【永禄三年(1560年)五月中旬】その二

【永禄三年(1560年)五月中旬】その二


「秀綱殿」


 城門を出たところで、上泉秀綱に声がかかった。剣聖殿がやや驚いた表情を浮かべるのもめずらしい。


「これは段蔵殿。お久しぶりですな」


 頭上の▽印は三日月らと同様に黒色となっている。


「どうして越後におられるので。武者修行ですかな?」


「主君の供で、三国峠を越えて参りました。紹介致そう。我が主の新田護邦殿でござる」


 現実の戦国期には、名前は秘されて官職名などで呼ぶのが基本だったとの説もあるが、この地ではそのような習慣はあまり確認できていない。まあ、西国ではまた事情が異なるかもしれない。


「初めてお目にかかる。この剣豪殿には、大きな助力をもらっております」


「これはごていねいに。拙者は加藤段蔵と申します」


「……もしや、飛び加藤?」


「おや、我が異名をご存じとはお恥ずかしい」


 まさかの著名な忍者本人だった。


 聞けば、この飛び加藤殿はかつて長野家に仕えていて、剣聖殿とは昵懇の中だったらしい。長尾家には仕官のために訪れているそうだ。


 しかし、飛び加藤まで在籍していたとは……。長野家というのは、どれだけ有能な人物が揃っていたんだ。


「では、この身は段蔵殿にとっては旧主の仇となりますかな」


「業正殿は、どのように討たれたのですかな」


 剣での勝負を仕掛けつつ、槍衾に追い込んで、弓も使って仕留めたと説明すると、段蔵は呵々と笑った。


「出奔した身ですゆえ、気にはしておりませんが、熊を狩るようで痛快ですな。……ところで、随員に忍びが幾人かいるようにお見受けしますが」


 俺は、頼りにしている忍者の幹部二人を招き寄せた 


「こちらは三日月。世話になっている忍群の頭領となります。こちらは霧隠才助。三日月の忍群の一員だったのを新田の家臣として召し抱え、忍者隊の指揮と忍者の育成を任せています」


「家臣……。忍びとしてではなく?」


「忍者として、召し抱えています。この才助が育成している者たちも、正式な家臣として普段は治安維持に当たっています。彼らの活躍は、剣聖殿がよくご存知のはず」


「ああ。我が弟子と、この護邦殿の奥方とも一緒に盗賊退治に従事している。探索面でも、戦闘面でも頼りにしている」


「奥方が、忍者と一緒に、盗賊退治を?」


「妻の蜜柑は上泉一門の使い手で、武将として戦闘にも参加しております。業正殿にとどめの一太刀を浴びせたのも、その蜜柑でして」


「だいぶ変わったご家風のようですな」


 呟いた団蔵殿は、三日月に目線を向けた。


「……その物腰は、出浦の者達だな。噂の静月とやらの縁者か?」


「静月は我が妹。厩橋城の護りを任せております」


 大先輩を前にして、三日月はやや緊張気味のようだ。静月の噂とは、なんだろう? それを問う前に、三日月が言葉を続けた。


「ただ、我らはもはや出浦衆ではなく、新田忍びでありますが」


 その言葉は聞き捨てならない。


「お、仮住まいから定住する気になったのか?」


「なによ、不満だっての?」


「いやいや、すごくうれしいぞ。……加藤殿、我が忍びの衆は、若手が多くてですな。よろしければ、後進を育てる手伝いをしていただけませぬか」


「現役を退けと仰るのか?」


 そう応じた飛び加藤の体躯からは、殺気めいたものが放出されたように思えた。


「いや、通常の忍び仕事もぜひお願いしたい。指導役兼任、といったところですかな。……この芦原道真が政事を、秀綱殿は我が妻の蜜柑とともに、軍事方面をまとめています。忍び働きと諜報面で、三日月と才助を指導してもらえると、とても助かります」


「だが、流派が違うが」


「今後、様々な忍群から人を招いていきたいと考えています。各忍群から、引退の近い、手練れの人物を指導役として勧誘したいのです。そういった人材の招聘も、ご助力をお願いしたい」


「承知した。どうやら、長尾殿とはご縁がないようだし、しばらく厄介にならせてもらおう」


 短期間のみの加入だとしても、とても心強い人物が加わってくれた。収穫は大きかった。




 そして、関東管領……ということになっている上杉憲政殿とも、面談の運びとなった。実際には、現時点での関東管領職は北条氏康、いや、氏政に代替わりしたことになるのか、ともかく北条氏が握っていると考えてよさそうだが。


 山内上杉氏は上野を拠点に、武蔵、伊豆まで勢威を振るった勢力で、この上杉憲政の越後退散に伴って家臣が独立したのが、上野、武蔵辺りの国人衆乱立の原因となっている。


 実際のところ、箕輪長野氏、厩橋長野氏、和田氏、那波氏、由良こと横瀬氏など、俺が討滅してきた者たちも山内上杉家の家臣筋となる。


 さらには、北条方に当主あるいは次期当主を送り込まれた沼田氏、藤田氏、大石氏もそうだし、利根川南岸を勢力圏とする成田氏なども同様である。


 ほぼ北条方に降った彼らをどう捉えているかは、正直なところ予測がつかなかった。


 だが、会見の席に現れたのは、予想に反して穏やかそうな初老の人物だった。いや、ステータス上は三十七歳と出ているのだが、だいぶ老けた印象となっている。剃髪していたのを伸ばしているところのようで、それもまた初老っぽい印象の要因かもしれない。


 神隠し話から、旧臣達との抗争について語ると、激するでもなくほうほうと聞いている。かつては大軍を率いて北条を追い詰めた人物のはずなのだが、俗っぽさの薄さは何なのだろう。河越夜戦での敗北がなければ、今も関東の有力者だったかもしれないのだが。


 唯一悲しげな表情を見せたのは、平井城の現状について答えたときだった。城は退き城の平井金山城も含めて破却され、旧城下も寂れてしまっている。目を閉じた彼の脳裏には、往時の平井城下の繁栄っぷりが浮かんでいるのだろうか。


 上野も変わったのだなと呟く風情からは、捲土重来を期す気配は感じ取れなかった。


 この人物は史実での関東侵攻でも、軍神殿の同行者としての役割に留まり、隠居表明と家督を譲る場面がハイライトとなる。その後の行動も含めて、野望の気配は見られない。


「して、この度は景虎殿に何用だったのじゃ?」


 自分を訪ねて来たのだとは思わないくらいに、この人はもう戦国武将ではないのだろう。


「長尾殿のご機嫌伺いに。それと、関東を訪れるようなら助力しますとお伝えに参りました」


「ほう……、それは殊勝なことだ。里見や太田、佐竹あたりも熱心に招いているようだが、そなたはまた方向性が違うようじゃの」


 やはり、それらの勢力は軍神殿の介入を望んでいたわけか。


 存分な働きを期待する、とのお言葉を得て、会談は終了となった。この様子なら、上野を明け渡せと言われることはなさそうだった。そうあってほしい。




 往路で童子忍者に絡まれた地点に差し掛かると、またも攻撃してくる者がいた。


「何奴じゃな」


 加藤段蔵の問いに応じたのは、三日月だった。


「猿じみた小童がじゃれついてきてるのさ。行きにも散々ちょっかいを出された」


「忍びか?」


「どこかの勢力に属している気配はないわ」


 親子ほどの年の開きのある忍者二人だが、そこは同じ生業の気安さなのか、あっさりと自然体の関係性が成立しているようだった。


「ほう……。殿、相手をしてきてよろしいですかな」 


「ん、任せるよ」


 頷くと、予備動作もなく近くの木に飛び上がった。身体能力の為せる技なのか、幻術でもかけられているのか。


 樹木の立ち並ぶ中で、大小の影が斬り結ぶ様子は小鳥と猛禽がやりあっているようでもある。


「あれは、化け物ね」


「幻術に長けているとの話だったが、さすがは飛び加藤ってところか」


「やりあってるあの猿もすごいけどね」


 やっぱりそうなのか、と思っている間に、十歳にも達してなさそうな小さな体躯が、ほど近い地面に叩きつけられた。


 対照的に、加藤段蔵がひらりと着地する。


「我が主よ、こやつはどうされます」


「忍者相手に絡むだけで、悪さをしていないのなら、始末するまでもない気もするが」


「んー、旅人や隊商にもちょっかいを出してたわよね」


 三日月は、童子の近くに立って、見下ろしている。踏みつけにされているわけでもないのだが、威圧を受けているかのような声が発せられた。


「いや、そんな。ごくたまに、余って邪魔になっていそうな金子や食べ物を、ちょこっと拝借するくらいで」


「ふむ……。盗賊なら、討伐すべきかな」


「そんなあ」


 慌てる様子は、まったくの子供ではある。


「忍術の腕を披露したいのか?」


「忍術ってなにさ」


 どうやら、独学らしい。


「なら、新田領に来るか。刺激的な生活を送れると思うぞ」


「いいね。おいらの名は於猿。唐沢於猿だ」


 やっぱり猿だったのか……。いや、重要なのはそこじゃないか。


「武家の出身なのか。どこの子だ」


「おとうは、岩櫃城主に仕えている」


「家のことはいいのか?」


「弟が可愛がられていて、おいらは邪魔者扱いなのさ」


 その鬱憤を晴らすために、この辺りを通る忍者にちょっかいをかけていたのだろうか。迷惑な話である。


 岩櫃城とは白井城の北西、沼田城の南西に位置する山間の城となる。長尾勢が侵入してくれば、おそらく早々に攻め落とされるだろう。この於猿が新田で過ごすようなら、それとなく注意を促すとしようか。


 


 白井城を過ぎて厩橋城までは、徒歩で二時間ほどの距離となる。現代の電車なら確か十数分だったので、同じ日本でもやはり世界は違う。


 親しんだ風景を歩いていると、行く先に人影が見えた。どうやら、蜜柑たちが出迎えてくれているようだ。


 上州にどこからともなく現れた勢力の長が、大勢力を初訪問したわけだから、心配されるのは無理もないのだろう。


「それで、長尾殿は本当に関東に来るのか?」


 愛弟子に手を振りながら問うてきたのは、上泉秀綱だった。


「視野に入っているのは、間違いないと思う。もうひと押しあれば、おそらくな」


 長尾景虎は、前年に上京して正親町天皇や将軍の足利義輝と謁見している。その際に関白の任にある近衛前嗣と盟友関係になっており、史実での関東進出には関白も参加したとされる。


 関東管領を奉じて関東に進出し、北条を討つにあたって、現職の関白が同行する意味合いは間違いなく大きい。史実では、軍神殿が関東に入った直後に京を立つはずだが、さて、この世界ではどうだろうか。


 長尾景虎が関東の秩序を再復させた上で上洛すれば、この当時に畿内で強大な勢力を得ていた三好家と同等の存在となりうる。中央ではそういう期待があるのかもしれない。実際には、武田が黙っているかという話はあるのだが。


 史実における長尾勢の関東進出も、登場人物それぞれの思惑が絡み合った結果であると思われる。「極」ではない本来の「天下統一オンライン」上でなら、侵攻は大名家同士の勢力争いに単純化されるが、どうやらこの世界はそういう状況ではなさそうだ。


 いずれにしても、桶狭間の戦いが発生するかと、そこで今川義元が命を落とすかどうかが大きな分かれ目となるであろう。


 史実では今川軍は尾張に向けて動き始めている頃だった。


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