【永禄三年(1560年)三月上旬】その一


【永禄三年(1560年)三月上旬】その一


 引き続き物静かな忍者、静月を通す形で三日月から、横瀬改め由良氏が動員をかけているとの報告が入ったのは、風が穏やかな日が増えてきた時期だった。


 標的は我が新田家となるようだ。由良としての初戦で新田を偽る輩を滅ぼすか、あるいは一撃を食らわせるまででも、意義深いというところだろうか。


 そして、近隣の桐生城の桐生佐野氏、赤石城の那波氏も連動するように、軍勢を繰り出す構えを見せている。


 さらにそこには、小金井桜花殿の情報通り、新田領内から離脱した土豪衆も参加しているようだ。旧箕輪長野氏傘下の土豪の姿もあるようで、彼らからすれば俺はいろいろな意味で仇敵なのだろう。土豪衆には、厩橋から退去した高利貸し、元酒屋の夜鷹屋からの資金も流れているらしい。そちらからも恨まれているわけだ。


 ただ、忍者衆の情報収集によれば、どうも一気に攻め潰すつもりはないらしい。示威程度に一当てして、服従すればよし、そうでなくても心胆を寒からしめたとして撤収する気なのだろうか。三度攻められながら、三度撃退して逆に相手を滅ぼしてきた俺らに対して、不徹底にも思えるが。


 常備兵は引き続き四日訓練、一日休み、四日作業従事、一日休みのサイクルで動いており、招集は容易な状況にある。あまり連携も取らずに三方からやってきたので、各個撃破しようかとも思ったのだが、さすがに避けるべきか。


 人数は、由良勢が千、那波、桐生佐野が各五百といったところで、どこも招集された農民兵が半数以上を占めているようだ。


 現状は、農作業もない時期で、実際には領内の結束確認的な意味合いもあるのかもしれない。うちにも領民にも迷惑な話だが。


 こちらは常備兵が八百と、他に剣豪隊、弓兵隊が百ずつ程度の千人規模で、正面から当たっても退けられそうではある。


 どこか一つと争うとしたら、首謀者の由良勢か、最も近場を勢力圏とする那波勢だろうか。桐生佐野氏は、本家の佐野氏とはやや疎遠らしいとの話だが、佐野昌綱とは仲良くしたいので、できれば戦わずに済ませたいものだ。


 そう考えていたのだが、なぜか桐生佐野勢が先行してきた。全軍で向かう構えを見せ、進み出た巫女服姿の澪が遠距離から矢を射掛けたところ、あっさりと退却していった。彼らからすれば、援軍としてきただけなのに話が違う、といった感覚なのかもしれない。勢力間の連携は微妙なようだ。


 由良勢の方に軍勢を接近させると、彼らはなぜか雑兵勢を赤石城域の村に乱取りに向かわせていたようだった。


 いや、武将の指示があったのか、雑兵が我慢できずに勝手に襲ったのかはわからないが。


 襲われているのは、赤石城と厩橋城の境界近くにある村で、どちらの勢力圏に属するかは正直なところ曖昧だった。新田としては徴税も耕作支援も行っておらず、両属状態でもないからには、領域外との認識である。あるいは、那波側も徴税せずに、どちらにも属さない状態だったのだろうか。


 そうだとしても、目の前で乱取りされていい気味だとは思えない。蜜柑も同様だったようなので、剣豪隊を派遣して制止した。


 まあ、乱取り中に剣豪達に襲いかかられては、無給で動員されたからにはせめて実入りを、とでも考えていたのかもしれない農兵達には災難でしかないだろう。


 感謝した村人は、新田による保護を希望してきたものの、域外であるために手出しはしづらい旨を伝えると、落胆していたそうだ。移住してくれば、田畑は提供できる旨を伝えてもいるので、そこは自力で判断してもらうしかない。


 雑兵への攻撃から、一気に戦機が高まるかと思ったのだが、由良勢は退いていった。


 残されたのは那波氏で、ごく近くの隣接勢力に喧嘩を売った状態で放り出された形となる。


 ただ、現状で赤石城を攻め落としたところで、由良氏と境界を接しての全面対決の展開となってうまくない。俺らは、そこまでで撤退することにした。


 由良氏や那波氏、桐生佐野氏からすれば、何やら不気味な勢力が近隣に現れたので、脅しておこうとの発想だったのだろうか。確かに、地縁や血縁で固められた地場領主の交友関係の中で、得体の知れない勢力が出現すれば、警戒するのは無理もなかろう。さらには、新田姓が刺激しているのも確かだろうし。


 存在している縁としては、臣下として迎えた剣聖殿の門下つながりなのだろうが、新田領を離れる形になった土豪衆は、一門から放逐された形となっている。そう考えると、そこの縁は繋いでおいた方がよかったのかもしれない。まあ、よりどろどろの感情が生じかねない、との話もあるけれど。




 常備軍のみでの短期間の戦役だったことから、日常への影響はほぼなかった。その間も、厩橋や領内の各所は平常運転だったようだ。


 産業面では、精米、研磨した米を使った新田酒が完成した。無色透明の酒は、この時代ではめずらしいらしい。日本酒は透明なものだと考えていた俺からすると、逆に驚きだった。


 ちょろっと飲ませてもらったが、正直なところ味がわからない。ただ、すっきりして、やや甘みがあって、するする飲めてしまいそうで危険である。まあ、酒好きのダメな大人たちは恍惚の表情で絶賛していたから、いい出来なのだろう。


 発酵食品絡みでは、醤油も試作品が仕上がってきた。雑味は感じられるが、確かに醤油である。早速、蕎麦やうどんのつゆに導入したところ、雑味がむしろ風味となったのもあってか、大評判を博したのだった。


 蕎麦切り、うどん切りの売上番付を始めたのはほぼ冗談だったのが、各店の支持者が推しの順位を上げようと通いつめる、なんて展開になっているそうだ。一方で、そば、うどんだけでは栄養バランスが悪いので、天ぷらの導入を促した。鶏肉、山菜の天ぷらもまた、受け容れられたようだ。


 その流れの中で、従来から小売の商店については売上の二十分の一を税として徴収していたのだが、その徴税高を公表することにした。長者番付商店版……、商家番付といったところである。まあ、厳密に税務調査をしようとまでは思わないが、羽振りがいいところの納税額が低いと目立つのも確かだった。




 武具方面では、腕に装着する形の盾の試験配備が始まっている。手練れ相手の戦闘の役には立たないだろうが、相手が徴用された農民兵なら有用な装備になる可能性を秘めている。


 同時に、刺突剣を試作して、使い心地を試させていた。盾と刺突剣で守りながら戦える部隊を養成できれば、戦法も変わってくる。しっくりきそうな者たちがいれば、選抜を試みるとしよう。まあ、両方装備しておいて、戦況に応じて使い分けるのもありなのだが。


 そして、生存率を高めるためには、軽量鎧の量産も目指したいものだ。一方で、鉄砲導入後を睨むと、兜、胸甲の強化も検討すべきか。


 新作の武具としては、クロスボウの試作が完了し、一部の注目を集めつつ量産に進む運びとなった。




 これまでも優先度づけはしてきたつもりだった軍備方面について、新加入の芦原道真によるチェックが入るようになってきた。本来なら健全な動きなのだろうが、ぶつかる場面も出てきそうだ。


 兵数を制限しては、との提案については、今後の戦乱対応を考えると承服しがたい。まあ、本気で抑えようというよりは、管理が必要との問題提起だったようだ。


 食事や住居まで丸抱えの兵と、俸禄の中から自前で食事を準備する内勤の者たちでは、考え方も変わってくる。それを踏まえての土木工事や建築作業への投入だったのだが、金を生み出す仕組みを考えた方がいいのかもしれない。ただ、常備軍がよそから仕事を受けたり、内職をしたりというのも、なかなか微妙な状況ではあるが。


 交易面もしっかり損得勘定を立てて動こうとの話が出て、こちらは大歓迎である。支出面で結構な額を占めているどぶろくについては、炭濾過で長野酒に作り変えればより高く売れるので、制限はかからなかった。


 布で濾してから炭濾過を行うわけだが、濾過の過程で分離された澱は、米やもろみなどであるため、加熱して甘みのあるせんべい的にして孤児院や集合教育、村の市などで配るおやつとしてる。


 壺に入っている場合が多いどぶろくを炭濾過して竹筒に入れると、ざっと倍額かそれ以上で捌ける状態だった。新田酒は、さてどんな売り出し方をすべきか。今年は有力者に配るまでにすべきかもしれない。


 他では、塩、油の買付額が多かった。油は自活の道も検討中だが、塩は海が遠いだけにいかんともしがたい。岩塩などあればよいのだが、期待はできなさそうだった。


 米については、相場が高くなったら売るとの前提で、制限なく買付を進めている。近畿方面から米を運ぶ件も、輸送代を踏まえても収益が出そうとのことで、話が動き始めていた。忍者の数が増えれば、探索、情報収集拠点を兼ねて、主要な湊に商店を出していくのもありかもしれない。




 開発局方面では、手押しポンプ、羽根式揚水機の生産が安定して行われるようになってきた。これらについては道真から高評価を得られて、多くの用途が検討され始めた。


 手押し車はまだ量産試作といったところだが、各方面で重宝されている。


 試作としては、各種民生品に加えて、ガレー船の先端につける槍のようなラム、衝角を作ってもらっている。また、移動櫓や組み立て式櫓も開発が進み、鉄砲鍛冶組も試行錯誤を続けているようだった。


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