【永禄三年(1560年)正月】

【永禄三年(1560年)正月】


 厩橋で内政に専念しつつ、年末は慌ただしく過ぎていった。


 そんな折に、北条氏康が隠居し、氏政が新たな当主になったとの一報が三日月から入った。


 詳細な時期までは把握していなかったが、長尾景虎の関東侵入の前年末というタイミングだったわけだ。もしかすると、長尾景虎へ幕府から信頼表明的な待遇が与えられたのも影響しているのかもしれない。


 いずれにしても、当主就任の祝いの使者を送るべきなのだろう。ここはやはり、剣聖殿に頼るしかないだろうか。三日月に同行してもらって、状況を探ってきてもらうとしよう。


 正月はゆっくり休ませてもらった。餅やらの手配については、英五郎どんに任せたところ、素朴な献立となった。


 箕輪重朝はのんびり本を読んでいたようだが、見坂兄弟の智蔵からいろいろと質問を受けて、満更でもなさそうに答えていた。


 兄の方の武郎は、まだ酒も飲めないのに酒宴に混ざって盛り上げ役になっていたようだ。兄弟でもだいぶ感じが違っている。


 


 出立前の剣聖殿も含め、駄目な大人たちは酒浸りだったようだが、まあ、たまにはよいのだろう。蜜柑と澪とは、ゆっくりと話をする時間が持てた。澪は料理への目配りをしながらも、香取神社で奉射演武をしてきたようだし、蜜柑は正月から稽古に余念がないようだった。


 来年の今頃は、どうなっているのだろうか。




 農閑期でもやることは山となっている。山と言えば、まずは鉱山だろう。


 鉱山開発でも、スコップ、ツルハシは大活躍してくれていて、澪の腹心的存在である栞が鉱山組を率いて試掘を重ねている。


 国峯城の裏の山では、小規模ながら金鉱石と鉄鉱石が出ていて、精錬が未発達な状態でもある程度の金と鉄が確保できていた。


 群馬の西では、下仁田の辺りにも、確か鉱山があったはずだ。他は渋川の方だったから、白井長尾氏の範疇になりそうだ。鉱山探査の経験を積んで損はないわけだから、箕輪城のある榛名山麓方面も当たってみるとしよう。


 この地の周辺では、草津や伊香保といった、元の時代でも有名な温泉地で、鉄砲の火薬に欠かせない硫黄が確保できる。ただ、温泉地は共有財産的な感じで、独立しているようだ。どう持ちかけるべきだろうか。


 黒色火薬の原料は、木炭、硫黄、硝石となる。硫黄よりは、硝石が希少性と量の確保でより重要となるのは間違いない。ただ、鉄砲全盛の時代になれば、硫黄も戦略物資になるわけなので、確保は進めておくべきだろう。


 硝石は、牧場や村々で牛、馬の糞を集積している流れで、多少は得られるだろう。今後、豚や鶏を増やして、各地で飼育していき、自力調達を狙っていきたい。


 衛生面から下水道の整備もしておきたいので、人糞からの確保も考えよう。人口が増えていけば、上水道、下水道は必須となる。


 まずは市街に下水溝を通して低地に流し、炭や小石で濾過した上で、水分だけ川に戻すのがよいだろうか。汚物については天日の下で発酵させて堆肥にするのもありかも。……いや、臭くなっちゃうか。


 ただ、どこまで乾燥させれば寄生虫が死滅するのかは、やはりよくわからない。そう考えると、堆肥利用は避けておくべきなのかもしれない。


 いずれにしても、下水道と処理施設までは作っておく必要があるだろう。笹葉に相談してみよう。


 上水道についても考える必要がありそうだ。現状は井戸や川の水を使っているが、できれば綺麗な水源から直接引いてきたい。


 川から取水する際には、水路に砂礫と炭を設置してできるだけの浄化を試みている。さらに高度な塩素やらオゾンやらについては、遠い先の話となる。


 専用の上水道が実現したとしても、川からの水は、生活用水として利用が可能なわけだ。それを下水道に流すようにすれば効率的だろう。この辺りの設備は、洪水が起こればご破算となってしまいそうだが、だからといって手を付けないわけにもいかない。治水方面も検討しておく必要はありそうだ。


 衛生面は、下水道と連結した簡易水洗トイレと、石鹸による手洗いや行水が普及できれば、だいぶ改善するだろう。


 関連して、螺旋ポンプは試作が完了していた。田畑向けの揚水機として使える他、上水道向けの水の確保や、さらなる浄水施設の設置の際にも使えそうだ。他にも用途は多そうなので、木製、鉄製含めて、様々な大きさのものを作ってみてもらっている。


 手押しポンプはそれに比べるとやや難航したようだが、試作が成功したとの知らせが入った。井戸からの水汲みもそうだが、螺旋ポンプと合わせて治水、土木にも役立ってくれるはずだ。




 孤児院は、町に溢れる孤児全員の収容は目指さず、困っている子の保護だけを目的としている。そもそも自由に暮らしたい向きには、好きに生きてもらえばいい。


 運営には、戦さで命を落とした敵味方の兵らの未亡人も多く参加している。そちらも収入の手段がないと、社会の不安定化の要因となりうるので、一石二鳥的な流れを目指している。


 定着した子らへのケア、教育は順調で、読み書き算法、武術、農作業などを教えている。こうなると集合教育と共通するところが多いので、孤児は寮生、家庭のある子は通学制みたいな形になってきた。


 孤児にはもちろん女の子もいて、そちらにも同様の教育を施している。影響されてか、町では娘を集合教育に通わせたがる親も出てきた。特に、商家ではその傾向があるようだ。


 当初は▽持ちがほぼ見られなかった孤児組だが、衣食住が足りて精神的に安定したためか、頭上に▽印が現れる子が出てきていた。澪や笹葉の例を引くまでもなく、白い▽印の出現には心持ちが影響するようだ。


 土木系の<掘削>、<土質調査>、<造堤>に、鉱業系の<採掘>、それに<刺繍>、<調合>なんてのが初見のスキルとなる。一方で、貴重な<鉄砲鍛冶>、<船大工>、今後重要になりそうな畜産系スキル持ちも見られた。


 ただ、スキルの方向性が本人の志望と重なるとは限らない。特に、気弱そうな子や女子が武闘派スキルを持っていたりする場合には、慎重に対応すべきだろう。


 領民だが、彼らは俺の持ち物ではない。少なくとも、職業選択についてはそう考えていきたい。




 産業振興のための道具としては、手押し車、荷車を笹葉に試作してもらい、導入を目指している。同時に、船着き場から市街までの道の整備も進めていた。こちらは、常備兵の他に、町の民から人足を有償で募集しての対応となる。


 土木系のスキル持ちは、今のところ孤児の子だけなので、すぐに投入とはいかない。参加者から出てきてくれるといいのだけれど。




 農業方面では、春からの作付のために、岬が種苗を集めてきてくれた。


 れんげ草については既に入手済みで、箕輪城近くの農業試験場的な直営農園で植えるとともに、希望する近隣の村の畑にも撒いていた。直営農園では、刈敷、草木灰、石灰と組み合わせて、育成状況や食味を試すことになっている。


 この辺りは火山近くで黒土がほとんどなので、酸性土壌ではあるのだろうけど、確かめる方法は思い浮かばず、試行錯誤していくしかなさそうだ。


 野菜については、この時代にも人参と大根は少量ながら作られていたので、種を買い込んで一気に増やすことにする。


 雑穀と同様に、あまり作られていなかったのは、おそらく米作りが最優先で後回しだったのだろう。だが、米だけでは栄養バランス的によくないし、汁に使えばだしにもなる。


 さらには、大軍の腹を満たすのは大事業になると思われる。根菜や豆類でのかさ増しは有効と思われた。


 香辛料系では、胡椒は中国から粉で輸入されてきているらしい。まあ、胡椒はさすがに種がもたらされても、本土では育たないだろう。


 薬扱いとされているにんにくについては、栽培していくことにする。どうも精力剤的な効果があるとされているらしく、特に僧侶は食べない植物らしい。まあ、今後の西洋料理には欠かせないし、汁物の香り付けにも有用だろう。


 果物のうちでは、葡萄は種から育てられそうとのことで、苗木に加えて種を買い込んできてくれている。村の近場の丘陵地を中心に、幾つかの土地に植え付けてみるとしよう。




 澪の弓兵隊高度化計画は、やや苦戦している。彼女とその親衛隊が設定した選別のふるいはかなり目が細かいようで、弓兵として育成する対象の時点で少数に留まっている。


 本来の弓兵は、弾幕ならぬ矢の雨を降らせて敵を減らすのだと考えると、精密射撃は必要ない。対して、澪が束ねる弓兵隊は、狙撃力に優れた集団となりつつある。


 和弓での精密射撃は、やや特殊能力に近いものがあるように思える。凄腕の射手にとっては使いやすい武具なのだろうが、鉄砲が普及する将来では、果たせる役割が小さくなるのは間違いない。


 和弓の凄腕が鉄砲の射手としても有能かどうかはわからないが、特に弓巫女としての活動ができれば、象徴的な意味合いが出てきそうだ。


 一方で、広がり度合いは微妙と言えそうでもある。さて、どうするか……。




 水軍の整備は順調に進んでいる。実際、関東を主戦場にするからには、利根川、渡良瀬川、荒川と、香取海を中心とする東方の湖沼地帯に対応する必要があり、水軍の重要性は非常に高くなりそうだ。香取海とは、史実では徳川家康の利根川東遷事業によってほぼ姿を消してしまう、関東の東にある汽水湖である。巨大な霞ヶ浦、みたいなイメージだろうか。


 小型の商船を作れるようになった船大工チームには、地中海風のガレー船的な櫂船の建造を指示した。この時代、川の遡上は風任せで、風がなければ人力による曳舟に頼るしかない。ガレー船での櫂と帆を併用しての遡上ができれば、だいぶ話も変わってくる。そして、漕ぎ手はまた戦力ともなるのだった。


 戦闘だけではなく、商売においても往来が早くなれば、助かる場合は多そうだ。数が揃うまでは貴重品限定になるかもしれないが、そもそも新田が自力で商いをするものは貴重品に限られるだろう。


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