【永禄二年(1559年)十一月中旬】その三
【永禄二年(1559年)十一月中旬】その三
冬が近づいてくると、この地域の名物が登場する。そう、上州名物のかかあ天下ではない方、からっ風である。
山から吹き下ろしてくる強い風は、土埃を巻き上げ、冷気をもたらす。
城と言っても木造建築で隙間も多いからには、夜は正直寒い。蜜柑と澪と清い同衾をしていてもなお寒い。
周囲にそうこぼすと、鍛え方が足りないとの反応がほとんどだった。現代っ子は軟弱なのだろうか。まあ、快適な暮らしをしてきたものなあ……。
この地の布団は、固めの敷布団に夜着をかける程度となっている。多少重ねたところで、隙間風がもたらす冷え込みは防げない。
布団と言えば綿が思い浮かぶが、木綿は衣服として普及しつつある状態らしく、布団向けとして量を確保するのは難しそうだ。
俺のぼやきを聞きつけて、興味を示したのは笹葉だった。
「その布団とやらが温かくなるってのは、熱を帯びるのかい?」
「いや、体温の放出を遮断して、布団が包む中を温かくするんだと思う」
「なら、詰めるものはなんでもいいんじゃないかね。布切れとか」
「……それはありだな。あるいは、獣の毛とか」
乗ってきたのは澪だった。
「馬の毛は歯ブラシに使ってるけど、猪の毛とかは?」
歯磨きの習慣はほぼ見られなかったが、馬の毛で作った歯ブラシを導入したところ、普及し始めている。単純に食べかすが取れれば心地よいし、口臭予防になるのも間違いない。その獣毛利用の経験から、猪の毛の利用との発想に至ったのだろう。
試してみると満足のいく暖かさで安眠できるようになった。そして、俺を軟弱だと断じていた蜜柑や英五郎どん、剣聖殿らも手放せなくなったようで、そこから一気に広まっていった。みんな、我慢してただけで寒かったんだな。
本格的な冬が近づく中でも、俺は時間を見つけては町に出ていた。
岬以外の有力な商人や有望な浪人がいたら声をかけたいところだし、諜者対応もある。
かつての出浦衆の忍者の後も、入ってきていた諜者を幾人か見つけている。いずれも剣豪勢の協力を得て捕縛した後で解放していた。
中でも越後の長尾家とつながっている軒猿衆と、北条家に従っている風魔衆の間者については、特に丁重に応対した後で、豪華版の土産物を渡してお帰りいただいた。
その他にも、名前を知らない勢力の諜者は入ってきていたが、そこそこにおもてなしして放免している。
こちらの実力が低ければ殺し合いになったのだろうが、剣豪組の技量は忍者相手にも通用するようで、本当に助かっている。
今日は、久しぶりに剣聖殿との街歩きとなった。新顔の▽付きなどそうそうは現れず、どちらかと言うと警ら的な意味合いが強くなっている。
「今日は、興味を引く奴はいない感じか?」
「っぽいねえ。……待てよ、あれは」
俺の視界に、黒い▽印を頭上に浮かべた少女の姿が目に入った。見た目はただの村娘なのだが。
「あの娘に声をかけてみる」
「お、好みの娘なのか?」
「んなわけあるか。……なかなかの手練れかも。注意してくれ」
「ああ、わかった」
洒脱な剣豪も、なにか感じるものがあるのか楽しげである。
「ちょっといいか? ……なあ、君は何者だ」
「なんですか、ナンパですか、そういうの本気で要らないんで、マジ勘弁してください、ごめんなさい」
スキル欄に戦闘系が並ぶ上に、<隠形>、<察知>、<暗殺>、<毒探知>、<忍び足>といった忍術系スキルが並んでいれば、声をかけないわけにはいかない。
名前や所属、性別、それにステータス値は表示されていない。それでも、忍者の、しかも凄腕だろうと強く推認される。
一方で、少し茶味がかったふわふわ髪の可愛らしい容姿からは、無害そうな印象が漂っている。
「あー、なんだ。調査の依頼とかできたらいいなと思ってさ」
「町娘に調査の仕事を打診するとか、意味がぜんぜんわからないし、筋もまったく通ってないし、そこまでくるとちょっと気持ち悪さまで感じるんだけど、あんただれ?」
俺は、振り返って厩橋城を指差した。
「そこの城主なんだ。できれば、一度遊びに来てくれないか」
黙ったままだが、ステータスのところに三日月、との名前が表示された。心境の変化で、表示項目が変わるのだろうか。けれど、そこまでで忍者らしき娘は去って行った。
「何者だい、あれは」
「うーん、忍びの者じゃないかと思ったんだけど」
「ほほう。そちら方面は詳しくないが、手練れだったのは間違いないな。一勝負してみたかった」
剣聖の口からそう聞かされると、いよいよ凄そうに感じられた。
その晩の深夜。導入された獣毛入り掛け布団と蜜柑と澪の体温の相乗効果で暖かに寝入っていた刻限。
ふと気配を感じるや否や、首元に短刀が突きつけられていた。
「お招きに応じて来たわよ。種明かしをお願いできる?」
「君は忍者だ。名は三日月。それがわかるのは、俺が神隠しから帰ってきた存在だからかな」
「いや、そういうのホントにいいから」
少女の声は苛立っているようでありながら、実際ではそれほどでもなさそうにも見える。
「まあ、聞いてくれ。登場から半年も経たずに、この厩橋城を筆頭に城を六つ持ってるって、おかしいと思わないか。それも、俺の眼力のおかげだ」
「ふーん、危険な存在ってわけね」
「ああ。敵対勢力にとってはな。……ただ、忍者に忍び込まれれば、すぐに寝首を掻かれる程度の存在だ。手を貸してくれないか」
「あたしが、どうしてこの厩橋にいると思うの」
「それは知らないし、わからない」
「総てが見通せるわけじゃないのね」
「もちろんだ。君がどの勢力に属しているかもわからない。俺にわかるのは、有能な一握りの人たちの大まかな能力と、特殊技能だけだ。でも、それがわかれば、戦場で最初に討つべき相手がわかるし、人材登用もやりやすくなる」
「それをあたしに説明する意味は?」
「いつでも俺の首を落とせる君には、知っておいてもらった方がいいかと思ってな。……それと、そこに乗られていると、ちょっと都合が悪いんだが」
忍者の娘は、俺の腰の上にまたがった状態となっている。
「新妻と愛人を侍らせておいて、まだ催しているの?」
「事情があって、手は出していないんだ」
「同衾してるのに? 手を貸せってのは、そういうこと?」
「違うって」
「まあ、いいわ。依頼はなにかあるの?」
「周辺の情報収集からかなあ。……ん? 出浦衆なのか」
「所属勢力はわからないんじゃなかったっけ?」
「そちらの心境の変化が影響しているのかな。出浦党ってのは、北信濃の村上氏に与していたんだよな。村上義清殿は、越後の長尾家に合流したんじゃなかったっけか。……でも、長尾には軒猿衆がいるか」
「一応、まだ臣従はしてないことになってるけど、村上の殿に忍群をまとめられるほどの余力はなくってね。一部は軒猿衆に従い、武田に従おうと模索している一族もいる」
「あんたらは、別の道を探しているわけか。……しばらく前に、饗応して返した出浦衆の忍者がいたはずだが、もしかして」
「どうして見破られたのか、本気で分からなかったのよ。怪しいと問答無用で斬られたのならともかく、出浦の名を出されてもてなされたとあってはね」
「それで、別の意味で忍者っぽくないあんたが、試しに来たわけか」
「あっさりと見破られるとは、予想外だったわ」
「くり返しになるが、神隠しを経た俺が得た眼力みたいなものが手妻の種さ。落ちつき先が見つかるまでの、仮の拠点にしてもらってもいいぞ」
「ん。考えてみる。……ところで、下半身の方は、ホントに手助けしなくてだいじょうぶ?」
そう口にした忍者の娘にもぞもぞと動かれて、俺は全面降伏することにした。
「頼むから、勘弁してくれ」
「ふっ。また来るわ」
こうして、夜中の来訪をどうにか乗り切ることができた。
目を覚ますと、布団の左右に蜜柑と澪が正座していた。朝のあいさつを投げるも、見下ろしてくる視線はなかなかの冷ややかさである。
「あー。なにごとか、訊いてもいいかな」
「女子二人と同衾しておきながら、他の女性を招き入れる心根について確認したいのじゃ」
乗り切ったと思ったのは、早合点だったようだ。
「起きてたのか……」
「では、本当だったのじゃな」
しまった、語るに落ちてしまった。澪は、少し困ったように眉根を寄せている。
「夢の中で、女性の声が聞こえて、誰かが護邦のお腹の上に馬乗りになっていたような気がしたの。蜜柑じゃないのはわかったから」
「あー……」
「で、どうしてよその女を招き入れる必要があるのじゃ。わたしや澪が可愛らしいと言っていたのは偽りじゃったのか」
「いや、そんなことはないぞ。昨日、上泉秀綱と街歩きをしただろ? そのときに声をかけた女忍者だったんだ。城に顔を出してくれとは言ったが、寝所に招いたつもりはない」
「でも、お腹の上でその……、動いてたでしょ?」
「いや、動かれたのは確かだが、そういう事態には至っていない」
「途中まで?」
「ど、どこまでじゃっ」
「途中もなにも、最初からそういう話じゃない。忍者勢力として協力してくれないかって相談だったんだ」
ある意味では正しいが、ほんの少し不誠実かもしれない。いずれにしても、今の段階では押し通すしかなかった。
二人の疑念は全解消とは至らなかったようだが、ひとまずの無罪放免を勝ち取ることができた。
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