【永禄二年(1559年)八月中旬】その一

【永禄二年(1559年)八月中旬】その一


 盛夏に入り、農業方面に本格的に手を付けようかと考えていたところで、またまた戦雲が近づいてきた。


 上泉道場経由の情報によれば、高崎の和田城を治める和田勢が、厩橋城の長野氏を巻き込んで、新田討伐に動き出したらしい。さらには、箕輪城周辺の土豪衆からも参加の動きがあるようだ。


 和田業繁は、怒号おじさんこと亡き長野業正の甥で、妻も業正の娘なわけで……、箕輪衆の婚姻政策半端ないって。


 その点、撫で斬りの鬼幡氏と蜜柑の堂山氏は、ゲームの初期ランダム豪族対象として血の縛りから自由な存在だったわけだ。俺が介入しなければ、鬼幡氏が三城を確保する勢力になっていたのか、あるいは箕輪長野氏に蹴散らされていたのか。


 今回の出兵は、長野業正の弔い合戦という位置づけのようで、義理の息子である和田業繁に加え、箕輪落城時に落ち延びた年若い息子も参戦するらしい。


 しかし、あっさりと話が漏れてくるあたり、剣術門下の横のつながりが威力を発揮しているのか、地域性なのか。まあ、近隣の村々に兵士供出の指令が駆け巡るわけだから、早いか遅いかだけの違いかもしれない。


 長野業正の急襲を退け、箕輪城を奪取してから一ヶ月以上の時間が空いたのは、厩橋長野氏に参戦を応諾させるのと、さらには戦勝後の領地配分の調整に手間取っていたらしい。まあ、大事な話なのかもしれないが、その間のこちらの陣容強化を考えると、敵ながらいかがなものだろうか。


 そうなると、こちらも戦備を急ピッチで整えることになる。澪が束ねる弓兵隊もだいぶ形になってきており、精密射撃が可能な少数の手練れ勢と、一般弓兵とに分かれる状態となった。


 蜜柑率いる強襲隊も、騎乗できるかどうかなどで、役割分担が固まりつつある。


 英五郎どんは、依然として国峯勢が中核となっている槍隊を率いつつ、蜜柑、澪の直属以外を束ねる立場に収まっていた。▽持ちが束ねる小集団が、実働単位となる。


 そして、事前情報通りに十日後に軍勢が出陣したとの知らせが入った。




 和田城の和田勢が六百人ほど、厩橋城の長野氏が一千三百人ほどで、農繁期入りする前にしてもなかなかの軍勢である。農兵比率は、ざっと三分の二くらいだろうか。まあ、武士も実際には半分以上農民なのかもしれないが。


 総大将は、元服したばかりの長野業正の遺児、繁朝しげともとの話だった。十三歳の少年だそうだが、こちらも武骨系なのだろうか。また耳障りな雄叫びを上げられるかもと思うと、ややげんなりしてしまう。


 人数的には厩橋城勢の方が多いわけだが、復讐戦の構図であるからには和田勢が主導権を取る流れなのだろう。


 だが……。箕輪城を落として、本当に信玄の攻勢を受け止める覚悟があるのかと問い詰めたいところでもある。まあ、現時点では、北条と武田の同盟によって、安全地帯との認識なのだろうが。


 こちらは調練を進めていた常備兵五百を中心に、徴兵はかけていないのに集まった農兵七百人ほども加わっての千二百の軍勢となる。労役廃止の方針や、しばらく前に出した五公五民宣言が効いたのか、あるいは箕輪衆としての結束力の惰性か。


 一方で、それらの宣言で武辺系土豪衆が離反し、攻め手に加わってもいるわけだ。武力を手放せないなら、新田直轄地との年貢の差はきついところだし、養っている兵たちの行き場がなくなるわけで、その選択は無理もない。


 いや、味方候補が減って、敵が増えているので深刻な話ではあるのだが。




 寄せ手側は指揮官級を中心に騎馬もいるが、こちらは全員が徒士での布陣となった。


 農村からの参加者には、国峯城での戦いに引き続いて矢盾を預け、遅延戦術を担ってもらうとしよう。英五郎どん配下の一部にも、同様に指示していた。


 新陰流道場の三人は、客分としてこちらの本陣近くに入っていた。戦いの行方を見極めたいのだろう。


 平服姿で中立状態を示しているが、それでも周辺の兵たちよりも戦闘力は格段に高そうだった。


 今回も、こちらの戦法としては、常備兵が防備を固めて場を作り、澪の剛弓と蜜柑の突貫に頼る決め手勝負とならざるを得ない。


 逆に、敵側からすればそこさえ封じればいいわけだから、雑兵をぶつけて消耗を強いて、押し包んで討ち取るべきだろう。


 さらに言えば、そもそも会戦的に対峙する必要などどこにもなく、小集団に分かれて、各城の周辺を荒らし回ってジリ貧に追い込めばいい。


 まあ、長野業正の死は、汚いやり方で騙し討ちにあったためだと伝わっているようだし、武士不在の農兵のみの集団だと認識されているだろうから、油断しているのかもしれない。


 どちらが急襲をかけるでもなく布陣は進む。悠長にも感じられるが、ご近所の顔見知り同士の戦いだけに、そういうもんなんだろうか。顔見知りでないのは、俺と新規登用組くらいなのだろう。


「なあ、蜜柑。和田家や厩橋長野家にも上泉門下はいるのか」


「ああ。和田の業繁殿もそうじゃ。厩橋長野にも幾人かいるぞ」


「蜜柑から見て、剣の腕はどうだ」


 少女剣士はニヤリと笑って応じた。


「相手にならん程度じゃ。配下の手練れたちの方がよほど手強い」


「そうか。だが、大事な体なんだから、無理はするなよ」


「うむ。護邦もな」


 緊張感は欠片も抱いていないようだ。持ち場に戻った俺は、狩人の少女に声をかけた。


「澪、今回も頼る形になってすまないな」


「ううん。狩りに出るために色んな村を回っているから、護邦の言動が村人に歓迎されているのがわかるんだ。最初は、何をしようとしているのか理解できなかったけど、今ではあたしも手伝いたいと思ってる」


「いや、澪は手伝ってるんじゃないぞ。一緒に新しい世を創っていってるんだ」


「あたしも一緒に……?」


「ああ。澪の放つ矢が、新しい世を拓いていく。そうなるように、俺は努める」


「わかった。この弓で、一緒に」


 頼りになる弓聖の頬に笑みがこぼれた。


 と、そこに英五郎どんの養い子の見坂兄弟が、馬を駆けさせて相次いで帰陣した。


 今回が初陣となる二人は親を亡くして英五郎どんが世話する形になっていて、兄の武郎は武技に、弟の智蔵は軍略、内政の方面に期待できそう……、いや、したいところとなっている。現状のステータスは最高値でもDと、お世辞にも高いものとは言えない。ただ、「戦国統一」では成長の余地は大きく、一方で限界値も設定されているというシステムだった。ここでの現実は、さてどうなのだろう。


 将来の話は別として、現時点で彼らがもたらした情報は、貴重なものだった。




 やがて和田勢、厩橋長野勢の主将が進み出てきた。


 応じるように、こちらも俺と、蜜柑、澪とそれぞれの直属組、英五郎どんとその息子になった少年二人、それに平服の新陰流の主従三人が進み出る。


 そして、あちらの大将的な立ち位置にいる人物もまた、年若い武者だった。なにやら線が細い少年で、馬を操るのにだいぶ苦労しているようだ。


 声を発したのは、その隣で馬を御すやや猫背の武将だった。情報を確認すると和田業繁と表示されていて、ステータス値は義父である長野業正と比べると、だいぶ見劣りする状態だった。


「卑怯にも奸計によって長野業正殿を殺害した、新田護邦とはお主か。裏切り者のくせに邦を護るとはなにごとか。しかも、朝敵たる新田姓を公然と僭称するとは片腹痛い。潔く成敗され、箕輪城を本来の主である長野繁朝殿に返すがよい」


 名前についてけなされて、正直なところイラっとした。時代錯誤だと思わないでもなかったが、両親が考えてくれた名前にケチをつけられ、テンションがやや上がってきた。


 俺は腹に力を込めて応じた。


「卑怯なのは、いきなり襲いかかってきた業正殿であろう。彼の者は、我が新妻に婚姻の翌日に夫の首を差し出して妾になれと使者を送ってきて、断られると兵を伴って我らを滅ぼそうとした。亡き義父である堂山頼近殿は、いきなり襲ってきた鬼幡殿に殺され、近くにあった村は撫で斬りにされた。同じ箕輪衆であるのにだ。隣の村に居合わせた俺は自衛のために立ち上がり、蜜柑殿と共に闘って鬼幡殿を討ち果たした。そして、同様に襲ってきた業正殿も討ち果たした。正義はどちらにある?」


「ふざけるな。箕輪衆を名乗りながら、束ねである業正殿を討つなど、間違っている」


「間違っているのはお前だ。箕輪衆だったのは、亡き堂山殿と虐殺されたその領民だ。俺自身は、箕輪衆ではない」


 断言はしているが、実際には別の見方がありうるのは承知している。堂山家が箕輪衆であったのなら、そこに婿入りした俺は、過去の因縁を引き継ぐべきなのかもしれない。まあ、有利に働くかどうかを基準に、その場その場で考えていくとしよう。


 俺の言葉をどう受け取ったのか、和田某ははっきりと逆上していた。


「おのれ、この裏切り者め」


「だから、業正殿の禄を食んだ覚えはないってのに。……それで、そこにいるのが、業正殿の息子か?」


「そうだ、父の仇を討たんと、年若いながらもこうして軍を率いてやってきたのだ」


 指し示された本人は、どこか居心地が悪そうな表情を浮かべている。


「箕輪城にいた業正殿の妻子やその家臣らは、兵には何の手出しもさせず身の回りの品々も自由に持たせて解放した。不意討ちしたならまだしも、攻めてきた者を打ち倒したのを、仇呼ばわりするのはどうなんだ」


「バカな、親を殺しておいて何を言うのだ」


「だから、殺しに来たから、返り討ちにしただけだってのに。……なあ、繁朝殿。お主は、本当に父親の仇を討って、箕輪の城主になりたいのか? 戦国の世で城主になるってことは、生涯を通して戦い続けることだぞ。本当にその覚悟があるのか?」


 問いを発しながら、俺は自分に語りかけているような気になっていた。応じたのは、隣の和田城主だった。


「当たり前だ。だからこそ、繁朝殿はこうして復讐戦の指揮を執っているんだ」


「お前には聞いていない。本人に聞いているんだ」


「無礼な……」


「主将に発言の機会を与えないお前の方が、よほど無礼なんじゃないのか。……なあ、どうなんだ。今ならまだ、武将になんてならずに、自由な未来を選べるんだぞ。本当は書を読んだり文章を書いたりが好きなんじゃないのか?」


 俺の言葉に、長野繁朝は雷を受けたかのような表情をした。


 いや、実際は反則なんだ。ステータス表示を覗いたら、<執筆>と<写本>のスキルが輝いていたものだから、つい余計なことをな。


「バカな。業正殿の息子がそんな軟弱なはずがない」


 だが、本人がようやく第一声を発した。


「戦いたくなんかないっ。嫌がっているのに、無理やり連れてこられたんだ」


「ならば、来い。あの平服のおじさんは、剣の達人だ。彼らのところに行けば、守ってくれるぞ、きっと」


 苦笑した剣聖殿は、大きく頷いた。下馬した少年に、馬を寄せて斬りかかったのは、後見役であるはずの和田業繁だった。駆け寄った蜜柑が小太刀で受け流し、大刀を閃かせる。馬上から和田勢の将帥の死体が転がり落ちた。


 怒鳴り声が起こったが、今は亡き怒号おじさんのような激しさは存在しなかった。退去を図る俺たちに向けて、和田の残党が仕掛けて来ようとするが、国峯勢を先頭にした槍隊が前進して牽制する。


 そして、騎乗しているかどうかと服装とで身分がはっきりと分かるため、射つべき相手が誰かを澪に知らせるまでもなかった。澪と配下の弓兵隊精鋭の速射によって、和田勢、厩橋長野勢の将達が次々に馬から落ちていく。近接と評してよい距離から手練れに射掛けられては、たまったものではないだろう。


 突貫した蜜柑が厩橋長野氏の一際華美な鎧を着た武者を斬り伏せた頃には、相手方は完全に浮足立っていた。


 そして、手筈通りに後方から空馬十数頭が牽かれてきていた。


「蜜柑、配下に騎乗させろ。澪は、俺の後ろに」


 やや不満そうな表情を浮かべた我が妻が、気を取り直して馬上の人になる。視界を確保した俺は、厩橋長野勢の方に突進すると、澪に倒すべき相手を指示していった。


 俺の相棒である「静寂」号は、澪との二人乗りを物ともせず、機嫌よさげに駆けている。物怖じしない上に素直で、得難い気性の持ち主であるようだ。長野業正に嫌われたのは、騎乗側に問題があったのだろう。


 先ほど蜜柑が討ち果たしたのは、厩橋長野の世継だった。俺は問答中にステータス確認によって判明していた、当主の姿を指し示す。


 狙い違わず矢は飛翔し、若駒を駆る蜜柑が続いていく。矢傷を負った主将の長野道賢が落馬すると、周辺にいた美装の武者たちに蜜柑と直下の者たちが襲いかかる。敵方から退却の指示が飛び始めた頃には、既に配下の兵たちは逃走を始めていた。


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