【永禄二年(1559年)九月】その一

【永禄二年(1559年)九月】その一


 厩橋近辺から集まった常備兵候補にも、▽持ち選別を加えた後に突貫工事的な調練を重ねていく。ハリボテに実質を伴わせる動きは、停滞を許されない状況だった。


 一方で、先々のことも考えておく必要がある。こちらから仕掛けるか、相手が動くのを期待するかはともかく、近隣地をどうしていきたいかも検討しておきたい。


 隣接する城のうち、北東の赤城山から連なる山々に近い桐生佐野氏の桐生城、東の那波氏の赤石城は、今後の展開を考えれば、確保できるものならしておきたいところだ。桐生城は元時代の桐生市で、赤石城は伊勢崎市となる。


 赤石城よりさらに東の、横瀬氏……、のちの由良氏の金山城はなかなかの堅城なので、手出しするなら策を考えなくては。


 金山城のある、元時代で言うところの太田市は、俺の親の転勤先だった関係で子供時代の数年を過ごした土地だった。そして、何を隠そう新田義貞を輩出した新田氏の本貫地でもある。


 俺の姓は、新田ではあるものの元々の読みは「しんでん」だったわけで、源氏でも新田義貞の末裔でもなんでもない。ただ、元時代で幼少期を過ごした土地だけに、この新田氏由来の地に思い入れはある。


 金山城を手に入れられれば、厩橋城を本拠としつつの前進基地として、利根川北岸、渡良瀬川南岸を守りやすい土地とできそうだ。


 金山城を本拠としている、後に由良と改姓する横瀬氏は、新田氏を名乗っているものの、同じく新田氏系の岩松氏を下剋上した経緯がある。新田を名乗りだしたのは下剋上の後のようなので、岩松の家格までも得ようとした感じだろうか。まあ、この時代の出自は、ほぼ言ったもん勝ちなわけだが。


 新田氏系としては、安房の里見氏もまた新田の庶流とされている。現在の北条氏は、鎌倉幕府の執権の家系である北条とは関わりのない、いわゆる後北条氏であるが、鎌倉時代に北条家の打倒に参加した新田氏系の里見氏と、北条の名を受け継いだ一族がまた仇敵となるのだから、歴史というのは奥が深いものだ。


 関東に関連する新田系としては、やがて天下を取る家康も、松平から徳川に改姓する際に新田系を称するはずだ。代表的な武将である義貞が朝敵だったはずだが、著名な一門であるので、意外と抵抗感がないものなのだろうか。


 横瀬氏の金山城の東には、赤井氏の館林城が、北東には足利長尾氏の足利城がある。


 館林城のさらに東に位置するのが、現時点での関東の中心地とされている古河城となる。古河公方の本拠地で、長尾景虎の目的地の一つであるため、そこへの道を整えておく意味は大きそうだ。


 南方を睨めば、和田城の南にある、平井城跡の北条出先機関は軍事的には脅威ではない。けれど、その先の藤田氏の鉢形城も含めて、注視していくべきだろう。


 まあ、館林城は、どれだけうまく進められた場合でも、仕掛けるのは軍神殿の関東入り直前でないと、古河公方殿から痛烈な反撃を招きかねない。平井城跡については、軍神殿が来ないのなら手出しは無用だった。


 さらに東の下野方面に目線を戻すと、古河の北方、足利城の東方に位置する唐沢山城の佐野昌綱は、堅城を拠点にした戦上手として知られる人物となる。北条と上杉の長期に渡る抗争の中で、ある意味で長尾景虎の宿敵めいた感じになる存在だが、当初は盟友的な関係だったので、景虎が北条を屈服させるのに手間取ったのが悪いとも言える。できれば仲良くしたい相手だった。


 史実での長尾景虎は関東に入ると各地を転戦し、最終的には主催者発表ながら十万の大軍で北条氏の本拠小田原城を攻囲することになる。十万は、もちろん長尾単独ではなく、関東各地の武将を従えての総数なのだが、小田原城の攻略は果たせず、必ずしもまとめきれたわけではなかった。まあ、そもそも攻略する気があったのか、との疑問はあるのだが。


 そして、川中島の戦いの頃に越後の虎が関東を離れると、従ったはずの大名、国人衆の多くが北条方に寝返ったのである。


 そこから、上杉と改姓済みの軍神殿が関東に来るとまた帰順して、離れると裏切る流れがくり返され、賽の河原かよ、と嘆きたくなる状況が展開されるのだった。


 やがて武田が北条に攻め込んだことから、北条と上杉は和睦をする。けれど、北条と武田がまた結び、上杉と敵対する。戦国の習いと言えばそれまでだが、戦略目標はどこにあったのか、関係する全員を問い詰めたいところである。


 やがて、中央から織田が、そして豊臣がやってきて、武田、北条は滅亡、上杉は米沢へと転封される流れとなる。


 そう考えれば、長尾勢の味方をするのなら、諸将の離反を防ぐだけの戦果を、最初の一年で、悪くとも川中島合戦後の冬までには積み上げたいところとなる。あるいは、あえて戦乱を呼び込んで、その中で力を蓄えることを目指すべきか。


 どちらにしても、現時点でことを構えるべきでない相手としては、白井城の白井長尾氏、足利の足利長尾氏といった、長尾景虎の同族が挙げられる。彼らについては、仮に攻め込まれても追い返すに留めるべきだろう。


 まあ、先のことについては、収穫が済んでから、春までに可能であれば程度の話である。もっとも、常備軍が構築されつつあるので、春の農繁期に電撃戦を仕掛ける手も考えられるのだった。




 厩橋城での十代前半の男児らへの集合教育第一弾は無事に終了した。今回はあいさつがてらといったところで、食事や菓子などを与えて、次以降にもつなげようとしていた。


 一方で、スキル持ちの子らについては、慎重に接触した結果、無事に召し抱えることができた。これで、常備軍、城働き志願者と合わせて、各種スキル持ちが確保された形となる。


 <船大工>や水軍系スキルは、海は遠いので使いようがないかなとは思ったが、よく考えたら海でなくても水軍は成立する。そう、厩橋城のほど近くには、利根川が流れているのだった。


 この時代は、家康によって行われた土木工事は当然ながら未実施で、利根川は江戸近くから東京湾に流れ込んでいる。となれば、川を通って船での進軍、あるいは商売が可能となるのだった。


 水上輸送まででも対応できれば、進軍の行程がだいぶ短縮できる。準備は進めておいた方がいいだろう。


 実際、<船大工>スキル持ちの青年・飛蔵に木切れを使って船の模型を作らせてみたら、器用に完成させていた。小舟からでも手掛けてもらうことにして、厩橋からやや下流の河岸に広めの場所を用意した。


 <養蜂>、<築城>、<冶金>の各スキルも役立つのは間違いないので、それぞれ小規模ながらも手掛けてもらうとしよう。


 養蜂業については、城下に生業とする者達がいたので、召し抱える形で合流してもらう。彼らは籠を使う方式だったので、元時代の箱を使うやり方の概略を話して、試すようにと指示しておいた。


 <築城>スキル持ちは城の修繕、強化工事に参加させ、<冶金>持ちの少年の小三太は鍛冶のところで鉄の精錬あたりを学ばせた。


 そして、<製菓>スキルは重要である。俺がお菓子を食べたいのももちろんだが、お土産としても特産品としても、貴重な存在となりえそうだ。スキル持ちの少年、拓朗は城に召し抱えて、澪と俺とで菓子作りを仕込んでいくことになった。


 ただ、砂糖は、サトウキビも、サトウダイコンこと甜菜も、この時代には伝来していないはずで、甘みは蜂蜜の他、甘葛や酒粕が主体のはずだ。砂糖は、南蛮船が運んできていて、京や大阪、九州なら手に入りそうだが、おそらく高価だろう。


 養蜂による蜂蜜獲得に加えて、麦芽を使った水飴なんかも考えるべきかもしれない。


 スキルは、蜜柑や澪が得ていたもののように、経験を積んで開花させていくのが基本であるようだ。現に二人とも剣、弓での戦闘を重ねて、関連スキルを新たに獲得していっている。


 一方で、未体験スキル持ちは天禀がある状態かもしれないので、大事に育成したいところとなる、ただ、見つかる確率は非常に低いようだ。


 そう考えると、隠れているスキルや、スキルがなくてもその道に進みたい人材の洗い出しのためには、職業体験が重要となりそうだ。


 戦闘系に加えて、狩人、採掘、漁師、杜氏、鍛冶などの体験コーナーを用意して、▽持ちの大人や子供たちはもちろん、▽なしの子らにも職業体験をさせていくのがよいかもしれない。


 水軍、船大工や製菓、養蜂といった先達がいる分野に加え、絵師や陶芸体験もありだろう。鉄砲作りも、形だけでも作り始めてしまう考え方もあった。





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