【永禄三年(1560年)六月上旬】その二

【永禄三年(1560年)六月上旬】その二


 鎮龍氏、開世氏、築邦氏として始動した黒鍬衆は、まずは厩橋城下周辺で行われている。


 治水、掘削面では、利根川の河岸の弱いところを補強するための堤づくり、増水時に決壊が起こりうる地点の上流で水を逃がすための遊水地の設定が、まず計画されている。また、人が増えてきてもいるので、上下水道の整備も実施された。


 築城としては、城とは違うが厩橋城下の外れに長屋的な仮設陣所の建築を進めていた。これは、長尾勢が滞在する際に、兵たちに暮らしてもらうためである。


 野営となれば動きの把握が難しいし、町民の住居を供出するわけにもいかない。そう考えると、仮の住処を割り振ってしまうのが管理上も楽なのだった。


 これらの実作業には、農閑期を迎えつつある周辺の村々の領民が参加している。日当を受け取った彼らが浴場を利用したり、食事を楽しんだり、土産を買い求めていってくれれば、町も潤うのだった。




 治安維持活動としての、剣豪組と表の忍者隊コラボは引き続き実施されている。


 上泉門下の剣士たちからすれば、剣の腕に劣る盗賊たちは物足りない相手ではあるが、トップ級でない者たちに実戦を積ませる意義は大きいと捉えられているようだ。これが私闘ならば話も変わるが、領内の治安を乱す者の討伐となれば、大義も立つということなのだろう。


 忍者組にとっては、探索や追尾の経験を積めるため、こちらも意義深いようだ。霧隠才助が見込んで育てた者たちでも、場数を踏まなくては成長は見込めない。


 そして、誰よりも積極的なのは、蜜柑だった。捕物となれば先頭に立って剣を振るう彼女は、橙色の上衣がトレードマークとなりつつある。


 忍者隊を志願する者も出てきていたが、蜜柑のように盗賊討伐に携わりたいと考える少女も現れてきているようだ。澪のところの狩人少女もそうだが、女性の活躍の場は家中で広がりつつあった。


 盗賊の扱いは、基本的には剣豪組と忍者隊とに任せている。概ねの基準としては、人死にが伴う襲撃、人さらい、強盗などに従事した盗賊は斬り殺し、そこまで至らなければ捕縛の上で見せしめ的に打ち据えて放逐する、というのが基本となる。


 殴打系の執行の際には、俺もできるだけ顔を出すようにしていた。というのは、その中に有為の人材が混ざっている可能性があるためである。


 盗賊のうちには、そもそも人を痛めつけることを好む者たちもいれば、やむを得ず盗みに手を染めた者もいる。


 その見分けはつきづらいが、人を殺めるまでは至らなかった者には、機会を与えてもいいのかもしれない。


 ▽持ちは俺が見分けて、それ以外に剣豪組、忍者隊の視点での勧誘も行われ、他の者達にはとりあえず飯を食わせて今後の相談に乗る、というのが基本の流れだった。


 一方で、人死にを厭わずに盗人仕事をする者たちの中にも、人材がいる可能性がある。むしろ、盗賊として成功している点から考えれば、能力面で秀でた者が多いのかもしれない。


 この世界では各地で忍群が成立しているが、史実ではそうした盗賊が諸勢力に勧誘され、透破と呼ばれる破壊活動に従事していた面がありそうだ。だとしたら、その者たちを武士と同格に扱う事態は考えづらかっただろう。


 そして、ためらいなく人を殺せるのは、戦闘集団の一員として得難い能力であるとも言える。ただ……、弱者をためらいなく蹂躙する殺戮集団を束ねてのし上がっていくのは、正直なところ気が進まなかった。甘いのだろうか。


 いずれにしても、「領民を殺めた者たちには死を与える」との掟を普及させるのは、意味があるはずだ。そう考えているから、蜜柑も積極的に参加してくれているのだろう。ぶれずに進めて行くとしよう。




 そして、市中警備隊の出陣時には、新設なった鹿島神社での祈願が行われるのが恒例となっていた。


 隣には、弓巫女の守り神ともなる香取神社も完成しており、厩橋の中央に二社が並び立つ状態である。


 宮大工達は、なかなかいい仕事が出来たとご満悦で、参加した建築系スキル持ちも技術を習得できて喜んでいる。


 彼らに領内への定住を提案してみたところ、応じてくれる大工もそこそこいた。この地の食事や、安全面の高さが魅力的だったようで、家族を呼び寄せる者も出たので、家屋敷の支援を手当てしていく。


 ただ、寺社の需要がどれだけあるかは微妙なので、香取、鹿島の両神社の増築計画を進めることにした。理想は、出雲大社の復元模型のような、天空にそびえる神社だったのだが、蜜柑と澪から、からっ風の時期に寒いと一蹴されてしまった。ならば、建物に手をかけるとしようか。




 利根川での船の往来は、軍勢輸送、水軍働きとしての予行演習である。表向きは商船として活動が行われていた。


 たまにはということで、俺も川での往来に参加していた。今日は、古河を越えて関宿まで足を延ばすそうなので、視察をしておきたいとの動機からだった。


 関宿城は簗田晴助が領していたのだが、北条方の圧迫によって、関宿を古河公方の義氏の御座所とするとの名目で、古河への移住を呑まされている。


 実際には、利根川交通の要所で税収も高い関宿を、北条勢力に取り込みたいとの思惑だったのだろう。そして、義氏自身は関宿を御座所として確保しつつ、実際は古河に本拠を置いており、関宿は北条系の代官によって治められていた。


 新田の軍船仕様の船が往来しても、単に徴税されるだけなのは、彼ら代官が事なかれ主義に陥っているからなのかもしれない。まあ、義氏や簗田晴助がいたところで、止めようはなかったかもしれないが。


 関宿城は利根川流域の要衝として、河川交通の関所的な役割を果たしており、通過のたびに舟役と呼ばれる船舶の大きさに応じた通行料の支払いが必要となる。また、並行して流れる渡良瀬川にも通じており、さらには常陸川から香取海……、元時代での霞ヶ浦を超大規模にした汽水湖への交通の拠点ともなる。


 関東制圧を狙う北条氏が執心する土地でもあるが、現在はその北にある古河との関係性からも、ややこしい立地にあった。


 新田水軍としては、通行料である舟役を惜しむつもりはない。何の権限があって、という話はあるのだが、長尾勢の関東制圧が成立すれば、状況も変わってくるだろう。


 そして、この辺りの治水についても、関東全域を支配下に置く者が現れなければ、改善は難しいのだろう。史実では、徳川家康がこの地に国替えとなってから、利根川東遷事業が動き出すのだった。功罪ありそうだが、さてこの世界ではどうなるだろう?


 今回は、川里屋の岬に案内役を頼んでいる。彼女はこの地でも顔が利くのだった。


 商人の代表に会って、今後も取引をしつつ、新田の直営商会の商店を出したい旨の相談をしてみた。やや渋られたものの、新田酒の優先供給をちらつかせると、応じてくれた。


 出店については内政組に任せつつ、実際の取引は川里屋に主導してもらうとしよう。ここでは情報収集と、香取海方面との米の商いができれば、まずは目的達成となる。


 長尾による関東侵攻の可能性についても開示したが、話半分という受け取り方に留まったようだ。まあ、そりゃそうか。


 関宿の発展ぶりは、急拡大しつつある厩橋を凌ぐ状況で、あやかりたいものだった。




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