【永禄三年(1560年)六月上旬】その一

【永禄三年(1560年)六月上旬】その一


 桶狭間の戦いの一報が入ってから、今川義元が織田信長によって討ち取られたとの確報が入るまでには、二十日ほどの日数がかかった。


 甲相駿三国同盟の実質的当主の一人が崩れたわけだ。今のところ、歴史は概ね史実通りに動いている。


 小麦の刈り入れは完了し、乾燥、脱穀も滞りなく行われた。比較的雨が少ないようだが、それでも稲の生育は順調のようだ。干ばつ対策と治水の両面から、溜め池づくりは進めていく必要がありそうだ。


 菜種もごまの栽培も順調で、天ぷらによるアピールが効いたのか、なかなかに広まってくれたようだ。


 もうしばらくすると、今年の蕎麦を植え始める時期となる。村々を巡る蕎麦切りの屋台は引き続き大人気で、そのために農村で独自に畑を切り開いて栽培しているようだ。いい展開である。


 しいたけの栽培も試行錯誤ながら進められている。秋までにダメ元で菌を植え付けていた国峯城、松井田城、安中城、箕輪城の辺りで、丸太からある程度椎茸が生えていた。正直なところ、まだ条件を確定できていないが、方向性は間違っていないようだ。近い感じで丸太への植え付けを続けよう。


 現状では高級食材であり、だしに使うよりは、干し椎茸にして川里屋経由で売りに出すのが得策となりそうだ。特に中国……、明に高く売れるらしい。


 この時期の南蛮船交易は、本国との往来ももちろんあるのだが、日本と明の間で、明の海賊勢を競合相手とした商売の方が比重が高いようだ。明は日本との交易を制限しているため、南蛮船の出番となっているらしい。まあ、本国は遠いので、無理もないだろう。


 そして、養蚕の季節が始まる。事前に<交配>スキルで選別のために育てていたが、本格投入は初となる。


 絹糸、絹織物は現状では輸入品だが、質を高めていけば逆に輸出商材となりうる。厩橋に設置した桐生氏、那波氏共同の養蚕施設は、簡易工場と言いながらわりと大規模になっていた。そのあたりの差配は、桐生佐野氏の降伏時の交渉役だった里見勝広が、道真と連携しながら進めてくれている。


 元世界でも上野国ではやがて養蚕が盛んになる。俺が出現した国峯城のある辺りには、産業世界遺産ともなる富岡製糸場が作られる。それを先取りする形としていきたかった。


 力を入れるのには、蚕の糞が硝石づくりの原料となるのも大きい。自前の軍需物資としても、商材としても有用であるので、できるだけ拡大していこう。




 三国峠を往来する商人経由の情報も踏まえると、どうやら長尾景虎の関東侵攻は本決まりのようだ。今川義元の討ち死には、北条、武田、今川の三国同盟にヒビを入れる可能性が高く、その機に乗じようということか。


 ……ただ、本来なら、武田か北条のどちらかが今川を圧迫して、手切れとなってからの方が確実であるように思える。関白を含めた中央からせっつかれているのか、越後の米不足が深刻なのか、単純に既定路線通りに動いているのか。


 いずれにしても、長尾と北条の対決は、関東の地を大きく揺るがすだろう。我が領内も、大軍が通過するとなれば、無事ではいられないかもしれない。ただ、主役はあくまでも軍神殿だ。


 厩橋周辺が制圧済みで、新田家が全面的に支援するとなれば、長尾景虎の進軍はだいぶ楽なものとなるはずだ。


 史実では、北関東諸将を従わせるのに手間取りながらも、来年春には彼らが伊勢氏と呼ぶ北条軍を河越城、玉縄城、滝山城などでの籠城に追い込み、小田原城へ進んで攻囲する。


 だが、北条氏を滅ぼすまでには至らず、上杉憲政と養子縁組をして家督を譲られる形で関東管領職に就任し、上杉政虎と名を改めて関東から撤退する。


 そして、侵攻翌年の秋に発生する川中島の戦いでは、武田と上杉が痛み分けとなる。その隙に、関東では北条氏が反撃を仕掛け、大方の勢力が離反してしまい、関東に再出陣が行われる。以後、十年近くにわたって泥沼の攻防戦が展開されるわけだ。


 ゲームの「戦国統一オンライン・極」でも、プレイヤーが長尾、北条、今川のどれかを担当して積極的に歴史の流れを妨げない限り、ほとんどの場合で史実をなぞる展開となる。それが武将AIの判断なのか、実際には半強制イベント扱いなのかは、プレイヤーの間で議論の的ともなっていた。


 新田勢が加わったなら、展開はどう変わるだろうか。有利に進められるとしても、軍神殿が北条を滅ぼせるのかは、やや疑問である。


 史実で北関東諸将が北条の間を行ったり来たりし、北条方についた家臣の北条高広……、ややこしいが、前者が「ほうじょう」で、後者は「きたじょう」氏である、その北条高広が二度目の離反と帰参をしても許しているし、軍神殿の方針はどこか不徹底なようにも見える。


 それ以外の動きからも、義のない侵略は憎むが、本領を奪って滅亡させるまでの罪ではない、と考えていそうな気配も感じられる。


 まあ、そうであるなら、長尾景虎から上杉輝虎になる越後の龍の動きを利用して、関東で勢力を伸ばしていく手もある。一方で、軍神殿がその気になってくれるのなら、同盟、あるいは従属勢力として上洛を助けてもいいのだが……。


 いずれにしても、ここから一年ほどの関東での主役は、史実通りなら長尾景虎が務める形になる。我が新田としては、長尾勢を助けながら、おこぼれを預かっていく形が理想的展開となる。


 本気で取り組むべきは内政と軍備で、軍事行動はおまけとなるだろう。そう考えれば、かねて検討してきた事案を進めるべきだろうか。




 俺が上泉秀綱に提案したのは、上洛しての剣術行脚だった。


 ゲームとしての「戦国統一」シリーズ内での彼らは「剣豪がなんたら国を訪れた」と表示され、対象国に滞在中の武将の武力値が上昇する季節イベント扱いとなっている。


 ゲームでない本当の史実では、上泉秀綱一門は上杉方についていた長野業正の死後、箕輪長野氏が武田信玄に攻略されてから、武田による仕官の誘いを断って上洛する。その時期は、1563年頃となるはずだ。


 上洛の過程で、伊勢の北畠家に立ち寄り、柳生宗厳に招かれて柳生の里を訪れた後に、京都に入る流れとなる。


 一方の現状では、軍神殿が小田原攻囲を終えて越後に帰ってからが正念場となる。武田との争いもそうだが、関東は再び北条勢に席巻される可能性が高く、そうなれば新田も戦乱に巻き込まれるだろう。


 俺ら新田勢は、立地的に長尾方であり続けるのが無難である。彼らの武勇は、そのタイミングでこそ必要になりそうなのだった。そして、長野業正亡き後の箕輪長野家のように滅亡する展開は避けたい。


 ただ……、このまま彼らが新田家臣であり続けると、上泉秀綱の価値が史実よりも低くなってしまうのではないかとの危惧がある。武名は既に轟いているとは言え、決定的になるのは次の上京でだと思われる。その機会を奪うのは悪いし、なにより日本全体の損失であるように思える。


 ならば、今のうちに上洛して名を高めて来てもらえばいい。……安直だろうか。


 だが、提案に対する上泉秀綱の反応は鈍かった。まあ、大きな戦さになる前に、旅を勧められるのもひどい話ではあろうが。


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