【永禄三年(1560年)一月下旬】

【永禄三年(1560年)一月下旬】


 剣聖殿と三日月が小田原から戻ってきた。結局のところ、新当主への面会は果たせなかったものの、北条幻庵として知られる北条宗哲と対面できたそうだ。戦国の世を開いたともされる北条早雲の末子で、一族の長老的な存在である。


 氏政の当主就任の祝を述べた上で、新田が攻められて自衛してきた状況と、北条の下での関東の静謐を望む旨を伝えたところ、よしなにとの反応だったそうだ。疑ってはいても、そう表明する必要はない、といったところだろうか。


 一方で、北条領内は飢饉の影響もあってやや困窮気味で、集落はだいぶ苦しげとの物見報告もあった。今回の当主交代も、その打開を目指す意味合いがあるらしい、との情報も得られた。改元と同様の厄払いのような感覚なのだろうか。


 上野国の辺りは、前年からさほど不作でもなかったようだが、関東南部では昨夏に猛烈な日照りの日々が続いたらしい。まあ、史実通りに長尾景虎の侵攻があるとしても、次の収穫後の話なので、そこで一息はつけそうではあるが。


 上泉秀綱には悪いが、戻って早々に平井の北条代官の館、藤田氏の鉢形城、白井長尾家、足利長尾家に、長野酒を携えてあいさつに出向いてもらった。年始回り、というわけでもないのだけれど。


 随員として岬に同行を依頼し、商家の視点で道中含めて状況を確認してもらった。俺が行ってボロを出すよりもいいだろう。さらに鉢形城については、三日月に頼んで調略の隙がないかを調べてもらっていた。




 食料確保方面のうち、牧場での鶏については、<交配>スキル持ち主導で増やしている状態だった。


 中でも卵を多く生む健康な個体の厳選を目指しており、そこから外れた個体は肉として出荷する形となっていた。


 鶏は、肉の料理での活用はもちろん、鶏ガラスープ、脂を使った石鹸に、糞は硝石作りにと、ものすごい役立ちぶりが期待できる。大きな神社などでは神の使いとして扱われる場合もあるようだが、この辺りではそもそも存在自体が知られておらず、野鳥と大差がない認識らしい。


 豚については、そろそろ子豚が生まれる頃のようだ。成長に要する期間と頭数を考えると、今年は繁殖を繰り返すまでになるかもしれない。 


 他では、鯉の利用を進めようと準備を進めている。まずは、農業試験場的な箕輪の農園での導入になるだろう。


 田んぼに放して雑草や害虫を食べてもらい、同時にタンパク源ともなる田鯉農法は、長野県、つまり信濃では昔から行われてきたと聞くが、現時点で既に始まっているかは不明である。




 国峯城裏手の鉱山から産出された金は、川里屋経由でなかなかの収益となっている。


 ただ、あまりおおっぴらにならない程度に留めておくとしよう。売りさばきも、遠方で行うように頼んでいた。


 そうできるくらいに、川里屋の取引相手は大身であるようだ。堺に到達できる縁者の存在も含めて、ただの在地商人とは思えない。まあ、いずれ岬から話が出るだろう。


 彼らに託した調理人の耕三は無事に上方に到着しただろうか。結局、対人交渉能力に不安があるとの話になって、小桃という名の侍女も同行している。明るく元気な子なので、コンビとして成立してほしいものだ。


 当初の狙いは南蛮商人からの物資調達だが、うまく回るようなら上方での情報収集拠点としても期待したいところである。


 そして、上方で米の相場が下がっているようなら、資金を出すから関東に持ってきて捌いてほしいとのリクエストも出した。相模周辺で飢饉が発生していて、史実通りなら春には今川が尾張を目指して西進を始める。さらには、北条と里見の戦いが激化し、北関東の東部では佐竹、小田と結城らとの戦いもあったはずだ。高騰の可能性は高いのである。


 また、そういった状況を考えると、武田氏、越後長尾氏が急に攻め込んでこなければ、ひとまず侵攻される危険は低そうだ。油断は禁物だが、秋以降のために動くとしようか。




 弓兵隊の対応に絡んで、俺は笹葉に相談を持ちかけた。いずれ銃が確保できるとすると、過渡期にしか出番がなさそうだから端折ろうかと思っていた、クロスボウの製作についてである。


 ただ、要望を伝えたところ、中国の弩のようなものかと聞き返されたので、概念としては通じたようだ。


 それならばと、銃のように引き金で発射できるようにとか、滑車をつけるのもありとか、連射できるとなおよいとか、できれば大型の物も作って城攻めに使いたいとか言ったら、さすがにげんなりされてしまった。


 まずは基本的なものを簡単な絵図で示したところ、試作はできそうとのことで、楽しみに待つとしよう。 




 そして、待望の知らせが入った。配下の忍者たち十数人を連れた三日月が、新田領への移住を表明してきたのである。


 もちろん大歓迎で、希望も踏まえて少し町から離れたところに屋敷を準備した。


 彼らは臣下ではなく、独立した忍群との扱いになる。信頼関係を醸成して、丸抱えできる展開としたいものだ。


 三日月には静月(しずつき)という妹がいて、そちらもなかなかの手練れだった。こちらが城に常駐して、連絡役や防諜を担当する形になるらしい。あいさつした感じでは、物静かな風情だった。


 他の紹介された配下達についてステータスを確認していったところ、まさに多士済々と評すべき状況だった。能力的には突出していないものの、同年代の鷹彦の人好きのしそうな笑顔も目を引いた。それも忍者の才能だろう。


 けれど、それを上回る勢いで注目させられたのは、物静かな若手忍者の才助が<忍術指導>スキルを持っている件だった。統率力も高めなのだが、一党の中で重きを占めているわけではないようだ。


 頭目の三日月と相談した上で本人に打診したところ、新田家で登用させてもらえることになった。


 諜報方面の助言もそうだが、自前で忍者の育成ができれば今後への影響は大きい。忍者隊を指揮してもらうのもありかもと考えると、理想的な人材である。


 ただ、三日月一派と競合を目指す必要はない。手練れの忍者が育てられれば、引き取ってもらうのもありだろう。欲しいのはトップレベルの忍者よりも、むしろ防諜のための人材だった。


 互いの要員を絡み合わせて一心同体状態に持ち込めれば理想だが……、まあ、忍者の育成ができたらの話だから、先走るのはやめておこうか。


 幹部格として取り立てるので姓を持つように告げたところ、こだわりがないから付けてくれ、との要望があった。才助という名の連想から、霧隠としたのは安直だっただろうか。


 今回の忍者たちのステータス確認結果と照合したところ、孤児院組や志願兵の中に、忍者向きのスキル持ちが何人かいたのが判明した。彼らの中から忍者志望者が現れたらよいのだが、そうでなくても向きそうな人材を集めてみるとしよう。


 


 一方で騎馬隊については順調に仕上がりつつあった。この時代の本来の騎馬の使い方は、騎歩兵混合部隊の統率者向けに過ぎない。


 歩兵を蹴散らすような西洋的な騎馬突撃というのは、馬の体格からも、槍の発達度合いからも幻想だったとされている。同じような体格の馬で騎馬の大部隊を活用していたモンゴルは、騎馬弓兵を中心とした運用だったのだろうか。


 もうしばらくすれば、鉄砲の普及によって騎馬の威力は毀損されていく。戦闘の主力兵科として扱う意味合いは小さい。


 だが、馬の移動速度には、大いに意味がある。これまでの守勢に回った二つの戦いは、本来なら負けなかっただけに終わるはずだった。主将を討ち果たしたとは言っても、態勢を立て直されていれば、ジリ貧だっただろう。


 それを勝利に塗り替えられたのは、敗走する敵を追い抜いて城を落とせたからだ。馬での高速移動が実現できていなければ、俺たちはまだ国峯城で苦闘を繰り広げるか、敗滅していたかもしれない。


 騎馬の役割を、切り札的な主戦力を必要な場所に動かすことだと割り切れば、活用の道はとても大きい。さらに場面を選べば奇襲も可能なわけだから、要は使い方次第であろう。


 新田家における主戦力とは、蜜柑率いる突撃隊と、澪の精鋭弓兵隊、さらには剣豪とその高弟たちとなる。


 まずは主力が移動できるだけの馬を用意し、円滑な移動ができるようにしておく。弓兵については騎射、突貫部隊については馬での敵将への接近の訓練を重ねる。その目標は、どうにか達成しつつあった。


 馬匹改良は……、試してみる価値はあるにしても、繁殖期間の関係からもさすがに難しそうである。ただ、俺の相棒となってくれている「静寂」号は、性格的に軍馬向きで、体格も周囲の馬よりはいい状態である。種馬として扱うのもありかも。


 元世界では、「日曜の静寂」という意味の名の馬が日本の競馬界を躍進させていたが、こちらの静寂号にも期待してみてもよいかもしれない。




 槍部隊と歩兵部隊については、引き続き中級・下級指揮役に▽印持ちを配置し、実戦に近い訓練を重ねていた。そして、指揮役については馬を配置している。


 集合教育組や孤児組からの加入も含めて、人数は九百人規模まで来ている。村から集めずにすぐに動かせる戦力だと考えると、なかなかの陣容となりつつあった。この時代、農村に暮らしていれば雑兵や労役的に徴用される場面は多いようなので、抵抗感がないのも大きいのだろう。その感覚を利用してしまっている面もあるわけだが。


 兵質については、どこまで高めるかの目標を定めているわけではないので、きつくなり過ぎない程度に進めていくとしよう。


 ただ、贔屓目かもしれないが、なかなかの練度になっているようにも見える。最大動員兵数では弱小勢力かもしれないが、この規模の常備兵を揃えているのは、この地ではめずらしいかもしれない。まあ、油断するべきではなかった。




 食糧事情改善のために投入された新たな料理は、小麦粉と牛乳を使ったホワイトシチューだった。具材としては、イノシシ肉やシカ肉が中心となる。


 牛乳を摂取する習慣は広まっていないようで、原料と色からおっかなびっくり、といった反応がほとんどだったが、食べてみるとおいしいと評判になった。


 シチューに合わせるべきは、パンである。だからというわけではないが、発酵系の職人にパン作りの酵母の話を相談してみた。果物を使った酵母が向いていそうだ。


 小麦粉と塩、水を原料に試してみると、発酵させずに焼く堅めのパンとは明らかに違うものの、元時代のふわふわしたパンとの中間くらいのものが出来上がってきた。砂糖、バター、牛乳あたりを加えれば、また話は違ってくるのだろうが。


 試食に回したところ、どれも好評だったので、研究を重ねさせて、定着化を目指すとしよう。小麦は初夏の収穫となるので、それまでに安定させたい。


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