが、沿海や湖では使い勝手がいいんじゃないかと思っている」


 と、いつの間にやら近づいてきていた神後宗治が声をかけてきた。


「斬り込みを考えたら、もうちょっと高さがあった方がいいと思うんだがな。その点はどうだい?」


 初対面のはずだが、この気安い剣士の言動は変わらない。一方の絵師の若者も俺らに対するのと変わらず応じた。


「水深と海流、波風といった環境面と、何隻で運用するのか、積み荷は必要かどうかで適する構造は変わっていくんじゃないかな」


「船と戦うのか、城を攻めるのかでも変わってくる。加えて、将来的には大筒と呼ばれる大砲が主戦兵器になりそうだ」


「大筒とは?」


「巨大な鉄砲だな。小岩のような鋼の弾丸を飛ばして相手に叩きつける」


「そうなると話はまた、まったく違ってくるよねえ」


 首を振りながら岬が応じると、あっさりと水軍談義に突入した。居合わせた水軍衆、船大工たちも参加する。


 こちらでも厩橋で笹葉が使っていた粘土が導入されていて、大砲の構造やら各場面で想定される船の形やらが形作られていった。


 さらには、鉄の板を張り巡らせるかもと告げると、特に船大工陣はややげんなりしたようでもあった。


「ただ、いずれにしても全般的に経験が不足しています。特に遠洋向けの船についての知識を得たいのですが」


「勝浦出身の商人との縁で、勝浦水軍と関わりができそうだ。勝浦には水軍と、船大工がいるだろうから、教えを乞いにいくってのはどうだ。打診してみないと、なんとも言えないが」


 ぜひ行きたいと、中島飛蔵ら船大工組数人と、海彦ら水軍主力が手を挙げた。一方の神後は、やや逡巡しているようだった。


 そして、海彦は出身地から苗字を取る形で、士分に取り立てることにした。名乗りは、小舞木海彦となる。




 戦乱の季節の到来が予想されるが、想定通りであれば碓氷峠方面以外の上野国が攻められることはないはずだ。


 そう考えると、農業、産業の振興を今のうちに開始し、軍勢が南関東を転戦している間に進めておくのが理想的な展開となる。


 農業は引き続き食料増産に励むとして、産業は現状では厩橋に集中してしまっている。


 酒、味噌、醤油の発酵食品作り、石鹸作り、養蜂、養蚕、鍛冶仕事、冶金、そして食肉加工が厩橋で実施され、造船やクロスボウ、盾などの武具作り、造船は金山城下と大泉の湊に展開されている。


 どれも作れば作るだけ売れそうな状態であり、拡大していきたい。ただ、厩橋への一極集中はあまりよい状態ではないだろう。


 産業の量産拠点を領内の各地に設置できれば、より地力が高まるのではないか。その構想を実現すべく、領内各所の、具体的には、金山、桐生、赤石、箕輪の者達の主だった町衆、村の者達を厩橋に集めた。


 各工房を見てもらい、それぞれの土地で取り入れたい分野を考えてもらう。良い水が手に入るかどうか、近隣での産品はどうかといった観点でも論議しつつ、それぞれで二つ、三つと選ばせた。結果として、だいぶばらける形となった。


 各所の工房は拡張できるように配慮しつつ新田家で構築し、職人も厩橋で経験を積んだスキル持ちを向かわせる形となる。一方で、厩橋の各拠点は要員教育を行いつつ、試作、研究開発のために引き続き稼働させ、近隣の町の同じ分野の量産拠点を監督させる役割を持たせることにした。


 この内の桐生だけは、利根川流域から外れて渡良瀬川流域となる。この時代の渡良瀬川は、分流はありつつも、概ね利根川と並行するように江戸湾へと注ぐ。


 水運はあまり盛んではないようだが、古河や関宿にも通じるので、桐生にも水軍造船拠点を築いて、手掛けていくとしよう。


 そうなると、佐野氏の領域をかすめるわけだが、長尾景虎がやって来れば、それどころではなくなるだろう。というか、できれば商売を通じて共存共栄していきたいものだ。


 厩橋で作った湯浴み場は定着しつつあり、石鹸の利用や上下水道の整備も理解が進みつつある。工房群の開設と同時に各所にも設置し、衛生環境も整えていこう。黒鍬衆の活躍の種は尽きない状態だった。


 また、蕎麦、うどんの店や、麺類に拘らない食事処も展開したい。できれば地元の発想も加えてもらって、各地で名物が成立してくれるとよいのだが。




 そんな中で、長野業正の遺児である箕輪繁朝が、印刷の導入を提案してきた。活字を使った活版印刷ではなく、ページごとに版を作る方式、いわゆる凸版印刷を想定しているらしい。浮世絵の文字版といったところか。


「活字までいきなり進むのは難儀ですので、まずは木版で進めたいと思うのです」


「広めたい本が限られているときには、それがいいかもな。木工職人の協力が必須だが。対象となる書物は想定してるのか?」


「そこは絞れていません。物語のようなものがよいかも、とは考えていました」


「需要があるのは、孫子の兵法書あたりかな。百人一首なんかもいいかもしれないが」


「百人一首はよさそうですね」


 うれしげな繁朝を伴って、笹葉に相談を持ちかけたところ、配下の木工職人に打診してみてくれるそうだ。一方で、百人一首については、普及させるのであれば、木の板に焼き印した方が確実なんじゃないか、との話になった。確かに、その通りだろう。


 兵法書は、部分的に写本したものを、まずは数葉から木工スキル持ちに彫ってもらおうと話が決まった。贈り物として役に立ちそうだが、味方になってくれそうな勢力限定にするとしようか。




 永楽通宝の私鋳も試作から量産へと進んでいる。考えてみれば、この鋳造というのも印刷と似た概念ではある。


 冶金や鍛冶も進めているからには、技術的にはさほど難しい点はないそうだが、円滑な量産のための工程を視野に入れると、さすがに色々と工夫が必要だったようだ。やや難産だった完成品は、実際に出来映えもよかった。


 ただ、さすがにピカピカだと違和感を持つ向きが多かったので、初期作成分については土に埋めて使い込み感の演出を図っている。まあ、綺麗な銭が受け容れられるようであれば、その工程は省くことになりそうだが。


 宋銭の古銭集めも進んでいる。価値を分かる商人もいるものの、農村などでは敬遠される場合も多いようだ。


 状態が悪化していく宋銭と、私鋳銭がほとんどだと思われる永楽通宝。そのどちらに価値を置くかで、関東を含む東国と近畿や九州の西国は、真逆の状態となっている。権威主義と実利主義と捉えてしまうのは単純過ぎるかもしれない。


 また、私鋳されたと思われる永楽通宝、欠けたり摩耗したりしている貨幣、シマ銭などと呼ばれる元々粗悪な貨幣を鋳溶かして、冶金を施す事業も進められている。


 誰が作ったかもわからない、謎の文言が刻まれていたり、のっぺらぼうだったりする貨幣は、綺麗な状態であってすら永楽通宝の半分から、場合によっては十分の一の価値もないものもある。


 そういった銭であれば、混ぜ物があるにしても、半分でも銅が含まれていれば充分な利益が見込める。そして、わずかでも金銀が出てくれば……。


 一山の鐚銭を鋳潰して冶金処理を加えると、概ね小粒の金、銀が数粒は得られた。どぶろくを濾過して長野酒として売りに出すのと同様に、ノーリスクの事業が手に入ったことになる。川里屋の手を借りつつ、仕掛けていくとしよう。




 食事情としては、小麦を使ってパンの量産を進めている。現代日本にあったようなふわふわのパンは、作るのもむずかしいが、保存にも向かないために目指していない。


 既に開発済みの堅めのパンで、ハムやベーコン風の干し肉や腸詰めを挟んで仕上げ、炙って食べるよう推奨している。一方で、そのまま食べても問題ないように、具材は加熱しておくように徹底していた。


 蕎麦、うどんは、汁と一緒にすすって食べるところが人気を呼んでいるようだ。一方で、貴重な米の消費を抑制するためには、主食として日常的に食べられるものを用意する必要がある。さらには、特に農作業に従事する領民のカロリー確保のためにも、パン食の導入は有用なのだった。


 大根、人参や葉物野菜などは引き続き増産しており、領民の食料として活用されている。穀物向けの開墾も含めて、増産を図っていくとしよう。




 パンと一緒に飲むには、紅茶がほしいと思ってしまうのは現代的な感覚なのだろうか。ただ、紅茶自体はお茶の新芽と若葉を揉み込んで発酵させれば、わりと簡単に作ることができる。


 そして、そうなると抹茶ではなくて緑茶も欲しくなる。この時代の煎茶と呼ばれる飲み物は、露天栽培の若葉と古葉を区別なく摘み取って煎じたもので、緑ではなくまさに茶色をしている。


 茶の湯で使う抹茶は、覆いをした茶の若葉を摘んだものだそうだが、露天でも若葉だけを摘めば、品質の良いお茶になってくれそうだ。ということで、茶畑があった和田城域で茶摘みをしてみた。


 新芽と若葉二枚だけを摘みたいとの話をしたら怪訝な顔をされたが、既存の茶は古葉だけでも問題なくできるというので、許容してもらった。


 半分は緑茶向けに蒸らしてから煎じて、残りは紅茶用に葉を揉み込んでから発酵させてみる。その過程は、茶農家に厩橋まで同行してもらい、酒造所で何通りかを試してみた。


 出来上がった緑茶、紅茶はどちらも、試作品にしては満足のいく出来栄えだった。物見高い剣豪殿や料理班も興味津々だったので、試飲させたら大好評だった。


 特に菓子職人の拓朗は、クッキーと紅茶の取り合わせに感激していた。そこから、緑茶、紅茶に合うお菓子の発想が湧き出しているようだ。楽しみである。


 そして、それ以上に感激したのは茶農家の者たちで、ぜひもっと作ってほしいとの要望が出た。これから新芽が出る茶畑もあるそうなので、そちらも収穫させてもらうとしよう。そして、茶の木を増やせば、幾らでも買い取るとの話にしたところ、やる気を出してくれたようだった。


 攻城戦によって陥落した和田城下には、どこか負け組めいた感覚があったようなので、ぜひ茶を名産にして、貴重な土地となっていってほしいものだ。




 茶の開発がうまくいきそうなことに触発されて、果実酒造りの方も進める流れとなった。


 苗木や種から育てている果樹からはまだ果実は収穫できないので、買い入れたぶどう、桃、林檎の実を使っての試作となる。試食してみたが、どれも酸味が強くて小さくて、元の時代の果物がいかにおいしかったかを痛感された。


 ただ、果実酒の材料としては、また、今後の菓子の素材としても使いみちは幾らでもある。梨や蜜柑も含めて、積極的に収集、栽培していきたい。


 果実酒についても、酒造組に担当してもらう形とした。夏には果実酒作り、秋から冬に日本酒を仕込む形で、二毛作的な展開を目指すとしよう。


 やはりメインは葡萄酒だが、シードルのような林檎酒、ついでに酒ではないけどネクターも作ってみたいところである。


 葡萄酒は、黒ブドウの種を潰さないように実を砕き、皮や小枝まで入れて発酵させれば赤ワインに、白ぶどうの果汁だけを発酵させれば白ワインになる、というのが基本となる。そして、白ワインに酵母と糖を足してさらに発酵させれば、シャンパン的なスパークリングワインが出来上がる。


 りんご酒は、林檎を発酵させれば、そのままシードルになるはずだった。


 そしてネクターは、発酵させるのではなくて実をピューレ状にして甘みを加えたものとなる。


 容器については、どぶろくの入っていた壺を洗浄して保存してあるので、それを再利用してみよう。どれくらいでできるかは、正直わからないのだが……。




 厩橋城下はだいぶにぎやかになって来ているが、産業方面では安定した分野の量産部門を各地に振り向けた結果、やや停滞しかねない状態となってきている。まあ、試作や教育拠点としては残っているのだけれど。


 新規の産業を誘致しようとの話になり、岬と道真に相談したところ、漆器、蒔絵や、馬具、絹織物、絵画といった各分野の職人を招聘してはどうかとの話になった。


「だけど、厩橋まで来てくれる人はいるかな」


「若い町ですから、熟練の職人は難しいかもしれません。宮大工のように若手に出張仕事を依頼してはいかがでしょうか」


「それで、期待できそうな人材に手伝わせて、学ばせるか」


 古河は今後は、何度か攻囲され、戦場になる場面もありそうな雲行きである。そう考えると、有能そうな人物を招いておくのはいいかもしれない。


 宮大工からの伝手もたどりつつ、依頼仕事の形で職人の招聘が行われ、各分野で数名ずつの呼び寄せが実現した。


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