【永禄三年(1560年)三月上旬】その二

【永禄三年(1560年)三月上旬】その二


 鉱業方面では、国峯城方面の露天掘りでの採掘は安定してきたので、スキル持ちの栞には、狩猟も兼ねつつ榛名山方面を探ってもらっている。確か、鉄が採れたような気がするが、定かではなかった。


 この周辺なら、南の秩父にある鉱山が戦国末期から金を産出するはずだが、北条家からの養子が入る藤田家の勢力圏内であるため、現時点では手は出せない。まあ、<鉱物探査>のスキル育成の意味合いもあるので、地道に進めるとしよう。


 坑道を掘っての採掘に向かう道もあるが、まずは露天掘りで経験を積むのがよさそうだ。




 精錬方面としては、<冶金>スキルを持った少年、小三太の技量が上がってきた。こちらも道真に相談したら、灰吹き法に関する書物を持っているそうで、手法の検討が行われた。さらには、足利学校にある他の書物の閲覧も実現し、どうにか目処が立った。


 それを受けて、岬には粗銅の調達をリクエストした。この時代、日本には銅から金、銀を分離する技術がなかったことから、明や南蛮の商人が日本で銅を買って、金、銀を抽出していたらしい。なんとも旨味のある取引である。


 そうであるなら、灰吹き法や南蛮吹きの技法を使えば、冶金の手間だけで金銀の入手が可能なわけで、試してみる価値はありそうだった。


 ただ、鉛や水銀を使うため、安全面には注意が必要である。初期は規模が小さいから神経質になる必要はないかもしれないが、それでも作業者の摂取や、排水に混ざっての鉱害発生の危惧は存在していた。このあたりは、笹葉らの知恵も借りるとしよう。




 そして、医術系のスキル持ちが現れた。<薬品調合>のスキルを持っている若い農夫については、薬づくりに従事してもらいつつ薬草園の設置に携わってもらおう。


 <医術>スキルに加えて<医術指導>スキルを持った孤児の少女には、俺からは未来時代の医学の基本を、道真からはこの時代の医学書の内容を教え込む形とした。双方を咀嚼して、新たな体系を打ち立てていってほしいものだ。


 まあ、未来の医学といっても、俺の知識としては、臓器の配置や役割や、養生訓的な健康法に、風邪への対処くらいがせいぜいとなる。それでも、この時代では有用な知識となりそうだ。


 名前を新たにつけて欲しいとのことだったので、医療の女神ハイジアにちなんでハイジと名付けた。漢字は、羽衣路としている。


 <薬品調合>スキル持ちの辰三にも、薬学知識を習得していってもらおう。薬は、この時代には漢方薬が中心となっている。


 二人とも召し抱えて、これから構築していく医術、薬方面の組織をリードしてもらおう。葛も含めた漢方向けの薬草栽培は、収益も上げられそうだった。




 薬草園の話を聞き付けてきた剣聖殿が、乾燥した薬草を持ち込んできた。聞けば、師匠から伝授された丸薬があって、道場で調合し、知人に配っているのだそうだ。


「そういや、剣聖殿の師匠って誰なんだっけ?」


「愛洲移香斎殿だ」


 愛洲移香斎には宗通という息子がいて、上泉秀綱の師匠がどちらかは諸説あったのだが、父親の方であるようだ。


 効能はと訊くと、元気になるんだと明るく答えられてしまう。一緒に来ていた疋田文五郎に問うと、つらつらと説明してくれた。愛洲薬には多くの種類があるのだが、上泉道場で作っているのは気付け効果に特化したもので、疲労時に効果的らしい。


 八幡八幡の旧道場近くの農家に栽培を頼んでいたそうで、薬草園に招いて指導を仰ぐことになった。なんなら引っ越してもいいと言ってくれたので、辰三と共同で薬草園を運用してもらうとしよう。


 そして、他の愛洲薬にも興味はあるが、残念ながら剣豪勢には作れないらしかった。




 道真は各方面に忙しく動いているが、ある日、他に進めたいことはないかと問われた。今後の支出増大を警戒しながらの言葉だったようだが、思いついていた存念を伝えてみる。




・洋数字の導入 漢数字でもよいのだが、ゼロと大きな数字の記述や計算の速さではやはり優れている。


・かなの統一 話言葉は元時代のままで通じるのだが、書籍は行書的な筆致が基本で、しかも文字が人、組織、地方によってばらばらであるようだ。せめてかなは活字的な形で統一したいところである。


・漢字の整理 こちらも重要だが、作業量が膨大になりそうだ。


・活版印刷 かなだけでも、活字化を実現しておきたい。


・木筆と紙の普及 要するに鉛筆だが、まあ、板で挟むだけでも意味がある。


・識字率の向上 子供向けもそうだが、大人にもできれば。




 ひとまずそこまでで止めてみたのだが、ひどくげんなりした表情をされてしまった。


「今のは文字絡みだけで、それだけで留まるわけではなさそうですな。……さすがに一人では対応しきれませぬ」


「そりゃあ、そうだろう。集合教育を物足りなく感じていて、知識欲が旺盛なのを組織化して、行政要員にすればいいんじゃないか。そのための教育課程を作ってもいいし」


 実際は丸投げなんだが、真剣に考え込んでいるあたり、得難い家臣である。できれば、道真が丸投げできる部下を増やしたいところだった。


「まず一人、人材をお借りしたいのですが」


「本人の同意があれば、かまわんぞ」


 道真が名を挙げたのは、長野業正の遺児、箕輪繁朝だった。


「我が蔵書の写本許可を条件にすれば、おそらく協力は得られるでしょう」


 さすがの交渉術で、宰相的存在の補佐役が誕生したのだった。




 三日月率いる忍群とは、定期的に情報交換を行っている。この日の議題は、領内に入り込んでくる諜者への対応についてだった。最近では、静月らが剣豪隊と連携して対応してくれる場合も多くなっている。


 これまでは、暗殺や破壊活動などを働かなければ、剣豪と連携して穏便にお帰りいただいていた。特に長尾家と親しい軒猿衆と北条の風魔には、うかつに手出しはできない。


 ただ、正体の知れない新田勢が注目を浴び始めているのか、それ以外の忍者衆や、家中の者を使った偵察も多くなっていた。


「なら、俺が城下に出て、定期的に識別すればいいか?」


 問い掛けに応じたのは、すっかり行政官僚っぽくなっている霧隠才助だった。


「ご不在の時もありますし、他の城でも対応すべき事象は発生するでしょう。殿以外でも実行可能な施策が求められます」


「怪しいのを見つけ次第、殺しちゃえばいいじゃない」


 三日月が剣呑な提案を投げてくる。まあ、それがこの時代の標準なのかもしれないが。


「できれば、捕縛して、追い返す形を取りたい。酒と食事を与えて、土産を持たせてさようなら、って感じが理想だな」


「バカバカしくなるほど面倒なんだけど、なんのためにそうしたいのよ」


「よその忍者勢力と、できれば仲良くしていきたい。そうして、こちらの忍者への、さらには新田家への風当たりが少しでも和らげばいいと思ってる」


「侮られるだけでしょうに。……そんなこと言って、ホントは殺したくないんでしょ」


「それもある。末端の忍者に恨みはない。単に陣営が違っただけだからな」


「兵は殺すのに? まあ、そっちも殺さないで済むなら、殺したくないんでしょうけど。とんだ甘ちゃんだわ」


 三日月にはすっかり読まれてしまっている。


「捕縛にこだわれば、相手の力量によっては味方が死ぬかもしれないのよ。わかってる?」


「味方の安全の方が大事だ。できるだけ、というのは難しいかな」


 そう問うと、できないとは性格上言いづらいのか、勢いが減じた。


「まあ、武術に長けていないタイプの忍びなら、問題なくできるでしょう」


 ただ、危険があるなら否定してもらった方がいいのだが。


「剣豪組の手を借りてもらってかまわない」


「強化は進んでいるわ。おそらくだいじょうぶ」


 頼もしいのだが、抱え込まないでほしいものだ。




 川里屋の岬からは、国内の作物の種苗がさらに色々と持ち込まれている。大根や人参でも、土地ごとにだいぶ差があるらしい。食味や取れ高も違いそうで、掛け合わせて品種改良していくのにも多様性はあった方がいいとの考えから、積極的に買い入れている。


 果樹の苗木も、順調に集められている。桃、林檎、梨、杏などもあるし、椿も運び込まれていた。厩橋だけでなく、箕輪城や松井田城周辺の陽当たりのよい丘に植えていくとしよう。


 そうそう、かつて岬に集めてもらったれんげ草の種は、箕輪城近くの試験場的農園と周辺の集落を中心に可憐な花を咲かせている。種を採った上で田植え前に刈って土に混ぜ込まれることになる。


 一方で、上方で食事処的な店を出したとの一報も入った。なんとも手回しがいいことである。


 計画がうまく進んで、ジャガイモやサツマイモが手に入れば、飢饉の危険をだいぶ低くできそうなのだが……。


 それと、南蛮船の絵図が入手できるようなら欲しいとの要望も伝えておいた。




 雪も多少緩んできたので、新田酒を手土産に武田領の小諸城、戸石城にあいさつがてら届けてみた。使者は上泉秀綱と芦原道真で、道真にとっては外交デビューとなる。


 昨秋にもあいさつしていた関係もあってか、無難に済んだようだ。小諸城は引き続き大井高政に加えて保科正俊が滞在していた。戸石城はいわゆる真田三代の祖とされる真田幸綱が治めている状態だった。


 武田に関する物語では、家臣団は一体であるかのように語られる場合も多いが、この時期の信濃勢は、長尾景虎が京の将軍から信濃の仕置きを託されたと触れ回ったために動揺していて、関東侵攻時期に離反する豪族が出たり、さらには武田の一門衆の謀反の動きもあったりと、必ずしも一枚岩ではないはずだ。それを踏まえると、出身地に近い城を預かっている真田、大井は、一定の信頼はされているにしても、直属よりは従属国人衆に近い状態なのかもしれない。


 あまり派手に動いて反撃されても困るが、北信濃情勢も無理のない範囲で探っておきたいところだった。


 三国峠の雪が融けたら、軍神殿にも届けるとしよう。



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