【永禄三年(1560年)二月中旬】

【永禄三年(1560年)二月中旬】


 内政方面は、配下のほぼ全員が苦手だと認識していた分野だったようで、芦原道真の登用は大いに歓迎された。


 これまで実務面を担当していた、比較的内政の高い面々は道真の配下に組み入れられ、状況の聞き取りにうれしげに対応している。


 彼らの表情からは、これまで強いてきた負担の大きさが窺える。構想は色々と出したものの、俺としても実現の道筋までは示せていなかった。特に調整が必要な事柄などは、どうすればよいのかわからずに困惑されていた場合もあったようだ。


 ……暴君だったろうか。進まない案件の担当者を処断していたわけではなかったが、本人たちからすればきつかったかもしれない。




 川里屋との商いは順調に進んでいる。そんな中で初めてもたらされた南蛮物は、鉄砲だった。ただ、実際は国内生産のものであるようだ。


 確保された三挺は鍛冶場に持ち込まれて、分解調査が行われる運びとなった。この動きによって、<鉄砲鍛冶>スキルを獲得する鍛冶が多く出てくれるとよいのだが。


 さらには、奥州方面から大柄な馬が六頭もたらされた。上方から、別口の馬も輸送中だそうなので、春のシーズンにはそれらをかけ合わせつつ、在地の牝馬に種付けしてみるとしようか。馬匹改良が効いてくるのは、早くて三年後になるが、手掛けておいて悪いことはなさそうだ。


 牡馬が二頭、牝馬が四頭だったので、牝馬の一部には「静寂」号をつけてみるのもありかもしれない。妊娠期間は一年ほどのはずで、春に繁殖させるのがよさそうだ。


 軍備面では、船造りが進んでいる。買い手がいて作っているわけではなく、新田水軍での運用となる。


 川里屋の指導を受けながら川の往来での訓練が進み、騎馬の輸送なども試している。攻防どちらにも有効となるだろう。




 そんな中で、北条氏政の当主就任に際して、徳政令が行われたとの情報がもたらされた。


 代替わりのタイミングで、検地や徴税内容の調整が行われる場合があるようだが、その一環だろうか。


 質入れされた男女を解放する、との内容もあったそうで、北条領内の村の苦境が窺い知れる面もある。その一方で、上総の里見氏に対して遠征軍を送っており、なんというべきか、生きるために戦うのか、戦うために生きているのかわからなくなってしまいそうでもある。


 まあ、この状況であれば、上野までは手は出しづらいだろう。その意味では、重要な情報だと言えた。


 三日月配下には、情報収集に出張ったことに加えて、得られた情報についても追加で報酬を支払うようにしている。現状で主に探ってもらっているのは、北条に加えて、金山城の横瀬家、赤石城の那波家、桐生城の桐生佐野氏の辺りだった。鉢形城、天神山城の藤田氏については、一歩進んで調略の可能性を瀬踏みしている状態だった。


 雪が溶けたら、越後と信濃についても探索を頼むとしよう。




 そう思っていたら、いつぞや以来の、横瀬氏からの使者がやってきた。今回は、小金井桜花嬢は一緒ではないようだ。


 再びの大沢某は概ね次のようなことを告げてきた。




 横瀬から由良に改姓して新田惣流であることを明確にする。また、北条と交誼を得て、場合によっては共に攻撃するぞ。




 うーん、俺に何を求めているのだろうか。


 そうですか、と応じていたら、なにやらまた相手が激高し始めた。今日の同席は神後宗治なので、普通に斬り伏せかねないのでやめてほしい。


 新田氏の惣流を名乗るつもりはないから、ご自由にと言明していたら、なにやら歯噛みしていた。いや、ホントにどうしてほしいんだ。


 本来なら由良姓への改姓はもうしばらく後の時期のはずだが、我が新田氏の登場によって早まったのだろうか。


 由良とは新田の庄にある地名で、さらには義貞の部下で新田四天王と讃えられた由良具滋も意識しているのかもしれない。


 結局のところ、大沢某は怒り気味のままで帰っていった。なにをしにきたのかと訝っていると、門衛が来客がある旨の報告を上げてみた。


 風体を聞いてみると小金井桜花殿のようなので、蜜柑と澪、道真も呼んで会うことにする。


 女性陣三人を紹介されてさすがにびっくりしていた彼女だったが、気を取り直して横瀬氏……じゃなかった由良氏の内情を教えてくれた。


 どうも、俺らが北条の新当主就任を祝う使者を出したのを、従属を表明した上で近隣の非北条方国人衆の討滅を願い出たのではないかと疑う声が出て、自ら臣従したいと北条に申し出たそうだ。


 この時代の国人衆の臣従は、誓紙を書いて人質を出すのが通例のようだ。嫡子を出すわけにはいかないと、幼い弟が小田原に向かったとか。


「しかし、そのような重要な情報をなぜこちらに」


「亡き父は、下剋上に加担していたことを後悔しつつ死んでいったのです」


「下剋上は、いつのことだったのかな?」


 新田姓を名乗っていることもあって、元時代で由良家、岩松家については軽く調べたことがあったのだが、さすがにそこまでは把握していなかった。


「五十年ほど前のことになるようです。筆頭家老だった横瀬家が専権を振るうのはやむを得ないとしても、主君を半ば幽閉する状態で、それが三代にわたって続きまして」


 その状態を脱しようとした二代が敗死し、最後の当主、岩松守純は若くして放逐され、それまでも実質的に支配していた金山城は、名目上も横瀬氏のものになったのだそうだ。


「お父上はそれに加担しておられたのか?」


「尚純殿への隠居強制と、幼い昌純殿の擁立の際に関わったそうです。当時の情勢では、逆らいようもなかったと言っていました。……ただ、父も含めて主家に従うとの誓紙を交わしたそうなのですが」


 まあ、この時代の誓紙は、特に領主同士となれば、ひとまずの合意程度の意味合いしかなさそうではある。


 昌純は軟禁状態とされ、脱しようとして逆に弑され、次の代の弟の氏純も同様の経緯で自死に追い込まれ、その子の守純の代についに放逐された、との流れだったそうだ。


 先の二代は一つ前の横瀬泰繁の代で、最後の放逐は現当主の成繁の代のできごととなると、殺さないという意味で対応が穏健になったと評価すべきなのだろうか。それとも、主家の当主を放逐する方がより過激なのだろうか。


「そういうことなら、岩松守純殿はご存命なのだろう? 横瀬……、いや、由良氏に含むところがあるのならば、擁立されればよいだろうに」


「父から家督を継いだ叔父は、成繁殿にべったりなのです。それに、守純殿に領主としての器量があるかと言えば、また別の話でして」


 このお嬢さんは、血統原理主義者というわけでもないらしい。いや、亡き父の無念に強く反応しているのか。


「横瀬氏は、新田義貞公の血統を継いでいるのか? 由良姓を名乗るそうだが、新田四天王の由良具滋は、武蔵七党の出で、横瀬の横山党と同じく小野篁の家系だろうに」


「新田荘にある地名の由良から取ったと称しています。義貞公の血は……、三男の義宗殿のお子が、横瀬の家に養子に入ったのが、守純殿の放逐の際に確認した岩松家に伝わる家系図で判明したのだとか」


「岩松家が、直接関係のない横瀬の養子縁組を家系図に記載してたってのか? それなのに、由良姓を名乗るのか。いっそ、新田を名乗ればいいじゃないか」


「さすがに、そこまでは、とお考えのようです」


 自称新田同士で対決すれば、いっそすっきりしそうなのだが。いや、俺が譲って、シン新田、新々田とでも名乗りを変えればいいのだろうか。


「どうも、新田殿が正月に北条殿に使者を立てられた件が。発端のようなのです」


「それなんだが、特に触れ回ったつもりもないのに、なんで把握されているんだ?」


「北条殿にあいさつに向かった際に、話題に出されたとか。ぽっと出の新田が北条についたと、家中は大騒ぎになっていました」


「宗哲殿か……。不用意な、と言いたいところだが、絶対わざとだよな。上野の国人衆同士で食い合うことをお望みか」


 食えない爺様である。


「そこで、慌てて従属を申し込み、人質を出して、新田討伐の許しを得たそうなのです」


「北条が許す話なのか、それ」


 道真に視線を向けると、重々しく頷いた。


「現状では、上野国は北条の実質的な支配下にあると考えてよろしいでしょう」


「なら、遠慮は要らぬのか。……それで、桜花殿は、何を望まれる。横瀬家、いや、由良家の討伐をお望みか」


「さて……、心は定まらぬのですが、何やら落ちつきませんで、やってきてしまいました」


 首を傾げる様子に暗さはない。


「ところで、鉄砲はお好きかな?」


「はいっ、興味あります。殿が一丁だけ、将軍家より下賜されたものをお持ちなのですが、家臣には触らせてもらえないのです。ましてや女の身では……」


「成繁殿は、将軍家とのつながりは強いのか?」


「岩松家の筆頭家老として、代々接触していたこともあって、重用されているようです」


「ほう……。なら、下剋上は、義輝殿のお墨付きがあるわけか」


「岩松のご当主は、幕府対応に動ける状態ではなかったのですよ」


 岩松家は、実質的に横瀬氏に引き継がれていると考えてよいわけか。……となると、長尾景虎は、どう扱うのだろうか。


「家中では、下剋上や新田の血統の僭称、そして北条への従属をどう捉えておられるのかな」


「岩松氏については、力のない者が去ったと捉えられているようです。新田の血筋の件は、歓迎されています。そして、北条についてこちらの新田家と争うのだと、興奮している向きが多いです」


 さらには、新田領から放逐された土豪衆の幾人かが身を寄せていて、反新田機運を煽っているらしい。


「貴重な情報を感謝する。お返しというわけではないが、鉄砲を存分に撃っていかれるが良い」


「はいっ」


 目を輝かせている感じは、素朴な娘さんなのだが……。スキル構成からして、鉄砲好きの素養はありそうだったのだが、やはり惹かれるものがあるらしい。


「……なあ、護邦殿。小金井殿をどうされるおつもりじゃ」


「どうって、仮想敵の由良氏の内部情報を教えてくれるのだから、貴重な存在だよな」


「機会があれば、招かれるおつもりなのじゃな」


 蜜柑の声が剣呑さを帯びている。


「あー、念のためだが、招くとしても武将としてだぞ。純粋に」


「純粋ねえ」


 澪の声にも疑念が込められている。なぜだ。


 そして、その日の試射場では、射撃音と歓声が断続的に発生したのだった。


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