【永禄二年(1559年)十二月】

【永禄二年(1559年)十二月】


 領内の多くの土地で蕎麦が作られ、年貢相当以外の収穫を買い上げたために、農村に臨時収入が入ることになった。新田家からすれば持ち出しだが、貨幣経済を発展させていくのには意味がある。そのはずだ。多分だけど。


 来年の初夏に、秋蒔きの小麦が無事に収穫できれば、さらにその傾向は加速するだろう。


 それを村々でも体感しているのか、冬季の開墾加速に関しては非常に前向きだった。スコップ、ツルハシもだいぶ導入が進み、また、常備兵からも人数が投入されている。開墾の際に刈り取った草木は、刈敷、草木灰として試してみる予定だった。


 現金収入が得られるのに加え、蕎麦切り、うどん切りの人気が高まっているのも影響しているだろう。ただ、獣肉のだしや、塩の確保の点からも、村で気軽に作れる状態とはなっていない。それだけに、よけいに買い上げが中心となるのだった。


 翌年夏から想定される関東での騒乱を見据えれば、食料はいくらあってもいい状態となる。そのため、川里屋経由で他領から蕎麦、小麦、豆類の買い集めも、米と並行して進めている。この時代はどこまでも米が主体で、蕎麦、小麦、豆類は雑穀扱いのようだ。特に収穫された米が流通している今の時期は、価格が下がっているのだった。




 充分な原料が確保できたことで、蕎麦切り、うどん切りの専売制は無事にスタートできた。領内では、こと屋台については新田家が直接手掛ける形となる。価格設定は、一杯一文のワンコイン制とした。一文は、元時代の貨幣価値だと、百円くらいだと聞いている。それ以下の銭として、鐚銭が使われる場合もあるが、まあ、わりとアバウトではある。


 町では一文の価値はごく軽いが、村ではそこまでではなさそうだ。まあ、汁蕎麦、汁うどんの普及は、米だけをありがたがる傾向を是正するとの戦略的な意味合いもあるので、まずは食べてもらわないと話にならない。そして、食生活を豊かにすれば、生活への満足度も高まるだろう。


 料理人を何チームかに分けて、それぞれ店の名前を設定する。当然だが味付けも食感も別となり、それぞれが人気を競うことになった。


 蕎麦、うどんの屋台は、厩橋や箕輪の城下はもちろん、村々も巡る形としている。そのための場として市を開催した関連から、汁物だけではない、焼き鳥や鍋なんかの屋台も出店している。


 様子見がてら、俺は蜜柑と澪と一緒に、近場の村の市を訪れてみた。


「お蕎麦とうどんは、どっちが人気なのかなあ?」


 澪は市の雰囲気に浮かれているようだ。


「今のタレだと、うどんが合いそうだなあ。味噌仕立ての店も出てきてるみたいだし」


 醤油の試作は進められているが、まだ実用化には至っていない。


「蕎麦に特化した屋台も出ているようじゃな」


 蜜柑も興味深そうに覗いている。その手には、澪が狩ってきた野鳥を使っている焼き鳥の串があった。楽しんでいるようでなによりである。


「あれが、お菓子の屋台?」


「ああ、初お目見えみたいだな」


 用意されたクッキーと、その場で焼かれるホットケーキ的な菓子の屋台には、行列ができていた。小麦、卵、水飴が使用された甘味は、この地では貴重なものとなる。


「子供と大人を分けているようじゃな」


「ああ、子供にはその場で食べる分はただで提供しているらしい。いずれは家族で気軽に食べられるようになってほしいがな」


「それは、卵や甘味の量の話?」


「供給の話と、菓子がたまには買えるくらいに農家に余裕が出てほしいのと、両面だな」


 菓子に小麦と卵が使われているのを把握してもらって、小麦の増産、鶏の飼育の動機づけにしようというのが、正直な狙いである。うどん、蕎麦や焼き鳥についても同様だった。


「お菓子は人気みたいだから、蕎麦やうどんの方に回ろう」


 蕎麦やうどんの屋台が不人気なわけではないが、やはりお菓子の破壊力には敵わないようだ。


「あ、石鹸の屋台も覗いていきたいんだが」


「あっちのようじゃな」


 そちらでは、石鹸の実演販売が行われていた。


 既に試供品はある程度配布されているはずだが、一度一度使うと手放せなくなるようで、人気の商品となっている。正直なところ、質がいまいちなものを領内に流している形だが、それでも貴重なのは間違いない。


 今の段階で石鹸を購入できているのは、秋以前から蓄えがあった農民たちかもしれない。だが、印象づけておく意味合いは強いだろう。


 現状では、村々は少なくとも金銭的には裕福ではないが、今後は食料の買い上げで徐々に貨幣流通が盛んになっていくだろう。初夏の小麦、秋の米、蕎麦と順調に育てば、勢いは強まる。


 そうなれば、農村からお金が戻ってくる流れも作っておく必要もあるのだった。




 三日月との交流は、その後も続いている。最初に接触し、饗応して返した人の良さそうな忍者、六郎太が連絡役として常駐する形となった。忍者の一味と知って危ぶむ声もあったが、俺の寝所に忍び込めるからには、警戒しても仕方がないとも言える。


 彼らが、外部勢力から俺の暗殺依頼を受けたら、正直なところ防ぐ手段はない。そう剣豪殿に話したところ、首を傾げられてしまった。蜜柑の殺気察知能力からすれば、暗殺者には反応するはずだと言うのである。


 首元に刃物が突きつけられはしたものの、もしかすると殺気はない状態で、品定めにやってきたのかもしれない。


 周辺勢力の調査については、情報の程度によって報酬を渡す形とした。拠点を領内に置くのなら、土地を提供するとの話もしてみたが、どうなるだろうか。


 そうそう、長尾景虎についての情報も三日月からもたらされた。既にこの秋に上洛から戻っていて、管領並みの待遇を与えられ、信濃、関東の仕置を許された旨を伝える使者が近隣諸国を駆け巡ったのだそうだ。


 足利義輝が長尾景虎に与えたのは、裏書御免、塗輿御免といった家格を表す許可と、信濃の豪族へ指示する権利、そして関東管領の上杉憲政を庇護するようにとの指示だったらしい。


 家格はこの時代には大きな意味を持つのだろう。そして、関東の話もそうだが、信濃の豪族へ指示を出せるとなると、また話が変わってくる。だが……、我が新田家を使者が素通りしたのはなぜだろう?


 それこそ家格を鑑みての使者の判断か、ちょうど土豪蜂起の時期だったのか。まあ、いいんだけれども。


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