【永禄二年(1559年)十月下旬】その一

【永禄二年(1559年)十月下旬】その一


 土豪衆の一斉蜂起から事態の収束までは、九日を要した。決起した側としても、短期決戦のつもりだったのかもしれない。


 新たに放逐された土豪領主の土地ではやや混乱も見られたが、五公五民宣言を済ませていたのが効いて、また、常備兵らの農作業支援を優先的に実施したのもあって、収穫自体は無事に完了した。支援の際に携えさせた千歯扱きは、各地で大活躍だったそうだ。


 収穫期は、常備兵は城の防衛組を除いて、農作業に投入した。同時に、今後は旬ごとに訓練四日、休日一日、農作業や土木工事等に四日、休日一日のサイクルを基本とすると定めた。作業については、内容によって追加報酬を支払う形としてみている。


 実際には、農地支援には隠し田を検知する効果もあるだろう。五公五民、四公六民、秀吉の三分の二にしても、基準となる収穫量によって、意味合いはまったく変わってくる。


 ただ、新田としては、隠し田を総て暴いてできるだけ取り立てるよりは、自前で事業を行って収益を上げていく方向性である。多少の取りこぼしは許容して問題ないのだった。


 収穫後は、新たに開墾した土地での秋蒔き小麦の栽培を推奨して回った。その際には、うどん切りに加えて小麦粉を使ったクッキー、ホットケーキなどの菓子製作の実演も行い、買い取り額も示した。必ずしも積極的な村ばかりではなかったが、まあ、来年以降も見据えてじっくり行うべき施策なのかもしれない。今後の蕎麦の買い取りで現金が手に入れば、また考え方も変わってくるだろう。




 そして、箕輪城防衛で活躍した凛に話を聞くことにした。栞も厩橋城で活躍しており、澪の左右を固める側近二人には褒美を弾むつもりでいた。


 だったのだが、澪と栞に連れられてきた凛はいきなり平伏し、澪と栞に助命嘆願を始められてしまった。


「いや、ちょっと待て、助命ってなんだ。むしろ賞賛しようとしてるのに」


「そうなの? なんだあ、勝手に巫女服での戦闘に及んだから、叱責されるのかと思った」


「事情は知りたいがな。澪の周囲にいる弓使いの女性は、狩人出身なのかと思っていたんだが」


 コスプレの風習は、この時代にはないだろう。ましてや寺社絡みとなれば、神罰仏罰が普通に想定されるはずだった。


「凛は神社の娘なのです」


 澪の言葉に、本人がこくこくと頷く。


「どこの?」


「厩橋にある、香取神社という小さなお社です」


「ほう、香取神宮の分社かな? なら、本職の巫女さんなのか」


「貧しくて、一族の一部が狩猟を生業にしております」


 彼女は神主の孫娘なのだそうだ。巫女服は神社に伝わる正式なもので、気合を入れるために着たところ、大騒ぎになって慌てたらしい。


 さほど遠くないそうなので、皆で行ってみることにした。蜜柑だけでなく、剣聖殿と神後宗治も一緒である。


 里の外れにあるその神社はなかなかの寂れっぷりで、迎えてくれたのは穏やかそうな老神主だった。孫娘の活躍を耳にして呵々と笑うさまは微笑ましい。


 巫女になるのには、特に修行などは必要ないと言うので、澪が率いる精鋭弓兵の女性陣の巫女就任を打診したら、神主は楽しげに応諾した。


 澪はちょっと抵抗感があるようだが、もちろん無理強いするつもりはない。ただ、狩人として神仏に祈る習慣は持っているそうだ。


 この時代、宗教の影響力は大きい。神罰、仏罰、祟りといった概念や、祈祷、加護も信じられている。災害も神意だと捉えられる場合があるようだし、史上での武田家滅亡時には、浅間山が噴火したのを契機に抵抗が止んだ、なんて話もある。


 巫女が放った矢が将を射殺せば、敵味方への影響は大きいに違いない。それで味方の犠牲が少なく済むのなら、利用させてもらうとしよう。


 神主に香取神宮との関わりを訊ねると、分社されたのは間違いないにしても、時期はだいぶ前のことで、交流は途絶えているそうだ。


 下総にある香取神宮は、天皇家も絡む古くから神宮とされてきた三社のひとつである。後の二つは伊勢神宮と、常陸の鹿島神宮となる。


 戦国期には、確か千葉家に社領を圧迫されているんだったか。畿内の寺社勢力のような凶悪な影響力を振るえる状況ではなさそうで、その分社であれば、格としても、世俗度合いからしてもいい感じである。


 関東では鶴岡八幡宮が有名だが、頼朝以下の鎌倉幕府の印象が強い。一方で、僧兵を抱えた寺社が大名並みの勢力を誇るなんて、畿内のような事態はほとんどないようだ。近畿と違って、武士の世界だったためだろうか。


 老神主に厩橋城下への移転を持ちかけると、あっさりと了承が得られた。一点だけ示された懸念は、弓巫女の安全についてであった。


「乱戦の中で巫女服姿では、敵に狙われはしないかのお」


「それは確かに。防衛戦や攻城戦といった、乱戦になる可能性が低い場合に限定しよう」


「ならばよし」


 凛の祖父である神職者は、また呵々と笑ったのだった。




 移設準備を進めつつ、鹿島神社に知り合いはいないかと老神主に訊いたら、うちのように寂れたところじゃなと、あっさりとこちらの意図を察して紹介してくれた。


 鹿島神宮もまた武門の守り神的な存在で、剣豪勢と絡められれば、また別の展開が考えられる。


 箕輪の町外れにあった鹿島神社で迎えてくれたのは、欲の無さそうな若手神主で、そちらも移設に同意してくれた。それならば、二社を並べて建立するとしようか。


 ただ、宮大工に知り合いはいない。<築城>スキル持ちに作らせてしまう手はあるが、まずは商人の岬にあたってもらうとしよう。


 その岬は、色々な物品を仕入れてきてくれている。家畜としての豚と鶏に、遠方からの品々である昆布、かつお節などだが、食べ物方面に偏っているのは、気のせいだろうか。


 昆布、かつお節については、上方向けの品を一部回してくれたらしい。提示額もなかなかいい値段だったが、追加報酬を支払って今後の仕入れに役立ててほしいと要望した。


 川里屋の商いには新田からの人数も参加し、護衛に加えて操船の手伝いなどもさせてもらっている。報酬不要と申し入れたのだが、先方から拒絶され、あちらで雇った者達と同等の給金を支給された。


 新田からも報酬を支払っているので、まるごと個人に渡すと二重取り的な状態となる。それを回避するため、半分を新田家が取り、残りを個人に渡す形とした。追加手当のような感覚だろうか。


 そうなると、参加希望者が多くなってくるのは自然な形となる。水軍系スキルを持った少年・海彦を中心とした中核メンバーを固めつつ、希望者に交代で適性を試させる形とした。話を聞きつけた神後も、参加したいとうれしげだった。


 海彦に様子を尋ねると、往復を重ねるに従って、向き不向きがはっきりしてくるらしい。


 十人に一人もいない割合で、足場が揺れても対応できる者がいて、船酔いもまったくしないため、中核メンバーはその中から選考しているそうだ。


 呼び集めてもらうと、その中の幾人かに無かったはずの▽印が発生していて、<船上戦闘>スキルが出ていた。これは、船で往来した影響だろうか。


 それならと、川里屋の手伝いに出す前に、停泊した船を揺らして、船上で剣術試合をさせて選抜することにした。揺れをまったく苦にしない者たちがいたのには驚いたが、本人たちに特別だとの自覚はないようだ。大事な才能なので、剣技に関わらず船の仕事に回す方向となるだろう。


 岬が確保してくれた豚、鶏は、現れていた<交配>スキル持ちに任せつつ、まずは牧場で数を増やそうとの話になった。<交配>スキルがどれほどの威力かは不明だが、効果を期待して牛の交配にも参加を要請している。


 牛を肉牛にするだけの穀物の余裕はないが、豚や鶏なら効率がいいし、鶏については卵も得られる。タンパク源の安定供給は重要なので、周囲の土地も確保して、牧場は拡大を目指していこう。元々の牧場主とその係累では回しきれなくなりそうなので、人手も供給しなくては。


 川里屋への商材については、やはりこちらから出せる物は多くない。


 農具はまだ領内に行き渡っていないし、石鹸も使用感を試して製法に還元している段階で、生産量自体もまだそれほどではない。


 一方で、既存の酒の炭濾過試作品は高く売れた。どぶろくを仕入れて、炭濾過して売る形は、杜氏からすれば余技のようなものなのだろう。


 ただ、これが新田の酒だと認識されると困るので、こちらは「長野酒」と銘打って販売している。怒号おじさん……、じゃなかった、業正さん、すみません。ただ、この時代では上質な方みたいだから許してほしいものだ。


 そうそう、業正の息子で<執筆>、<写本>スキル持ちの繁朝は、先だっての土豪衆らの蜂起にも参加せず、箕輪姓に名乗りを変え、厩橋城で写本に精を出してくれている。意外と、これも贈答品になるかもしれない。


 彼が生き生きと過ごしてくれているのは、箕輪衆出身者にもいい効果があるようだ。


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