【永禄三年(1560年)二月上旬】

【永禄三年(1560年)二月上旬】


 軍備を整えるのは、難しいのは確かだが、ある意味では簡単でもある。要員を確保し、訓練を重ねていけば練度高めの軍勢は確保できる。運用はまた別問題だが。


 けれど、内政については……。やりたいことは多いのだが、何から為すべきかも判然としないし、どうやるのかも不明である。内政が高い武将がいれば、話も変わるのだろうか。


 ただ、弱小勢力にとって武将の登用は簡単なことではないし、そもそも上野国で内政能力の高い武将は思いつかない。


 可能性があるとしたら、西上野の箕輪衆同様にモブ豪族扱いされた家の配下武将くらいだが、残念ながら周囲を見渡しても聞き慣れない家名は存在していない。他では、武将の隠居時に稀に現れるランダム後継武将もありうるが、そんな対象も見当たらなかった。


 澪や英五郎どんのように無名の存在から有能武将が出てくる場合も考えられるが、志願兵でも集合教育組でも孤児院勢でも、内政値はEが最高だった。もちろん、内政Eの者たちは、治政組として重用しているけれど。


 顔の広そうな剣聖殿や、職人の伝手で統治向きの人物を知っていそうな笹葉に心当たりがいないか訊いてみたが、いい返事は得られなかった。


「というわけなんだが、三日月よ。忍群の中に内政が得意な隠し玉とかいたりしないか?」


「いるわけないでしょ、バカなの? こないだ総勢を見せたし、そもそも一番弱い点を補強できそうな奴なんか居たら、すぐ押しつけてるに決まってるじゃない」


 口の悪さは相変わらずである。ただ、本気で嫌われているわけではないようだ。……ないよな? きっとそうだ。そういうことにしておこう。


「……じゃあ、どっかに内政能力がめちゃくちゃ高いんだけど、誰にも登用されていない人材とかいないかな」


「ほんとにバカなの? そんな都合のいい奴がいるわけないでしょ」


「澪は、本来なら戦国の世の表舞台に出ることはなかっただろう。でも、実際には多くの武将を倒してくれている。同様な存在がいるかもしれない」


「どうして、澪が本来は活躍してないってわかるのよ」


「知っているんだ。それは、俺が目立った人物の能力を見分けられるのと同じように、神隠しの効果と考えてもらっていい」


「澪が今、弓の腕を表舞台で発揮している理由は? 逆に、本来は発揮しなかった理由は?」


 三日月の表情は真剣で、独特のバカにするような口調が影を潜めている。


「本来の澪は、おそらく狩人としての人生を全うしたんだろう。表舞台に出てきたのは、たまたま俺に会ったからだ」


「俺のおかげだ、と?」


「そうは言っていないが……。澪が弓の名手であると知った武将がいたとして、十代半ばの少女を一隊の長として登用するかな」


「そんな常識外れなことをするバカは、まずいないでしょうね。ましてや、弓巫女なんて。……話はわかったわ。いそうな場所は、足利学校か、あるいは古河か」


「おう、足利学校か。そういや、そんな施設もあったな」


 足利氏由来の地である足利城域にある足利学校では、やや古めの知識伝授が行われているはずだ。そして古河は、古河公方のいる政治の中心地であるため、人材がいる可能性は確かにある。


 俺は、蜜柑と三日月と一緒に、まず足利へと向かってみた。




 足利学校への訪問は、結果としては空振りに終わった。儒学、易学、漢籍、兵法、医学などの課程が存在しているが、入学時に基本的に僧籍に入るそうで、武将である俺はもちろん、女性陣の訪問も歓迎されなかった。


 勉強している内容は、軽く説明を受けた範囲ではおそらく高度なのだと思う。ただ、実践的かと言われると……。学費は無料だそうで、一定の吸引力はありそうだ。


 足利学校出身者で活躍したのは、外交交渉の任に当たった僧が幾人か思い当たるくらいだろうか。内政面で活躍しても、歴史に名は残りづらいのかもしれない。


 そして、歓迎されなかったのには、新田姓を名乗ったのも影響しているかもしれない。足利にある足利学校となると、いかにもアウェイだし。


 間を置かず、翌日には岬の商いについていく形で古河へと向かった。川里屋の船は、新田水軍の要員も乗り込んでいて、その様子を見ることもできた。周囲の状況的には、襲撃は考えづらいらしいが。


 古河公方は、足利将軍家の一門衆が関東地域の統括をするような役職で、鎌倉公方だったのが戦乱の中で古河に移って古河公方となった。京都から送り込まれた鎌倉公方の後任は鎌倉まで到達できず、伊豆の堀越に拠点を構え堀越公方と呼ばれたが敗滅した。さらには、古河公方から分かれた小弓公方もまた滅んでいる。


 そのため、古河公方が正統な鎌倉公方の後継とみなされている。


 現在の古河公方である足利義氏は北条氏康の甥で、関東管領職を与えた北条氏の後見を受けている。かつては山内上杉家が世襲的に独占してきた関東管領はその補佐役であるが、実際には古河公方と山内上杉氏は何度も戦っている。


 まあ、現状の後見役である北条氏にしても、前代の足利晴氏と戦った末に古河を攻め落とし、幽閉までしている。現在の足利公方の実際のところは、権威のある大名といった位置付けだろうか。正直なところ、あまり関わり合いにはなりたくない。


 ただ、古河はこの時代の関東では、鎌倉と並んで賑わっている。多くの寺社や職人が、公方の御座所だからと移住してきているためであるようだ。


 公方のお膝元で暮らしている人々は、権威に従っているからこそ移り住んできているわけで、ぽっと出の新田を名乗る豪族に雇われる気はないだろう。となれば、この地で埋もれていて芽が出ない人材を狙うしかない。


 色々と見て回り、声をかけたりもしたのだが、登用はもちろん、有能な人材の発見にも至らなかった。


 今回も空振りかと思った帰り道、遠目に見かけた▽印のステータス値をなにげなく覗いたとき、俺はうひょっと声を上げてしまった。内政がA+、謀略がA。まさに理想の人材である。


 だが、角を曲がったことで視界から外れてしまい、それ以上の情報は確認できなかった。走り出した俺は、どうにかその人物らしき影が邸宅に入る瞬間を確認した。


 来意を告げて取次を依頼したが、あっさりと断られてしまう。まあ、いきなりの訪問なんで無理もない。また来ると言い置いて、俺は古河を後にした。




 想い人に会えたのは、三回目の訪問でだった。もしかすると、互いに劉備と諸葛亮の三顧の礼が念頭にあったかもしれない。


「新田護邦と申す。厩橋城主ということになろうか。力を貸していただきたく訪問させてもらっている」


 同席しているのは、蜜柑と三日月である。そちらにちらりと目線をやって、その人物は口を開いた。端整な顔立ちは、美少年のように見える。


「新田姓で護邦殿となりますと、義貞公の鎌倉攻めの因縁を想起いたしますが……」


「だよな。父親が最後の鎌倉将軍の名を知らずに名をつけたもんでな」


「なるほど……。いえ、失礼致した。護邦殿の評判は聞いております。国人衆、土豪衆を迫害する暴君との話もあるようですが」


「国人、土豪らの豪族を頼りにする運営はしていないので、彼らからするとそう見えるようだな。直接農村の民と向き合うやり方は、腹立たしいらしい」


「役割を奪われたと考えているのでしょうな。……時局をどう見ておられます」


「言葉を崩させてもらうぞ。……俺は、別の時代で神隠しに遭い、この時代に出てきたようで、未来の風景が見える場合がある。現状の坂東は武田、今川と結んだ北条氏に席巻されつつあるが、長尾景虎殿が進出してくる可能性があると考えている」


「長尾家の当主は、越後の統治に苦心しておられると聞きますが」


「発作的に出家しようとするくらいにはな。……未来図は変わるかもしれないが、まずは聞いてくれるか」


 相手の頷きを確認して、俺は想定されるこの先の展開を話し始めた。




 今川家が上洛を念頭に尾張の制圧を目指して西へ向かい、織田家による奇襲を受け、当主が命を落とす。


 長尾景虎が上杉憲政を関東管領として奉じて三国峠を越え、北条家の排除を目指す。


 足利義氏を古河から退去させ、諸将を従えて小田原に迫るが、攻略までは果たせず越後に戻る。


 武田家が北信濃平定の動きを見せ、長尾家も応じて両雄が激突する。


 その間に、関東では北条が勢力を取り戻し、長尾方についていた諸将の多くが北条方に戻る。


 冬になると、再び長尾景虎が関東に侵入し、多くが長尾家に従う。


 その後は、幾年にも渡って長尾と北条の抗争が続き、関東の諸将は両陣営の間で鞍替えを繰り返す。




「不毛な展開ですな」


「まったくだ」


「その未来図の中での長尾殿は、何を求めてそのような行動をされたのでしょう」


「北条を……、いや、伊勢氏について、関東を我が物にしようとする侵略者と捉えているのはあるだろうな」


 史実での景虎は後北条氏を北条と呼ぶことはなく、元の名の伊勢氏と呼び続けたという。一方で、北条方も後に上杉家を継いだ景虎の呼称は長尾氏で固定されていたそうだ。


「正義の戦い、というわけですか」


「どうだろうな。京の情勢を踏まえて、関東を安定させた上で上洛の同志を探しているのかもしれないし、外に目を向けることで自国の政情を安定させたいとの思惑もあるのかも。さらには、軍勢を関東に置いて兵糧を現地調達すれば、その分だけ越後の米が減らずに済むという事情もありうる」


「……その未来図が実現するとお考えですか?」


「その通りになるかどうかはわからない。俺の知る本来の未来図なら、長尾家の関東侵攻時の厩橋城主は長野道賢のままだったはずだし、長野業正も健在だったはずだ」


「その未来図とやらと、ずれが生じているわけですか」


「ああ。どんどん大きくなっていく。むしろ、いい方向にずらしていくべきなのだろう」


「それで、新田殿は長尾方につくわけですか」


「単純に生存戦略としてだけ考えても、立地的にも従わざるを得ない。であるからには、景虎殿の軍勢に食料を供給して、領内を安全な状態にしたい。その上で、彼らと北条での抗争の中で、長尾方に付きつつ、平和な土地を広げていきたい」


「その未来図の中で、長尾氏と北条氏の抗争はどう決着がつくのですか?」


「九年ほど抗争を続けた後、一旦は和睦し、また争いが始まる。やがて中央に興った勢力に押される形で、両者の戦いは収まる。……不毛だな」


「不毛ですね」


「その間のこの地の住民の苦難は、きついものだったとされている。なるべくその被害を少なくしたい。……手伝ってはもらえないだろうか」


「ですが、わたしは……」


 ステータス画面には、芦原美智という名が表示されている。男装で生きてきたようだ。


「あー、性別は気にしないぞ。妻の蜜柑は先頭に立って戦っているし、弓兵を束ねるのも澪という狩人出身の女性だ。さらには、懇意にしている商人も、連携している忍びの集団も頭目は女性だ」


「故意に女性を集めているのですか?」


 疑惑の視線が俺に向けて飛んできていた。


「いや、たまたまだ。能力があれば、性別も出自も気にしないってだけだ。有能な男なら、もっといい仕官先が見つけられるから、ってのもあるかもな。だが、もちろん男性の幹部もいる。槍部隊や歩兵全般を束ねているのは、農民出身の上坂英五郎だし、なぜか外交面で頼っている剣豪の上泉秀綱殿もいるし、箕輪長野家の嫡流の男子は箕輪姓に名乗りを変え、写本に勤しんでいるぞ」


「……男性として扱っていただけますか」


「もちろんだ。名乗りはどうされる」


「よい名はありますか」


「美智殿に絡めて、道真ではいかがか」


「菅原道真公にあやかりますか。それはいいですな」


 こうして、頼りになりそうな人物が傘下に加わってくれた。


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