【永禄三年(1560年)五月下旬】その一

【永禄三年(1560年)五月下旬】その一


 越後から戻った翌日に、剣聖殿が城に見慣れぬ人物を連れてきた。年の頃は二十代前半で、高弟二人と同じ年代だろう。


「どなたかな?」


 剣聖殿の立場と、俺との関係性からして見知らぬ人物を連れてきても問題はないが、通常の行動ではないのも確かである。


「無礼を済まぬ。息子の秀胤だ。上方を巡って戻ってきたところでな」


「おお、剣聖殿のご子息か。新田護邦と申す」


 あいさつを交わすと、あっさりと雑談モードに入る。意外と気安い人物であるようだ。


「西国にはいつ頃から赴かれていたのかな?」


「一年ほど前になります。……故郷が様変わりしていて驚きました」


「道場は移転したが、八幡八幡宮の辺りはさほど変わっていないように思うが」


「いえ、西上野全般の話です。業正殿の敗死もおどろきましたが、厩橋長野家まで飲み込まれるとは」


「長野業正殿の家臣は、他に著名な方はおられたのかな?」


 講談的には長野十六槍とか聞くが、史実的には疑問符がつく。


「藤井友忠殿が家老として支えておられたが、先の戦いで討ち死にされたようですな」


「そうか……。長野業正殿本人を討った件は、同情する気にはなれない。鬼幡の攻撃に唯一生き残った蜜柑姫に、婿に迎えた俺の首を差し出して妾になれとの使者を出してきて、断ると攻めかかってきたわけだからな。だが、良心的な家臣がいたのなら、巻き添えになって痛ましくはある」


「業盛殿も残念でした」


 口惜しそうなのは、世代的には次代当主の重臣候補と目されている間柄だったのかもしれない。


 講談などでの長野業正は主家の上杉家に忠節を尽くし、北条の関東支配に単身で抵抗して、北条、武田を向こうに回して長尾の来援まで西上野を守り切る。だが、病に倒れてしまって、強敵の死に乗じた武田の攻勢によって長野家は敗滅するのだった。


 史実では、北条方についていたのが長尾景虎の関東進出を機に寝返り、西上野の防備を託されて、武田のちょっかいを幾度か退けるも病死、敗滅という道筋だったようだ。


 越後長尾勢の関東進出がなければ、長野業正の死後も血縁集団としての長野箕輪衆は北条方の一翼として存続した可能性はある。そして、長野業盛の家臣として、この上泉秀胤が支えていたのかも。


 ステータスを覗くと、統率、軍事こそEが並ぶが、内政はC、智謀はBマイナスとなっている。織田や武田でもなければ、参謀、内政担当して重宝されそうだ。


「この身が主家の仇であるのは間違いなかろう。命を差し出すほどお人好しではないが、去就は自由にされるがよい」


「いえ、業正殿の為されようはいかがなものかと思いますし、繁朝殿が元気にしておられるのも安堵しました。どうか、家中にお加えくだされ」


「剣の腕は残念なのだが、軍略面では役に立つこともあるかもしれない」


 秀胤がちょっと寂しそうな顔をしたのは、偉大な父の評価基準が剣術のみだと考えているためだろうか。だが、武家において剣技は能力の一側面に過ぎない。臣下になってくれるのなら、存分に使わせてもらおう。


「内政、軍略方面は、芦原道真という家臣が取り仕切っていて、内政面は話題にも出た、今は箕輪姓を名乗っている繁朝殿が補佐している」


「道真殿ですか……」


 反応からして、男装の件を把握しているのかもしれない。まあ、それを理由に拒絶するなら、それまでではあるが。


「それはそうと、上方の情勢を聞かせてくれるか。関白の近衛前嗣殿の所在はわかるか? 越後に向かったとの話は聞いていないか?」


「都を離れる際に、なにやら噂として聞いておりました。京を離れるのを、即位の礼があるからと止められていたとか。越後でお会いになられましたか」


「いや、会っていない。まだ京にいるのか、下向途中か、伏せられていたか……」


 史実では、確か軍神殿が関東に入る頃に京を離れて、越後で滞在してする流れだったはずだ。


「それと、三好の評判はいかがか」


「幕府に取り込まれて権威が上昇していますが、武家筋の評判はよくありませんな。公家方面では、ひとまず戦さが遠のいたようだと歓迎する声が多かったようです」


 公家視点では、京の周辺が戦場になるかどうかが重要なのだろう。それは、彼らにしてみれば間違った考えではない。


 三好家は、この時点のしばらく前から、京の都に摂津、大和の一部、和泉、播磨、丹波、阿波……、元時代で言えば、京都、大阪、兵庫に香川、徳島辺りを押さえた勢力である。現在は、足利義輝と和解して共同統治中だが、武力ではもちろん三好家が上で、後の織田信長と足利義昭との関係に近い。


 そう考えれば、天下人と捉えられてもいいはずなのだが、畿内に近い阿波守護代から下剋上したとの身の上から、アウトサイダー的な要素が薄いのか、室町幕府で実権を握った管領が天下取りを果たしたとは見做されないのと同様の扱いがされがちである。


「義輝殿の舅の近衛稙家殿の動向はご存知か」


「後ろ盾として活動しておられるようですな。ご子息である前嗣殿の景虎殿との交流は、より大規模な上洛を促すためではないかとの評判です」


 史実での近衛前嗣は、現職の関白でありながら関東攻めにも赴いたわけで、どういう意図だったのだろうか。父親と同心だったのか、関東を制圧した景虎を上洛させて、中央での発言力を高めたかったのか、あるいは別の野心があったのか。


 畠山攻めの機運が出ている件も把握しており、この上泉秀胤は少なくとも情報収集能力は確かなようだ。道真と波長が合うとよいのだが、無理なようなら役割分担をさせてもいいかもしれない。




 上泉秀胤には、道真は女性ではあるが男性として、また重臣として扱っている旨を説明したところ、少なくとも礼節を持って接してくれているようだ。どうも常識人のようで、我が新田家中にはいないタイプかもしれない。今後に期待するとしよう。


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