【DAY・3 / 永禄二年(1559年)七月上旬・箕輪城】

【DAY・3 / 永禄二年(1559年)七月上旬・箕輪城】 


 箕輪城を攻め落とした後、見坂村の生き残りの弟の方、智蔵の引率で早足で追いついてきた英五郎どん以下を守りに残し、松井田城、安中城を巡ると、どちらもあっさりと開城した。転生二日目にして、西上野の旧箕輪衆の勢力圏を手中にする立場になってしまった。


 その翌日、俺は参集した周辺の土豪衆、村の代表者達と面会していた。彼らが狐につままれたような表情だったのは無理からぬところだろう。上泉秀綱とその高弟の二人もやってきている。


 蜜柑と並んで座った俺は、この二日の流れを説明した。




 鬼幡某の配下によって国峯城近くの村が蹂躙され、俺が指揮して撃退したこと。


 それに先立つ戦いで、城主である堂山頼近は鬼幡勢に討たれていたこと。


 その妻は世継ぎを道連れに自害し、遺された蜜柑姫と俺が共同で鬼幡を討ち果たしたこと。


 周囲に推されて、婚儀を整えた俺が国峯城主となったこと。


 長野業正が攻めてきたので討ち果たし、箕輪城を制圧したこと。


 安中城と松井田城も放置はできずに確保したこと。




 ……蜜柑が使者を斬った件は、あえて言及しなかった。まあ、武勇伝にしかならないだろうが。


「業正殿の死は痛ましいことだが、護邦殿からすれば自衛のための戦いだったのだろう」


 そう口にしたのは、上泉秀綱だった。家中でも一目置かれている感のある剣豪の言葉に加え、蜜柑の夫との裏書きが物を言ったのか、彼らはひとまず状況を受け容れたようだった。ただ、農民にせよ土豪衆にせよ、退去は自由である旨は伝達した。


 率いるからには、民が安んじて暮らせる土地にしていきたい。そう宣言して、俺は現状の確認に入った。


 領主と民の基本的な関係性は、年貢と税金、徴兵による兵役、賦役と多岐にわたる。年貢と税金……、棟別銭と段銭とは、ひとまず従来通りとした。


 俺からの要望としては、二つを打ち出した。




 まず、徴兵、賦役を段階的に廃止し、兵は村からの希望者を有給の常備兵として専門職化したいのが一つ。


 もう一つは、農村から人材登用をしたいという件だった。




 絶対に罪には問わないと誓った上で、腹蔵のない意見を求めてみた。


 しばらくの沈黙の後、箕輪長野氏の直轄地だった村の代表者、仁助が声を発した。


「これまでの徴用の形ですと、特に割り当て人数が多い場合には、どうしても戦うのに向かない者まで出ていく形になっていたのは確かですじゃ。それがなくなるのは歓迎でありますが……、戦利品が臨時収入となっていた面もありましてな」


「なるほどな」


 敵味方の戦死者から剥ぎ取った鎧その他を売却すれば、貴重な現金が得られるのだろう。さらには、乱取りと呼ばれる略奪が許される場合もあったと思われる。


「また、戦うのに向く者は、力仕事に向く者であるのが通常です。そろって抜けては、耕作がうまくいかなくなるかもしれませぬ」


「危惧はわかった。まず、臨時収入が減る件だが、各集落向けに手仕事を探して給金を支払おう。国峯城下では槍を作っていたようだが、そういった何かをあてがうのはどうか」


「賦役ではなく、給金をいただけると?」


「ああ。市で売るよりは安いかもしれないが、売る手間が不要であれば、互いに利益になるだろう。買い叩いたりはしない。それは徹底させる。……続いて、耕作の人手不足についてだが、当面は集めた常備兵に手伝わせよう」


「それは、報酬なしでとなりますか?」


「ああ。収穫したものの一部は、年貢としてもらうわけだから、おあいこだな」


「おあいこですか。……そうですな」


 仁助の表情のきつさが、少しだけ緩んだようだった。


「領主と領民の関係としては、健全でないと考える者もいるかもしれないが、まあ、よそはよそだ。ただ、どちらも段階的になので、過渡期には徴用への協力を頼むかもしれない。その場合には、給金を支払おう」


「それでしたら、協力させていただきましょう。……どうじゃな、皆は」


 集落の代表者の多くが頷いた。どうやら、対話していた仁助はこの地の農村の実力者だったらしい。


 対して、戸惑っていたのは土豪衆だった。


「我らの立場はどうなります?」


「ああ、すまん。まず、所領の安堵はしない。これまでの規模に応じた家禄は出すが、年貢は払ってもらう。家禄は、旧所領の取れ高の四半分程度を金銭でと考えている。年貢を払ってもらえば、兵力の供出はなしでいい。一方で、兵団を組織して参加してくれるなら歓迎だ。その場合は、まるごと常備兵の一隊としての雇用としたい。人数がまとまれば、税を払っても、家禄と合わせて差し引きの実入りは良くなると思うが」


「しかし、それでは、我らの誇りが……」


「立ち退けと言っているわけでもなし、兵を出す必要がなくなるんだから、悪い話ではないと思うがなあ」


 この時代の豪族と呼ばれる存在は、実際には独立勢力となっている。この地では、豪族のうち城持ち勢力が国人衆、村を拠点にする者たちは土豪と呼ばれていた。


 今回は、領地の召し上げに近い話を持ちかけているわけで、独立心の強い向きにはとんでもない話だろう。


 ただ、長野業正にとっての従属国人衆だった城持ちの堂山氏、鬼幡氏が不在状態なので、残るは集落に屋敷を構える程度の小粒の土豪勢力のみとなっている。


 土豪衆たちは小声での相談の後、持ち帰りたいと口にした。承諾しつつ、敵対的な視線を向けてくる者達の風体を脳裏に焼き付けておいた。




 上泉秀綱が束ねる剣豪組の去就は、ひとまず保留となった。統治ぶりを見てから判断してくれればいいし、この機会に京に出て新陰流の名を広めるのもありではないか、と話を向けてみると、蜜柑がそれはいい考えだとうれしげだった。彼らの頭上の▽印は、浪人状態を表す白色に変わっている。


「それは、邪魔だから追い払いたいとの意図からなのかな」


 神後宗治の問いを、俺は首を振って否定した。


「とんでもない。ぜひ加入してほしいんだが……、俺が名高い剣聖殿の主君として相応しいかどうか、自信が持てないんだ」


 心からの言葉だったのだが、上泉秀綱と優しげな顔立ちの高弟は、苦笑を浮かべていた。


 対照的に謹厳な表情を崩さない疋田文五郎は、蜜柑を任せて心配はなさそうだな、と口にしていた。




 対面の際に言葉を交わした仁助のいる集落を始め、幾つかの村を見て回らせてもらったところ、▽付きの人材は村に一人いるかどうかで、ステータス的には壊滅的だった。スキルにも特に見るべきものはなく、現段階では召し抱えるかどうかは迷うところとなる。


 引き続き村を巡るうちに、俺の視線は伸びしろのある子供たちに向けられていた。十五の俺と同世代か、やや下のあたりの子であれば、成長の余地は大きいだろう。


 この時代の教育は、家庭で行われたり、仕事場で実地に教わったりというのがほぼ総てだと思われる。


 十代前半の農村の子供たちを、農作業の基本に加え、自衛のための剣や槍の使い方、簡単な読み書き計算を教える名目で集めて、集合教育をさせられたら。


 初等教育しつつ、人材発掘ができれば、一石二鳥である。加えて、食料の増産を目指すためには、話の通じやすい農民が多くいた方が楽だろう。


 すぐに手掛けるのはむずかしいので、まず村の長らに打診してみたところ、農繁期以外でならば受け入れやすい、との話だった。検討していこう。


 


 村々からの常備兵志願者も、ぼちぼちといった感じで集まってきた。最初の三十人ほどは、ひとまず英五郎どんの指揮下に入ってもらい、刀、槍、弓、馬を試させる。その中で、二人いた▽持ちを指揮役に指名する形をとった。ステータスは農村の住民と同じく壊滅的だが、志願兵であれば育てる意味は大きそうだ。


 募集にあたっては、衣食住は確保した上で給金を払うものの、乱取りは禁止で、破った場合には斬首とする旨を徹底した。代わりに、遊女の誘致くらいはしないとまずいだろうか。そこは、衛生面も含めて考えなくては。


 無印の兵たちの力量は判然としないが、刀、槍、弓ではやはり向き不向きが歴然とした。隊分けして、蜜柑、英五郎どん、澪がそれぞれ指導する形とした。


 日を重ねていくと、▽持ちの片方に剣術系のスキルが出現していた。経験によって開花し、育っていく形なのだろうか。


 一通りの調練を終えたところで、希望をもう一度確認しつつ、本配属を固める。この三十余人が、我が勢力の戦力整備の第一歩だった。




 調練と農村視察の合間に、俺は乗馬の訓練に励んでいた。未経験だったため初めは尻と内腿が痛くてだいぶ苦労したが、いきなり広範囲の所領を手にしたからには、移動手段の確保は重要である。


 戦国時代の馬は、サラブレッドを想像してしまった俺からすると、だいぶ小柄で非力に映る。それでも、自分の足で歩くのに比べれば、飛躍的に行動範囲は広がるのだった。


 箕輪城で飼われていた馬も何頭か確保に成功していた。その中に、わりと体格の良い馬がいた。


 長野配下だったのをそのまま召し抱えた馬丁に訊いてみると、城主である長野業正の乗馬として期待されていたものの、乗り手の発する怒号を嫌がって振り落とすこと三度に渡り、近々喰われるところだったらしい。


 撫でてみると人懐っこい性格のようだったので、俺はその黒馬に「静寂」号と名付けて、乗馬訓練をさせてもらうことにした。機嫌よく乗せてくれているから、相性がいいのかもしれない。いや、怒号さえ発しなければ誰でもいいのかもしれないが。


 その流れを、中年の馬丁はとても喜んでくれた。長野業正の馬の扱いは手荒いものだったため、心を痛めていたそうだ。


 乗馬技術としては、蜜柑は自由に操るものの、やり方を言語化できない天才タイプなので、国峯勢の年輩の武士に教えてもらう。


 乗馬訓練には澪も付き合ってくれたのだが、俺よりも筋がよく、上達も早かった。まあ、腐らずに続けていくしかないだろう。


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