【永禄三年(1560年)六月中旬】その一

【永禄三年(1560年)六月中旬】その一


 この時期、気になる噂が耳に入ってきた。金山城の由良氏……、旧横瀬氏は、新田の血筋である岩松氏を下剋上し、自らが新田義貞の末裔であると騙ったために、義貞の生まれ変わりである俺によって討たれたというのである。


 色々と突っ込みどころがありそうな噂だが……、俺は岩松守純を呼び出した。


「思ったより早いお召しでしたな。さすがは、忍者を使いこなされておられるだけはあります」


「いや、聞いたのは侍女からなんだが」


 にっこりと笑っている岩松家の当主の瞳には、やはり暗い陰影が含まれている。岩松家は一族揃って厩橋に移住してきている。


「で、意図を聞かせてもらおうか」


「意図ですか……。横瀬を貶め、殿による支配の正当性を確立する、といったところになりますが」


「頼んだ覚えはないんだがな。誰かが話を持ち込んだか?」


「いえいえ、独断です。……おわかりでしょう。殿の件は付け足しに過ぎません。臣下の身で岩松に仇をなした横瀬に罰が下った。それが重要なのです」


 穏やかそうな人物の瞳に、激情が浮かんでいると肝が冷える。


 この岩松守純の祖父は、家老だった横瀬氏と争って隠居させられている。当時、幼児だった父親は、お飾りの当主として軟禁状態で過ごした末に復権を目指して死に追いやられる。跡を継いだ叔父も同様に自死に追い込まれ、この岩松守純が当主として擁立されたのだった。


 そして、本人も軟禁状態の当主として利用された上で、横瀬側の代替りもあって放逐されるに至ったわけだ。


 ただ、祖父も隠棲しながら楽しく過ごしていたようだし、下剋上劇が演じられたわりには尊重された方だとも言えそうだが……。当人からすれば、より屈辱的だったのかもしれない。


「復讐のためと言うなら制止はしない。だが、義貞公の生まれ変わりってのはちょっとな……」


「いっそ、源義家公にされますか。あるいは、源経基公ですとか」


「それだと、新田姓はおかしいだろうに。いや、それも含めて勘弁してくれ」


「では、やはり義貞公でしょうなあ」


 まあ、守純が言うのも一理あるかもしれん。そして、この噂を踏まえると、足利幕府から新田の惣流として認められていた岩松氏が家中にいる意味は大きくなる。


「で、復讐はいいとして、野望はあるのか?」


「家の内外での連歌による交流をお任せいただきたいですな」


「関白殿や、関東管領殿とかの対応もできるか?」


「祖父が聞いたら、羨ましがるでしょう。務めさせていただきます」


 田舎武家としては、助かる状態なのだが……。いいのか、それで。


 そうそう、親純の猫絵は見事なもので、買い取らせてもらった。さらなる作品を作るか、浮世絵のような版画に進むのかと問うたら、迷っているようだった。


 家純の方も、医術の羽衣路、薬の辰三と交流して、そちらの研究、教育に参加したいと張り切っている。


 三者三様で道を見つけてくれたようで、こちらとしてはなによりである。




 関宿を訪問し、商店を出そうとの話を進めた件が影響したのか、ある日、岬が父親だという人物を連れて訪ねてきた。川里屋は岬が当主で、母体である里屋をこの人物がまとめているそうだ。


 容貌は商人と言うより山賊的な体格なのだが、なぜか人好きのする風情でもある。とてもじゃないが、岬と血がつながっているようには見えない。


 それはそれとして、こちらからの種苗の要望や、堺での料理屋の出店、粗銅の調達、上方と関東での米の商いにも携わってくれているそうだ。


「おもしろい物ばかりお求めになっておられますな」


「今は、変哲のない米やら小麦、蕎麦などを依頼しているはずだが」


「品目としては確かに。ですが、ひどい高値にならない限り、目立たぬように幾らでもとなると、一気におもしろみが出てくるわけでして。上方からの輸送の話もありますし」


「確かにな。来春まで、いや、来夏まではなるべく多くを確保したいんだ。そちらの商いの邪魔にならない範囲で協力してほしい」


「承知しました」


「後は、金と銀の交換比率も上下してるよな」


「ええ、日々変動していると聞いています」


「領内では、どちらかと言えば金の方が出る。金の価値が上がっているときには、銀や宋銭に替えて置いてほしいんだが」


「それはまた……、承知しました」


 石見銀山を中心とした銀が大量に算出されたことが、南蛮船が日本に大挙して押し寄せた理由だとされている。そして、銀を本国に持ち帰ると言うよりは、明に持ち込んで生糸や絹織物、硝石、あるいは金などを買って日本へ、という貿易をして利益を上げていたようだ。


 いずれ外洋船を確保して参入したいところで、現状で国際通貨としての銀を確保しておく意味合いは大きい。交換比率には今後も注目していくべきだろう。


「それと、堺に開いた料理屋は、人気を博しているようです。残念ながら、南蛮の料理人はまだ釣れていないようですな」


 その後も談義は続き、互いの出自の話になった。こちらは、いつもながらの義貞公とは別の、源氏ではない新田なんだとの話と、神隠しから戻ってきた旨を説明する。


 里屋は、元は上総の勝浦の出身で、設立されて十五年ほどになるそうだ。


「屋号の里屋ってのは、どんな由来なんだ?」


「長年に渡って世話になった里見様の里からいただきました」


 ……ん?


「勝浦出身で、十五年前より前に世話になったとすると、里見ではなく……」


「新田殿」


 里屋の主の口調が、やや強まった。岬は、やや怪訝な表情を浮かべている。


「すまんな。興味本位で触れていい話ではなかった」


「いえ、こちらこそ失礼いたしました」


 勝浦城は現時点から十五年ほど前、小田喜城と共に攻略されたはずだ。敗北したのは武田の支族である真里谷家の一族で、奪ったのは里見家である。それならば、里の字は……。


 そして、岬は十五歳ほどにも見える。まあ、詮索はよしておくとしようか。


「ところで、海と川の物資はどう受け渡してるんだ? 船が違いそうだけど」


「品川湊の沖で積み替える場合が多いですな」


「不便じゃないのか?」


「品川湊では、船着き場も脆弱ですし、武家に攻められる場合もありまして」


「厄介なことだな。……河口に島がなかったか」


 佃島だったか……? いや、佃というのは、家康以降の名前か。


「鎧島ですかな」


「そこを要塞化して、水軍の拠点にできないか」


「できぬこともないでしょうが……。それで、商船を襲われますのか?」


「逆だ、逆。商船を海賊や武家から守るんだ。利根川河口の湊が安全になれば、もっと物流が盛んになるだろう?」


「それで、新田家に何の得があるのです?」


「うちもやがて自前の商船を出すことになるだろうから、その安全が図れる。だいたい、利根川流域が豊かになるのはいいことじゃないか」


「直接の実入りの話をしているのですがな」


「うーん、領内の売上税が多くなる、くらいかな?」


「矢銭ですか。搾り取れそうですな」


 悪い顔になった父親に、娘がいたずらっぽい笑みを向けた。


「そう思うでしょ? 厩橋の矢銭は固定制で、売上の二十分の一。ただし、自己申告」


「はあ? 誰が払うんだ、そんなもの」


「番付に乗りたくて、特に小売の商人が競って払ってる。上位十店には商品の優先供給や、警備強化やら、領主との対談やら」


「……なんか、別世界だな」


 呆れている様子の岬の父親に了承をもらって、俺は軍略、内政方面を担当する芦原道真、上泉秀胤の両名を呼び出して、鎧島築城案について意見を求めた。


「長尾景虎殿による関東侵攻のどさくさなら、ありかもしれません。品川湊も、協力してくれるでしょう」


 道真の言葉に、秀胤が重ねる。


「ただ、海賊衆、いえ、水軍衆がどう捉えるかが気掛かりです。こぞって攻められるとなると、厄介です」


「ふむ……。勝浦党はどう思うかな」


「きっと、奇特な連中だが利益にはなるな、と考えるだろう」


「問題は、他の里見水軍と、北条水軍か」


「勝浦党の旗を立てる手もありますな」


 里屋の主の言葉に、岬が首を振った。


「姉者の手を煩わせるのは……」


「姉者?」


「この岬は、勝浦党の女頭目になついていてな」


 そういう縁があるのなら、頼ってみてもいいのかもしれない。


「やるとなると、結構な土木工事が必要になるな。まずは築城か」


「ただ、なにもない、砂洲中心の土地かと思われますが」


「一夜城的に、土台を仮組みして、船で川から運べばいいんじゃないか。その後に、盛り土をして、湊の掘削もして、ガレー船を常駐させて」


「まさか、すぐに動かれるおつもりか?」


「いやいや、船も水軍も数を揃えて、経験を積んでからだな。加えて、北条の勢力が弱まらないことには」


「なんだ、十年単位の話ですか。おどろかせないでいただきたい」


「いや、今年の秋から冬のどこかだ」


「それは、すぐですって……」


 恰幅の良い商人は、なにやらげんなりした表情を浮かべている。


「いずれにしても、大泉の湊の改修に目処を立ててからだな。船造りも、掘削、築城、堤防作りも経験を積んでおかないと」


 話している間に、商人側の随員の一人が木筆を走らせていた。俺がそちらに視線を向けると、岬が声をかけて持ってきてくれた。


「これは、もしや鎧島か」


 線の細い若者が、こくりと頷いた。


「この筆致は、南蛮船を描いてくれた人か。あんたのお陰で、船を造り始められてるぞ」


「南蛮船をか?」


「ああ、後で見せよう」


 そう口にしながら、俺は島の絵に視線を戻した。横には、彼らが乗ってきたらしき安宅船が描いてある。大きさの指標としてなのだろう。道真と秀胤も覗き込んできていた。


「結構広いな。……なあ、海に出るなら、ついでに塩田が造れないかな」


「笹葉殿を呼んできますか」


「頼む」


 剣聖殿の息子は意外と腰が軽く、重々しさを演出している節のある道真とはやや対照的な立ち居となっている。


 登場した笹葉は、塩田と聞いてさすがに首を傾げている。


「海の水は、塩分を含んでるのは知ってるか」


「話には聞くけど」


「三パーセント……、あー、つまり、百の海水のうち、塩が三だ。煮詰めるのはものすごい手間がかかる。天日で乾かして、もっと濃くすれば……」


「自然に結晶になるってわけね」


「さすが、発明家だな。にがりは取り除かなきゃならんが。……で、だ。こう、坂を造ってだな」


「粘土、持ってきてるよ」


「おお、助かる」


 スケッチよりも、立体の方が話は早い。


「こう、緩やかな坂を造る。坂の構造はどうでもいいんだが、木の柱よりは、土で固めたほうがいいだろうなあ。……で、海から汲み上げた海水を流して、天日に晒す。下まで流れ着いた海水は、だいぶ濃度が高くなっている。ここまではいいか?」


 笹葉だけでなく、周囲にも目線を投げる。ついてこれていない者は皆無であるようだ。


「坂の下に溜まった塩分濃度の上がった海水を、また汲み上げて坂の頂上から流す」


 手を上げて問うてきたのは、里屋の主だった。


「汲み上げにひどい労力がいるんじゃないか?」


「そこで登場するのが……」


「揚水機か」


「ああ、螺旋ポンプだな。海からは取水門かなにかで引き込むようにできれば理想的で、坂を流れてきた濃い海水は、ここから汲み上げる。何度か繰り返して、濃くなった海水を煮詰めれば、塩の出来上がりだ」


 説明を聞き終えて、道真と秀胤が視線を交わす。


「いけそうですな」


「海岸でやるなら、海の満潮も利用すれば、より楽にできるかも」


「揚水機の動力には、水車を使う手もあるぞ」


 俺の言葉に、道真がやや呆れたような声を発した。


「そこは、人の手でよいのでは?」


「いや、全自動は浪漫だろう」


「……おっしゃってる意味がわかりませんが。それで、どれくらいの塩が作れます?」


「さっぱりわからん。だが、揚水機を回すだけだからな。土木工事も、一気に高く作れば手間だろうが、広めに緩やかに作れば、難度はさほどでもないだろう。塩を売った利益で水軍の運営費や、造船費用くらいは出るんじゃないかな」


 と、商人父娘の父のほうが、親しい存在に迷ったような問いを投げる。


「なあ、なんかすごい話をしているような気がするんだが、気のせいか?」


「うーん、考えるとバカバカしくなってくるから、流しておいた方がいいよ。考えるのは、あの人達の仕事。ボクらは、仕上がってきたものをどう売るかを考えればいいんだから」


 岬は割り切ったような口調である。一方の道真と笹葉は、土木スキル持ちの面々を呼び出そうかと相談している。


「長くなりそうだな。船を見に行こうか」


 立ち上がった俺についてきたのは岬と、島の絵を描いた青年の二人だけだった。


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