【永禄二年(1559年)十月上旬】

【永禄二年(1559年)十月上旬】



 稲穂が実りつつあって、そろそろ収穫の時期というところで、不穏な空気が領内に漂っていた。商人の岬からも、箕輪城周辺の農村からも、土豪衆がなにやら企んでいるとの話が伝わってきている。


 一方で、上泉道場からは明確な連絡は入っていない。一門の中には土豪衆も多いだろうから、微妙な立場にあるのかもしれない。


 一斉蜂起でもされれば厄介だし、そのタイミングで外部勢力が攻め寄せてきたりすれば、いよいよピンチとなる。収穫期を狙っての襲撃は、本格的に農村から兵を集めると、自領の刈り入れが滞るので諸刃の剣となるだろうが、手勢だけで仕掛けてくる可能性もある。


 ただ、岬の協力も得て周辺の様子を探ってみても、外部との連携らしき動きは見られない。どういう状態だろうか。


 こちらは常備兵主体の態勢へと移行中なので、収穫期だから手薄になるわけでもない。まあ、手が空いていれば、村を回って刈り入れを手伝う予定ではあるので、影響が皆無なわけではないのだけれど。


 そのあたりのうちの事情がつかめていないようならば、収穫期を狙うとの思考もわからなくもない。


 領域内で不穏な勢力としては、旗幟を明らかにしていない土豪衆、抵抗の末に退散した者達、これまでに退けた鬼幡氏、箕輪長野氏、和田氏、厩橋長野氏の縁者らが数えられる。公然と反抗しない限り、討伐はしてこなかったのだが、その方針が招いた状況とも言える。


 蜜柑は挑戦してきた段階で退ければいいと悠然としているが、澪は機先を制して討伐してしまおうとの見解だった。城に仕掛けてきてくれたらまだいいのだが、農村を荒らそうとしてきたら厄介な展開となる。


 迷っていたら、ある晩に神後宗治がやってきた。いつもの飄々とした風情が、やや薄れているようでもある。


「不穏な話かな」


「まあ、そうだ。さすがに察しているよな」


 普段は交代で調練に出ている諸隊は、臨戦態勢で城に詰めさせている。その気配は、剣豪門下には察せられているだろう。


「挑戦してくること自体は問題ない。だが、領民を巻き添えにするのなら、容赦はできなくなる」


「……連中の仲間内では、新田に味方する者達は裏切り者だとの認識みたいでな」


「実りの時期になって焦っているわけか」


 確かに、特にかつての所領から離れた土豪や、再起を図る領主の縁者たちにとっては、このままではジリ貧だろうが。


「ああ。そして、どうやら侮っている。武士は国峯勢程度で、残りは雑兵の寄せ集めだから、農繁期には動けないと見ているらしい。業正殿も、和田殿らも油断したための敗北だと捉えているようだ」


「なら、農村を荒らし回ったりはしないか」


「負ける気はなさそうだからな」


「情報は助かる。……だが、今回は手加減するわけにはいかないぞ」


「それぞれの家中は、一枚岩なわけではなくてな。今回の流れの中で、表立って反対できない者達もいる」


「日和見も同罪だ……、とまでは言い切れないか」


 しばらく考えた上で、俺は提案を投げた。


「なら、こうしよう。事前に、蜂起に同心しない旨の誓紙を上泉道場に出していた者は、こちらが勝った場合には助命する。俺らが敗れた場合には、その誓紙は焼き捨ててもらってかまわん」


「すまんな」


「そちらも、つらい立場だな。剣聖殿にもよろしく伝えておいてくれ」


「勝てるのか?」


「一斉蜂起し、村々を焼き討ちされたら、正直きつい展開となっていただろう。だが、相手が勝つつもりであれば、手に入るつもりの米を焼かないだろう。捨て身の攻撃なわけではないとわかったのは、とても助かる」


「この地は、荒れそうだな」


「まあ、破れかぶれになって領内を荒らされたり、外部勢力を招き入れられるよりはだいぶましさ」


「そうか……。数日内には、動きがあるだろう」


「ならば、さっきの件は急いでくれ。……特に一度は降伏したのに向かってきた者たちには、手ぬるい処置はしづらい」


「承知した」


 首肯した剣豪の高弟は、暗夜の中に去っていった。




 束ねる者がいたわけではないようで、土豪衆の蜂起は仕掛ける日取りだけを合わせた雑なものだった。各城では配置された常備兵の諸隊が守りを固め、厩橋城では英五郎どんが見坂兄弟を連れて本隊を指揮し、迎撃の構えをとった。


 最も危なかったのは箕輪城で、常備兵として活動していた土豪衆が裏切って、急襲をかけてきたのである。


 配置されていた守備兵は必死で防衛を試みたようだが、そのままでは落城は免れなかっただろう。そこで唸りを上げたのが、巫女服姿の少女が構えた弓だったそうだ。


 各城には、澪の配下である狩人の娘たちを配置していて、箕輪城にいたのは凛という娘だった。なぜ巫女服姿だったのかは承知していないが、彼女の放った矢が武将を次々と討ち取ったものだから、神意が示されたと敵味方が大騒ぎになり、防衛に成功したそうだ。


 もしも箕輪城が陥落し、土豪衆に集結されていたら正直やばかっただろう。


 俺は蜜柑と澪とで騎馬隊を編成して各個撃破を狙い、▽持ちを討ち取って回った。主将らがいなくなれば、その下のほとんどは逃げ散っていった。


 各村には、騒乱が発生する可能性を伝え、自衛手段を講じるようにと伝えており、落ち武者狩りに遭う者も多かったようだ。戦国期の農民が、おとなしく収奪されるだけの存在であるはずもない。


 それでも、幾つかの土豪勢が合体して、英五郎どんの本隊に挑みかかった。その頃、俺達は鬼幡の残党を討つために西に向かっており、不在だった。


 結果は、危なげない勝利となった。初陣の者が多かったにしても、▽持ちを起用して部隊長とした新田本隊の硬さはなかなかのものだったようで、土豪連合相手に正面からの撃退に成功していた。英五郎どんが全体をまとめ、前線の指揮は見坂兄弟が担当したそうだ。その活躍ぶりは、相手が寄り合い所帯だったにしても、ステータス値以上の働きのように思える。仕官した経緯が激しいものなだけに、やる気が違っているのだろうか。


 挙兵組の大半が打倒され、一部が領外に去った。鬼幡、和田の残党の主だった者は討ち果たし、厩橋長野家の係累は退散したようだ。情勢が固まりつつある中で、俺ら遊撃隊は上泉道場へと向かった。誓紙を受け取るためである。


 対処はこちらで済ませるつもりだったのだが、受け渡しの席で上泉秀綱殿から、門下一致しての臣従表明が為された。新田に敵対する弟子は放逐したというから徹底している。


 俺からすれば、新田と敵対する門下生を抱えていても問題視するつもりはなかったのだが、師弟関係はともかくとして、ここは袂を分かつべきとの判断だったようだ。


 この流れに感激したのは蜜柑だった。師匠や兄弟子、修行仲間が家中に加わるのだから、狂喜するのは無理もない。


 そして、一門を従えた剣聖殿は、誓紙を差し入れた者たちの所領に同道してくれることになった。


 土豪衆のうち、公然と不参加を表明していた者達には従来通りの居住を許容した。常備軍に参加している者達には臨時手当てを支給し、在地で農業に専念する方向の家には今年の年貢の免除を表明した。一族の者が挙兵に参加していた場合もあったが、そこは切り分けて対応している。


 親族や周囲との軋轢を避け、上泉秀綱を頼って誓紙を差し入れていた者達は、故郷での居住を許すのは公然不参加組と同様だが、特典までは与えない形とした。ここはやはり、差をつけるべきだろう。


 また、挙兵組が頼ってきている場合には、引き渡すように求めた。この点は、むしろ上泉秀綱と神後宗治が積極的だった。


 彼らとしては、誓約に背く振る舞いを許容しては、自らの尊厳が踏みにじられるとの思いだったようだ。俺や蜜柑では、下働きの格好でもして知らぬふりをされれば見分けがつかなかったのだが、彼らは違う。踏み込んで取り押さえて当主に処置を求めていき、抵抗を受けて斬り殺した場面もあった。


 俺としては、剣聖殿の臣従が遅れたとは考えておらず、現時点でも、もっと後になってからでも無条件で大歓迎だったのだが、彼らとしてはしがらみに邪魔をされて遅くなったと捉えているのかもしれない。


 まあ、危険分子の排除を買って出てくれるのであれば、押し止めるのもおかしな話なので、手土産と考えて感謝するとしよう。


 今回の決起で、領内の敵対的な土豪衆はほぼ一掃される形となり、より直轄的な傾向が強くなった。農地改革の面でも、兵農分離、初等教育からの登用の流れづくりまで含めても、やりやすくなったと言える。


 また、収穫の半分の年貢支払いは許容しつつ、傘下の集落を開発して生き残りを図る者たちには、常備兵による農業支援を含めて積極的に手助けしていくとしよう。本人たちも耕作しつつ、ある程度の兵力を出し、家録も計算に入れれば、家の存続は可能のようだ。その状態で新田が倒れるのを待つ考えの者もいるのかもしれないが、現実的な判断であり、否定するつもりはなかった。


 そして、上泉道場の優秀な武将候補を抱え込めたのは、とても大きな進展だった。

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